#3107/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 6/29 1:44 (194)
夢を叶えたそのあとは 1 名古山珠代
★内容
テーブルの向こう側から滑ってきた名刺を、新崎彩香は両手で受け取った。
「上田秀介さん、でよろしいのですか?」
「そうですよ」
声は優しかったが、その響きにはどこか、こちらを見下すような感じがある。
ともかく、彩香は名刺をしまっておこうと、財布を取り出した。そのとき、
制服のスカートのしわが気になったので、手早く直しておく。
「新崎彩香さんの担当になりました。と言っても、我が社から新崎さんへの依
頼は今度が初めてなんですから、本当に担当になれるかどうか、これから次第
ですがね。−−さて」
もったいぶるかのように、上田はカップを口に運び、さらに眼鏡を直してか
ら始めた。
「早速、用件に。五日前の電話でもお話しましたが、我が英俊社は、新崎さん
の作品がほしいと。ま、単刀直入に言えば、こうなりますか」
英俊社の編集者は、丁寧なのか傲慢なのか、よく分からない話し方をする。
彩香のような高校生作家なんて、扱ったことがないのだろう。どう接していい
のか戸惑っているのかもしれない。
「もちろん、長編。ハードカバーで出させていただこうかと、考えているんで
すが。……新崎さんは、ハードカバーは初めてでしょう?」
笑みを浮かべながら聞いてくる上田。どうせ、彩香の全著作をあらかじめ調
べてきたに違いない。読んでいるかどうかはともかく。答の分かり切っている
質問を、どうしてしてくるのか、彩香は理解に苦しむ。
「はい。これまではほとんどが文庫でした」
「そうですよねえ、純幸出版さんからデビューされたんじゃ、それが当たり前
です。あ、念のため聞いとくけど、純幸さんとこと妙なしがらみはないよね?」
くだけた口調の上田は、彩香が答えぬ内にぺらぺらと続ける。
「うちがデビューさせたんだから、他社から依頼を受けたときは連絡を入れろ
とか……」
「そんなことありません」
「それならよかった。どうです、引き受けてもらえます?」
「あの、その前に、お引き受けした場合、どんなタイプの話を書くことになる
のでしょう……」
「ああ、そうでした。私達が新崎さんの作品に期待しているのは、大ざっぱな
イメージでは、サスペンスホラーになりますか。ハラハラドキドキさせて、な
おかつちょっと理屈で割り切れない部分もあるっていう」
簡単な手振りをしてから、また眼鏡を直す上田。さらさらの前髪がわずかに
額を隠し、聡明そうな印象を与える。
「お得意の分野でしょ?」
「えっ−−ええ、まあ」
やや曖昧に、彩香は返事した。確かに、彼女のデビュー作はサスペンスとも
ホラーとも呼べる内容である。だが、その後、発表した作品の中には、必ずし
もそうは分類できない物も数多くある。少なくとも、彩香はそう自負している。
「もう少しだけ具体的に言うと、ほら、新崎さんのデビュー作『僕はこの星で
殺された』でしたっけ? あれの系統で、もうちょっと登場人物の年齢を上げ
ていただけたら、願ったりかなったりなんですよ」
「……よく分からないので、はっきりお聞きしたいんですが……」
と、首を心持ち傾げる彩香。
「ハードカバーだから、大人の作品を書かなきゃならないと、そういう意味な
んでしょうか」
「ん、いや、そう決まってるんじゃないんですが、折角ハードカバーで出すん
だったら、やっぱり、大人の人にも読んでもらえるような内容にしないとね。
−−あ、肝心なことを……。引き受けてもらえる場合の話になりますが、ある
程度のストーリーラインを出してもらって、うまく行けば、テレビドラマ化す
るという方向に持っていきたいんだけど」
「ええっ?」
さすがに驚いてしまった。彩香の高い声は、喫茶店中に届いたかもしれない。
「ほ、本当ですか」
口を押さえながら、彩香は少し前屈みになり、聞いた。
「そう。うちの上とか、スポンサーとの話があるけど、悪い話じゃないよね」
