#3151/5495 長編
★タイトル (BWM ) 95/ 9/17 10: 7 (169)
風と空と草原 上 泰彦
★内容
「鳥は大空を自由に飛べていいなぁ」
少年は頭上に広がる青い空を見上げながらつぶやいた。
茶色がかった髪。ほっそりとした体は緑色のチョッキとズボンに包まれてい
て、まるで森の妖精のようだ。
服からのびた小麦色の四肢は、太陽の光を受けて輝いている。その輝きは大
人には許されないであろう、生気の輝きでもあった。
『空を飛ぶ』
それが、誕生日をまだ12回しか迎えていない少年の夢だった。
鳥の飛ぶ様子を観察し、小型の模型を作っては実際に飛ばせてみるというこ
とを、すでに2年近く繰り返しているのだ。
少年はなぜ2年もの間、空を追い求めているのだろうか。
それは少年にも分からない。
ただ心の中から沸き上がってくる不思議な思いに導かれるままに、空を夢み
ている。
そして今、少年の夢は実現の一歩手前まで来ていた。
どこまでも続く緑の草原。そこを、初夏の風が優しく通って行く。
そこには、政治や権力とは無関係の大きな自然があった。
人々は自然に感謝し、自然と共存することで生活してきた。
それは今まで変わることのなかった、そしてこれからも変わらないであろう、
自然と人間との間における暗黙の了解である。
その大きな自然を、体いっぱいに受けとめながら横たわる人影があった。
人影は死んでいるわけではない。眠っているのだ。
どこまでも穏やかな寝顔は、少年のものであった。あの、空を追い求める少
年だ。
少年が暮らしているのは石造りの一軒家の中にある、わずか6畳ほどの部屋
で、いちばん奥には暖炉があり、その上には1枚の肖像画が飾ってあった。
椅子に座っている女性を横から描いたもので、ふっくらとした体付きや整っ
た目鼻だち、黒く流れる髪、真珠のような肌は、誰が見ても美人と言うのを躊
躇しないだろう。
その女性が少年と、その姉の母だった。
都市へ働きに出ていた夫が事故で亡くなってから女手1つで2人の子供を育
ててきたのだが、わずかな蓄えが底をつくと、夫の親友であった村長に姉弟の
ことを頼んだ。
少年の母は、2人の子供を育てるために自ら身売りをしたのである。
身売りした当時6才だった姉はともかく、少年はその顔を覚えていない。
絵を見る限り美人である母親を、彼はひそかに誇りに思っている。
一度、姉にそのことを話したことがあった。
その時姉は、涙を流して黙って少年を抱きしめた。
長い長い抱擁。
少年を抱きしめながら、姉はうなずいていた。何度も何度も。
その姉は、数年前に妻を亡くした村長の家で家政婦として働いている。住み
込みであるため、少年に気を遣ってやれないのが彼女の悩みであった。
村長とは半年ほど前から恋仲であり、近々結婚する予定になっている。
少年にとって、それは姉が自分から遠ざかって行くことを意味しており、祝
福しながらも、一抹の寂しさを禁じえなかった。
姉が結婚したら、迷惑をかけないようにしよう。
そう決意して、農場での仕事によりいっそう励むようになった少年にとって、
草原の中でこうしてのんびりしている時間は、疲れきった体を休めると同時に、
空への思いを感じるときであり、毎日欠かすことの出来ない日課であった。
「シェン兄ちゃん!」
その声は少年の眠りを揺さぶり、目を開けさせることに成功した。
少年−−シェン・ラ−−は小さくあくびをすると、声の持ち主を探す。
いた。
少年よりもずっと小さい男の子だ。褐色の肌に黒い髪、黒い瞳。皮のズボン
をはいて、上には皮の上着を羽織っている。
「シグか・・・・。どうしたんだい?」
「父さんが、今日の夕食は僕の家で食べて行きなさいって」
「ありがとう。いつもすまないね」
「ううん。僕も父さんも気にしてなんかいないよ。かえってうれしいくらいさ」
シグこと、シグラス・デル・ザンはこの村の村長、ラグラス・デル・ザンの
息子ということもあってやや大人びているが、少年にとっては弟であり、友達
でもあった。
ともに野を駆け、木に登り、川で泳ぐ。
シグにとってそれは、一番の楽しみでもある。もちろん少年の仕事が休みの
時だけではあるが。
そしてシグの父、ラグラスは、姉弟の大きな後ろだてとなっていた。
仕事を提供し、食事に誘う。さらに、少年の夢に協力する。
姉弟にとって、ラグラスはまさに恩人であった。
次の日、少年はさわやかな目覚めを迎えていた。
空を飛ぶための実験にお金をつぎ込んでいる少年にとって、村長の家で食べ
る食事は普段の数倍も豪華に感じられる。
だが同時に彼は、村長と交わした会話を思いだしていた。
