#3141/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 8/30 8:41 (175)
まだ死なれては困る 14 永山智也
★内容
脅迫者がいなくなり、これからは枕を高くして眠れることを信じて疑わなか
った。が……実際は、そううまくは運ばなかったのである。
陳腐であるが、一本の電話から、それは始まった。
「角坂さん?」
電話してきたのは、三十前ぐらいの男だろうか。非常にぶっきらぼうな第一
声に、私はむっとした。
「そうだが」
自然と、こちらの声も、そっけないものとなる。
「作家の角坂剛毅さんですよね?」
相手は繰り返した。しつこいというか、疑り深いというか……。
「言っただろう、私が角坂だ。君ね、人の家に電話するときは、そちらも名乗
ったらどうだね。それが社会の最低限のルールと思うんだがね」
「これは失礼を」
おどけたような調子になった。それがまた、私の神経を逆撫でしたが、ここ
はぐっと我慢する。
「私は……まだ名乗りたくないな」
名乗るかと思ったら、こんなふざけたことを言い出す始末。私は、自分は気
が長いものと思っているのだが、さすがにきれそうになっていた。万が一にも、
相手が雑誌記者か何かだという可能性も忘れ、つい、声を荒げてしまう。
「どういうことだ? ええ?」
「かっかしないでください。まあ、名無しの権兵衛じゃあお互い不便でしょう
から、ニックネームを決めますか。そうだな……私はある意味で探偵ですから、
単純に『アイ』としておきましょう」
「アイ?」
「ご存知でしょうか。私立探偵のことを『プライベート・アイ』とか言うでし
ょう? あれのつもりです」
「それぐらいは分かっている。探偵とはどういうつもりだね?」
何かしら悪い予感を覚えながら、私は聞き返した。
「ふふふ」
しゃくにさわる笑い声が流れてくる。
「私はね、知ってしまったんですよ。あなたの犯罪を」
「……何のことだね?」
動揺していないように虚勢を張って、声を落ち着かせ、私はゆっくりと返し
た。あの犯罪は、誰にも見られていないはずだ。いや、それとも、私がそう思
い込んでいるだけだったのか……?
「おとぼけはよしましょう。時間の無駄だし、電話料金もかさんでしまいます
からね。そちらがお払いくださるなら、かまわないんですが」
「つまらんことを言っとらんで、はっきりと用件を言いたまえ」
「いいですよ。吉本るいのことです」
まことにはっきりと、相手はその名を口に出してきた。親戚の子供の話題で
もするかのように。
「……誰だね? そんな女の子なんか知らないな」
「あはは」
またも笑う。
「何がおかしいんだ?」
「あ、失礼を。いえね、あまりにも先生−−作家なんだからこう呼ばせてもら
いますよ……。先生があまりにも簡単に、口を滑らせてくださったものですか
ら、おかしくなっちゃって」
「……」
口を滑らせただと? 何か、まずいことを言ったのだろうか……。私はそれ
まで話した内容を検討する。
「おや? 黙ってしまいましたね。もしもーし! 聞いてます?」
「聞いてる! ど、どこかおかしなことを言ったかね、私が?」
「動揺してますねえ。うん、素直な反応で嬉しく思いますよ。さて、お尋ねの
件ですが、単純明快。私はただ『吉本るい』と言っただけですよ。性別も年齢
も、口にしちゃいません。なのに、先生は、どうして『そんな女の子なんか知
らないな』なんておっしゃれるんですかねえ」
「あ……」
不覚の声がこぼれてしまった。必死に言い訳を考えてみたが、どうにも引っ
込みがつかない。
「し、新聞で見た」
お粗末な答だなと自分でも思いながら、私は切り出す。
「へえ?」
「その名前、児童連続殺害事件の一番新しい被害者の名前じゃないか。この間、
新聞に載っていた……」
「苦しいなあ。だったら、最初に、私が吉本るいの名を出した時点で、そう言
うのが普通じゃないですか」
「それは」
「まあいいです。こんな調子じゃ、いつまで経っても本論に移れやしない」
やれやれといった感じのため息が、私の耳に届いた。
「私は知っているんです。先生が吉本るいと知り合いだって」
「な……」
絶句してしまう。それでも、何とか相手を言い負かそうと、ない知恵を絞る。
「ふむ。どこからそんな、馬鹿げた空想が出てくるのか、理解に苦しむね」
「いくら言っても無駄です。こちらには、立派な証拠があるんです。吉本るいは、
私とも面識があったんですよ。いやあ、かわいい子だったのに。あなたもむご
いことをしますなあ、先生?」
最後の単語には、微妙なアクセントが置いてあった。
「先生が吉本るいを殺したんでしょう?」
「馬鹿な!」
「必死になって否定しないでくださいよ。私は何も、先生を警察に突き出すつ
もりはないんです。そうそう、それにね、あらかじめ断っておきますと、先生
が巷で騒がれている児童連続殺害事件の犯人だとも思っていません。その点は
ご安心を」
そう言われても、ちっとも安心できるはずがない。
「証拠とか言ったな? それは何なんだ。言ってみろ」
相手に主導権を握らせるまいとして、強がってみせる。その効果のほどは極
めて怪しいものだが。
「うーん、まあ、言うだけならいいか。手紙ですよ」
「手紙……だと?」
「そうです。吉本るい直筆の手紙。私、吉本るいとは手紙のやり取りもしてい
ましてね。その中で、彼女、実に面白い話を書いていたんですねえ、これが」
くっくっくっという、忍び笑いをしている相手−−『アイ』。
「先生が盗作した、と」
「……わ、分かった」
一瞬、躊躇してから、私は認めた。これは抗弁しきれる状況ではなさそうだ。
「君の話を信じよう。それで……君の要求は何かね?」
「その前に、認めていただきたい点が、もう一つあるんです」
「何だ?」
いらいらしながらも問い返す。
「角坂先生。あなたが吉本るいを殺したんですね?」
「……」
こちらには沈黙を通す。うっかり、肯定できることではない。
「……しょうがないなあ。じゃ、言いますけどね、私、実は犯人なんです。児
童連続殺害事件の」
「はあ? 何だって?」
頭が混乱する。全てが悪い冗談に思えてきた。こいつ、ひょっとすると頭が
おかしいのではないか?