彩香がもう引き受けるものだと決めつけたように、自信満々の表情の上田。
英俊社は、とある全国ネットのテレビ局と結びつきが強い。そのためか、自
社が抱える作家の作品を、比較的簡単に実現させている。
「どうでしょう? あっと、もちろん、役者さんなんかは、新崎さんの希望も
聞くし」
上田のこの言葉は、鵜呑みにし難い。彩香のような若手作家の要望なんて聞
くだけで、受け入れてくれるはずないと思える。
「それに、新崎さん自身、ちょい役で出てもらうってのもいいんじゃないかな。
これだけかわいいんだから」
再びくだけた口ぶりになって、上田は調子のいいことを言った。彩香が黙っ
たままでいると、上田はすぐに自己フォロー。
「……っと、ちょっとオジサンの発言でしたか、これは」
「……ドラマと小説は、とりあえずは別物と考えていいんですか?」
「と言うと?」
「ドラマ仕立てにしにくい場合でも、上田さんの社の方で気に入っていただけ
ると、小説は書かせてもらえるのかどうか……」
「それなら心配いりません。ドラマと小説は別です。ただ、ドラマにできるの
であれば、こちらとしてもありがたいなと、そういう訳ありでして」
片目をぱちりとさせる上田。彼は次に口調を改めると、
「さて、いかがでしょうか、新崎彩香先生?」
と聞いてきた。
「『先生』付けなんて……困ります」
不意をつかれた気分になった彩香は、目線を相手からそらし、自分のグラス
を取る。喉を潤すでもしてないと、何だかくすぐったくてしょうがない。
「普通は先生付けなので……」
意地悪そうな表情になった上田。
「お気に召さないのでしたら、やめます。それよりも、返事をお願いしますよ。
まあ、こちらをがっかりさせるような返事はなさらないものと、信じています
が」
「……そう言えば、どうして私に?」
彩香は、これまでほとんど接点のなかった出版社からの原稿依頼について、
少し心に引っかかっていた。
彼女の問いに対し、上田は待ってましたとばかりに答え始める。
「それはもう、決まってるじゃないですか。新崎さんの人気が凄い、それに尽
きます」
「そんなこと……」
「いやいや、ご謙遜を。若い内は多少、生意気な方がいいんですよ。と、これ
は脱線。実は、うちの出している『ジェネリ』でアンケートしたところ、『今
後、作品を読んでみたい作家』の一番に、新崎さんが選ばれまして」
「『ジュネリ』って、あの雑誌の?」
「はい。新崎さんも読んでいるんじゃないですか?」
「え、まあ、ときどき」
聞き返されて、慌てて答える彩香。別に嘘ではない。『ジュネリ』は中高生、
特に女子の情報誌としていい線行っている。ただ、買ってまでは読んでいない。
クラスメイトのを回し読みするか、立ち読みする程度ということ。
「それは光栄。帰ったら、『ジュネリ』編集部に伝えときます」
「そのアンケート、本当に……?」
「本当です。だからお願いしますよ。僕としても、新崎さんから英俊社への初
原稿を勝ち取った編集者だと、鼻高々になれますしね」
冗談めかして言う上田。何度か手櫛で髪を直しているが、愛想笑いばかりし
ているせいか、すぐに崩れてしまっている。
間を取ってから、彩香は言った。
「……みんなが読みたいと言ってくれてるんだったら……」
「じゃあ、決まりだ」
手を軽く打つ上田。ぽんと乾いた音がした。
「どのぐらい、枚数をいただけるんでしょう?」
「こちらとしては、五百枚から千枚を予定しています」
「書く時間は、どのぐらいに……」
「まず、ドラマの関係で、大ざっぱな筋はなるべく早くお願いします。実際の
執筆期間は、よそとの調整もあるでしょうから、そうですね……短くても二ヶ
月ぐらいにはなるかと。夏休みの辺りに、ばーっと書けるでしょう?」
「はあ。多分」
他人事だと思って、気軽に言ってくれる。こちとら女子高生、長期休暇でな
くたって予定はある。
彩香はそんな気分の一方で、久しぶりに書き下ろしで長編を書かせてもらえ
ることが、素直に喜べた。このところ、純幸出版を初めとする三社の雑誌連載
を抱えていて、長編を書くどころじゃなかった。けれど、その純幸の連載がも
