#3029/5495 長編
★タイトル (ARJ ) 95/ 4/27 21: 3 (186)
司法神官ドラクーン(3) みのうら
★内容
燃える額に指先で触れ、目を閉じ、両手を前に差し出す。
額のしるしを中心に、頭の中でなにかが固く澄んでゆく。
自分自身が額を支点に、透明になる感触。風景に融ける、とでも言うのだろうか。
気分がすばらしく良くなって、何でもできるような気になる。
額の熱は全身に回り、頬がうっすらと上気した。
ルースの機能の中に、情報支援部分は決して多いわけではない。が、この程度の
場所設定で生命反応の一つも見つけられないほど無能ではない。額の三重円はその
証拠だ。
意識が拡散する。広がるだけで、散漫にはならない。あくまで鮮明だ。
霧のように広がって、岩肌を洗う。通常の視界とは異なる世界を、意識は探って
行く。
この間、彼の身体は無防備になる。知らない者が見たら、眠っていると思うだろ
う。立ったまま眠れるならば。本来なら、誰かに身体を守ってもらいながら行うべ
き行動だが、仕方がない。彼と同じものは、ここにいないのだから。
耳を澄ますのに良く似た方法だ。意識を、全てに向かって向ける。
意識の隅に、ざわめきがある。点滅する光と影だ。残してきた兵士たちだろう、
調子良くやっているようだ。一回り大きな光はあの、トゥールの隊長だろうか。彼
らしい赤みをおびて、活動的な光。
熱と動きと、思考。それらを意識の外で処理し、意識の内に還元させるとこれら
の光になる。動植物は除外するように設定してあるので処理の範囲外だ。
意識の流れを変えてみる。方向は、もちろん山に向かって、だ。
岩だけが転がる、荒れた景色を意識の霧で覆う。向こうの長い灰色の帯は、古い
登山道だろうか。新しい登山道は、このあたりにはない。
目眩に似た感覚にとらわれた。拡散した意識のコントロールは難しい。
焦ってはいけない。本業でない作業の最中は、精神崩壊の危険がつきまとう。少
しのミスが命取りだ。
少しづつ、だが確実に、正確に……
「!」
意識の一部が、反応した。
一気に、その一点に集中する。
発見した?そう、これだ!
ぼうと明るい光を放つ生命反応。森での戦いが霞む銀河の輝きなら、これは新月
夜の天狼星だ。
暖かい。温度を感じるわけではないが、その輝きをそう思う。これは、かなり強
い生命だ。「ティシュタル」の名にふさわしい輝きがそこにある。
現地点から、北西、ちょうど山の頂上に向かう形で生命反応はあった。通常の人
間とは思えないほどの強い光。
これほど強い生命反応は、久しく感じた事がない。もう何年もだ。胸の奥の「あ
る予感」が、膨らむのを押さえきれない。
ルースは意識をかき集め、急いで身体に駆け戻った。光は、古い登山道に向かっ
て移動を始めている。急がなければ追いつけない。
姿を「見た」わけではないから、目標がどんな人物なのか、見分けることはでき
ない。
追跡が長引き、万が一でも人気の多い場所に逃げ込まれたらおしまいだ。人前に
この額を曝すわけには行かない。曝す危険を犯さなければ、ティシュタルを発見で
きないだろう。
現在の地位や立場の全てを捨ててまで、「ある予感」に運命を預けることはしな
い。今の地位は苦労して築いた。それに仕事も気に入っている。
最低限の秘密漏洩で、長期間の居場所を確保するのはそりゃあ大変なことなのだ。
とりあえずもう一度全ての意識を身体にかき集め、例のメダルを取り出し同じ事
をする。
石が輝き、額のしるしは静かに消え去る。
盗賊といえど、司法神官の立場ではそう簡単に殺せない。殺してバレればめんど
うな手続きが発生する。
司法神官はその名の通り法を司る。裁判なしで殺すなどとんでもない、という建
て前が一応あるからだ。もちろん例外も色々あるし、見つからなきゃいいんだろう
と豪語する悪人もいるが。
