#3175/5495 長編
★タイトル (RAD ) 95/12/25 0:42 (199)
サンタクロースはヒットマン(4) 悠歩
★内容
仄かに甘い匂いを感じて、康平は目が覚めた。
いつの間にか、こたつで眠ってしまったようだ。
目覚めた康平の目に飛び込んで来た、淡い光の揺らめき。康平の目の前にはサン
タクロースの形のキャンドルが火を灯してした。
そして小さな、けれども綺麗なケーキ。その奥には、優しく康平を見つめる姉の
顔。
「お姉………ちゃん?」
突然、あまりにも幻想的な光景を目にした康平は、それが夢なのか現実なのかつ
かめないでいた。
「やっと起きてくれた」
微笑む姉の顔が、キャンドルの炎に揺れ、とても神聖なものに見えた。
「やだ、康ちゃん、顔が赤い。腕のあとが残ってる」
こたつで手の上に顔を乗せて眠ってしまったためだろう。康平の顔に、そのあと
が残っているらしい。
姉につられて、康平も笑った。
「さっ、ケーキ食べましょ」
「あ、僕がやる。お姉ちゃん、疲れてるでしょ」
立ち上がろうとした姉を制し、康平が立った。
康平は部屋の明かりを点けようとして、止めた。キャンドルの明かりに照らされ
た姉を、もうしばらく見ていたい。そう思ったからだ。
薄暗い中を半ば手探りで用意を調え、康平はケーキにナイフを入れた。あまりに
も綺麗なケーキだったので、ほんの一瞬、ナイフを入れる事に躊躇いを感じて。
一通り用意を終えるまで、姉は嬉しそうに康平を見つめていた。嬉しそうな姉を
見ることで、康平はもっと嬉しかった。
「じゃあ、乾杯しましょうか」
「うん」
「メリークリスマス」
「メリークリスマス」
ジュースでの乾杯。安いグラスの筈なのに、触れあった時の音色が美しく部屋に
響きわたった。
「おいしい」
本当に美味しかった。そのケーキは、康平がこれまで食べた、どんなものよりも
美味しいものだった。
「そう、よかった」
そう言いながら、姉は脇から小さな包みを出した。
綺麗に包装され、リボンの掛けられた包み。
「康ちゃんに、気に入ってもらえるかな? クリスマスプレゼント」
ケーキを口に運ぶ康平の手が止まる。
本当は、クリスマスを祝う余裕のない事を知っていた。なのに康平のために、こ
こまでしてくれる姉に涙が出そうになる。
「どうしたの、気に入らなかったかしら………」
「ううん、そんな事ない。ありがとうお姉ちゃん」
康平は、腕で顔を拭った。部屋の明かりを点けないで良かった、涙を見られずに
済むから、と思いながら。
「ねえ、開けていい」
「いいわよ」
「何が入ってるのかな………」
康平にとって、最高の聖夜が更けて行った。
「なーにが入ってたんだっけなあ」
すっかり冷たくなってしまった缶コーヒーを口に運びながら呟く。
思い出に耽っているうちに、康平の身体も芯まで冷えてしまった。
「酒巻………いや、高田さんの方がいいかな」
不意に声を掛けられ、康平は飛び上がりそうになった。
そして、声のした方に向けて身構えた。声の主は、康平の本名と偽名の両方を知っ
ている。
「おっと! そんな恐い顔しないで下さいよ」
声の主は康平よりも若い、金色の頭をリーゼントにした、いかにもチンピラといっ
た風貌の男だった。康平の顔を見ながら、へらへらと笑っている。
『どうする?』
この男に対して、どう出るべきか考えた。
男がゆすりたかりの類ならば、別に恐くはない。喧嘩には自信がある。だが相手
は、どこまでかは判らないが、康平の事情を知っている。
「だからあ〜、恐い顔しないで。俺はあんたの敵じゃ、ないっすから、高田さん」
男は人を小馬鹿にしたような口調で言った。
「俺は、倉田さん使いのモンですよ」
「倉田………さんの」
男はニヤッと笑うと、康平の隣に腰掛けた。そして革ジャンのポケットから臭い
のきつい洋モクを取り出し、大袈裟に吹かして見せる。
「倉田さんがね、じれてるんですよ。酒巻、いえ、高田さんの仕事が遅いってね」
「せかしに来たって訳か」
男は立ち上がり、無造作に煙草を投げ捨てた。
「明日はイヴかあ。倉田さんも、さわやかな気分でクリスマスを迎えたいだろうな
あ」
そう言いながら、男は歩き出した。
「待て、俺は………仕事を終えた後、俺はどうなる?」
康平の問いに、男は答えずに立ち去った。
男の消えて行った暗闇を見つめ、康平は思った。
逃げられはしない。
康平の行動は、倉田に見られている。
「ただいま」
康平は勢いよく、アパートのドアを開けた。その左手には紙筒がしっかりと握ら
れていた。
康平の描いた姉の似顔絵が賞を取ったのだ。その事をいち早く、姉に知らせたかっ
た。
今日は仕事が休みで、姉は部屋にいるはずだ。
姉はそこにいた。しかし、いたのは姉一人ではなかった。
姉と向かいあって座る、中年の男女。その顔にはどこかで見覚えがある。
「おお、康平か。でかくなったなあ」
「まあまあ、康ちゃん。久しぶりねぇ」
馴れ馴れしく声を掛ける二人。姉以外の人間に「康ちゃん」と呼ばれるのは、不
愉快な気分だった。
姉は黙って、俯いている。
「どうした康平、私たちが判らんか?」
「無理もないわねぇ、三年、いえ四年振りかしらねぇ」
忘れてはいない。思い出したく無かっただけだ。
二人は康平の叔父夫婦だった。
康平の両親が苦しんでいるときに、まるで素知らぬ顔だった親戚連中だ。