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村長は26才。村の運営を一手に引き受けており、気苦労が絶えないせいか
実際よりも5才は老けて見える。誠実な人柄とはきはきと話すその態度で、村
人からの信望もあつい。
その村長が、常日頃とはうって変わって何やら言いにくそうに口を開いた。
「実は、王都の貴族どもが噂を聞きつけたらしくてな。私は否定しているのだ
が、本当の事が露見するのはそう遠い話ではないだろう」
「じゃあ、貴族達が魔法を武器にこの村へ乗り込んでくると・・・・」
ガシャン!! と、何かの割れる音がした。
見ると、少年の姉が呆然と立ち尽くしている。
あの肖像画の女性をほんの少し幼くしたようなのが、少年の姉だった。白い
服に茶色いスカート。今はエプロンをしている。
床に陶器の破片と透き通った薄茶色の液体が散乱しているのから察するに、
食後の飲物を持ってくるところだったのだろう。
少女はすぐに我に返ると、すみませんと言ってそれらの片付けを始める。
村長はしばらくそれを見ていたが、再び話し始めた。
「君も知っているとおり、魔法とはこの世界に満ちている自然の精霊と会話し、
その力を借りることで使うことが出来る。だが、精霊と会話する方法を知って
いるのは貴族と、彼らに忠誠を誓った兵士達だけだ。貴族は我々にその方法を
教えないことによって、自分達の支配体勢をより確かなものにしているのだ。
我々平民の中にも、自力で精霊と会話しようとした者もいた。だが、貴族は
精霊と接触した者をチェックしている。精霊相手に偽名は通じないから、貴族
にはすぐにばれてしまう。
貴族は恐いんだよ。我々が力を手にいれて反乱を起こすことが。なにせ、貴
族とその兵士は人口の1%にすぎないのだからね」
そう言うと、村長は懐かしそうに目を細めた。
村長の親友だった、フィラ・ソ・ディが、21才の時に精霊と会話をして貴
族に惨殺されたことは、村の者なら誰でも知っている話だった。そしてその後
に、「だからこそ、村長は空を夢みる少年に援助を惜しまない」という結論が
つくのが、村人の話の常なのだ。
村長は否定も肯定もしていないため、はたして亡くなった青年と自分とをど
の様に関連付けているのか、少年には分からなかった。
そんな少年の気持ちを知ってか知らずか、村長は無表情のまま話を続ける。
「力というのは何も精霊に限らない。シェン・ラ君。君の空を飛ぶ道具だって
そうだ。芽が出る前に根からつみとる、というのが貴族の考え方だ。だからこ
そ、君の噂の真偽を必死になって確かめようとしている」
そう言って村長がため息をついたのを、少年は見逃さなかった。
彼は村長の話し方から、何か不吉なものを感じ取っていた。
「それで・・・・それで僕にどうしろと?」
「この村を出るんだ。そして、もっと遠い、貴族の手が届かないところへ行っ
て、そこで空を飛ぶんだ」
「つまり、逃げろと言うんですね」
「いや・・・・ああ、そうだ。君はこんな所で死ぬような人間じゃない。生きるた
めに逃げろ。逃げてくれ」
「お断りします。僕は負け犬にはなりません!」
持ち前の負けん気の強さも手伝って、少年の怒りは最高潮に達し、彼は思わ
ず立ち上がっていた。
が、少年にとって意外なことが起こった。
「この馬鹿者が!!」
村長がそう叫んだかと思うと、少年の体は宙を飛んで床にたたきつけられた
のだ。
今まで村長は、大声で叫んだ事もなければ人を殴ったこともなかった。だか
らこそ、シグも素直に育ったと言える。
その村長がどうして・・・・。
少年の幼い心では、まだ理解できなかった。
「シェン、ラグラスさんの言うとおりにしなさい」
「姉さんまで。今日のみんなはどうかしてるよ!」
「シェン・ラ!!」
姉も怒鳴った。
それは少年にとって、絶対の命令である。
「・・・・はい」
不満を顔いっぱいに表わしつつも、少年はうなずいたのだった。
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少年は頭を振って昨日の事を脳裏から追い払い、大きく息を吐き出すと見慣
れた部屋を見回した。
2年前に初めて作った模型。
この2年間に作った、数々の模型と設計図。
そして、完成間近の飛行具。
それは鳥の姿をまねて作られた、一種のグライダーだった。
後一週間あれば、完成して姉と一緒に空を飛ぶことが出来るのに。
だが、その時間は与えられなかった。村長と、あろう事か姉までが、この村
を出て行くように言ったのだ。
完成しない限り、飛行具は持って行けない。つまりは、設計図を元にもう一
度最初からやり直すしかない。
少年は諦めに似た感情と新たな決意を胸に、荷物をまとめ始めた。
(by篠原 泰彦:BWM24499)