#3143/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 8/30 8:47 (200)
まだ死なれては困る 16 永山智也
★内容
ここで冷静に立ち戻り、もう一つの道について考えてみたい。あの男の要求
を飲む場合である。
ある人物の遺体を運び出し、某所で焼く。これが要求だった。これだけを取
り出して、考えてみると、やっていることは火葬と同じである。第三者に見つ
かりさえしなければ、殺人よりもずっと楽だ。
しかし、である。あの男からの要求が、これで全てだと信じてよいものだろ
うか? とても信じられなかった。新たに、より困難な要求を突きつけてくる
事態は、十二分に想像できる。
いや。新しい要求をされるぐらいなら、まだましかもしれない。私はあの男
の秘密を知ってしまった。あの男が児童連続殺害犯であるという秘密を。私が
あいつの立場であれば、当然のごとく、角坂剛毅を消すであろう。秘密を漏ら
さぬためには、それが一番だ。あいつは何人も殺しているから、ためらいは全
くなかろう。
相手が殺しに来るのを待って、逆に殺してやろうか。それならば公明正大、
どこへ出しても恥ずかしくない「正当防衛」を成立させることも可能ではない
か。罪に問われることはない。過剰防衛という断を下されたにしても、世間の
同情を得こそすれ、非難を浴びることは決してない。
だが……ここでも引っかかる点が出てくる。以上のように相手の出方を色々
と読んではみるものの、それが絶対確実という保証はないことである。相手が
殺しに来るところを迎え撃つ−−本当に殺しに来るのか? といった具合にな
ってしまう。
やはり、ここは覚悟を決めねばなるまい。あの男・アイを殺し、その手から
吉本るいと私との関係を示す書類全部を奪い取る。それしか、自分自身の安寧
を確保する道はないのだ。
では、いかにして殺すかが問題となってくる。どう考えたって、明日の二時
までに結論は出せまい。よし、とりあえず、明日、相手の要求を受け入れるこ
とにしよう。もちろん、「ふり」だけである。
相手の手に乗ったと見せかければ、隙をついて殺すチャンスも生まれてこよ
う。うまくすれば、あの男が処分したがっている遺体と並べてやるか。心中に
見せかけられるかもしれない。
いやいや、そこまで深く計画するのはよそう。とにかく現在は、相手の出方
を見る。これに限る。相手の出方あるいは思惑をしっかりと見極めた上で、こ
ちらも最善の対応をすればよい。相手の要求をこなすのは私の方なのだから、
いくらでも調整はつけられるはずだ。
何としてでも、形勢を逆転してみせる。私は気合いを入れた。
翌日。二十四時間前と全く同じようにして、私は喫茶「ライオネス」に足を
運んだ。
男は昨日の言葉の通り、同じ席に同じように腰を下ろしていた。ただ一つ違
っているのは、男の服装が、ちょうど逆転していることぐらいである。要する
に、今日のアイは、読売巨人軍の帽子に、阪神タイガースのシャツを着ていた。
意外と、ユーモアのセンスがあるのかもしれない。
「やあ、待たせたね」
周囲に、仕事上の単なる待合せと見せかける意味もあって、私は気易い調子
で男に声をかけた。
「お待ちしていましたよ、角坂さん」
男はにっこりと笑ってみせた。そして帽子を取る。
これも昨日と同様に、注文をすませたところで、相手から切り出してきた。
「さ、結論を聞かせてもらいましょうか、角坂先生?」
「いい返事ができそうだよ」
私は、いかにも商談っぽく、余裕を持って微笑してやった。
「引き受けるよ」
「それはよかった。場所が場所なら、祝杯と行きたいところですよ。いやあ、
賢明な先生のことだから、よもやお断りするはずはないと信じていましたがね。
今日、ちゃんと返事をいただくまで、どきどきもんでしたよ。参りました」
「よく考えさせてくれと昨日は言ったが、帰ってからすぐに答は出たんだ。考
えるまでもなかった。引き受ける方が、遥かにリスクが少ないのは明らかだ。
あのときは、気が動転していたんだろう。本当に、引き延ばして悪かったと思
うよ。
それで、詳しいやり方についてなんだが……」