うすぐ終わる予定。そこへ今度の依頼。引き受ける誘惑に駆られても、ある意
味で当然と言えた。
「期待していますから。しばらくの間はとりあえず、あらすじの進捗状況を電
話で聞かせていただくことになると思います」
「はい」
「じゃ、まあ、頑張ってくださいよ。これから、うちともいい仕事ができるよ
うにありたいね」
にこにこしている上田を見て、彩香は思った。締め切り間際のときも、こう
いう顔してくれるんなら助かるんだけど……と。
その少女は書店に入るなり、文庫本のコーナーに向かった。「純幸社・F&
M文庫」の札を見つけて、その前に立つ。
本は作家の名前の順に並んでいるらしかった。少女は水平方向に何度か目を
走らせ、やがてお目当ての作家の名を発見。
一冊、文庫本を手に取る。表紙はパステル調のイラスト。髪の長い女の子が
微笑んでいるところを、高みから見つめる黒い影。そんな構図に被せるように
タイトル−−『僕はこの星で殺された』。
裏表紙の折り返しを見る。まず顔写真。こちらはショートカットの女の子。
続いて作者紹介の一文がある。
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新崎彩香(にいざき・あやか) 一九八一年七月二日生 蟹座 B型 **出身
一九九五年、「僕はこの星で殺された」(小社F&M文庫)で第二回F&M
賞大賞を受賞し、デビュー。受賞作はサイコホラーに多重人格サスペンスを加
味した傑作と絶賛。作品は他に、特別な運命の女・ルリを描いた「炎の魔女」、
記憶喪失サスペンス「何も知らない」、連作物のユーモアファンタジー「胡桃
亭奇譚」(いずれも小社F&M文庫)等がある。サスペンス小説の旗手として
活躍が期待される。
趣味は某アーティストのコンサートに行くことの他、色々なスポーツに挑戦
するのが好き。今夏にはパラセーリングへのチャレンジを計画。
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今度新たに刷ったせいだろう、紹介文も新しくなっていた。
「やっぱり、ない」
少女のつぶやき。その表情は先ほどと比べ、若干曇ったように見える。
それから少女は、新崎彩香名義の小説をあるだけ調べた。だが結局、表情が
晴れることはなかった。
最後の一冊を持っていた少女の白い手が、慌ただしくページをめくり始めた。
すぐに目的のページは開いた。書いてあるのは、「ファンレターはF&M文庫
編集部・新崎彩香係まで」という一言。その下には編集部の住所が記してあっ
た。
「嘘つき」
少女はきつい声でまたつぶやくと、勢いよく向きを換え、店の外に飛び出し
ていった。
頭がかくんとなって、彩香ははっと意識がはっきりした。
(や、やばい)
眠気は吹き飛んだ。横目で、ちらちらと周囲を探ってみる。
(……よかった)
幸い、先生は彩香よりも後方を、テキストを読みながら歩いていた。彩香が
船を漕いでいたところを見てはいないだろう。
クラスメイトも、ほとんどは気付いていないみたい……と思っていたところ
へ、背中につんつんと妙な感触。肩ごしに小さく振り返れば、後ろの席の成美
がにやにやしている。さっきの感触は、シャープペンシルでつつかれたものら
しかった。
寝てたでしょ?−−そんな形に成美の口が動く。彩香が舌先を少し出して返
事すると、「あとちょっと、頑張りなよ」と口を動かし、成美は時計をこつん
と叩いた。
彩香は前を向いて、自分の時計を確かめた。
(残り十分か。早く終わって)
心の中、祈る彩香。窓から差し込む陽光は、ぽかぽかと暖かかった。学期始
めの席決めでこの席になったことを、彩香は恨めしく思った。
午後の授業という苦行二時間を終えて、伸びをする彩香。あとはホームルー
ムだけ。終わったらすぐに帰って、続きを書かなきゃ。そこへ。
「大丈夫?」
成美が聞いてきた。
「ん、まあね」
授業が終わると眠くなくなるのはどうして。そんなことを考えながら、彩香。
できれば、少しでも眠っておきたいのに。
−−続く