#3109/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 6/29 1:49 (198)
夢を叶えたそのあとは 3 名古山珠代
★内容
−−しかしながら、決心とは裏腹に停滞は続く。連載のことを考えると、長
編の粗筋が気になるし、その逆も。もちろん、他の連載二つも気になるのだ。
この間原稿を渡したばかりの『ある晴れた朝−−』はともかく、締め切りまで
あと十日ほどとなった『爪をかむ癖』がちらつき始めている。自分を見い出し
てくれた純幸社の『アウスレーゼ』への連載作品でないからと言って、遅らせ
る訳にはいかない。どこの社に対しても、遅れさせたくない気がある。
このままではどれも手に付かない。彩香はそうした判断から、やるべき順番
を書き出した。『天の声・地の声』、『爪をかむ癖』、英俊社への長編粗筋、
『ある晴れた朝−−』。この順序で行こう。二番目と三番目はどちらが先でも
いいのだが、具体的な締め切りが指示されている連載の方を先に回すのが無難
だろう。
「よし、やるぞ」
声に出して決意を新たにすると、彩香はキーボードに手を置いた。
が、一向に動いてくれない彩香の両手。快調なときは、それこそ指が勝手に
動いているように錯覚するぐらいのときもあるのに。
黙って想を練っていると、また眠くなってきた。
「嘘、どうして眠くなんのよ」
頭を強く振って、彩香は自分に言った。
(学校でだってうつらうつらし通しだったし、さっき、一時間三十分は寝てる
のに……)
夜中でなければ、音楽をかけて気分を一新するという道もある。残念ながら、
この時間帯ではそれもできない。近所迷惑だ。ヘッドフォンとかを使うと、か
えって誘眠効果があるのか、気分転換にならない。
壁時計を見上げると、午前二時が近かった。約三時間、無駄にしたことにな
る。彩香は指でテーブルの端を叩き始める。苛立ちが露になる。学校から帰っ
てから、正味五時間で原稿用紙二枚しか進んでいないという現実から、焦りが
来ているのかもしれない。
こつこつこつこつ……。テーブルを叩く音が、時間を刻む秒針の音と重なっ
たような感覚になる。テーブルを叩く音は、次第に単調でゆっくりとしたリズ
ムとなった。だめだと頭では思うも、瞼が重くなってくる。このままじゃいけ
ない……。
「えーい、今日はやめ!」
一声叫んだ彩香は、ワープロの電源を切ると、さっさと着替えにかかった。
そして、倒れ込むようにベッドへ飛んだ。
ものの一分もしないのに、かすかな寝息が聞こえてきた。
カーテンの隙間から見える朝の太陽は、妙に高い位置にあった。
「げっ!」
枕元の置き時計を見て、彩香は掛け布団を蹴飛ばした。
午前十時を軽く回っていた。文字盤を顔に見立てたら、目を吊り上げている
怒り顔のよう。
あちゃーっ。馬鹿馬鹿、目覚ましのセット、忘れてた。ベッドに倒れ込む前
に、少し注意してたらよかったのにぃ。もう、私の馬鹿!