通夜の時すら顔を見せなかった叔父が、今更康平姉弟に、何の用が有ると言うの
だろうか。
康平は嫌な物を感じ、姉を見た。しかし姉は、相変わらず俯いたままで、康平の
方を見ようとしない。
「あなた」
叔母は叔父を肘で突いて、何かを促した。
「あのな、康平。今、姉さんとも話してたんだが………」
改まって叔父が話し始める。
「お前たち姉弟だけで生活していくは、はやり無理がある」
いきなり、康平たち姉弟の生活を否定する言葉。それは、叔父がこれから語ろう
とする事が、康平にとって、決していい話でない事を予感させた。
「姉さん一人なら、ともかくなあ。お前を学校にやりながらでは、大変だろう。こ
れから、中学、高校、大学と、どうするつもりだったんだか」
そう言って、叔父はちらりと姉を見た。
「中学を出たら、僕も働く」
「お前なあ」
あからさまに呆れた顔で、叔父は言った。
「今更、中卒でどんな仕事が有る? 康平、お前はまだ、世の中の事を知らな過ぎ
る。お前の姉さんを見ろ。女だという事も有るが、高校中退でまともな仕事になど、
就けないでいる」
「お姉ちゃんを悪く言うな!」
叔父の姉を馬鹿にしたような発言に、康平は飛びかかりそうになる。
「康平!」
それまで一言も発しなかった姉が、突然厳しい顔で康平を睨んだ。そんな姉の顔
を、康平は初めて見た。両親が死んだ時すら、そんな顔は見せなかった。
「や、やっぱり、親がいないから、乱暴者になってしまうのかしらねぇ」
しばらく金魚のように、口をぱくぱくさせていた叔母が言う。
康平は更に腹を立てたが、姉の無言の目に促され、黙ってその場に座った」
「そこでだな」
気を取り直して、叔父は続けた。
「お前を、私たち夫婦が引き取る事にした」
その言葉を、康平は死刑宣告を受けた被告のような気持ちで聞いた。
「そ、そんな。お姉ちゃん」
助けを求め、姉を見る。だが、
「それが………康ちゃんのため………よ」
絞り出すような姉の声。
康平は全てが終わったと思った。
「高田くん、身体の具合でも悪いの?」
店長が康平に耳打ちをする。
今日こそはやらなければ、と言う思いのため、今朝から康平の様子は不自然だっ
たのだろう。確かに客に対して、愛想笑いの一つもしていなかった。
「あ、いえ、なんでもないです。ちょっと考え事があったんで」
「頼むよ、どんなことがあっても、お客さんの前では笑顔でね」
「はい、すいません」
仕方なしに笑顔を作る。しかしその笑顔も、ひきつっているのが自分でも判る。
康平はチラシを配りながら、あの少女の姿を探していた。見つけて、どうしよう
という考えが有った訳ではない。ただ自分が殺人者になる前に、姉の面影のある少
女に会っておきたかった。だが、その望みは叶えられないまま、時はやって来た。
いつもと同じ時間、同じ場所に同じ車が停まる。
そして車から降りてくるあの男。
もう、後には退けない。康平は心を決めた。
ぱん。
『なんだ………意外と軽い音なんだな………銃声って』
引き金を引いた康平は、そんな事を思った。
静寂。
その中で店のクリスマスソングだけが聞こえる。
やがて、悲鳴とどよめき。
同時に康平は走り出していた。
車から数人の男たちが康平の方へ飛び出して来るのが見えたのだ。
康平の駆け出す先で、人波が割れて行く。モーゼの十戒さながらに。
走りながら、康平は自分が失敗した事を知った。走り出す寸前、車のドアに着弾
の跡を見たのだ。
焦りのあまり、相手が近寄るのを待てず、手元も定まっていなかった。
康平は殺人者になりきれず、追われる者になった。
叔父の真意はすぐに知れた。
人手が欲しかったのだ。
叔父は九州の山奥で農業を営んでいたが、最近車で街に出た際に事故に遭い、足
を悪くした。
叔父夫婦に子どもはなく、かと言って人を雇える程の余裕はない。仮にあったと
しても、山奥の農家が働き手を捜すのは容易なことではない。
そこで康平に目をつけたのだ。
叔父は死んだ康平の父を、良く思ってはいなかった。都会に出て成功を収めた兄
を妬んでいたようだった。
それでも工場が順調だった頃には、よく訪ねてきては父から金を借りていた。
それが工場が傾き掛けて来てからは、まるで他人の顔で、自分が働けなくなって
今度は康平を利用する事を思いついた。
康平は、来る日も来る日も畑仕事に出された。
朝は陽が昇る前に起きて畑に出て、歩いて二時間の学校から帰った後は、陽が沈
むまで畑に出る。
それでも時折来る姉からの手紙が、かろうじて康平を支えていた。しかしそれも、
康平が中学校に上がる頃には、ぱったりと途絶えてしまった。
叔父が姉に対して「いつまでも手紙を出していたら、康平が姉離れしない」と、
進言した事を康平は知っていた。
やがて中学卒業が近づいた頃、叔父は康平を高校に進学させる気が、まるで無い
事が判った。
引き取った事を恩に着せ、これからはその恩に報いろとまで言った。
康平は中学を出ると、叔父の家を逃げ出した。
その事を恐れてか、叔父から一切小遣いは貰っていなかったが、引き取られる時
に、秘かに持っていた金を電車賃に、姉の元に向かった。
しかし姉と暮らした懐かしいアパートは、すでに取り壊されていた。
康平は姉の行方を懸命に探したが、ついにそれが知れる事はなかった。