#3167/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/11/30 15:27 (187)
アクセントは難しい 1 平野年男
★内容
その女の死体が見つかったのは、ある日の朝八時すぎであった。例によって
吉田刑事がやって来て色々と調べている。現場は、被害者宅であるマンション
である。
吉田刑事が、部下の浜本刑事に聞いた。
「それじゃ、状況を聞かせてもらおうか」
「はい、被害者はこの一〇九号室の住人、前川宮子で第一発見者の管理人も証
言しています。死因は、ノコギリによる首の切断です。被害者は、M会社社長
の森本夕造の愛人であったようです」
ここまで浜本刑事が言ったとき、検察官の一人が叫んだ。
「警部、この死体は女ものの服を着ていますが男の死体です」
「何だって? それは本当か?」
吉田刑事は、驚いて目を白黒させて言った。
「はい、誰だかわかりませんが確かに男です。しかし、首は前川宮子のだけで、
男のはありません」
「すぐ調べろ。それから管理人室に、管理人を待たしているだろうな。よし、
これから聞き込みに行ってみる」
吉田刑事は、そう言うと現場である一〇九号室を出た。野次馬は一人もいな
い。なぜなら、この高級マンションはつい最近入居者を応募し始めたからだ。
お値段もとびきり高い。前川宮子のようなのが入居できたのは、森本夕造の愛
人であったからであろう。
「では、発見時の状況を話してください」
「はあ、あの人はいつも朝の七時半ごろ出社して行くのでよく覚えています。
と言っても入居者はまだ三人しかいなくて、そのうちのたった一人の女性です
から当然ですがね。とにかく変だな、と思って八時に部屋を見に行ったんです。
するとカギがかかっていなくて、ますます変だなと思い部屋の中を見ると死体
があって。いやぁ本当にびっくりしましたよ、まあめったにできない体験をし
て友人に自慢ができますよ」
管理人の渡辺菊雄という男は、こんな高級マンション管理人にしては、かな
り若く三十前ぐらいか、しかも殺人事件に関わっているというのに、随分うれ
しそうである。推理小説が好きなのか、新人類というやつか。
「えー、それでは昨日いつごろ前川さんは帰ってきましたか。それと一〇九号
室に出入りした人は」
「そうですね、昨日前川さんが帰ってきたのはいつも通りの午後七時でしたよ。
それから出入りした人ですが、みかけませんでしたねえ。いや、実を言うと入
居者全員が帰ってきたので安心して注意していなかったのですよ、殺人がある
のがわかっていたらみていたんですが」
「そうですか、それじゃ、普段から前川さんのところに出入りしていた人は」
「余りいませんでしたね、森本夕造さんと友人で医者の前田健司さん、あと、
名前は知りませんが女性が一人出入りしていましたよ。多分、森本社長の秘書
でしょう」
「そうですか。随分と詳しく知っていますね」
「前川さんが勝手に話してくれたんです。目立ちたいというか優越感に浸りた
かったんでしょう。あっ、それから彼女、こんなことも話していましたよ、『
私、社長婦人にいつか殺されるのよ』って」
「どうもありがとうございました。ひょつとすると、またお伺いするかもしれ
ませんから、そのときはよろしく」
吉田刑事は、こう言って本署に戻った。
「検死の結果を聞くかせてくれ」
「死体の男の方は腕時計からM会社社長の森本夕造です。首の切断に使用した
のは森本、前川、共に現場にあったノコギリによるものとわかりました。それ
と後、死亡推定時刻ですが森本は、発見前日の午後三時〜八時頃、前川は同じ
く発見前日の午後六時〜八時頃です」
「それで会社の方は何ともないのか。社長がいなくなったというのに」
「それがちょうど、休暇をとっていたそうで」
「それでも家の人が何か言うだろう」
「いえ、社長夫人は財産目当てで結婚した人で、夫が浮気しようが何しようが
お構いなしって人でして、ついでに言っときますが、森本家の家族構成は社長
夫婦に、お手伝い一人、それに運転手として雇われている大学生の大和邦行の
