#3144/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 8/30 8:50 (200)
まだ死なれては困る 17 永山智也
★内容
「成功が明らかになった日の翌日」
相手は実に分かりにくい表現をよこしてくれる。
「どういう意味だ? はっきり言ってくれないかな」
「要するにですね、先生側が私の要求を実行、それが成功に終わったと明らか
になるということは、それが新聞で報道された時点で決定されるでしょう?」
同意を求められたので、私は曖昧にうなずいた。
「無論、二日程度は様子見の期間をいただきますがね。成功が確認されたら、
その翌日に全ての書類をお渡しします」
「それは理解できたが……どういう風にして渡してもらえるのかな? それに
その保証もしてくれないと」
「保証については、前に言ったかもしれませんが、私を信用していただくとい
うことで、承伏してもらう他にないですね。渡す方法は、先生としては多分、
手渡しを望まれていると思うんですが」
「それはそうだ」
何度も首を縦に振る。ふと正面を見れば、アイも同じようにしている。そし
て彼は言った。
「でしたら、ご希望通り、手渡ししましょう。成功を見届けた上で、その三日
以内に何らかの方法で連絡をします。どこでどのような形で落ち合うかは、そ
のときにということでいかがでしょう」
「ああ、それでいいよ」
私は適当に言っておいた。本当に相手の要求を飲むのであれば、重要な点に
なってくるが、実際はそうでないのだ。余計なことで頭を悩ます必要もない。
「もう疑問の点はないですね?」
「いや、本当のところは、一つある。君がどうしてこんなことをしようとして
いるのか。何故、私にやらせるのか、という大きな疑問がね」
私の言葉に、アイはやがて奇妙な笑みを覗かせた。彼が黙っているのを見て、
私はさらに続ける。
「もちろん、君が真の理由を語ってくれるとは期待していないがね。ことが終
わったら、話してくれるのかな?」
「そいつも難しいかもしれませんねえ。ん、ま、その点については、期待せず
に待っていてください」
二度目の会談は、このようにして幕が降ろされた。
例によって、アイは伝票を持って、先に出て行った。私はほんのしばらくの
間を置いてから、席を立った。あの男をつけるためである。
尾行した経験なんぞもちろんなく、見つからぬようにできるものかどうか、
不安はある。しかし、あいつの家を確認できれば、それはこちらにとって有利
な材料となるはずだった。やってみる値打ちはあろう。もしも見つかった場合、
「聞きたいことがあったんだ」
とでも言ってごまかそうと思っている。それで押し通せるかどうか、深くは
考えていない。
表に飛び出てすぐ、アイの姿を捉えることに成功した。やや背を丸め加減に、
ゆっくりとしたペースで歩いている。周囲に気を配っている様子は見受けられ
ない。これなら比較的、尾行もやり易い。
駐車場を素通りしてくれて、ほっとした。車に乗られては、追いかけるのは
一苦労だからだ。アイの歩調は、段々と早くなっているようだ。
曲がり角が来ると、ちょっと恐くなる。相手を見失ってしまわないか、こち
らに気付いた相手が待ちかまえていないか。そんな恐れが沸き起こる。
が、それは杞憂であったらしい。アイはきっと、つけられているなんて髪の
毛の先ほども考えていないだろう。私は確信を持ち始めた。
ところが……。
アイは片手を挙げた。何をするのかとぼーっとしてしまったのがいけない。
あいつはタクシーを停めたのだ。すぐに小型タクシーが停車したかと思うと、
アイを乗せて発進してしまった。
油断していた訳でないつもりだが、それに素早く反応できなかった。慌てて
駆け出し、タクシーが走り去った通りまで出る。見回すも他にタクシーがない。
そうしている間にも、左手に走り去った、アイを乗せたタクシーは影となり、
やがては私の視界から消えてしまった。
私は疲れを身体中で感じながら、あきらめて引き返すことしかできなかった。
足に来ていた。
児童連続殺害事件の捜査は、行き詰まっているようだった。似顔絵が公開さ
れて以来、目撃証言は数多く寄せられたようではあるが、そのいずれもが決め
手を欠くものだったらしい。
私は奇妙な優越感を覚えそうになる。警察だけでなく、世間の誰もが必死に
