#3030/5495 長編
★タイトル (ARJ ) 95/ 4/27 21: 5 (184)
司法神官ドラクーン(4) みのうら
★内容
「こんな地方の盗賊狩りに、司法神官だの、トゥール戦士団だのが出てくるなんて
、妙な話だけど、どうしてなわけよ。教えてもらおうか」
ナイフを血が伝う。細い線を描きながら、銀と赤の縞模様を作っている。背中に
も、血が滲んで来たようだ。なまあたたかく濡れている。
こんなに近くにいる相手に、胸に突き立てたナイフに力を込めている相手に、信
じられないが殺気がない。気配もない。
鉄の冷たい質感が、熱い。
右胸が、もう一つ心臓が生まれたみたいに脈打っている。
襟首を締め上げられる。
目の前に確かにいるのに、空気のようだ。
吐息を感じる。でも存在感がない。
確かな質感を持って胸から生えた鉄塊の、その延長線上に気配がない。
ルースは、通常の五感よりも、それ以外の感覚器でものを認識する。
だが、その部分にも、響いてこない。傷のためだろうか。それとも、達人ってや
つなのだろうか。
武術を極めた人間の、無我の境地ってやつなのか。これが?
「しゃべりたくなけりゃ、ちょいとこの刃をひねってやろうか。」
声は聞こえる。姿も見える。
その手に力が入るのも感じる。
けれども何だろう。この奇妙なギャップは。
どこか、覚えがあるような……。
ふいに、胸の支点が消えた。
勢いよく引かれて、足がよろめく。膝を付く。が、倒れない。
倒れてたまるか、と、急に思いが浮かび上がった。負けたくない。相手が何者で
あろうとも。
それは、本能にも近い感覚だ。
目的の女が目の前にいる。なんとしてでも確かめなければ。
赤がしたたるナイフを下げて、彼女は存在する。
幻。いや。違う。
普通の人間に感じるような、感情の起伏の流れが、ごくわずかだが、ある。
では、人間か。人間離れしているが。
喉の奥に、甘ったるい、あたたかい匂いがあふれる。
久しぶりだ。こんなに無様な姿をさらすのは。
視界が、揺れる。
久しぶりの大怪我で、身体もショックを受けているのか。早くも目に来た。
黒いティシュタルは、その名の通り黒い瞳で見下している。少年の姿をした司法
神官の前髪をつかんで、角を隠した帯を解く。
顎を捕まれ、興味深そうに眺められる。
目と目が合った。
よく見えない。相手は、小さな灰色の角から濡れた肩と胸、爪先まで眺め回して
いる。視線に洗われているのが解る。
片手に小さな身体をぶら下げ、もう片方の手で、頭の角を探っている。
黒い瞳孔が鏡になって、獲物を映す。
でも、気配は相変わらずだ。希薄な、何か……でしかない。何故だろう。こんな
特徴を持つヒューマノイドは、さしあたって記憶には存在しない。
「一角獣とは、めずらしいね。エルフの一族は、初めて見た。」
そりゃあそうだろう。
エルフは大抵、どこの神殿でも奥深くしまい込んでしまう。彼らは長寿だが、決
して不死ではない。
風にも耐えぬ、なよやかな風貌のものがほとんどだ。身体も、決して強靭とはい
えない。
「噂には聞いてたよ。司法神殿に、書記じゃない、一角獣の神官がいるって。一角
獣ってのは、こんなによく動く種族だった?」
まさか。一般にエルフと呼ばれくくられている、特殊能力を持って生まれる亜人
類の、一つの分類にすぎない一角獣種の、その一人であるわけがない。
帝都の主神殿には、どこでも書記や史学神官に一角獣をあてている。
長寿と、優秀な記憶力と、頭に小さな角が生える事だけが、一角獣種の特徴だ。
角が二本あれば、ミシャルー神殿の目録に二角獣の項目がつけ加えられるだろう
が。
「さあ、言いな。なんで、おまえたちあたしを狙う。普通の盗賊相手だったら、お
まえたちなんか出てこないはずだ。さあ!」
もう一撃加えられたいかとナイフを突きつけられた。
どうやら、本心で言ってるらしい。
急に、ここまで足を運んだ苦労と期待が水泡に帰したのだと気が付いた。
心臓が脈打つ音がやけに大きい。痛みを伴っているからだ。痛みを。
ばからしくなった。
失望した。
期待は見事に外れた。
彼とおなじもの、または彼に近いものならば、その身体にに触れ、瞳をのぞき込
み、その正体に気付かないはずがない。
こいつが何者であろうとも、ルースの望んだ者ではない。
長い螺旋の歴史の中で、偶然生まれた、多少エルフの能力を残す、ただの人間だ。
気配も存在感も感じられない、空気みたいな。
すばやいのと、殺気を全く持っていないので、他人より有利にコトが進められた
、ただそれだけなのか。
ああばからしい。期待して損した殺してしまえ。
生かして連れ帰れば喜ぶ輩が大勢いるが、それより自分の失望を解決するのが先
だとルースは勝手なことを考えた。
要するに八つ当たりだ。
後の手続きは面倒だが、今この時の方が面倒だ。
どっちにしろ、肩の再生をしなくちゃならない。このままじゃ、後続が追いつい
てきて大騒ぎになる。
短気は一生直らないと、半世紀前に先輩の神官に言われたルースだ。
