#3108/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 6/29 1:47 (190)
夢を叶えたそのあとは 2 名古山珠代
★内容
「作品、うまく進んでいないの?」
「……分かる?」
ちょっとどきっとしながら、彩香は成美を見上げた。
「そりゃ分かるよ。今日は特に、頭を揺らしていたから」
「あちゃ、ずっと見てたんだ」
「そういうこと。朝からずっと。ヘッドバンキングのスローモーションみたい
に」
成美の言い方がおかしかったが、派手に笑う元気もない。彩香は両腕に頭を
沈めた。
「一番迫っている締め切りって、いつ?」
「月曜。夕方」
「今日入れて……四日? 何枚書くの?」
「三十枚ぐらい」
連載一回分が三十枚で、それを一年、つまり十二ヶ月続ける。合計三百六十
枚、長編の体裁が整う訳だ。
「げ。三十枚も」
「乗ってきたら、そんなにたいした枚数じゃないのよ。もちろん、嫌々書かさ
れる読書感想文だと五枚でもしんどいけど」
「アイディアかあ」
「そういうこと」
彩香がぼそりと答えたところへ、唐突に別の声が届く。
「ねえ、新崎さん。今度の土曜か日曜、俺や郷野ら、どっかへ遊びに行こうと
おもってるんだけど、どう?」
中西という男子の声。気取っているが、がらがら声には似合わない。
郷野とは、「遊び人」で通っている郷野裕行のこと。もちろん、遊び人と言
っても、飲む・打つ・買うではなくて、単にイベント好き・企画好きなだけで
ある。顔もそこそこ、話題も豊富なので、誰彼となしに人気がある。見れば、
彼はこの場におらず、郷野と親しい男子が二人いるだけ。
郷野はクラス委員長でもある。想像するに、ホームルーム前に職員室に呼ば
れて忙しい郷野の代わりに、中西ら二人が誘いに来たのだろう。
「あー、ごめん。悪いけど……」
ぼんやりと顔を上げ、説明をしようとした彩香。でも、それより早く、成美
が声を荒げていた。
「馬鹿。彩香はね、今、それどころじゃないの」
「馬鹿とは何だ」
言い返したのは向かって左の男子、川井。そこへさらに成美が言い返す。
「何にも分かってないから言ったのよ。月曜が締め切りだから、土日に遊ぶ暇
なんてないのよ、彩香は」
それから、ねえ、という感じで彩香に視線をよこしてくる成美。
「なるちゃん、そこまで言わなくても……」
愛称で呼んで、成美を止めようとした彩香だったが、どうにも声に力が入ら
ない。
「それなのに、こうして誘うなんて、お気楽なんだから、全く」
「何だよ。誘ってやってるのに、偉ぶって」
「そうだよな。断るにしたって」
二人の男子がぶうぶう言ったところで、先生が到着。生徒会役員にしてクラ
ス委員長でもある郷野裕行も、後ろについて戻って来た。
ホームルームが終わって、急いで教室を出た彩香と成美。玄関で靴を履きか
えていると、郷野に呼び止められた。
「おーい。新崎さん、羽田さん!」
見れば、廊下を滑るようにして、郷野が突っ込んできた。
「どうなってんの? あいつら−−中西達に聞いたら、断られたって」
「郷野君も知らないの。彩香は原稿で、遊びどころじゃないの」
元気のいい成美が、すぐに答える。最初から彩香が話せばいいのだが。
「待った。えっと、それどころじゃないっていうのは、また原稿?」
郷野は片手を上げて、話を制した。
「そうよ」
「でも、この前の週、何かの締め切りが終わったとかって、言ってなかった?」
郷野のこの問いかけには、彩香が直接答える。
「あれはね、また別の作品なの。……連載三本だから、次から次に締め切りが
来ちゃって」
「ふうん、そうなの」
二度ほどうなずく郷野。
「だから、ごめん。折角、誘ってくれたのに……。もう少し先なら、何とか」
「あ、いや、悪いのはこっち。てっきり、当分、締め切りに追われなくていい