なってその正体を追い求めている今度の連続殺害犯。その解答を、私だけが知
っている。あのアイが犯人だと。
優越感の一方、計り知れないぐらいの恐怖感を覚えるのも、また事実だ。私
だけが秘密を知らされてしまった。ただそれだけでも恐ろしいのに、さらにあ
いつは私を脅しにかかっている。殺人を犯したことのある者同士の、一種異様
な関係。
私は早く、この関係を清算したいと心から願う。
そんな悶々とした日々を、少なくとも六月の十五日まで送らねばならないの
かと憂鬱になっていた頃、まことに急にそのニュースは飛び込んできた。
『児童連続殺害事件は、とうとう六人目の犠牲者を出してしまいました』
家に戻って、何の気なしにテレビをつけたところ、ニュースをやっていた。
トップがこの事件だった。
アナウンサーは淡々とした口調で、続きを読み上げていく。
『本日、午後三時頃、**川の河川敷、**橋の下辺りにおいて、散歩をして
いた近所のご夫婦が、草むらに倒れている少女を発見、警察に通報しました。
すぐに救急隊員が駆けつけましたが、すでに少女は死亡していました。午後四
時半現在、遺体の身元は確認されておりませんが、小学生ぐらいの年齢と思わ
れています。
少女の首筋に、これまでの児童連続殺害事件の犠牲者と似た、紐状の物で絞
められた痕跡があったことから、六人目の犠牲者である可能性が高いと、警察
では見ています。一連の事件の捜査本部は、不審な人物を見かけた者がいない
か、目撃者探しに全力を注いでいますが、現時点では有力な証人は現れていな
い模様です−−』
私は押し黙って、テレビから流れ出る言葉を聞いていた。はっと気付くと、
次の項目に移っていた。
まさか……。私は信じられなかった。あの男、こんなときに次の犠牲者を出
すとは、どういう神経構造をしているのだ……? 並でないことは間違いない
が。
このことで、向こうの要求に変更はないのだろうか? 次にそんな疑問が脳
裏に浮かぶ。こちらの都合もあるし、ぜひとも確認を取りたいのだが、その手
段がない。何かあれば、アイの方から連絡が入るのかもしれないが、何とも心
許ない。
さらに、私の内には疑問が浮かんだ。児童連続殺害犯が、遺体を始末したが
るとは、どういう状況だろう?
いや、遺体が全く発見されていないのであれば、そんな疑問は一蹴されるだ
ろう。だが、今度の事件では犠牲者は皆、遺体として公になっているではない
か。それとも、あいつは他にも多くの児童を殺しているのだが、まだ発見され
ていないというだけなのだろうか……?
いや、と私は頭を振って、その考えを打ち消した。地図を見る限り、遺体が
置いてあるという場所は、どこも街中と言ってよい。そんなところに遺体を放
置しておいて、発見されないようなことがあろうか? まずなかろう。
あるとすれば、遺体が他人の目から隠された場所、つまるところ、建物の中
に置いてあるという場合であるが……。それにしたって疑問は残る。どうして、
アイの奴は、遺体を外に放置するのと建物の中に放置するのという風に分ける
のか。どこか頭がおかしい奴だとしても、殺人犯ならば、遺体を隠したがるも
のであろう。それが、隠す場所があるにも関わらず、一部は建物内部に、一部
は外に捨てるとは合点がいかない。全員の遺体を、同じ場所に隠さない理由が
分からないのだ。全くもって、あいつの行為は私の理解を超えている。
これ以上考えても、満足できる結論が出るとは思えない。私はこのことにつ
いて思考を働かせるのをやめ、別の方に感心を移した。言うまでもなく、自分
自身の計画、アイを殺す計画についてである。
六月十四日−−運命の日が訪れた。できることなら避けて通りたかったが…
…もはや、あいつを殺すしか、我が安寧の道はない。アイ キル ユー.なら
ぬ、アイ キル “アイ”.だ。
私は朝から、この日のために練った計画について、最後の検討していた。小
さな綻びがないように、かつ、いかなるハプニングにも対応でき得るような自
由度のある計画を目指して。
時折、電話が鳴った。アイからの連絡はないはずなのだが、どうしても身体
がびくりと反応してしまう。そして送受器を持ち上げてみると、どれも編集者
からの電話だった。全く、驚かせてくれる。
執筆を急かされていたが、ワープロに向かう意欲なぞ、とてもわかない。座
ったまま、ただまんじりと、夜を待つことしかできなかった。