声を潜めたところで、例のごとく、ウェイトレスが注文を運んできた。しば
し、沈黙する。
「手順については、ここで話してもらえるのかい?」
「ご覧の通り、客が少ないですからね、この時間帯は」
と、軽く手で店内を示すアイ。その言葉の通り、まばらにしか客の姿はない。
今の時間が、この店にとっての閑散期に当たるのだろう。
「ですから、別にここでもかまわないと思いますがね。どうしても場所を移し
たいとおっしゃるのでしたら、先生のご要望を受け入れましょう」
「一度、君の住んでいるところへ行ってみたいのだ」
本当はさりげなく聞くつもりの項目だったのに、勢いで、ふっと口をついて
出てしまった。相手に警戒感を持たれなければよいのだが。
アイは目だけで笑った。
「ふふ。こちらの手の内も見せろ、とこう言う訳ですね」
考えを見透かしたように、私の顔を見上げてくる。相手は続けた。
「そう来ると思ってましたよ。確かに、私の方は角坂先生の住所や電話番号を
知っている。その一方、先生は私の住所・電話番号はおろか、本名さえ知らな
い。不安になるのもうなずけます。
ですが、そればっかりは応じられません。何せ、私の正体、ご存知の通りで
しょう? 色々とまずい物がありましてねえ。ま、この度、先生にお願いした
ことを実行してもらった暁にはご案内しますから、それだけで勘弁してもらい
ましょうか」
「……仕方がない」
唇を噛む。どうやら、こいつの家に初めて招かれた日、こいつを殺すことに
なりそうだ。あるいは要求実行の日か。できることなら、下調べをしておいて、
万全を期したいのだが。
「じゃあ、ここで話を聞こう」
「では……」
と、アイはズボンの尻ポケットから畳んである紙を取り出した。広げ始めて
すぐに、それが地図だと分かった。かなり狭い範囲の詳細な地図。山の多い場
所らしい。ところどころ、蛍光ペンでマークがなされている。色もまちまちだ。
「まずはこれを見てください。あちこちに印を付けているでしょう。緑色が遺
体を運び込み、始末する場所。そのすぐ近くの黄色が、灯油を置いている場所。
そして、赤色が遺体を置いてある場所です」
私は面食らってしまった。赤色の地点に遺体を置いてあるだと? 赤い印は
いったい、いくつあるんだ?
「これ……」
「驚かないでくださいよ、先生。私は遺体を安置している場所が一ヶ所だなん
て、一言も申していませんよ」
児童連続殺害犯が「遺体を安置」などという言葉を吐くのは、全くもって不
自然な様だった。
「……そりゃ、そうかもしれないが、これはきつそうだ」
実際にやる気はないのだが、心底、私はそう思う。
「まさか、これでやめるなんて言い出さないでしょうねえ」
「……分かってるさ……」
強がっている風に見せかけるため、私は言い淀んでみせた。それもこれも、
相手を信用させるため。
「それで? まだまだ聞きたいことはあるんだがね。最初に、いつ、これに着
手したらよいのか、だ」
「六日後、つまり、六月の十四日となりますね」
「当然、夜なのかな?」
「その通り。こちらの意向としては、午後十一時から取りかかっていただこう
かなと、考えてますが」
まるで執筆スケジュールの調整だ。私は思った。
「それに従うよ。ただし、一つだけ確認しておきたい。当然、遺体を燃やすの
は夜中になるんだろうが、その場合、炎あるいは煙が目立ちやしないかね。下
手すればすぐに人が集まってくる」
「その点はご心配なく」
胸をどんと叩きそうな口ぶりの男。
「場所選びは慎重にやってましてね。この小屋は窪地のようになっています。
その上、周辺には小高い木がたくさん生えていますから、気付かれる恐れはほ
とんどありません。せいぜい、煙が立ち昇っていくのが見えるぐらいで。心置
きなく、遺体を焼き尽くしてください」
男の喋りには、現実味が伴っていないように感じられる。どちらかと言えば、
ゲーム感覚だ。こいつ、本気で言っているのだろうか、と、また疑惑が鎌首を
もたげてくる。しかし、こういった感覚でないと、連続して子供を殺していく
なんて芸当はできないのかもしれない。
「次は……手順になりますか。まあ、当たり前ですが、車を用意していただき
ます。再確認しておきますけれど、先生、車の運転はできますね?」
