#3145/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 8/30 8:53 (200)
まだ死なれては困る 18 永山智也
★内容
私は必死になって言い訳した。まだ汗が止まらない。
アイの顔には嘲笑のような色が浮かんでいる。
緊張した時間が流れた。
ようやく、アイは口を開いてくれた。
「……分かりました。今は何も言いますまい。さあ、早く車に乗って」
「あ、ありがとう」
私はくたくたに疲れながら、それだけを言って、逃げるようにワゴンへと走
った。
そして運転席のドアを開けた−−。
「う!」
私は見た。そこにある物が何であるかを認識すると同時に、口からは勝手に
うめき声が漏れる。
「の、紀子……」
そこには女が一人、ぐったりとしていた。
6 収束
「どうかしましたか、角坂先生?」
遠くで、アイの声が聞こえた。
「あ、あわわぁ」
私の気持ちが声にならない。
「どうしました?」
近寄ってきたアイは、のんびりした調子で言った。
「こ、これは……何だ!」
私は運転席を指差した。気が付くと、地べたにへたり込んでいた。
アイはとぼけた態度で、応じてくる。
「どれどれ……へえ」
「女……死んだ女が、どうしてここに寝かせてある?」
「さて。それよりも角坂先生、先ほどは何て言いましたか?」
こんなときにアイは、訳の分からないことを聞いてくる。
私の声は、自然と高くなった。
「何を言ってるんだ、君! 私は、そこにどうして女がいるのかと聞いている
んだ!」
「その前に確認しておきたいんですよ。私は聞きました。さっき、あなたは『
紀子』とおっしゃた。そうですよね?」
「……」
口をつぐむ。
「言い逃れしないでください。私は聞いた。この耳でね」
「何なんだ、君は……」
私には、アイが怪物か何かのように思えてきた。こいつはいったい、何を言
おうとしているのだ……。
「次。紀子とは、横澤紀子さんのことだ。違いますか?」
何故、この男は、横澤紀子の名を知っているのだ……。
「もう一つ、聞きます。どうしてその女性が死んでいると考えたのです? 遺
体を運んでもらうのはこれからであって、まだワゴンに積んでいない。仮に、
思い込んでしまったからと言い訳されるにしても、彼女の顔色を見れば生きて
いることは明白なはずです。それなのに、あなたは断定した。彼女の身体に触
れもせずにね」
知らない。私は何も知らないんだ。……言葉にならない。
「無言でいるというその態度、肯定の意味に受け取らせてもらいますよ。おお
い! もういいよ」
アイは突然、大声を張り上げた。それに呼応したかのように、私の目の前、
ワゴンの運転席で横たわっていた女が、ゆっくりと『生き返った』。
「……い、生きていたのか……ということは……」
息が切れそうになるほど苦しい。私はやっとのことで、それだけの台詞を喋
ることができた。
「お久しぶり」
足をずらし、ワゴンから降り立った女−−横澤紀子によく似た女は、透き通
るようなきれいな声をしていた。
「−−と言っていいのかしら。現在の名前は角坂剛毅先生? そんな名前より、
昔のように本名で呼んだ方が通りがいい。西山誠一さん、と」
私は理解した。目の前に立ち尽くす女の正体を。ふらふらとよろけながら、
私は何とか腰を上げ、立ち上がれた。
「……佳子ちゃん……か」
「そうです。紀子姉さんの妹の。うまく騙せるかどうか心配だったけれど、ど
うやら十年の月日が、私をお姉ちゃん似にさせてくれたみたい」
短い笑みを浮かべた佳子。
彼女の顔を、私はじっくりと見つめた。生き写しだ、と心底から感嘆してし
まう。彼女は紀子そっくりの、大人の女性に変貌を遂げていた。
「ははは」
意味もなく、私の口からは笑いがこぼれている。何だろう、この脱力感は。
一度にたくさんのことが起こり、分からないことだらけだ。まだまだ頭は混乱
しているが、とにかく一つだけは明らかだった。全て、終わったのだと。
膝の力が抜け、再び地面にへたり込みたくなる。そう言えば、足への疲労は
頂点に達しそうだった。
「ははは……。は、説明をしてくれるんだろう?」
佳子の方がうなずいた。
「それはありがたい。だけど、その前に聞いておこう。『アイ』!」
私は、背後で仁王立ちしている男を、そのあだ名で呼んだ。
「何か」
とても冷たい応答があった。あるだけましなのかもしれない。
「君の名前、聞かせてくれ。今なら本名を教えてくれたっていいだろう。それ
から、佳子ちゃんとの関係も」
彼は少しばかり戸惑ったような表情を見せてから、答えてくれた。
「……城島譲介。佳子さんとは知り合い、ということにしておきましょう。あ
あっと、当然ながら、児童連続殺害事件の犯人なんかじゃありませんから」
「なるほどね」
私は吐き捨てた。あまりに予想通りの答だったのが、気に入らなかった。そ
う自分で分析した。
「ここで説明をするのかね」
「ワゴンの中でやりましょう。幸い、スペースは充分です」
いつまでも『アイ』は、丁寧な口調が抜けきらない様子だ。
ともかく、私は、横澤佳子と城島譲介に挟まれるようにして、ワゴンの後部
台に乗り込んだ。
「私達が、どうしてこんなことをしたのかについては、話さなくても分かって
いると思いますけど」
佳子ちゃん−−私にとって、彼女はいつまで経っても「佳子ちゃん」である
−−が、やや唇を尖らせ気味に言った。その声も、とげを含んでいる。
「念のためだ。聞かせてほしい」