とにかく殺せない相手に、重大な秘密を見せるなんて、もってのほかだ。
額に触れ、磨き上げた鉄杖を鏡にしるしが消えたのを確かめ、ルースは走り出す。
走りながら、鉄杖を背に戻す。
額の刻印が消えても、ルースの運動能力は常人のそれをはるかに越える。小柄な
身体は、まるでしなやかな鞭のようだと誰かが言った。
決して長くない鉄杖は、彼のもう一本の手のように操られ、細い下半身から繰り
出す蹴りは、大の大人も一撃で倒す。
その上、森での攻撃を跳ね返した通り、よほどの武器か、腕がなければ彼の身体
は傷付けられない。ルースが望んで傷付かない限りは。
本来いいとこ書記官止まりの亜人類が、強者ぞろいの司法神殿で祭司長の地位ま
で手に入れたのには、この攻守共にすぐれた資質あってこそである。もちろんルー
スはただの亜人類ではなし、他の理由も存在する。
けれどもこの司法神官の礼服より、メダルより、頭の小さな角より、目の前の一
撃が、人々にはよく効のだ。
大地を蹴り、礼服の裾を翻して、先を急ぐ。
敵のスピードと自分の能力から計算すると、そろそろ接触の可能性がある。あれ
だけの生命力があるならば、消耗しているはずがない。ティシュタルとは、お互い
万全の状態で出会うだろう。
予感が、ますます膨らんでくる。いや、これは予感じゃない。ただの期待だ。
長い、長い間独りだった心が、生み出す甘い期待に過ぎない。あんまり期待する
なと自分に言い聞かせる。
登山道に入った。
はるか昔、この山の上に戦神の神殿があった。その参拝用の細い道だ。その戦神
を、トゥール信者はトゥール神だと主張し、ティシュトリヤ信者は自分たちの神だ
と主張している。
今は、立派な参拝道が、別のもっと登りやすい斜面に用意され、季節になれば二
柱の信者で賑わっている。
背の鉄杖を、抜く。
例の予感と期待が、そのとおりのものならば、こんな鉄の塊ごとき相手はへでも
ないだろう。
スピード落とし足を止め、今度は五感を使って気配を探る。
「……あれ?」
もう一度、探ってみた。が。
ない。
気配が少しも感じられない。
こちらの想像を上回る早さで移動しているのか。それとも。
待ち伏せされているとは考えにくい。こっちも気配は消している。
ペースを上げて追いつかなきゃならないが、もしかしたら最初から登山道には入
らなかったのか。
どちらに向かったかの正確なデータが欲しい。
危険は承知でもう一度、メダルを使うべきか。熱源を辿るだけならそう時間がか
かるわけではない。それとも情報処理能力を上昇させて足跡を辿るべきだろうか。
迷った。
瞬間、油断になった。
右上方から射す影が、視界を横切る。
「なんだ、子供か」
声が降って来た。
背中がびくりと震えなかったのが奇跡だ。
握りしめた掌に、じわりと汗がにじむ。
微塵も気配を感じなかった。屈辱だ。脅かされるなんて、何年ぶりの経験だろう。
それも、この距離になるまで気付かないとは。
今さら警戒しても遅いが、ゆっくり顔を上げる。
「よお、何してんだあ」
拍子抜けするほどのどかでまっすぐな笑顔に出会った。
岩の上から、のんびりと問いかけて来たのは一人の女性だ。
ルースの表情筋が勝手にゆるんだ。修行が足りない。考えがすぐに顔に出るのだ。
若い女だ。うまくすれば子供とだまして、相手を油断させられる。今着ている白
い略礼服は、この地方の子供が着ている服に少し似たデザインなのだ。
幸い、抜けてきた森のおかげであちこち破れ、緑の汚点でまだらに染まった。司
法神の紋章を刺繍した金糸もほつれ、元の色を失っている。
見れば相手は、昔見た遊牧民のようないでたちだ。獣の毛で織った荒い布地の服
に、腰には大振りの作業用ナイフを下げている。木の枝を切り払ったり、小動物を
解体したり、ちょっとしたことに使う奴だ。
ただの遊牧民だろうか。本当に?
