AWC 【言い草】(2)二羽岡 一彦


        
#3038/5495 長編
★タイトル (AZA     )  95/ 4/29   7:38  (189)
【言い草】(2)二羽岡 一彦
★内容
 今夜もまた、おれは自宅の安アパートの机に向かわなければならなかった。
 おれ、名を西野尚之。歳はもうすぐ二六。独身。妻なし、彼女なしのひとり
暮しの男の部屋の状況は、あえてここでは詳しく説明しない。分かるひとにし
か知りようがないからだ。ただ、状況というより惨状といったほうがぴたり当
てはまるとだけ、記しておく。
 その部屋の隅、スチール製の薄汚れた机の上には、幾つかの言い草の<苗>
と、一冊の本が置かれている。この組合せはここ三週間すこしも変わるところ
がない。
 本の表紙には、白地に赤い文字で『あなたにも簡単に育てられるスペルグラ
ス・入門編』と銘打ってある。
 スペルグラスとは我々がいうところの<言い草>のことだ。ちなみに言い草
とは世間一般に通る俗称で、正式名はスペルグラス、学名をスペルナート・カ
デン・アルカス。分類はサボカデン科に属する。スペルナートというのはどこ
やらの国の言葉で、<しゃべる者>を意味すると聞いている。
 スペルグラス−−言い草−−究極の護身術を身につけた植物。
 自然界には、数多くの動物や昆虫が己の身を危険なものから避けるために、
実に様々な方法を身につけてきた。そのひとつに擬態というものがある。例を
挙げるまでもないが、ナナフシがそうだ。自分の体を木の枝に見せかけ、敵の
目をあざむくことで身を護っている。
 ところで自然界の頂点に立つ生物は、議論の余地を拒めないが、概してヒト、
人間だというのが通説である。その力は微弱ながら、知能という武器をふりか
ざして自然と格闘する(矛盾に満ちた)生き物−−その人間に護ってもらうの
が、どこぞの広告のコピーよろしく、「いちばん安全かつ確実」だ。
 なにしろ彼らは生命のない鉄屑やプラスチックの塊、はては地面の上に延び
る見えない境界線にまで、所有権とやらの約束事を定めて管理しているのだ。
気に入られれば、きっと人間は自分たちの手もとに置いて大切に育ててくれる
だろう。これ以上ない防護壁の中で、さらに生きるのに必要な栄養分もちゃん
と供給されるとなれば、これを利用しない手はない。幸い彼らには変わったモ
ノを好む性質があるから、自分たちには都合がよい。
 しかしこの言い方は、かなり擬人的に誇張しすぎだろう。現にこれらの説弁
はマスコミや週刊誌によるものである。
 残念ながら言い草には知能といったものはない。分類学上も、単なる植物の
域を出ないのだから当然だ。こうなったいきさつは、それこそ突然変異、ただ
の偶然にすぎない。突然変異は偶然の過程ではないと主張する学者たちはさて
おき、他の生物学者もこの言い草の<進化>を説明できないまま今日に至って
いる。世の中どうなっているわけでもなく、だいたいこんなものなのだ。
 しかしその構造については、すでに解剖・研究済みだ。
 それは一見して、旗のように見える。人の指くらいの太さの茎のてっぺんに
一枚だけ葉がついていて、その表面にこれもひとつだけ大きな、ひと目でそれ
と分かる<気孔>が開いている。葉と気孔がひとつしかないことを除けば、生
命維持活動は普通の植物と何ら変わらない。水と養分と光をもとに、二酸化炭
素を取り入れて光合成をしては、栄養分を作って成長する。もちろん夜の間は、
気孔から酸素を取り入れて呼吸をする。
 言い草が他の植物とおおいに異なる点は、その師管にある。かなり太めの茎
のいちばん根元、ちょうど地面と同じレベルのところは少し膨らんでおり、そ
の内部には袋状の組織細胞が収まっている。その袋に届くまで、気孔から空気
を通す気管がぴしりと一本伸びているのだ。根から吸い取った水分が導管を通
り、袋の表面にびっしりと張り付いた網細管を走る抜けるとき、生じる圧力の
差を利用してその袋は収縮する。……そう。まるで植物の<肺>だ。
 ただひとつを数えるだけの葉の表面には、これもひとつだけ、ギロリと気孔
が開いている。その奥には弁がついており、複雑に入り組んだ構造をしている。
そのいつもほんのりと湿った弁は、<肺>によって空気が気管を通して吐き出
されるとき、音を発する。これはもはや<声帯>である。
 しかしながら呼吸をするたびにしゃべる訳ではない。朝から昼にかけて、長
いときで二時間に一度、短いので一○秒に一度の間隔で言葉を発するが、例に
よって、まだ理由は明らかにされていない。
 また、どの言い草も同じ音を出すわけではない。その個々の育つ環境により、
しゃべる<言葉>は違ってくる。言い草が育ってゆく過程で、弁もゆっくりと
成長し、形成されてゆくが、周りを取り巻く空気の振動に合わせて弁が調整さ
れるからだ。なぜ調整されるのかは、やはり今のところまだ解明されていない。
ある学者は、「周囲と同じ音を出すことで、ある種の外敵から身を守っている
に違いない。それは音を伴う擬態、いうなれば擬声だ」などと言い、ある学者
は「効率よい呼吸を行うための固有のリズムをつくりあげているのだ」と説明
する。いろいろ言いたいことを言っているようだが、結局謎のままである。
 謎であるが、我われ一般人にとって、もはやこれ以上の説明は不要である。
 声は空気の振動である。それをずっと聞かされ育った言い草は、その空気の
揺れを憶える。呼吸をするたびに、憶えた空気の揺れ、<声>を再生する……。
そう。言い草は声を<記憶>し、<しゃべる>のだ。
       (参考文献:『観用植物図鑑56・言い草』全国植物研究会編)