慌てて降りて行くと、茶の間に母の姿があった。階段を駆け降りる音に反応
して、腰を上げたところらしい。
「やっとお目覚めね」
「……おはようございます」
「ひどい顔よ、隈ができちゃって……。ご飯の準備するから、その合間に顔ぐ
らい洗いなさい」
「はい」
うなだれるようにして、洗面所に向かう。鏡を覗くのが恐いぐらい。それで
も踏ん切りつけて見てみれば、目の下に隈を作った、肌は荒れがち、髪の毛は
つんつんと立っている凡庸な女の子がそこにいた。文庫本に載せている顔写真
とは、整形の前後のように違うのではないかと思えてしまう。
「どうせまた、二時ぐらいまで起きていたんでしょう?」
歯を磨いていると、母が聞いてきた。口をゆすいでから返事する彩香。
「うん」
「八時間寝たぐらいで、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないよ。寝過ぎなの! 六時間ぐらいで起きようと思ってたのに
……目覚まし、忘れてて」
「あら、そそっかしいんだから。母さんも人のことは言えないけれど」
「遺伝よ、これ。責任、取って」
予定が狂ったせいもあって、彩香は無理を言った。自分でも分かっている無
理を。
食卓に着いたところへ、母が朝ご飯を運んできた。お盆を彩香の前に置くと、
目を向けて尋ねてくる。
「責任って?」
「だから、そそっかしい性格はお母さんからの遺伝。でさ、明日、八時半にな
っても起きてこなかったら、起こしに来てよ。お願い」
と、手を合わせて拝む彩香。
「そういうこと……。あ、とにかく、食べなさいよ」
母に言われて、彩香はそのままの格好で、いただきますと言って箸を取る。
「……お父さんは?」
今日は休みのはずの父がいないことに気付いた彩香。
「帰って来てないの。郷野さんのところで徹夜で麻雀だって、連絡があってね」
「しょうがないなあ、全く。土日と続けて休みのときは、たいてい、これね」
「彩香。あなただって、土日が休みだと、ずっとワープロに向かってるのよ」
指摘されて、どきりとした。
「休日は仕事、休み以外は学校。……高校生なんだから、もっと遊ぶこと考え
ていいのよ」
「な、何を言ってるの、お母さん。私、楽しくて小説書いてるんだから。仕事
と言ったって、半分遊びみたいなもんよ」
「それにしては、疲れ過ぎじゃないかい?」
「そ、それはぁ、やっぱり仕事なんだもん、一生懸命やってるから……」
言い訳じみた自分の口調が嫌になる。でも、それを隠して続ける。
「だから」
「分かった。今は何も言わない。思うようにやりなさい。それが小説を続けて
行くとあなたが言ったときの、約束だったし」
見守るような笑顔を投げかけてきた母は、さらに言い添えた。
「でも、相談したいことがあったらいつでも言って」
「うん。ありがとう、お母さん」
礼を言ってから、気恥ずかしさを紛らわせるために、彩香はみそ汁を音を立
ててすすった。
昼食までに少しでも進んでおきたい。そう思って始めた矢先、母に呼ばれた。
「電話よ」
「誰から?」
「純幸社の小宮さん。早くなさい」
「はぁい」
何の用だろうと考えながら、電話口に出る。
「代わりました。彩香です」
「あ、毎度です。小宮です」
聞き良い声音が伝わってきた。純幸社の小宮俊一は、普段は優しい話し方を
する。当然、締め切り間際になると、口やかましくなるのだ。
「どうです、調子は?」
「え……っと。まあまあです」
この間、今度の分を渡したばかりなのに、もう聞いてくるの? 訝りながら
も、答える彩香。
「他の出版社さんのに取りかかってるところですけど」
「それは当然でしょうね。彩香さんほどの売れっ子なら」
お世辞はいいから、さっさと用件を言ってと願う彩香だった。早く済ませて、
原稿に取りかかりたい。
「それでですね、本日、電話を差し上げたのは、四つ、用件がありまして」
「はあ」
「まず、確認です。彩香さん、英俊社からの書き下ろしの依頼を引き受けまし
たね?」
「もう伝わってるんですか?」
「はい。情報化時代ですから」
と、笑い声を立てる小宮。
「いや、別に責めてるんじゃないですよ。ただ、一応ね。こちらの連載に悪い
影響のないよう、お願いします」
「それはもちろん」
強く答える彩香。