そう言った自分の声の弱々しさに、驚いてしまう。
「西山さん、あなたが婚約者に、紀子姉さんにひどいことをしたと、確認・立
証するためです」
きっぱりと、佳子ちゃん。あの頃はかわいいだけの学生だったが、今や、ず
いぶんと強くなったらしい。
「ひどいこと……か」
そうかもしれない。
「十年間、チャンスを窺っていたという訳なんだ?」
「ずっとじゃあ、ありませんけどね。十年も続けて、一個人を追いかけるのは
困難ですから」
城島が答えた。
「しかし、あなたが吉本るいと、あんなねじれた関係にあったとは、思いも寄
りませんでしたし、また、僕らにとって幸運だなと感じた……」
「そうだ、そのことも先に聞いておこう。君達は、あの吉本るいと以前からつ
ながりがあったのか?」
「ありました」
これも城島。
「どういう?」
「僕は家庭教師でして。そう、正式な家庭教師派遣業に使われる『駒』です。
半年ぐらい前でしたか、たまたま、吉本さんから要請を受けたために、るいち
ゃんと知り合ったというのがいきさつです」
「そうか……その君が、佳子ちゃんとも知り合いだったとは、正に神の意志、
天の配剤ってやつか」
「言うまでもなく、最初から、あなたが吉本るいちゃんを殺したんだと分かっ
ていたんじゃありません」
唐突に、城島は始めた。
「あの子の死を知ったとき、児童連続殺害事件に巻き込まれたのかと、その不
孝を呪いました。しかし、数日後、吉本さん宅に行ったとき、僕は発見した。
あの子の部屋から、あなたに関する書類をね。正確には日記のような物でした
が」
「……」
なるほど。私が探したとき、何も見つからなかったはずだ。すでに、彼が持
ち出していたのだろう。
「にわかには信じがたい内容でした。小学校四年生の女の子が、一人前の大人
を脅しているなんて」
「お笑い種だよ、実際」
私は自嘲気味に笑ってやった。
「それだけで、僕はあなたがるいちゃんを殺したと考えたんじゃありません。
だが、動機が存在することは確かだ。少なくとも、揺さぶってみるだけのこと
はある。そう判断しました」
「そうか、分かったぞ。……だから、君は児童連続殺害犯なんて名乗ったのか。
私が便乗殺人を行ったのはお見通しなんだぞと思わせるために」
「そうです。この前、新たな犠牲者が出たときには、正直、慌てましたが……
これは関係ありませんでしたね。
話を戻すと、あなたは見事、引っかかってくれた。僕としては、あなたが本
当にるいちゃんを殺したのかどうか、半信半疑だったのですが……事実だった。
そこで、次の段階に移りました。確認するためと、十年前の紀子さんの一件を
立証するための二つを兼ねた計画。無理難題の要求を出し、それを飲むかどう
か」
「断ったらどうしていた?」
「別に。るいちゃんが残した書類を、警察に持って行くだけです」
「なるほどね」
「そこからはついさっき起こった通りですけれど……。要は、あなたに紀子さ
んに扮した佳子さんの姿を見せ、どう反応するか見届けたかった」
「ここでも、私は見事に引っかかったという訳だな」
私は佳子ちゃんの方を見やった。
が、彼女はまだ言葉を発さず、城島が口を開く。
「吉本るいちゃんの事件については、ここまでです。次こそ本題……」
「……真っ先にお聞きします」
佳子ちゃんが、かすれたような声を出した。目は、まっすぐ私を見据えてい
る。
「お姉ちゃんは、紀子姉さんは、どうなっているんですか? 本当に、生きて
いないんですか!」
「……彼女は死んだ」
目を伏せた。とてもまともに向き合っておれない。
瞬間、絶句した様子の佳子ちゃんだったが、すぐに気を取り直したかのよう
に、言葉を浴びせてくる。
「西山さん、あなたが殺したの?」
「違う!」
強く否定。これだけは自信を持って言える。私が紀子を殺す理由はない……。
「違うんだ。あの日、僕が帰ったら、紀子はすでに死んでいた」
「……あの日って、いつなんですか」
疑いの眼差しのまま、佳子ちゃん。
「十年前−−もう十年になるのか−−、四月の上旬だったと思う。忘れようと
努めてきたため、記憶がおぼろげになっている。許してほしい。
あの頃やっていた劇団の仕事から戻ると、家は真っ暗だった。出かけている
のかなと思ったが、靴はある。僕は家中を探した。そして見つけたんだ。浴室
で、紀子が倒れていたのを」
「浴室?」
声を上げたのは城島だった。
「ということは、滑って頭を強く打っていたとか」
「そうじゃない。服は着ていたよ。それに、ピンクのゴム手袋をしていた。紀
子の格好には、どうやら浴室を掃除しようとしていたんじゃないかと思わせる
ものがあった。その情況証拠のように、タイルの床には洗浄剤があった。二種
類のね……」
「まさか」
敏感に反応したのは佳子ちゃん。やはり、女性の方がすぐに察せられるよう
だ。私はなかなか気付かなかったのだが。
「まさか、混合してはいけない酸性と塩素系、二つの洗剤を混合し、それによ
り発生した塩素ガスで、お姉ちゃんは……」
「そのようだった。無論、その時点では僕にも確かめる術がなかったから、真
実は不明だったが、まず、それに間違いない。僕はそう信じ込んだ」
「事故だったとおっしゃるんですか」
女性にしては信じられないほど低い声で、佳子ちゃんは私に詰問する。
「……事故だ。全面的に信じろとは言わない。ただ、僕はありのままを話して
いる。嘘をついてなんかいない」
言葉にすると嘘っぽくなってしまう。私は嫌になって、口をつぐんだ。そし
て相手二人の判定を待った。
−−続く