四人です。社長の子供は息子が一人いますが現在アメリカに留学中とのことで
す」
「ふむ、それじゃ管理人の言ってたこととあわないな。前川宮子は『社長夫人
に殺される』と言っていたのに、その社長夫人の森本和子が夫の浮気なんてお
構いなしとは、とにかく、まだ調べなきゃならんことは山ほどある。前川の所
へ出入りしていた前田医師と社長秘書、森本家での聞き込み、マンションのカ
ギ、他の二人の入居者への聞き込み、そして、森本社長の首と前川宮子の胴体
の発見」
結局、死体の捜索は下っ端のいわゆる捜査員が、森本家と秘書への聞き込み
は吉田刑事、マンション関係と前田医師への聞き込みは浜本刑事がやることに
なった。
森本家についた吉田刑事は、その家の大きさに少なからず驚かされた。俺の
月給の何ケ月分あるのだろう? と、貧しい疑問が沸いてきた。
それを打ち払って中に入ってみると、中も物凄い豪華さだ。気後れしそうに
なる心を奮いたたせ、吉田刑事は社長夫人の森本和子に尋ねた。
「社長さんが亡くなって、さぞかし大変でしょうが、しばらく時間をください。
御主人を怨んでいたような方はいますか?」
「質問に答える前に言っときますが、私は夕造が痴情のもつれで殺されようが、
何も大変なことなんかありませんから、御心配なく」
「すると奥さん、いや、もう奥さんじゃないんだったな、あなたは御主人が痴
情のもつれで殺されたと思っているんですね」
「そうに決まっているでしょう。夕造を怨んでいた人なんかいる訳ないじゃな
い」
「では、誰に殺されたのでしょうか」
「それを調べるのが警察の役目でしょう」
「そうでしたな。それでは一応、あなたから調べさせてもらいます。昨日の午
後三時から八時頃までどこにおられましたか」
「アリバイというものですか。昨日は午後三時から四時までお茶会に出席して
いましたわ。その後、五時まで一人で買い物をしました。そして、午後五時か
ら八時まで家におりましたわ。これは他の者が証言してくれるでしょう。まあ
確かめてみなさい。お茶会は、K庭園、買物は、A商店街ですわ」
「どうも、もう一つお聞きしますが、御主人が死んだ今、財産とその地位は、
どうなるのでしょうか」
「多分、私の一任となるでしょうね」
「するとあなたにも充分動機はある訳ですな」
吉田刑事がこう言うと、和子夫人は黙ってしまった。和服を着て妖しい魅力
を持っているが、どちらかというと、小悪魔っぽい感じがする。
好かんな。吉田刑事は思った。次にお手伝いの大家景に会った。
「社長夫人について君はどう思っていたんだい」
「そうだねえ、わたしゃ前から思っていたんだけど、いつ別れてもおかしくな
い夫婦だったね。社長は浮気三昧、奥様の方も金使いが荒くてね、よくあれで
会社がもつもんだと思うわ、本当に」
もう、おばあさんの大家は顔にしわを寄せながらモゴモゴと答えた。吉田刑
事が聞く。
「ところで、昨日の午後五時から八時まで夫人は家にいたのかい」
「ええ、確かにいましたよ。何せ、午後五時丁度に帰って来られましたから、
ようく覚えていますよ」
「それから昨日、社長さんはどこにいたか、知っているかい」
「いや存じません。朝早うからお出かけになられたようじゃつたが」
「えーと、それから買物は、いつも夫人が行くのかい」
「いいえ、昨日突然、奥様が、『もうお前も年なんだから、外出するの大変だ
ろう。今日から私が行きますからね』とか、言ってくれて私が結構ですと断っ
ても、無理矢理行ってしまわれましたわ。私ゃ感激しちゃいましたよ。こんな
年寄りを使ってくれるだけでも嬉しいのに、あのような言葉をかけて下さって」
「どうもありがとう」
吉田刑事はこの話を聞いて、お手伝いは夫人に感謝しているようだが金で動
くような人にも見えないな。多分ウソじゃないだろうと思った。最後に、運転
手で大学生の大和邦行にあつた。何でも社長の息子の友人で、度々、森本家を
訪れている内に運転技術を買われて、運転手として雇われたということだ。吉