もんだと思っていたから。大変だろうけど、頑張って」
「あ、ありがと」
彩香の言葉の終わらぬ内に、いつの間にやら外靴を履いた郷野は、さっさと
出ようとした。が、ぴたっと立ち止まる。
「そうそう、なるちゃん」
「馴れ馴れしく呼ぶなっ」
郷野のいささかふざけた口調に、反発する成美。それにかまわずに、相手は
続けた。
「新崎さんのマネージャーになるにしても、もう少し優しく言ってほしいんだ
けどなあ。そんなつんつん言われたら、こっちも誤解しちゃうから。んじゃま、
そういうことで、またいつか」
「あ、待ちなさいよ。誰がマネージャーよ」
しかし、郷野の姿はすぐに見えなくなってしまった。
「もう、大きなお世話」
腰に手を当てぷんぷんしている成美を見て、彩香は笑えた。眠たいからか、
涙まで一緒に出てくる。
「あははは。でも、当たってるかもね」
「彩香まで……」
と、そこへ女子の集団が来た。一番に教室を飛び出したのに、ぐずぐずと時
間を取ったせいで、追い付かれてしまったか。
「あ、羽ちゃん、彩香。今度の日曜、映画に行こうと思ってるんだけど、一緒
に行かない?」
一人が声をかけてきた。彼女は成美のことを羽ちゃんと呼ぶ。
彩香はわざと答えず、成美をちらりと見やった。
「あ……えっとね、私はともかくとして、彩香は無理みたい。また締め切りが
あるんだって」
順を追って事情説明してくれる成美の表情は、戸惑っているようで、どこか
おかしかった。
金曜日の夕食後。
土曜・日曜と続けて休みだ。幸い、宿題も少ない。原稿を書く時間に、たっ
ぷりと充てられる。気合いを入れた彩香は、ワープロを起動させた。
(最初は……やっぱり、締め切りが迫ってる『天・地』からかな)
ファイルを探して読み込む。ういん、うぃんうぃんと音がして、やがて画面
に現れたのは、『天の声・地の声』なるタイトル。覚え書きのように、<福富
書房『ヴィヴィッド』連載用>と付してある。
(これまでは……)
先月号を傍らに、話の流れを追う。忘れている訳ではなく、こうすることで
作品のリズムをつかむ。リズムは作品個々によって異なるのはもちろん、連載、
書き下ろしによっても違う。今まで刻んできた一定のリズムを崩すのは避けた
い。彩香はそう考える。
(天啓を授かったと信じ込んでいる主人公の女性が、あまりにも思い通りにな
らない社会に怒りを覚え、だんだんと傲慢になって、邪魔な人間を白蟻退治で
もするかのように殺していく。そのやり方も、神の手にゆだねるもの−−これ
これこんなことをすれば、死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。それ
は天上の神が決めること。死ねばその人間はそうなる運命だったのであり、死
ななければ『私』の選択が誤っていた。ただそれだけのこと。神の加護があっ
たのでもないだろうが、『私』の行為は常に標的に選んだ人物を死へと導いた
し、第三者に発覚することもなかった。それから……)
登場人物表やアイディアを記した創作メモを見ながら、キーパンチ開始。
キーを叩く音が続いている間は、心地いいものだ。学校にいるときに思い付
いたことを、とりあえず全て打ち込む。余計な箇所を削り、足りない部分を補
って、やっと原稿用紙二枚分ぐらいになった。月曜日に渡す分の内、ようやく
八枚ほどができたことになる。
(……)
早くも止まってしまった。まだ二十二枚ぐらいは書かないといけない。枚数
的には一日あれば何とかなる分量だ。が、それは、大筋で書くことが決まって
いればの話。空っぽの状態では、にっちもさっちも行かない。
(いい加減、殺していくの、やめないと……。ここ二回ほど、いかにして殺す
かという点だけで、恐さを煽ってきたんだから)