「部長。あなたの行動力がなければ、この会社もここまで発展しなかったでし
ょう。今日のわが社があるのは、ひとえに嶋本部長のおかげです」
 時刻は夜中の二時。
 安アパートの部屋の中、おれは半分しか開いてない目で新しい苗をにらみな
がら、そうつぶやく。
「部長。あなたの行動力がなければ、この会社もここまで発展しなかったでし
ょう。今日のわが社があるのは……」
 思えもしないこんな言葉をつぶやくのも、いったいもう何回目だろうか。ゆ
うに数百回は越えている。つぶやくたびにそんな訳ないだろうと反論すること
にもいい加減疲れてきた。眠い。
 おれ……何やってんだろう?
 田舎の母さんは、いま何をしてるだろう。二時。そうか、もう寝てるよな。
 すごく楽しかったなあ、大学生活は。ああ、なのに、何で会社でこんなこと
してるのだろう? 何がいけなかったんだろう? 小学五年生の時のカンニン
グだろうか? でもあのときクラス中の大半がやったんだ。おれだけじゃない
ぞ。それとも中学三年の春、倉橋とかいう奴をいじめたからなのか? でもあ
のときクラス中の大半がやったんだ。おれだけじゃあないぞ……。
 いかん。どうやらいけないのは、おれの思考のようだ。
 頭を振って、おれは気を取りなおした。
「部長。あなたの行動力がなければ、この会社もここまで発展しなかったでし
ょう……」
 夜は静かに更けてゆく。

 残念なことに、たとえどんなに心を砕いて世話をしたからといっても、言い
草が順調に育ってくれるという保証はどこにもない。こればかりは育ててみな
ければ分からないのである。事実、それをおれは何回も目に、いや耳にしてき
た。
 植物学者によれば、人間の声をうまく再生する確率は、育て方にもよるが、
最大限努力してもおよそ五パーセント。苗を二○個育てて、ひとつうまくゆく
割合になる。しかも大変に手間がかかる。
 スペルグラスが弁を調節するのは、夜二三時から翌日午前三時頃までの四時
間ということが、最近の研究で知られている。それも、光の照射に関係なくそ
うと決まっている。昼の明るいときは箱をかぶせ、夜には光を当てて、弁を調
整させる時間帯を変えようとしても、それはまったくの無駄である。必ず夜中
に語りかけなければならないのだ。もはや言い草が正確な体内時計を持ってい
るとしか説明のしようがないが、そんなことは会社勤めのサラリーマンにとっ
ては実に迷惑なことである。しかも、複数の人間が交代で同じ言葉で話しかけ
たとしても言い草はまったく憶えようとしないし、一日でも語りかけるのを忘
れれば、うまく育つ確率が一パーセントを割るという。さらに言えば、テープ
レコーダの類では成功した例がひとつも報告されていない。自然発生の声でな
ければならないのだ。さらに、同時に複数の苗を育てようとすれば、必ずその
うちのひとつを残して、後はまったく成長しようとしない。距離にして五メー
トル以内に近寄るとそうなるらしい。いったい、どんな力が作用しているのか?
 これについては学者たちの熱心な研究の結果、導かれた見解が一致している。
「まさに、大自然の神秘である」
 世の中だいたいこんなものである。

