AWC 夢を叶えたそのあとは  4   名古山珠代


        
#3110/5495 長編
★タイトル (AZA     )  95/ 6/29   1:52  (195)
夢を叶えたそのあとは  4   名古山珠代
★内容
「もし正式に決まったら、また忙しくなるんじゃないのかい?」
「それは……多分」
 小宮の言葉−−社を上げてプッシュ−−も、あながち嘘ではないのかもしれ
ない。そんな思いが、脳裏をよぎる。それだけ期待をかけられたとしたら、当
然、仕事も増えるのだろう。
「できるの……とは聞かないよ。もう決めてるんだろうし」
「頑張る。好きでやってるんだから、つらくないわよ。……あっ」
 声を上げる彩香。また時間が過ぎていた。
「いっけない! 午前中に一枚でも進んでおこうと思ってたのに」
「まあまあ。いいじゃない。お昼、入るのなら、仕度するけど」
 少し迷った彩香だったが、結局、母の言葉に従うことにした。

 じぃじぃと蝉の鳴く声がしている。天気は相変わらずよくて、真夏の到来を
予感させる。
「……うまくないなー」
 彩香は同じ箇所で、書いては消し書いては消しを繰り返していた。
(こんなに進まないなんて……初めて。どうしちゃったんだろ?)
 眠り病にでもかかったかのように、瞼が重たい。目をこすりこすり、彩香は
考えた。
(才能の泉が枯れちゃったとか……まさか! まだ二、三年しか小説書くのに
使ってないのよ、私の頭。……それとも、元々才能なんて……。受賞できたの、
運がよかっただけ……信じたくない。自分の力を信じたい)
「電話よ、彩香」
 またか、と思う。でも、ワープロの前から動くきっかけになれば、何でもい
い。
「誰から?」
「福富書房さん」
 その名前を聞いて、げんなりした。彩香が出ると、いつもの耳障りな声。
「はい、彩香ですが」
「やあやあ、新崎さん。その後、いかがかな?」
 福富書房の丹波勲は、まだ三十代前半なのに、年下の者に対しては年寄りじ
みた言葉を吐く。彩香のような高校生相手だと、一層それが顕著だ。教師が生
徒にかける言葉に、調子は似ているか。
「さて、連載の原稿だが、締め切りは明後日。ちゃんともらえますね?」
「はい……」
 続けて、多分という言葉が出そうになったので、慌てて引っ込める。そんな
ことを漏らしたら、いい加減な返事されちゃあ困るなとか何とか、うるさく言
われるに決まっている。
「それならいいです。確認の電話をしたまでで。それでは月曜日に」
 一方的に喋ると、相手から切ってくれた。彩香は、ほぅっと胸をなで下ろす
気分。
 丹波は仕事のことしか話さない。それも極めて事務的に。こんな電話だった
ら、ワープロから離れた意味がない。催促の電話をよこすぐらいなら、静かに
書かせろ、馬鹿野郎っ!
 毒づいてから、これではだめだと思い直す彩香。こんな心理状態じゃ、いい
作品なんて書けない。
「何だったの、電話?」
「催促。ねえ、お母さん。私、缶ジュース買いに出かけてくる」