「では二つ目です。今の連載が終わったら、今度は書き下ろしの長編をお頼み
したいなと、そういう話が浮上していまして」
「本当ですか?」
続けざまの長編依頼に、やや面食らってしまう。
「英俊に負けていられませんからね。こちらもハードカバーで。連載の方は文
庫でということにして、できれば二冊同時に刊行したいんですよ」
「はあ……ありがとうございます」
「頑張ってくださいよ。社を上げてプッシュしたいと思ってますから」
「そんな大げさな……。失礼ですけど、小宮さんにそこまで権限があるとも思
えませんし」
「はは、そりゃま、そうですがね。そういう企画があるのは事実です。彩香さ
んと同期デビューの三人の作品も、まとめて出そうかという」
「そうなんですか」
「はい。以上が二つ目。次、短編の作品を一つ、もらいたいんですが」
「え? 連載だけじゃなく?」
「そうなんですよ。急な話になってしまいますが、今度の夏の増刊号に掲載す
る線で」
彩香はメモ用紙を引き寄せた。長編はまだ先の話だろうけど、短編の方はメ
モをしておかないと忘れてしまうかも、と思ったから。
「枚数と締め切り、テーマが決まっているのでしたら、それもお願いします」
問いに対する小宮の返答を、彩香は一つ一つ、書き取っていった。
「いいですね? 月末にお願いしますよ。さて、最後の四つ目。これが一番、
喜んでもらえると思いますが」
言葉を切った小宮。気を持たせる男である。
「何でしょう」
「映像化の話が出てるんです、彩香さんの作品の」
「え? それってテレビの」
「ちょっと違いますね。オリジナルビデオ。うまくすると、映画になるかもし
れませんよ」
「えーっ?」
思わず、大声になってしまう彩香。テレビドラマなら英俊社から言われてい
たので、さして驚きもしなかったろうが、ひょっとしたら映画に、となると、
また驚いてしまう。−−何だかどきどきしてきた。
「あー、大丈夫ですか? 心臓発作でも起こされたら面倒だ」
くっくっと笑いながら、電話の向こうの小宮は冗談を叩く。
「あ、だ、大丈夫です。続けてください」
「候補となっている作品は、『僕はこの星で殺された』と『何も知らない』の
二つです。大勢は『僕この』に傾いていて、ほぼ決まりという感じですが」
「はい……」
「現時点ではこれだけです。もしかしたら、タイトルや内容に少し手を加える
ことがあるかもしれないんですが、それを含めて話を進めていいかどうか、伺
いたくて」
「えっと……突然で、びっくりしちゃってるんですが……。ああ、あの、タイ
トルなんかの変更は、私、事前にチェックできるんですか?」
「もちろん、作家としての権利ですから。意見も尊重されるはずです」
「そういうことでしたら、かまいません。どうか、よろしくお願いします」
「はい、承知しました。長々とお話ししましたが、そういうことで。以上のこ
とは、他言無用。どうせどこからか漏れるもんだけど、一応ね。うちの原稿も
頼みますよ。では、小宮でした」
「はい、失礼します」
送受器を戻して、ふうとため息。その原因は、もちろん映画の話。先ほど、
相手の小宮にも話したが、本当に突然で、頭がぼーっとしている。
「彩香、終わったの? 何だか、叫んでたけど」
母の声がした。振り返ると、廊下へ顔を覗かせている。
「叫んでたなんて、ひどーい」
と言いながらも、顔をほころばせて駆け戻る彩香。
「どうしたの、嬉しそうにして」
「あのね、聞いて、お母さん」
母の真ん前に、ぺたりと膝を閉じて座る彩香。そうして、いささか興奮気味
に電話での話を伝えた。
「映画になるかもしれないって……彩香の書いたお話が、大きなスクリーンに
映し出されるってことね?」
母の言い様では、まるでスクリーンいっぱいに文面が映し出されるみたいで、
おかしい。吹き出してしまう彩香だった。
「ん、そうだけど」
「何、笑ったりして」
「ううん、何でもない。本当なら私、アニメの方がいいんだけど。本物の俳優
がやれば、イメージのずれが気になると思うし……。でも、私なんかが口出し
できる話じゃないしね」
「アニメって、テレビ漫画のことだろう? それだったら、ちゃんとした映画
の方がいいに決まっているよ」
必ずしも彩香は母のその意見に賛成ではないが、この際、黙ってうなずいて
おく。
−−続く