#3174/5495 長編
★タイトル (RAD ) 95/12/25 0:42 (172)
サンタクロースはヒットマン(3) 悠歩
★内容
その時−−−。
一台のグレーの高級車が店の前に停まった。
降りてきた一人の男。
向こうは知らずとも、康平はよく知った顔。
高畠修三−−−その理由は知らないが、康平の殺さなければならない相手。
高畠の顔を見た瞬間から、康平の周りの全てが停止した。もちろん康平がそう感
じただけなのだろうが、うるさい程の音量で響いていたクリスマスソングも、店員
たちの売り声も、康平には聞こえない。
康平の目に映るのは、スローモーションの様にゆっくりと、こちらに歩いてくる
高畠の姿だけだった。康平と高畠の間の人波すら、今の康平には見えなかった。
異様に頭がくらくらとする。鼓動が高鳴り、全身の血液の全てが頭に集まって来
る。その苦しさで気を失いそうになる。
震える手で、衣装の下の拳銃を探る。
「まるで、映画のワンシーンだな」
極度の緊張の中、妙に客観的な感想が浮かぶ。
途端、冷静なもう一人の康平が周囲の状況を把握しはじめる。
客の目のあるところでは、高畠は気を使って警護の男たちを近づけない。男たち
は車の中から、遠巻きに高畠の周囲の様子を窺っている。事有ればすぐにでも飛び
出して来るのだろうが、連中の動きが拳銃から発射された弾丸より、早いとは思え
ない。
今が、高畠を殺す絶好のチャンスだ………しかし。
それまで康平の視界の中に入っていなかった………認識されていなかった人波が、
一気に飛び込む。
「確実に、高畠だけを狙えるのか?」
秘かに呟く。
自信は無い。生まれてこの方、拳銃など撃った事は無いのだから。倉田から渡さ
れた後も、誰かに銃声を聞かれる事を恐れ、試し撃ちもしていない。
もし外してしまったら、自分はどうなるのだろう。いや、上手く当たったとして
も逃げ仰せるかどうか疑問である。警察に捕まろうと、あの厳つい連中に捕まろう
と、康平の人生は終わりだ。失う物など、何も無いと思っていたが、いざとなると
やはり恐怖が先に立つ。
流れ弾が無関係の人間に当たる可能性も高い。他人の生き死になど、どうでもい
い事だ。だが自分の手で、死を与えるのは気持ちのいいものではない。それは高畠
も含めて。
しかし倉田への恐怖。高畠を撃たなければ、倉田が康平をそのままにしておかな
いだろう。
意を決して、康平は拳銃を抜こうとした。
その時。
「サンタさん、わたしにもチョコレート、もらえますか?」
女の子の声によって、康平の意識は緊張した空間から日常へと戻された。
「え、あ………ああ」
『あれ? この子は』
何処かで会った事がある、そう思ってすぐに納得した。康平が倉田から拳銃を渡
された日に、駅前で募金活動をしていた少女だ。
間違いはない。あの時、少女の顔を見て感じた感覚を覚えている。錯覚だと思っ
て、忘れていたいたが、いままた思い出した。
少女に視線をやった康平のすぐ横を、高畠が通り過ぎて行った。その後を店長が
追って行く。どうやら、今日は事務所に直行するようだ。
今日のチャンスは逸した。
そう思うと、康平は悔しさより安堵を覚えた。
「ママがいないと、だめかしら………」
そんな康平の葛藤を知らない少女は、寂しそうに言った。
「そんな事、無いよ。チラシは後で、お家の人に渡してね」
康平は笑顔で、少女へチョコレートを差し出した。康平は、作り笑いでない、自
然な笑顔が出来た事を不思議に感じていた。
少女は一瞬、何かに躊躇うようにしてチョコレートを受け取った。
「サンタさん、ありがとう」
その時の少女の笑顔に、康平は何故かとても切ない想いを掻き立てられた。
「メリークリスマス、お嬢さん」
走り去る途中、少女はもう一度康平を振り返り、笑顔を見せた。
少女はその後、離れた場所にいた小さな男の子のもとに歩み寄って、チョコレー
トを渡していた。
「姉弟か」
康平は食事休憩へ行くため、少女たちに背中を向け店内のロッカールームへ向か
おうとした。
「よかったね、コウちゃん」
確かに聞こえた。
店内と通りの喧騒の中、確かに少女の声が聞こえた。
しかし振り返った康平の目は、少女の姿を見つける事は出来なかった。
小さな公園のベンチに腰を降ろし、康平はカイロ替わりにしていた缶コーヒーの
蓋を開けた。
時刻は七時を過ぎたばかりだが、さすがに冬の公園に他に人影はない。
遠く商店街のクリスマス用のイルミネーションが見える。
「コウちゃん………か」
とても懐かしい響き。
少女に感じた不思議な懐かしさを、康平は理解した。
あの少女は、何処かその面影が行方知れずの姉と似ていたのだ。
康平は子どもが嫌いだった。そのしたたかさを知っているから。
あの少女も、そうに違いない。
親の趣味か何かで、募金活動などをやってはいるが、それを善行と思い、実は単
なる自己満足の世界である事に気が付かない、康平の嫌いな連中の一人なのだ。
哀れな人を救いながら、内心は自分がそうでない事に優越感を感じている。そん
な人種なのだ。
そう思いながらも、康平はどうしても少女を特別視している自分に気付いていた。
