#3031/5495 長編
★タイトル (ARJ ) 95/ 4/27 21: 6 (174)
司法神官ドラクーン(5) みのうら
★内容
悲鳴が炸裂する。
それは頭をつぶされたルースのものではなかった。
石は、額に触れたとたん、振り下ろされたのと同じ力で放り出され、転がる。
「な、何だ?こいつは」
彼はなにもしなかった。頭をかばう動作すらしていない。
悲鳴を上げ、のたうち回るティシュタルは、何が苦しくてそうしているのだろう。
大きく口を開け、舌を出し、獣のごとくあえいでいる。
その哀れな様子に、同情しているわけにはいかない。
奇妙だ。
念のため小石を投げてみたが、反応はない。苦しみ続ける。
何があったかは解らないが、今のうちに頭をたたきつぶしておかなければ。
用心しつつ、近寄る。
鉄杖を拾う。
思いっきり、振り上げる。
目が合った。獣の目だ。深く透る。
けれどティシュタルの視線はじりじりと動き、ルースの額で止まった。
視線が交差する。ぶつかり合い、炸裂せずに。
紅唇から覗くかみしめられた白い歯が、彼女の苦痛が去っていないと教えている。
彼女は、頭をかき回す頭痛より、少年の額の印に意識を奪われていた。
最後の最後で、彼は一瞬戸惑った。
が、気を取り直す。
杖を振り上げる。殺すために充分以上の力を込めて。
振り下ろせ……
『やめろ!』
悲鳴が脳髄を打った。
杖は指一本分頭をかすめ、大地に深くめり込み、びしりと亀裂を生む。
「冗談じゃない。正体を見られて、たとえ理解できなかったとはいえ、ただ帰す化
け物がいるわけがないだろう」
ルースは声に出して叫んだ。今度こそためらわず、脅かされず、杖をたたきつけ
るべく握りしめる。
ティシュタルは声の出ないまま、どこからか表れる単語を叫んだ。
『あたしを、殺すと後悔するぞドラクーン!』
「やっぱり気付いてたんじゃないか!死んでもらおうか」
気を取り直して今度こそ杖を……なんだって?
横たわる彼女を、まじまじと見る。
在るのは、夜よりも深い黒い瞳だ。
『後悔するぞドラクーン』
その『音』は、脳髄の最も深い場所をじりりと振るわせ過ぎ去った。
長らく使うことのなかった回線に、流れ込んでくるこの感触。
手にしていた杖は、傾斜を転がっていった。
耳と鼓膜を使って、空気振動をとらえるばかりのここ半世紀だったが。
ティシュタルは苦しむのをやめ、目を閉じ大地に横たわっている。
瞼が時々動くが、それ以上のことはできない。身体が受けたショックが大きすぎ
るのだ。
もし、ルースが期待する原因なら、回復には最低、一時間はかかるだろう。
『後悔……する、ぞ』
悲鳴が、急速にささやきと変化し、消える。
この女は、成人女性の姿をしている。ルースから見ればもちろん、一般常識に照
らしても高い背だ。
手足はすらりと長く、豊満ではないが、均整の取れた体。目を閉じていると、特
に特徴のない、整っているだけの顔。
その額が、ぽう、っと輝く。
額だけではない。両手のひらが、靴を透かして両足首が、白く輝きはじめた。
響いていた声は、もう聞こえない。気を失ったのだろう。
そうか。
ルースはメダルを握りしめる。
石が暖かい。この石も、きっと輝いている。見なくても解る。
白く輝く彼女の額に、メダルをそっと置く。
光は吸い込まれるようにして、青い石に消えた。
*
風が吹いていた。
ティシュタルは黒い髪を風にまかせ、見えるはずのないものを眺めていた。
なぜだろう。
彼女には、見えるはずのないもの、場所、出来事が見える。
そのおかげで、いくらもかからず盗賊団の首領に成り上がったのだが。
今、彼女は一人で、風の向こうを眺めている。
腕を組み、こころもち目を細めて。
見たとおり、神官団がやってきた。村に、神官どもが現れたのを見た彼女は、急
いで配下のほとんどを森に配置した。が、不思議と勝てる気がしなかった。
今まで、一度たりとも失敗した事はなかったのに。
彼女の『見る力』は、俗に魔法使いとやらが使う不安定な未来視ではない。今現
