#3037/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 4/29 7:35 (117)
【言い草】(1)二羽岡 一彦
★内容
「何だ、その言い草は」
と、嶋本部長は今日も同じ台詞をくり返した。
「はあ。どうもすみません……」
部長のデスクの前で恐縮(のふりを)して突っ立っているおれもまた、今日
も同じ返事をしなければならなかった。
「西野君。だいたい君は……」
と、部長のお定まりの小言がはじまったとき、問題のその声が割って入った。
「ぶちょうどうもきょうもいいおてんきでごきげんうるるわわしゅうウウ」
やけに耳障りな声だ。部長が顔をしかめるのも無理はない。しかも今度は語
尾が一オクターブ跳ね上がっている。完全な失敗作だ。
「こら、だまれ。もういい」
おれはそいつをたしなめた。
「ぶっちょうどももきょうもいいるル……」
「もういいっ!」
おれはあわてて茎をひっつかみ、ただひとつだけ広げている葉の表面の信じ
られないほど大きく開いた、気孔とおぼしき穴を指でふさいでやった。そいつ
はいかにも苦しそうにングングとあえぎ声(だと思う)を発していたが、しば
らくするとそれも聞こえなくなり、静かになった。
<窒息した>のだ。
まったく気味が悪い。人間の首を絞めるときもやはりこんな感じだろうか、
などと考えると背筋がぞっとした。
「……まったく君ときたら、もうすこしマシな物を育てられないのかね」
おれのそんな行為をひややかに見つめていた嶋本部長は、回転椅子を八○度
右に回転させると、銀色のシガーケースから葉巻を一本取り出して口にくわえ
た。そばに控えていた秘書が、さっとそれに火を点ける。
小気味いい音がして、ジッポーが葉巻の先に火を点けるのと同時に、小さな
炎は秘書の美しい顔を淡く照らしだした。今日は外は雨が降っているために、
照明が灯いていても室内は薄暗い。そのためライターの火が彼女の顔に微妙な
陰影を落とす。それはさながら、見事な銅のレリーフのようだった。
おれはもうすこしこの美しい女秘書の横顔を鑑賞していたかったのだが、ジ
ッポーライターの炎は役目を終えるとすぐに消されてしまった。
どうしてこんなにたやすくタバコに火が点くんだ? まったくなっちゃいな
い。と、おれは理不尽な怒りを覚えた。世の中どうなってるんだ、と憤った。
「おい、まったくとは何事だ、西野君」
部長の声に、おれはハッと我に返った。
いかん。思わず思ったことを口走ってしまったようだ。おれにはどうも独り
言を言う困った癖がある。
「はあ。どうもすみません……」
おれはひらに頭を下げた。
部長は呆れた表情のまま葉巻を吸うと、ふうっ、と紫煙を溜息に混ぜて吐き
出した。
「言いたかないがね、私はおまえみたいな無能な社員を見たことがないぞ。そ
れでよくこの会社に入れたものだな。裏口入社か、親のコネでもあったのかね。
なあ、そう思わんか、上条君」
部長の言葉に、秘書は左手を口もとにあててクスクスと笑った。上条の下の
名は孝子で、<カミエダ・タカコ>という。二三歳になったばかりの若い女の
子だ。
「西野は第二支社入社組だったな。採用した人事課の奴は何かを見間違ったん
だろう。おれだったらそんなミスはしない」
部長はなおも続けた。「まったくなっちゃいないな。おまえみたいな奴が私
と同じ会社に籍を置くとは……世の中いったいどうなっとるんだ」
と、部長はここぞとばかりに言いたいことを言う。おれは部長の悪口雑言な
ど軽く聞き流しながらも、どこかで聞いたような台詞だな、と思った。
「だいたい『今日もいいお天気で』というのがいけない。考えてもみたまえ、
いつもいつも天気がいいとは限らんのだろう。そんなことは一切ありえんのだ。