「姉さんと似ている………くっ、馬鹿馬鹿しい」
姉が生きていたとしても、もう三十も半ばを過ぎている。十歳そこそこの少女に、
その面影を重ね、恋慕を感じている自分は滑稽でしかない。
「姉さんは死んだ」
何かを振り払おうとして、康平は吐くように言った。言いながらも、何処かで元
気に暮らしている姉の姿を、思い浮かべずにはいられなかった。
クリスマスは嫌いだった。
街がでも華やげば華やぐほど、人々が浮かれれば浮かれるほど、自分が惨めに感
じられる。
学校でも休み時間になる度に、そちこちでパーティや、もらう予定のプレゼント
についての話で盛り上がっていた。
康平は一人素知らぬ顔で本を読んでいた。
クリスマスの話など、まるで興味が無いかのようにして。
「ねえ、酒巻くん」
そんな康平に、近くでかたまって話をしていた女の子の一人が、声を掛けてきた。
「酒巻くんは、クリスマスプレゼントに何をもらうの?」
言い切ってから、女の子ははっとして口を手で押さえた。
康平は一瞬、その女の子に鋭い視線を向けた後、まるで何事も無かったかのよう
に、再び本を読み出した。
「もう、ゆかりったら」
一緒に話をしていたグループの女の子が、康平に話し掛けた女の子を引っ張って
行く。「駄目だよ、酒巻にそんな事きいちゃ。かわいそうだろ。貧乏だから、プレ
ゼントなんかあるわけないじゃん」
その様子を見ていた男の子の一人が言った。彼は何かにつけて、康平の事をから
かい、いつも喧嘩している相手だった。
「俺、知ってるぜ。酒巻のねーちゃんって、男の人とエッチなことして、お金もらっ
てるんだぜ。うちの母ちゃんが言ってたもん」
最初に康平をからかった男の子の腰巾着の言葉に、康平は切れた。
「てめぇ、姉ちゃんのことを………勝手な事を言うんじゃねえ」
姉を悪く言った相手に飛びかかる。勢いで周りの机が二つ三つ倒され、派手な音
が教室に響いた。
「おおっ、この貧乏人めが」
「やっちゃえ、やっちゃえ」
「きゃーっ」
クリスマスの浮かれた空気はどこかへと消え、教室は騒然となった。
インスタントのラーメンで夕食を済ますと、康平はテレビをつけた。だが、どの
チャンネルも、くだらないクリスマス特集ばかりで面白くない。すぐに消す。
「きぃよし、こーのよる、ほーしいは、ひーかり」
独りで口ずさんでみて、寂しさが増す事を知る。
「お姉ちゃん、今日もおそいのかな………」
姉は決して同級生の言うような、いかがわしい仕事をしている訳ではない。ただ
客の酒の相手をする、それだけの事だ。
だが、勤め先の店が隣県にまで知れ渡った歓楽街だと言う事で、とかく世間では
悪い噂がたっていた。
康平はその事で同級生にからかわれている、と話した事はないが、姉もとうに気
が付いているようだ。康平が度々喧嘩をして帰る事から、察したのだろう。
けれども、二人にはどうしようもない。
康平は、姉に今の仕事を辞めてくれとは言えない。姉も今の仕事を辞めてしまえ
ば、康平との生活を支える事が出来ない。
高校を中退した女が、他に職を探すのは容易な事ではない。まして両親ともに既
に亡いとなれば。
かつて康平の一家は豊かだった。
父は自宅の敷地内に小さな工場を経営していた。
従業員五名ほどの、ライターの蓋の部分を専門に造る下請け工場だったが、業績
は順調だった。工場には毎日のように忙しく動きまわる父母と、従業員たちの姿と、
立ち昇る蒸気があった。
両親と姉、家族同様の従業員たちに囲まれ、康平は何不自由無く育った。
ところが使い捨てライターの登場で、工場への部品の注文は激減。新しい設備を
入れたばかりの父の工場は、大打撃を受けた。
一転して、康平たち家族を暗い影が包み込んだ。
金策に走り回る両親。あれほど家族同様に接してきた従業員たちも、沈んでいく
船から逃げ出す鼠のように、工場を辞めていった。
律儀にも康平の両親は、彼らへの退職金も借金をして払った。
従業員も全て去り、金策も捗らない。いつの間にか親戚たちも寄りつかなくなっ
ていた。
そして、追い打ちを掛けるような出火。火元は父の工場だった。
死傷者は出なかったものの、火事は鎮火するまでの間に、付近二棟を焼いた。
当初、工場で不審な人物が目撃されたという話も有ったが、結局警察の調べは工
場での日の不始末で片づけられてしまった。稼動していない工場の。
借金を残したまま、工場は灰になり、さらに火事に巻き込まれた二件への保証。
どうにもならなくなった両親は、康平たち姉弟を残し、自殺した。
朝、トイレに起きた康平が、庭先の柿の木にぶら下がった両親を見つけた。
残された遺書には、自分たちの保険金を借金の返済と被害者へのお詫びにまわし
て欲しいと、記されていたそうだ。
それでも足りない分の借金は、家を売り、康平たち姉弟はそれまでの街を離れ、
今の安アパートに移り住んだ。
子どもにはあまりにも過酷な出来事に、康平が耐えて来れたのは姉がいたからだっ
た。
姉は康平との生活のため、高校を辞めて慣れない仕事で糧を得てくれている。そ
う思えばどんな事にも耐えられた。
それでも、子どもの身で独りで過ごすイヴの夜は寂し過ぎた。