「小説の方はいいのかい?」
「大丈夫だって。お母さん、何か買ってくる物ある? あれば言って」
「別にないわ。出かけるんなら、帽子、被って行きなさいよ」
「うん、分かった」
 唾広の白い帽子を被って、彩香は外に出た。
 蝉はどこかへ行ってしまったのか、合唱はやんでいた。その代わり、蛙の鳴
き声がする。雨が近いのかもしれない。
 降ってくれれば、ちょっとは涼しくなるかな。そんなことを思いつつ、彩香
はゆっくり、坂道を下っていく。
 缶ジュースを買いに行くと言ったが、ついでに散策するつもりである。こう
でもしないと、気分がよくならない。
 坂道を降りきったところを右に折れ、十メートル足らずで商店がある。その
傍らにある自動販売機で缶ジュースを買い、またゆっくりと歩き始める。
 家を出るまで別にこれといって宛はなかったけれど、木陰に入りたいなとい
う気がしてきた。木陰で休めそうな場所となると、公園。彩香の足は、自然と
そちらへ向く。
 土曜の午後だというのに、公園には人っ子一人いない。いや、土曜日曜と連
休だからこそ、誰もいないのかもしれなかった。きっと、家族団らんを楽しん
でいるところが多いのだ。
 静かでいいか。そう受け取ることにして、彩香はベンチに腰を下ろした。帽
子を取ると、ちょうど風が来て、髪が吹き流される。
 缶を開ける前に、そっと額に当てる。文字通り、頭を冷やす、だ。
 ある程度気分がよくなったところで、ジュースを開け、原稿のことを考える。
(主人公の行為を目撃したのは、小さな女の子。最初は何を見たのか、女の子
自身理解できなかった。けれど、やがてその意味に気付く……ここまではいい
のよ。問題は、主人公である犯人が、どんなきっかけで女の子に目撃されたと
気付くか。その場で気付いたのなら、すぐに殺そうとしないと不自然だし)
 不意に、思考を断ち切る喧騒が聞こえた。いつの間にか地面を見ていた視線
を戻すと、彩香と同じ歳ぐらいの男子の集団が、公園横の道を行く。すでに、
どんどん遠ざかっている状況だ。
「……あ」
 よくよく見て、彩香は、彼らが同じクラスの男子だと気付いた。郷野達のグ
ループではない。格好とか持っている物から、市民プールに行くところだと判
断できた。
「プールかぁ」
 急に水恋しくなる。今年はまだ、学校の授業で入ったぐらいで、遊びで泳い
ではいない。
 なるちゃん達と一緒に行ったら、楽しいだろうなあ−−そこまで考えて、彩
香は頭を振った。何を考えてるのよ。今はそれどころじゃないでしょ。
 彩香は残っていたジュースを空けると、立ち上がった。離れたところにある
くず入れめがけ、空き缶を放る。
 かーん。
 惜しいところで、缶はくず入れの縁に当たり、大きく外に跳ねてしまった。
(……縁起よくない感じ)
 彩香は舌打ちして、地面を軽く蹴飛ばした。そのまま出て行ってやろうかと
思ったけれど、さすがにできず、小走りで缶を拾いに向かった。そして、くず
入れに近寄って、丁寧すぎるぐらい丁寧に放り込んだ。