「文字通りですよ。ですから、私が吉本るいを殺していないってことが明白で
ある限り、あの子を殺すとしたら、あなたぐらいしかいないでしょうが。あの
子が、全然知らない人について行くような性格じゃないことも、私はよく知っ
ています」
「……偶然、と言うのか?」
「恐るべき偶然です。私は感動しましたね。この私が、あの子だけは殺さない
でおこうと思ってかわいがってきた吉本るい。その子が別口の殺人事件に巻き
込まれ、あろうことか、私が起こしてきた連続殺人の一つに数えられるなんて」
どこか芝居めいた口調で、電話の向こうの男は言った。先ほどから言いたい
放題の相手に、こちらは言い返せない。
「さて、話を元に戻しましょうか。私からの要求についてですが……」
私は思わず、ごくりと唾を飲んだ。音が向こうに伝わったかもしれない。
「お金、と思っているでしょうね。でも、ご安心ください。吉本るいに続いて、
第二の脅迫者になるつもりは、私にはさらさらありませんから」
金でなければ、もっとひどいことを要求されるのかもしれぬ。私は身を固く
した。勝手に固くなるのだ。
相手の声を待ったが、なかなか答える気にはならないらしい。
「……何なんだ、一体。早く言ってくれないかね」
辛抱しきれなくなって、自分の方から口を開いてしまった。これでは向こう
の思う壷だと分かっていても、聞き返さずにはおられない。
「ん、まあ、慌てなくても言いますよ、もちろん。ただねえ、電話で言うべき
かどうしようかなって考えてまして……。どうでしょうね? 直接会って、詳
しい話をするということでは」
相手の口ぶりは、飽くまで無邪気である。少なくとも私にはそう聞こえた。
そしてそれ故、不気味に感じられる。るいと同種の。
私は迷ったが、どうせ拒否できる申し出ではなさそうだと判断した。不承不
承ながら、受ける旨を伝える。
「それはよかった」
「で、いつがいいのだ?」
「こちらとしては、早ければ早い方がいいんですよねえ。でもまあ、そちらの
都合もお伺いしましょう。先生がお暇なのは、いつですかね?」
「いつだっていい」
こう答えると、送受器向こうの『アイ』は、感心したような、あるいは珍し
がっているような息を漏らした。
「これはこれは。売れっ子の作家先生から、そんなお言葉が聞けるとは……。
お気遣い、痛み入ります」
「私は売れっ子なんかじゃない」
相手の嫌味たっぷりの馬鹿丁寧さに対し、吐き捨ててやる。
「怒ったですか? これはまた、失礼を重ねてしまって申し訳ない。……いつ
でもよろしいのでしたら、明日の昼二時。**駅ビルの一階にある喫茶店『ラ
イオネス』でいかがでしょう。もし、この店をご存知ないのでしたら、お教え
しますが」
「いらない。知っている。明日の午後二時、喫茶『ライオネス』だな? それ
より、君はどういう格好をしてくるのだ。私は君の顔を知らない。君の方だっ
て、私の顔を知っているのかい?」
「それはもう、有名人ですよ、先生は。調べたら、すぐに分かりました。私の
方は大丈夫。さて、私がどんな格好をして行くかですが……」
相手は、そんなことは考えていなかったのか、それとも私をじらす作戦なの
か、しばらく沈黙した。
「そうですね、阪神タイガースの帽子に読売巨人軍のシャツを着て行きましょ
う。分かり易い上に、こんな格好、他に誰もしないでしょうから」
真面目な口調の相手に、私はおかしくなってきた。確かに分かり易いが、目
立ち過ぎではないか。まあ、私の知ったことではないが……。
「これぐらいですかね?」
「そのようだ」
「では、明日の二時にお会いしましょう。賢明な角坂さんに限ってそんなこと
はないと信じていますけど、念のために断っておきます。一人で来てください。
間違っても警察なんか連れてこないように」
「分かってる。私も警察のお側には近寄りたくない身だ」
私の言い方が気に入ったのか、相手は派手に笑い声を立てた。
「ははははっ! なるほど。それじゃあ、私と会うまで、警察に捕まらぬよう、
用心してくださいよ」
「君もだ」
私の精一杯の抵抗は聞こえただろうか。相手は、すぐに切ってしまった。
−−続く