#3146/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 8/30 8:57 (199)
まだ死なれては困る 19 永山智也
★内容
二人は顔を見合わせ、迷うような表情。その内、らちが開かないというよう
に、佳子ちゃんが始めた。
「分かりました……とりあえず、その点は保留します。今のところは、西山さ
んの話を信じることにして……次、次が私には分からないんです。事故死だっ
たのなら、紀子姉さんのことをどうして警察に届けてくれなかったのですか?
恐らく、紀子姉さんの遺体をどこかに隠したんでしょう。いったい、どこに隠
したんですか!」
「……」
答えたくなかった。自分自身でも、嫌悪感を覚える。自分の劇団『灯火』を
守るためという大義を心の内に掲げてみていたものの、所詮は金が欲しかった
のだ。そんなことのために、私は……。
「答えてください!」
佳子ちゃんの声に、私は顔を上げた。見ると、解き放たれた獣のように、今
にもこちらに飛びかかってきそうな、険しい表情を彼女はしていた。
「あなたには説明する義務があるんじゃないですか、西山さん!」
「そう……だな」
私はゆるゆるとうなずいた。力がまるで入らなかった。それでもどうにか、
告白する勇気はできた。
「あの頃の僕には、お金が必要だった。つまりは、紀子の財産が欲しかった」
「最初っから、財産目当ての結婚じゃなかったんですか?」
「違う、違うんだ。そんなことはない。本気で愛していた」
いや、今だってそうかもしれない−−。この言葉は、声にせず、胸の内にし
まっておくことにした。
「ただ、結婚する前に紀子を失ったことで、僕はどうかしてしまったんだ。実
際、紀子からの援助を当てにして、いくつかのプロジェクトを並行してやって
いたし……。が、籍を入れる前に、紀子に死なれてしまっては、どうしようも
なくなる。全ては水の泡になる。それだけは避けなければならなかったんだ、
あのときは。でもまあ、罰が当たったんだろうね。そこまでして金をつぎ込ん
だ『灯火』も、今は消えてなくなってしまった。紀子が怒ったのかも−−」
「分からない」
ぽつりと言った佳子ちゃん。
「お金のために人の死をどうこうできるっていうのも理解できない感覚だけど、
それ以前に、どうして西山さん、あなたとお姉ちゃんはもっと早く結婚しなか
ったんです? 結婚を決めてから六月まで待つ必要なんて、どこにもなく見え
る。私、ジューンブライドにこだわっているのかと、当時は思っていましたけ
ど……。早く入籍した方が、身心ともに安定するという見方もできるわ」
「ああ、それがあったなあ」
懐かしくなった。あの頃、紀子と結婚の約束をするまでは自分も知らなかっ
たことだ。それによって、私と紀子が結ばれるのが延びるはめになった……。
「知らないか、佳子ちゃん。城島君でもいいが、このことは女性が特に知って
おかねばならないと思う」
私の言い方が唐突だったせいだろう。佳子ちゃんも城島も、首を傾げている。
「再婚期間の制限だよ」
「再婚……期間、制限?」
「何法の何条かなんて忘れてしまったが、その内容だけは覚えているよ。女性
は離婚後、一八〇日間は婚姻してはならない、という法律があるんだ」
「え?」
「一八〇日とは要するに六ヶ月だ。君のお姉さん、紀子が離婚したのは、十二
月の一日だったってね。そこから六ヶ月数えると、六月まで待たねばならない」
「理由は分かりましたけど、ど、どうしてそんな法律が」
紀子の顔をした佳子ちゃんが言った。
城島が続けて言った。
「そうですよ。男にはそんな制限、ないんでしょう? 不公平だな」
「男には分からんよ。この法律の眼目は、子供の親をはっきりさせるためとい
うことになっているらしい」
この説明で、充分に通じたらしい。二人の顔から疑念が消えていた。
それでも私は付け加えた。
「六ヶ月以内に再婚されると、場合によってはできた子の父親が、前夫なのか
今の夫なのか分からなくなる。その可能性を排除するために、この法律は制定
されたようだ。まあ、どこか時代遅れなものではあるが、現代も確実に『生き
て』いる」
「……信じます」
小さな声。佳子ちゃんだった。
「西山さんのさっきの説明、紀子姉さんが事故で倒れていたという話、信じま