 閃くときは閃くもの。彩香はつくづく、そう感じていた。
(女の子は走行中の車から目撃した。主人公は見られたことに気付いても、す
ぐに追いかけることはできない。これでいいのよ)
 快調に響く、キーを叩く音。
 きっかけはニュース映像だった。夕食中に思い付いて、急に立ち上がった。
目を丸くしている母と父を残して、部屋に篭もること四時間足らず。十五枚書
くことができた。昨日までの分と合わせて合計二十三枚、残るノルマは七枚ほ
ど。ようやく余裕ができた。
「十時半か。ちょうどきりがいいし、休もうっと」
 きりがいいと言っても、ある一シーンを書き終えたところで手を止めること
は、決してしない。わざと中途半端なところで置いておく。他の人はいざ知ら
ず、少なくとも彩香の場合、そうした方が、次に書き出すとき、話を運びやす
いのだ。
 文書が保存できたのを確認して、彩香は一階に降りた。
「あら、ちょうどよかった。お茶を煎れたとこ」
「お父さんは?」
「寝ちゃってるわ。麻雀のしすぎよ」
「やっぱり」
 予想通りとばかりにうなずく彩香。
「それより、できたのかい?」
「ああ、だいたいね。二時間もあれば完成するはずよ」
「だったら、明日があるから、今日は休みなさい」
「だめよ。乗ってるときに書かないと。調子、狂っちゃう」
「そういうもんかねえ」
「そういうもんなの。明日は寝てる」
 本当は、次の作品のことを考え始めなきゃならないのだけど。それに、日曜
が暇になるのであれば、郷野達のことがちょっと気にかかる。そう思う気持ち
がある一方で、とにかく思い切り眠りたいという意識も強かった。
 と、そこへ電話。
「こんな時間に……きっと、彩香にだよ」
「そうかもね。やれやれ」
 わざとらしい言葉を口にして、彩香はのんびりと電話に向かった。はいはい、
そんなに慌てなくても。
「あ、新崎さんのお宅ですか」
 女性の声。彩香はすぐに、誰だか分かった。
「はい。あの」
 ところが彩香が相手の名を口にする前に、向こうから言葉が被さってきた。
「夜分、恐れ入ります。私、文像社の茂木と申します。新崎彩香さんはおられ
ますか」
「いやだ、万里江さん。私、彩香ですよ」
「あ、やっぱり? そうかなとは思っていたんだけど、念のため、確かめたく
てね」
 二人とも、ひとしきり笑う。
「どうしたんですか、こんな時間に」
 彩香は比較的リラックスして、聞けた。三つの連載を抱えているということ
は、三人の編集者と接することになる。その中で一番、気を置かずに済むのが
茂木万里江。同じ女性ということもあろうが、話が合う。仕事以外のことにま
で少しばかり、口うるさい点を除けば、彩香にとっての理想的な編集者だった。
「まさか、もう原稿の催促とか……」
「違うわ、安心して。でも、仕事は仕事なの。急で悪いとは思うんだけど、明
日、時間ある?」
「はい? どういうことでしょう?」
「『クリスタル◇ドール』のコーナーの一つに、『糸電話』っていうのがある
の。知ってるでしょ?」
「ええ、知ってます」
 『クリスタル◇ドール』とは、文像社が月刊で出しているティーンズの女性
向け雑誌。『糸電話』は、毎号、一人の作家を取り上げ、写真を載せると共に、
読者の質問に一問一答形式で答えていく欄である。
「実はね、来月号の『糸電話』に登場を予定していた人が急病で、取材どころ
じゃなくなって……。当然、代役を立てなきゃならない訳」
「それが私ですか?」
「そうなのよ。一度もこのコーナーに出たことがない人で、人気もあって、緊
急の依頼でも時間を作ってもらえそうな作家……となると、高校生の彩香ちゃ
んに白羽の矢が立つのも当然だと思わない?」
「高校生が暇とは限りませんけど」
 わずかに刺を含ませ、言ってやる彩香。電話の向こうで慌てている雰囲気が
伝わってきた。
「それはそうかもしれないけど。ね? いいでしょ?」
「どうしようかな? 万里江さんの頼みだし……。一応、当面片付けるべき仕
事はめどが付いていますから、何とかなります」
「ああ、よかった」
 心底、ほっとしたらしい声。
「信じてたわ、彩香ちゃん」
「はいはい、どうも。それで、明日の予定を」
「あっと、そうだったわ。朝の十時、駅ビルに出てきてほしいんだけど」
「十時……。あの、明日予定が入るのでしたら、私、今日中に原稿を書き上げ
たいんですが」
「そうなの? だったら、カメラの仕事を入れ換えてもらって……昼の二時か
らというのはどう?」
「そっちをお願いします」
「格好は、制服を着て来てね」
「え? それだとどこの高校かって、ばれちゃう……」
「純幸社さんから止められてるの?」
「それもあります」
「でも、純幸の文庫本には顔写真やプロフィール、載ってるじゃない。あれを
見れば年齢が分かるんだから、高校生ってことも想像できるわよ、読者は」
「それはそうだと思うんですけど、一応、契約だから。万が一、学校の方に迷
惑をかけることになったら、まずいし」
「だったら、仕方ないわね。でも、なるべくなら、制服に似た感じのがいいん
だけど。セーラールックっぽい服、ない?」
「ないことないですけど……ほとんど着てないから合うかどうか」
「あるならそれで決まり。夏なんだから似合うわ、きっと。お願いよ」
 ほとんど一方的に話を進める茂木万里江。普段と押しが違うのは、よほど切
羽詰まっているからかな。彩香はそう受け取った。
 細々とした打ち合せは当日、その場でするということで、電話は切れた。
 まじで、多忙になってきたぞ。彩香は唇をきゅっと結び、とにかく、福富書
房への原稿を片付けておこうと決めた。

−−続く




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