書きたいことは決めている。主人公の行為がばれそうになることで、スリル
を盛り上げる。次に主人公がそれに気付き、逆襲に転じる。ここでまた盛り上
げて、続く……こうしたいのだ。
だが、具体的にどう書けばいいのかとなると、さっぱり浮かんでこない。ど
うしても、今までに読んだか、自分で書いたかした場面に似通ってしまう。そ
んな気がしてならない。
ワープロの前を離れ、寝転がった彩香。天上が見える。その模様の、単調な
パターンの繰り返しに、何だか嫌悪感を覚えて、彼女は腕を枕に横を向いた。
行き詰まった気分転換と、彩香は他のことを考えようと試みる。他と言って
も、原稿のことには変わりがない。先日、英俊社から依頼された書き下ろし長
編の粗筋を考えてみようと決めた。
「えっと、サスペンスホラーなんだ」
気持ちのスイッチを切り換える意味で、彩香は一人、声を出した。
「で、上田さんは私のデビュー作を念頭に置いてるみたいだから、サイコ的な
ことも考慮して」
すぐに浮かんだのが、多重人格物。しかし、このタイプは主として海外作家
に書き尽くされた観がある。彩香自身、デビュー作を含めて二作品に使ってい
る。今度使うとしたら、より一層の工夫が必要となるに違いない。
(どうしたらいいのかな……)
いつしか、彩香の声は心の中だけになっていた。
「……香。彩香。彩香っ」
耳に響く声と身体が揺れる感覚に、彩香は目を覚ました。
瞬間、壁の時計に目が行く。午後十時三十五分を示している。
「……寝ていた、私?」
「そうよ」
答える彩香の母は、苦笑の表情だ。その側の床上には、盆に載せられたカッ
プと菓子があった。
「休憩なさいと思って、部屋に来てみたら」
彩香は口を閉ざし、手で髪の乱れを直す。何本かは、汗で肌にへばりついて
しまっていた。
「いくらもう夏だって、うたた寝していると風邪を引きかねないわよ」
「はーい」
差し出されたタオルを受け取りながら、間延びした返事。
「それでどうなの?」
運んできたポットで紅茶を煎れつつ、母が聞いてきた。
「月曜日まで、間に合いそう?」
「間に合わせるわよ」
半ば自分に言い聞かせるように、彩香。それから、盛られた菓子を一つ、口
に放り込む。
「まあ、あなたの仕事だから、母さんは何もできないけれど……。この頃、疲
れているんじゃないのかい?」
「そんなこと」
否定しようとしたものの、今の今まで寝ていたのだから、どうしようもない。
「昨日だって、泥のように寝ていたんじゃなかったかい。無理しているように
見えてしょうがないのだけれどねえ」
「無理なんかしてないって。ちょっと疲れてるだけ。大丈夫だから」
「それならいいんだけど……。もしも無理と感じることがあったら、仕事をセ
ーブするのも選択肢の一つってこと、思い出しなさい」
「分かった」
うなずいてみせる彩香。口と態度では素直であったが、彼女の本心は違った。
作家もある意味で客商売。依頼のある内が華。無理でも何でも、書くしかない。
そもそも、彩香には一年のブランクがあった。中学二年生の秋にデビューし
た彼女は、翌年から高校入試の勉強をするため、短編をいくつか書いた以外は、
依頼を断らせてもらっていたのだ。
一年と少し前、無事に高校に入り、依頼に応じられるようになると、受賞作
の評判がよかったせいか、たくさんの仕事が舞い込んできたのである。首尾よ
く人気も出、今や月刊誌連載を三つ、長編の依頼を一つ抱える身となった。依
頼に応えて来たことで作家を続けていられるのだから、これからも面白い作品
を書き続けて、応えていくしかない。
「さ、始めなきゃ。寝ちゃった分を取り戻すぞ!」
ワープロに向かう彩香。その視界の隅で、静かに部屋を出て行く母の姿がと
らえられていた。無言の支えに、応えたい。
−−続く