す。私、もしかすると、あなたが最初からお姉ちゃんの財産目当てで近付き、
嘘の婚約をしたのかと思ってました。だけど、それはないと分かりました」
佳子ちゃんは、髪を揺らして、深く、頭を垂れた。
「そんな……頭を下げられても、僕はすでに、人一人を殺してしまっている身
だ。全く、どうにかしている」
私は実際、困惑した。吉本るいを殺している私が、他のことで誤解を解いて
もらっても……大局としては意味がない。ただ、紀子に関する私の本心を佳子
ちゃんに分かってもらえたことは、私自身にとっては充分に意味のあることだ。
「まだ聞きたいことがあります。あの年の四月中、すでに紀子姉さんが亡くな
っていたのなら、そのあと、西山さんと一緒に旅行をしていた女の人は誰なん
ですか?」
佳子ちゃんは、完全に許してくれた訳ではないらしい。その女の正体いかん
では、ぶり返しかねない模様だ。
「あのときの同行者ね」
「私自身、ホテルとかに聞いて回りました。行く先々の従業員から、西山さん
と一緒だった女性は、紀子姉さんそっくりの姿をしていたという証言を得たと、
はっきり記憶しています」
「彼女は……西山安奈。僕の妹だ」
「あ……」
ちょっと呆気にとられた様子の佳子ちゃん。事情を全く知らないのだろう、
城島の方はぽかんとしている。
「安奈さん! それで納得がいきました。お姉ちゃん、話してくれたことがあ
ったわ。『私とそっくりに化ける女優さんよ』って。だから、従業員の人達、
みんな、同じ顔だって証言したんだ。それに……記憶がおぼろだけど、私、そ
の頃、西山さんと安奈さんが劇場の控え室で相談していたのを聞いたこと、あ
った」
「へえ?」
「当時はおかしな会話を聞いてしまったなって、奇妙な感じを覚えただけでし
たけど。あのとき、安奈さんに、紀子姉さんの身代わりを頼んでいたのね」
私は黙っていた。このことに関しては、妹にも少なからず迷惑をかけてしま
った。今でも、すまないと思っている。その妹とも、現在は離ればなれに暮ら
している。ほとんど連絡も取り合っていない。
「それで……紀子姉さんは今、どこに?」
佳子ちゃんは、抑えた調子で尋ねてきた。心の中では、どれだけ波風が立っ
ていることだろう。
「紀子は……」
話す直前に、私は回想していた。色々なことが、ほんの短い一瞬の内に、一
度に思い起こされる。
* *
「僕のことを思ってくれるのなら……紀子、許してくれ。決して忘れるんじゃ
ない。が、僕は『今』を取る」
西山は決意を声にして表した。心なしか、その声は震えて響いた。
それからおもむろに、彼は立ち上がった。思い立ったときに始めないと、気
がくじけてしまう。そんな思いが強かったがため、西山はすぐに行動に移した。
駆け足で地下へ降り、大型の冷蔵庫の前に立つ。その扉に手を掛けたが、す
ぐに開く気にはなれない。
西山は大きく息を吐いた。
(紀子−−)
思い切ったように、彼は一気に冷蔵庫の扉を引いた。
流れ出る白い冷気。それにまとわれるように、横澤紀子の身体は、冷蔵庫内
部に立っていた。
正確には『立って』はいない。奥に向かってもたせかけてある。しかし、そ
れでも彼女は、まるで生きて立っているかのように見えるのだ。
一つだけおかしいとすれば、その身体全体が、透明のビニール袋に包まれて
いることだろう。生きながらにして、こんなことをしていては滑稽だ。
西山は、遺体の顔の部分にかかるビニールを取り除き、冷たくなった元の婚
約者の肌に触れた。
(よかった……まだまだ、傷みは表面に出ていない)
いかにもいとおしいように、彼は紀子の肌をなでる。西山の体温によって、
紀子の肌に氷結していた水分が、わずかに溶けた。が、それも西山が手を離せ
ば、直に元のように白く固まってしまう。
(生きているみたいだ)
紀子の遺体を前にして、この感覚を思うのは、何度目だろうか。西山は身体
が震えるのを感じた。
(どうして死んだ……)
気が付くと、自分の頬が濡れていた。西山はそれを手の甲で拭い、吹っ切る
かのように、紀子の身体に手を差し伸べる。
両脇に手を差し入れ、とにかく外に出そうと、ぐっと力を入れる。意志を持
たぬ人の身体とはこんなに重い物か、引きずるようにして冷蔵庫から出した。
「……」
紀子の顔を見つめている内に、西山は早くも気がくじけてしまった。彼女の
身体を焼く−−?