「ぶきょう。うあなナコン、ナだがこのコタシシナカタ……」
 と、成長した言い草は唄った。
 そのすばらしい語り口に、おれは溜息をつかずにはいられなかった。
 午前五時。アパートの外はもう朝を迎えていた。
 あれからすでに六日が経った。このところほとんど寝ていないが、そんなこ
とはどうでもいい。ひとつの言い草の苗が立派に育つには、少なくとも一二○
時間が要る。植物にしては驚異的だが、それでも約五日かかるから、部長の指
定した期限の二週間には、あと八日しか残されていないことになる。
「ブキョユアナナコンナダバコノコッタシシカ……」
 おれがあれほど教え込んでやったのに、はじめてしゃべった言葉がこれだ。
こいつに費やした夜中の四時間、六日分、総計二四時間はどうしてくれるのだ?
丸一日間、おれは眠い目を擦ってはずっと話しかけてやったことになる……。
第六日目、午前五時一五分。はじめて倣した外界の音がこれか……。
「ふ」
 軽い笑みがこぼれたが、このときのおれはきっとすさまじい形相をしていた
に違いない。
「不器用なアナコンダはパンナコッタか……」
 つぶやいたおれの指が静かに、そして確実に、言い草の茎に不自然な圧力を
加えていった。
「へぐっ」
 と、茎が九○度に折れ曲がり、言い草は息をひきとった。
 あと八日。時間的に、チャンスはあと一回きりだ。次が最後。ほとんど憔悴
しきったおれの眼が、次の出番を待つ小さな苗に向けられている。正直なとこ
ろ、苗のほうも迷惑に違いない。うまくしゃべることが出来なければ、こいつ
も息をひきとることになる……。
 視線を戻し冷やかに見下ろす眼の前の気孔から、気味の悪い泡が、ちろちろ
とのぞいて見えた。

「西野君」
 声がして、おれはハッと我に返った。
「いえ。えっと、バニラとストロベリーのミックスです」
 と、おれは言った。
「はあ?」
「……は?」
 おれはあたりを見回した。
 周りでは、ワイシャツ姿の男たちが忙しく立ち働いていた。何人かの男たち
はデスクを囲んで激しく言い合っている。目にしみるのは部屋中に充満する白
い煙草の煙。耳につく喧騒。けたたましい電話のベル。
「? おかしいな……」
 さっきまであった大きな観覧車がない。派手なメリーゴーラウンドもないぞ。
でもざわめきは同じだな。あ。あのジェットコースター、もう一回乗るつもり
だったのに。うん……そうだ、おれは売店の可愛い女の子からソフトクリーム
を買わなかったか? 二五○円。バニラとストロベリーのミックスだ。
「……西野君」
 もう一度声がして振り向くと、嶋本部長がおれを凝視していた。顔には嘲り
が張りついていた。それがにやりと笑った。「楽しい夢だったかね、西野君?」
 夢? そうか、夢か……。そうだよな。あれは遊園地だった。もう何年も遊
びに行ったことがないような気がする。……最後に行ったのはいつだっけな。
中学か、いや小学校のときか。懐かしいな。
 でも、おれひとりじゃなかった感じがする。おれのとなりに誰かいた。ひょ
っとしてそれは、女の子じゃなかったか?
 おれは反射的に振り返っていた。クスクスと微笑む可愛らしい顔があった。
「かみえだ、たかこ」
 思わず口走っていた。そうだ。この娘と遊園地に行ったのだ。そこで一緒に
笑い、いろんなおしゃべりをしたのは、確かにこの女の子だった。
 上条孝子はいきなり自分の名をささやかれて、ちょっとびっくりしたようだ。
「……西野」
 部長の目が鋭くなった。妻に愛人がいるのを知られてしまったこの男、実は
自分の秘書、上条孝子も狙っているのだ。ついでに言えば、会社の同僚の何人
もの男が何度も彼女に言い寄っていた。そしてことごとく沈んでいる。噂では、
特定の男はいないということだが。
「いま、何と言ったのかね。え、君。仕事中に居眠りするとは、どうゆうつも
りか。……ま、その様子じゃ言い草はうまくいっていないようだな。せいぜい
次の査定を期待することだな。……おい、君、聞いて−−」
 このときおれは部長の言葉をはっきり無視していたようだ。
 おれの意識は、自宅の机の上で深夜の特訓をひっそりと待つ言い草のことで
いっぱいになっていたのだ。今度ばかりは順調に育っていると思うが、期限は
あと三日。三日しかない。失敗は許されない。
 一点を見つめるおれのすさまじいばかりの眼光に、部長は怯むように後ずさ
りした、と後になって同僚の狭川から聞いたが、そんなことはもうどうでもよ
かった。
(3へ続く)




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