田刑事は、この二十一才の切れ長の目で長髪の背は低いが足の長い青年に向か
って言った。
「昨日は朝から社長が外出されたそうだが、君が送って行ったのかい」
「いいえ、社長は仕事のとき以外は自分で運転していましたから。恐らく僕に
脅迫のネタでも、掴まれると思っていたんでしょう」
「それじゃ、昨日の夫人の買物は?」
「それも、奥さんが誰か知らないけど、髪がボサボサでアゴヒゲを生やしたサ
ングラスの若い男を呼んで、そいつの車で行っちまいましたよ」
「その男がここに来たのは初めてかい」
「ええ、そうですよ」
「なるほど、それじゃ君はここの息子とどういうことで、知り合ったんだい」
「剣造とは、どちらも推理小説が好きだったから大学で知り合ったのさ」
「剣造というのは息子の名前だね。どうもありがとう」
それを最後に、吉田刑事は森本家を出た。そして、社長秘書の盾野未来に会
う為にM会社に向かった。その途中で吉田刑事は、お手伝いと運転手の二人は
社長に対して何も文句のような物を言わなかったから、そう酷使されていたん
じゃないだろう。動機を隠す為のカムフラージュとも考えられるが、恐らく犯
人ではないなと思った。
そうこう考えているうちにM会社に着き、秘書の盾野と会った。かなり若く、
髪は腰のあたりまであり度の強そうなメガネを架けているが、それでも美人に
見えるから素顔は相当なものだろう。
「あなたは、社長の愛人の前川宮子のマンションによく行っていましたか」
「はい。社長が、『自分がいなくなったら、ここに来い』と言って教えてくだ
さいましたから」
「それでは、あなたは昨日の午後三時から八時まで、どこにいらっしゃいまし
たか」
「まぁ、私を疑っていらっしゃるの。何故私が社長を殺さねばなりませんの」
「いえ、そういう訳じゃありません。これも捜査の一環としてですな……」
「いいですわ。昨日は朝九時から夜の九時まで、ずっと働いていましたわ、こ
こで。書類の整理を頼まれていましたので」
「そうですか、どうも失礼をしました」
吉田刑事が帰ろうとすると急に一人の男が入って来た。その男が言った。
「やっと見つけたよ、盾野未来さん。お内の方が心配していますよ。しかし本
名でこうやって働いているとわねえ。裏を掻かれましたよ」
「あなた誰? どうして私の名前を……」
と盾野未来が言う前に、吉田刑事が叫んだ。
「流さん! 流次郎さんじゃありませんか。どうしてここに」
「まあそう慌てずに。順に答えますから。僕は盾野財閥の皆さんから一年前に
家出した娘さんの、未来さんを捜すように依頼された、探偵の流次郎という者
です」
「えっ、お母さまが。もう、余計なことをして。せっかく息苦しい生活を離れ
て社会に触れようと思ったのに」
「お気持ちは良く分かりますが、僕も頼まれたからには仕方がないんです。す
みません、お嬢さん」
「何だって警察に頼まなかったのです」
「そりゃ、盾野財閥にしてみると表沙汰にしたくなかったんでしょう、吉田警
部」
「仕方がないわ。一度帰らなくちゃ、駄目みたいね」
盾野未来はそう言うと、メガネを外した。やはり相当の美人である。流次郎
が言った。
「噂通り美しくてかわいいですね。ところで、吉田警部はどうしてここに」
「ここの社長と愛人が、殺されたのを君は知らないのかね」
「はあ、僕は一つの仕事を頼まれると、それに熱中しちゃうものでして」
「それなら、お話しましょう」
話を聞いた流は、興味を示した。
「面白そうですね。一緒にやらせてもらえませんか」
「いいですよ。今度は負けませんから」
吉田刑事は自信たっぷりに言った。
「ねえ、私も入れて下さらない」
突然、割って入ったのは盾野未来。流は当惑した表情とヤレヤレといった感
じで言った。
「僕は、いいですけどお家の方が……」
「お願い、どうせ戻らなきゃならないのならもう少し長く外の風に触れていた
いわ。いいでしょう。お母さまには、まだ見つからないって言っておけばいい
わ」
盾野未来の、その生き生きとした声を聞いて流はニコッと微笑んだ。吉田刑
事は、知るか! という顔をしていた。
−−続く