「できない!」
一人芝居をやっているかのごとく、西山は絶叫した。
(できるものか! 僕は紀子を失うことはできない。もうすでに、紀子の心は
取り戻せなくなってしまった。それならば、せめてその身体だけでもすぐ側に
置いておきたい……。焼いてしまうなんて、とんでもない話だ。絶対にできな
い!)
西山は紀子の身体を抱きしめると、何かから逃げるかのようにそれを冷蔵庫
へと戻した。そう、時間の流れから紀子の身体を守ってやるために、彼は急い
だのだ。
* *
「正直に言えば、僕は最初、紀子の遺体を焼いてしまうつもりだった。そう、
城島君、君が私に仕掛けた罠と同じように、自殺に見せかけるためと、死因を
分からなくさせるためにね」
私はなるべく軽妙な口調を心がけた。そうしないと、その場に居られなくな
りそうな、そんな気がしてたまらない。
それから、ふっと浮かんだ疑問を口にしてみる。
「そう言えば城島君。君の描いた罠のことだが、私が紀子の身体を焼いてしま
おうとしたことを知っていたのかね? そうとでも考えないと、これはとんで
もない偶然になってしまうが」
「罠というか、この計画のアウトラインは、佳子さんが考えたんです」
と、城島は佳子へと視線を向けた。それを受け、佳子はゆっくりと口を開く。
「知っていました。と言っても、十年前のあのとき、すぐに知ったのではあり
ません。それでしたら、すぐさま、私はあなたのことを警察へ話し、あの邸を
調べてもらったでしょう。
実際はそうじゃなかった。私が知ったのは、ずっとあと。二年ぐらい前でし
たかしら。ふとしたきっかけというか縁があって、ある人と知り合ったんです。
運命的な再会と言っていいかもしれません」
「運命、ね」
「その人とは、西山さん、あなたも知っている方です。『レイジ』さんですよ。
ほら、劇団『灯火』のメンバーの一人だった徳田礼治さん」
「……レイジ……」
私は記憶の綱を手繰った。脚本家から作家へと転身した私は、名も変え、過
去を忘れようと努めてきた。そのためだろうか、私の記憶は曖昧になってしま
っている。特に、十年前の辺りは、警察から一時、手厳しい事情聴取を受けた
のを境に、ほとんど憶えていない。これは神の与えた罰なのかもしれない。
それでも、どうにか思い出せた。レイジ、確かにそんな名前の仲間がいた。
「徳田さんはそのとき、小さな印刷所をやっておられました。そこへ仕事を持
ち込んだんです、私。それで何かのきっかけがあって、お互い、思い出したん
です。思い出話に多少なりとも花が咲きましたが、私にとって興味を引かれた
のはただ一点、徳田さんの語った西山さんのことでした」
「……ふっ、どんなことを語ったのかな、あのレイジは?」
「徳田さんは、劇団の仲間と一緒に旅行をした思い出を話してくれました。そ
の旅行は、紀子姉さんがいなくなった年の年末にあったものだそうです。そし
てそのとき、西山さん、あなたは寝言を言ったそうですわ」
「寝言?」
この場の雰囲気にふさわしくない単語が、あまりに突然に飛び出したものだ
から、私は声を大きくしてしまった。
「こんな寝言だったそうです。『紀子、紀子が……燃えてしまう……』と。細
かい点は違うかもしれませんが、意味としてはこんな感じだったそうですわ。
いなくなった奥さんのことを心配しているにしては、妙な寝言だなと、変に思
って、徳田さんはあなたに説明を求めています」
「記憶にないな……」
「説明は、至極曖昧に終始したそうです。私は、それだけで想像を膨らませま
した。西山さんがお姉ちゃんを殺し、その遺体を焼いて処分したんじゃないか
って」
「それだけのことで、そこまで邪推されるなんて、僕はよほど信用されていな
かったらしいね」
−−続く