「ああ」
「車も持っていらっしゃる。だが、ここでは先生の車を使う必要はありません。
私の方で用意した車を使っていただきます。ワゴンタイプのゆったりしたやつ
ですから、遺体を運ぶのに最適でしょう」
「特別な免許はいらないんだ?」
「ええ、大型トラックじゃないんですから、かまいません。
−−で、ワゴンに乗っていただく地点が、この黒丸」
と、地図上の一点を指差すアイ。そこだけは蛍光ペンでなく、鉛筆か何かで
黒く印が付けられてあった。
この近くに、男の住処がある? 私は推測したが、決め手はない。
「ここでワゴンに一人で乗っていただき、順に赤い点を回ってもらいます。ど
う回ろうと順序はご自由ですが、翌日の一時までにこの緑の地点まで到達して
ください」
アイは、先ほどの遺体を始末する場所を示した。
「灯油はどうなるんだね?」
「ああ、それもお任せします。緑色に到着前に拾ってもらってもいいですし、
あとから取りに行かれても結構ですよ。要は、六月十五日の午前一時から焼き
始めてもらいたいってことです」
あっけらかんと言うのだろうか、男はあっさりと言い放った。
「何時に完了しなくちゃならんという、制限ももちろんあるんだろう?」
「はい。午前三時三十分までに、お願いしたいですね」
「たったの二時間三十分なのかい?」
ここばかりは、反駁の声が大きくなってしまった。くり返しになるが、実際
にやる気は毛頭ない。ただ、純粋に疑問に思っただけである。
「そんな短時間で、遺体を焼き尽くせるのだろうか?」
「大丈夫。充分に可能です」
どこからそんな自信が来るのだろう。アイは強く言い切った。
「そうは言ってもねえ」
「あらかじめ試したのですから、間違いはありません」
「なるほど……信用しておこう」
「遺体を燃やす程度は、ほぼ炭化が終わり、ぐすぐすになるぐらいでいいでし
ょう。そこまでやれば、死因が何なのか、分かりっこありません」
「灯油をいくらかけても、ばれないものなのか?」
「いいんです。基本的に、焼身自殺したように見せかけるつもりですからね。
焼身自殺する人間なら、いくら灯油をかぶってもおかしくないでしょうが」
「そんなものかね」
「そんなものです」
含み笑いをするアイ。
私は、相手の考えていることに、徐々に恐れを感じ始めた。全く、こいつは
何ということをやろうとしているのだ……。
「ああっと、大事なことを言い忘れていた。灯油のポリタンクも忘れずに燃や
してください。焼身自殺したように見せかけるんだから、ポリタンクが不自然
な場所で見つかったり、あるいはどこにも見当たらなかったりしては困ります」
「分かった。それから、私は……焼いている間、ずっとその側についていなけ
ればならないのかな?」
「もちろんです。遺体が無事、完全に炭化するのを見守るのはもちろんのこと、
焼き終わってからも、やってもらう仕事があるんですから。小屋の周囲に余計
な物を落としていないか、足跡を不用意に残していないか、ワゴンに遺体を燃
やした灰が張り付いていないか等々。細かくなるので、後ほど、リストにして
送りましょう」
ありがたい、と言うのも変だと思い、黙ってうなずくだけにしておく。
「全てが終わったら、ワゴンは元の黒丸の地点に戻しておいてください。キー
やハンドル等の指紋は、用心のため、拭き取っておくのがよろしいかと」
「それがいいだろうな」
「他に何か、ありますか?」
「肝心なことを聞いていないよ」
私は声を尖らせた。
「は? 何でしょう?」
「私が君の要求を飲み、ことに成功したら、当然ながら、例の書類はこちらに
渡してくれるものだと信じているのだが」
「ああ、すみません。そうでした、そうでした」
アイは豪胆な調子で言うと、平謝りをしてきた。本当に忘れていたのか、そ
れともとぼけているだけなのか、その表情からは窺いしれない。
「渡してくれるんだろうね」
「ええ、もちろんですとも、先生。元の書類もコピーも一切合切、きっちりと
お渡しします。信用してください。最低限、約束は守りますよ」
「そう願いたいものだ」
私は横を向き、今日初めて、コーヒーに口を着けた。すでに冷え、苦みが増
しているよう感じられる。
「いつ渡してもらえるんだね?」
−−続く