そして−−夜が訪れた。午後十時三十分。いよいよ、出かけるとしよう。
あの日、二度目の話し合いのときに手渡された地図を広げ、位置の確認をす
る。ワゴンが置いてあるという場所までは、徒歩と鉄道を使うことになる。こ
んな時間帯とは言え、それなりに乗降客の多い駅だから、誰も私のことを憶え
はしないだろう。もちろん、簡単な変装ぐらいはするが。
駅までの道のりは、まるでたいしたことのない距離のはずだった。だが、年
齢のせいか、もしくは気負って早足になっていたのか、駅に到着したときには
もう、足に痛みを感じてしまっていた。私は発車時刻ぎりぎりまでベンチに腰
かけ、ふくらはぎをもむことに専念した。目立つことは極力避けたかったが、
どうしようもない。幸い、誰もこちらを注目してはいないようだ。
列車は、座れない程度には混雑していた。これぐらいがちょうどよい。ただ、
今の私には、座れないのがつらい。
十分間揺られ、二駅分の移動。私は下車し、さっさと駅員に切符を渡すと、
外に出た。この季節の割には、意外と空気が冷たいと感じる。
腕時計を見ると、午後十時五十分を示していた。ここら辺りの道は初めてで
ないし、ちょうど時間通りに、ワゴンを取りに行けそうである。
歩きながら空を見上げると、星はほとんど出ていなかった。月明かりが強す
ぎるせいもあろうが、曇っているのがその最大の原因だろう。天気予報では雨
にはならないと言っていたが、どうだか……。
十字路を突っ切ったところで、街並みが途切れ、不意に視界が開けた。目を
凝らすと、ワゴンが見えた。
近付いて行くと、ワゴンの側に人影が認められる。
「お待ちしていましたよ、角坂先生」
喫茶店での待ち合わせと変わるとこなく、声をかけてきたアイ。常にこの調
子なのだろう。
「本当に来ていたんだ」
もしかすると、この男はこの場に姿を見せないのではないかと危惧していた
のだが、そうではなかった。
「これがキーです」
ちゃりんと音をさせ、手を胸の高さにかざすアイ。ワゴンのキーが、外灯の
明かりで銀色に光る。
「ここに来て言うのも何だが……実は、疑問が一つできてね」
私はそう切り出した。
「何なんです、いったい? 何でもいいけど、早くしてください。時間が迫っ
ているんだから」
慌てた様子のアイ。この男にしては珍しい態度だ。
「ああ。遺体をこのワゴンに運び込むということだが、私のような非力な男一
人の手に負える代物なのかい?」
「大丈夫ですって。さあ、早く」
声をわずかに荒げると、彼は私の手にキーを押し付けてきた。
私はそれを受け取ると、ワゴンに乗り込む素振りを見せ−−。
「言っておきますが、私を殺そうとしたって無駄というものですよ」
足が止まった。止めざるを得なかった。ポケットに隠したワイヤーあるいは
ナイフを探っていた手を、そろそろと引っ込める。冷や汗が背中を伝うのを感
じた。
「何を言っているんだ、アイ」
私は振り返り、相手の顔を見つめた。そのときの私の笑顔といったら、取っ
てつけたようなものだったかもしれない。ひきつらないようにするだけで精一
杯だ。
「ようやく、私を『アイ』と呼んでくれましたねえ」
男はどうでもいいようなことに、嬉しそうな反応を見せた。私の方は、それ
どころでなかった。
「そうだったか? それよりも、私を信用してくれていたんじゃないのかね。
私が君をどうかするなんて、そんな馬鹿なことはあり得ないさ」
「それならばありがたいんですがねえ。さっき、キーをお渡ししたとき、その
上着のポケットに触れてしまいまして……。妙な感覚がしましたよ。何が入っ
ているのか知りませんけど、余計な物を持っていらっしゃる。見せてくれます
か?」
「あ? ああ、これかい?」
狼狽しながらも、私はポケットに手をやった。声が震えている。目の前にい
る男が、児童連続殺害犯だと分かっているからこそ、この恐怖は増幅される。
「見せてください。時間がないんだから、早くね」
「あ、ああ」
いたずらを見つけられた悪ガキのように、私はポケットの中の物を差し出し
た。もはや、隙をついて襲う気力はなくなってしまっている。
「ほう、折り畳み式ナイフに針金……と言うかワイヤーですか。何に使うおつ
もりで、角坂先生?」
「そりゃあもちろん、護身用だよ。これからやろうとしていることがことだか
らね。万が一にも誰かに見られたら、そいつの口を塞がねばならない。そのた
めに、こんな準備をして当然だろ?」
−−続く