ちょっと窓の外を見てみろ。誰が見ても今日は雨なんだぞ。毎日が晴れなら天
気予報屋は失業だ。おい、聞いておるのか西野君!」
「あ。はあ……。ええ。はい」
おれはうやむやな返事をした。あわてて視線を秘書から嶋本部長へ戻す。
「西野君」
急に部長は声を落とし、回転椅子を正面、つまり正しい位置に戻して、葉巻
を深く吸い込むと、それを灰皿に置き、両手を組んで机の上に置いた。「本当
に、分かっておるのかね、君は。いいか、これで六回目だが、よく聞くんだ」
部長は噛みしめるように言葉を区切り、おれに言い聞かせた。
「私はな、この机の上に、<言い草>をひとつ飾りたいんだ。それも何か気の
利いた、こう、何と言うんだったかな……そう、ウィットに富んだものをだ。
だがあいにくと、私は部長の身で何かと忙しいんでな。そう、それで言い草を
育てる時間がないんだ」
何が部長の身で忙しいんだ?とおれは憤慨した。
おれは知っている。他の同僚も知っている。東田の奴から聞いたところによ
ると、数年前から部長は愛人をかこっていたが、それが最近妻にバレてしまっ
たのだ。つまり忙しいのは、妻のご機嫌取りのためだ。そんな暇があるなら自
分でしろよ、まったく。
それに、はっきり言ったらどうなんだ、自分ではうまく言い草を育てられな
いのだと。こっちは寝る時間も割いて育てているんだぞ、誰のためにこんな手
間暇かかる仕事をやってると思うんだ−−
「おい、西野君、聞いてるのか!」
部長のしったが飛んだ。
はっと我に返るおれ。
こんな光景を他の社員は、またあの西野が嶋本部長の小言をうけてやがる、
と嘲笑しながら横目で見ているに違いない。
「あ、はあ。すみませ……」
と、おれの形式的な弁解も言い終わらぬうちに、
「ぶっとちょうどどうキョウももるるる−−」
という、水の中で言葉を発したような、かなりふざけた声がした。
<言い草>からだった。
こいつ蘇生しやがったか、とおれは心の中で大きな溜息をついた。そいつは
一度<窒息死>したため、発声気管をイタめてしまってうまくしゃべれず、そ
の言葉はもはや意味をなしていなかった(それにしても仏徒長にドードー教と
は何だろうな)。
にもかかわらず、そいつは気孔から泡を吹きながら、おれが教えてやった言
葉を一生懸命に復唱しようとしている。そのけなげな姿に、おれは感動こそ覚
えなかったが、同情も感じることなく、そいつの茎をグシッと折りつぶし、今
度こそ息の根をとめてやった。
「ふぐっ」
呼吸の漏れるような音がして、とうとうそいつはもう二度としゃべることは
なかった。言い草は息をひきとったのだ。呼吸できなくなった植物は、当然死
ぬのだから。
「さて」
と、ひと呼吸おいて部長は言った。「西野君、君にもう一度頼みたい。だが
安心したまえ、これが最後だ。あと二週間待つ。それでもやはり満足のいくも
のが出来なかったら、そうだな、伊吹君にでも頼むとしよう。いいかね、もう
一度言うが、これが最後だ。がんばりたまえよ、西野君」
そう言うと、もういいから戻ってよろしい、というふうに目とあごで合図を
すると、くるりと後ろを向いた。
おれは内心すくなからぬ憤りを感じながらも、部長の背に(一応)頭を下げ
て自分のデスクに戻った。のろのろとした足取りだった。
「まったく、無能な部下を持った上司は苦労が多いな」
という部長の台詞と軽い笑い声を、おれは背中で聞いた。いや、部長がおれ
に聞かせたのだ。秘書の可愛い微笑みが脳裏に浮かんだ。部長もニヤニヤして
いるに違いない。
まったく、ふざけてる。何が悲しくて、言い草をうまく育てられないのをつ
かまえて無能呼ばわりされなきゃならないのだ。
おれはまたひとつ大きな溜息をついた。
ふと窓の外を見ると、相変わらず外は雨で、おれはいっそう気が滅入ってい
った。
(2へ続く)