相手を認識し、観察までしているというのに相変わらず気配はない。
普段、五感以外の機能で相手を認識しているルースには、幻を見ているような感
覚だ。
「おねーさんこそ何してんのさ」
生意気そうな子供を、うまく演じられるだろうか?
それとも殴り倒して……殺して埋めてしまおうか?
それとも、この女がティシュタルだろうか?ならば目的はこの女。しかし違うな
ら、無駄な時間は過ごせない。ティシュタルが逃げる。
この辺りは、放牧を行う種族があると聞いていた。この斜面の向こう側には、珍
しい、薬用の苔や、山羊が好んで食べる短い草なんかが生えている。
彼女も、その一人だろうか。自然と同化して活きるあまり、自然そのものに帰っ
てしまう人間がいないわけではない。
恐れられている魔の森も、荒れた岩山も、彼らにはあまり恐怖の対象とはならな
いのだろう。盗賊も、ここまでは来ないとたかをくくっているのか。
恐れているのは主に、都市の洗礼を受けた人間たちだ。あのおびえた村長などは
代表的な人物だろう。
「なんだ、ちびのくせに生意気だなあ」
ふわりと飛び降りる。しなやかな動作だ。短いブーツで音もなく着地する。
こちらに一歩を踏み出し、微笑んだ。子供を安心させるように。
子供の真似が、通用したのだろうか。
そうだ、あれだけの生命反応を持ちながら、こんなにも気配のない筈がない。
やり過ごして、もう一度石を使わなければ。
民族色豊かな帽子から、黒い巻き毛が幾筋かこぼれている。汚れているが、かな
りの美人だ。
紅い、けれど乾いてひび割れた唇が開いた。微笑んだまま言葉を紡ぐ。
「まず相手の質問に答えてから、自分の質問に取りかかれって親に教わらなかった
のか?司法神官」
逃げた。が、飛ぶより早くナイフが来た。
「あ……!」
油断してたわけじゃない。わけじゃないが対応できなかった。
ナイフと言うよりは鉈だ。重い鉄の塊が、鎖骨を砕き、肩に食い込む。
転がる寸前までに身体を落とし、鉈から逃れる。
間合いを取って対峙する。
しまった。杖を落とした。
もう遅い。
二撃めが来る。
間に合わない。右胸を貫かれる。
肋骨が切断される、いやな音がする。
右の手首までを獲物の血に染めて、彼女が笑う。
右肩を砕いた時の血だ。胸からはまだ大きな出血がない。ナイフが栓になってい
る。この女。
「ティシュタル、おまえが」
台詞は血の泡に隠れて意味をなさなかった。
ティシュタルか。この女がそうか。
「心臓を狙ったのに、よく避けた。さすが。」
生け贄を取り、神々との戦いに勝つ、善の側に所属する神ティシュトリヤの星。
全ての星の中でもっとも輝かしいティシュタルが、黒いという奇妙な名前。
そもそもティシュトリヤは女性ではない。
なぜ、その名を持つのかはわからないが、とんでもない女傑だ。
「一人で来たのか。罠かと思ったよ。でも、誰も応援が来ないじゃないか。ええ?」
ぐい、とナイフを押し込んでくる。
背中の皮を突き抜ける、ぶちりと嫌な音がした。
たいした力だ。使い方もうまい。この軽い子供の身体に、この重く大きなナイフを叩
き込めるのだから。
そして何より、殺気がない。
大抵の武術を使うものは、殺気に対して攻撃を加えるよう訓練されている。司法
神官に伝えられる技や、もちろんルースが学んだ技術においても例外ではない。
殺気がなければ攻撃のタイミングがつかめない。
さて、どうするか。
よほどの怪力でないかぎり、この身体の骨を砕き、肉を貫くことはできない。
それとも、それ相応の武器を使うか。
普通の人間どころか帝国軍人にも等しい実力を持つ、司法神官の中にさえルース
を傷つけられるものなど滅多にいない。
それをこの女は。