死人に口無し。見られたってかまわない。
そうと決まれば。
「ほら、答えろよ!」
頭を思いっきり捕まれた。それも、角を支柱に、親指をかけられて。
ぼろ、とあっけなく角が取れた。
「おっ……とおっ!」
これにはさすがにティシュタルも驚いた。
とっさにこぼれる灰色の小片を受けとめようとつい手を伸ばす。
チャンスだ。
驚く女を力一杯突き飛ばす。それくらいの力は出た。
「まだそんな力があるか!」
叫んだようだがうまくひっくり返った。敵の油断を嘲笑う。
右胸の裂け目から指を入れ、一気に服を引き破る。
ねばつく血のおかげで大して破れなかったが、それでもメダルを出すには充分な
裂け目が生まれた。右手をつっこむ。
「黒いティシュタル!」
気合い一発、大声で叫ぶ。が、声に力が込められない。
快調な時なら、声に圧力を込めて、相手の動きを止める事だってできる。今はだ
めだ。
「ティシュトリヤ大公家の依頼によって、おまえを逮捕する。大公家の守護祖神た
る、ティシュタルの名を使って働いた盗賊行為が、その理由だ。司法神アストレイ
アの名において、」
「馬鹿なことを!理由はそれだけか!」
ナイフが光る。だめだ、まだ、手のひらの真ん中に、石が合っていない。
胸を薙ごうとした切っ先が、銀の鎖を引っかける。
「あっ!」
じゃりんとメダルが滑って、偶然にもぴたりと位置に納まった。
鎖を挟んで、にらみ合う。
「名前だってえ!そんなつまらん理由で、あたしを追いかけ回したのか」
「そうさ。それがお貴族さまってものだろう。神殿さえも逆らえない」
「殺してやる!……わあっ」
ぱあっと光る、メダルに視界を奪われて、ティシュタルがひるむ。
にわかにみなぎる力まかせに、鎖を引く。よろけた足を、強風を起こしてはらう。
さて、これで何も起こらなければ−−
「妙な術を、使いやがる……」
転んだはずみに切ったのか、頬から流れる血を拭う。
さあ、見ろ。
額に浮かぶ三重円を。
メダルを握りしめる。
その腕の付け根で、じゅくじゅくと音を立てて、細胞が増えて行く。
砕けた骨が、元の位置に納まろうとうごめきまわる。
胸が熱い。
痛い。
急いで痛覚を切り放すが、感触が痛い。
熱をおびた身体が、少々重い。
今ティシュタルが、彼を見た。油断のない視線。月並みな言い方だが、野生動物
のような鋭さがある。ナイフをかまえ、突然の事態に戸惑いながらも油断なくこち
らをうかがっている。
大きな目を細め、視線が動く。
額で止まった。
さあ。
「なんだ、その、赤いのは」
「はあ?」
「角が取れて、血が出たのか。見た目だけだって解ってても、子供を殺すのはいい
気分じゃないな」
そうじゃなくて。
「だが、おまえを帰せば、また来るだろうし」
「違うだろうっ!」
目にも止まらぬ勢いで詰め寄る。血まみれの右手で相手の喉を締め上げ、いやも
っとも手が小さいから締め上げきれないが、左手で自分の前髪をつかみ、額を突き
つける。
「もっと、他に、言うことがあるだろう!身喰い蛇とか、ドラクーンとか、ブラッ
ド・サークルとか、ユニットとか……」
身体が宙に舞った。まだしゃべってるのに、なんて奴だ。ルースは払い飛ばされ
た。
くるりと回って着地。
鉄杖が近い。勢いで飛びつく。小石が飛んできた。いい勢いだ。
拾った小石を、親指で弾いている。昔なつかし指弾てやつだ。
「変な奴だな、おまえは!」
ナイフの打ち込みが来る。だが今度は肩では受けない。鉄杖の輪で受け、払い、
突いた。
この程度なら勝てそうだ。いや、勝てて当然。
自分が速くなったからか、相手が妙に鈍く感じる。打ち込みに鋭さがない、よう
な気がする。考え過ぎか。
相手武器の歯をこぼすように受け続ける。いい感じだ。
敵の速度、力、能力を計算し、こちらの思うように戦いを進める。腕は鈍ってい
ないようだ。
全力は出さない。半分は治癒に当てる。全力など、出す必要もない。
遊んでいても時間の無駄と、一気にケリを付けるべく強めの突きをティシュタル
の左胸、下あたりに出す。
「か、はああっ」
奇妙な絶叫を上げて、敵は地に伏した。充分なショックだ。しばらくは立ち上が
れまい。
身体を抱いて転げ回る獲物に、最後の一撃を加えるべく、足を踏み出す。
やはり、頭を割るか。身体が死ぬだけでは、安心できない奴も時々いることであ
る。
風に乗って、ざわめきが聞こえた。森の方も始末がついたらしい。
胸のメダルに手をやり、額の印を消す。もう普通の力で充分だろう。傷も、流れ
た血が怪しまれない程度に回復している。
「気の毒だけど、死んでもらおうか」
月並みな台詞とともに、凶器を振り上げる。殺人に対して特に感慨はない。心に
、禁忌とするものもない。
振り下ろす。
「なんとおっ!」
手負いの虎が猛然と反撃した!
眼前に、石つぶてが来た。まさかの反撃!計算違いのタフさだ。
その上。
転がりざまに、赤ん坊の頭くらいある石を振りかざし、ルースの頭めがけ振り下
ろした。この怪力で落とされたら……。
「あ……わあああっ!」