在、遠くで起こっている物事が手に取るように見えるのだ。
どんな厳重な警戒でも彼女は見て知っているから、盲点を突き抜けることができ
た。またどんな屋敷の扉でも、見ているから正しい開け方を知っている。
正確には、目で見るような感じではない。何となく、解るというのか。
何故、そんなことができるのかは彼女自身にもわからない。
彼女の記憶は、一年と少し前この山の、隠れ家で目覚めた時から始まる。
最初の記憶は首領の寝床の中だった。ナイフの冷たさで意識が戻ったのだ。当時
の首領が、どこぞの隊商から奪った彼女を『処分』しようとして引きずり込んだの
だが、一瞬にしてあの世行きになった。罪悪感はなかった。
誰を締め上げても、自分が何者かは知れなかった。
近くの街まで送らせたが、結局帰ってきてしまった。
耐えられなかったのだ。こみ上げる違和感に。
情報量の多い街よりは、シンプルなこの山塞にいる方がましだった。
強い者が認められる。この考え方は彼女になじんだ。
殺人も、強盗も、戦いも、彼女をひるませるものではなかった。楽しませもしな
かったが。
誰かが彼女を『ティシュタル』と呼び、襲われた者たちが『黒いティシュタル』
と伝えた。
おかしいな。
こんなはずではない。
何度もそう思ったのだが、それではどんなはずなのかと言われればわからない。
そうこうしているうちに今日を迎えた。
戦いが見える。木々の間を抜けて、小さな影が疾る。
驚いたことに敵はただ一人のようだ。他の神官は、と見れば、まだ遥か後ろで四
苦八苦している。追いつくには時間がかかるだろう。
小さな影は強かった。たった一人で、彼女の配下をかき回し、その機能を下げて
いる。
やはり勝てる気はしなかった。部下は、一人残らず捕まるだろう。だが特別な感
慨はない。どうも彼女には、身内であるはずの仲間に特別な感情や、愛着を持てな
いようだった。
それだけではない。彼女は、全ての場合において常に希薄な感情しか持ち合わせ
なかった。失った記憶の彼方に、一緒に忘れてきたのだろうか。
意識が戻って、最初にしたのは人殺しだった。
血が噴き出し、首が飛んだのを覚えている。だがそれだけだ。恐怖も、哀れみも
、ほかの諸々の全ての感情が生まれてこない。
思い出せばただ正確に、ナイフを繰り出し、肉と骨と生命とを断ち切った場面が
繰り返される。
そのナイフ、今は重く冷たく腰に下がっている。
それでは、何が彼女を動かしているのか。
焦り、だった。
こんなはずじゃない。
どうもなにかが違う。
おかしいな。
初めは漠然と浮かべていた考えが、今では彼女を縛り上げている。
息が苦しくなるほどに。
そう、こんなはずじゃない。
自分は、こんな所で、盗賊なんかをするために、生きて動いているわけじゃない。
その思いは、鐘を鳴らすがごとくに彼女の頭に鳴り響いた。
それでいいのか。まさか。
誰か、教えてくれないか。
痛いほど強く、鳴り止むことはない。
このままでは、今まで生きてきたかいもなく、頭痛と呼吸困難で死んでしまう。
そんな馬鹿な。
何も出来ないまま、終わってしまうのだろうか。この一年あまり、ただ存在する
ためだけに時間を浪費してきた。
探していたものは、これだろうか。
あたしは、これを探していたのか。
思いだそうとしていたものは。
*
「博士!せんせい!急いで下さい、早く!」
どこか、他の世界から染みだしてくるのだろうか。緊急を告げるその声は、遥か
彼方から響いていた。
けれど、彼の小さい足を包んだブーツの底は、絶え間ない地響きを伝えてくる。
『さあ、行きなさい』
「君を残して、行けるもんか!」
『かまっていただかなくて結構。早くここから去りなさい』
お定まりの陳腐な台詞が交わされるが、本人たちは至って真面目だ。
「時間はないんだ、急いで」
『この身体を見て頂戴。どうやって、ここから出ろっていうの?あなたたちが、こ
こまでにしたのよ。わかって?』
その巨大な窓の彼方に広がる、機械の城塞。
這い上がり、流れ落ち、巻き付き、生き物のごとくのたうつ金属の灰色。
時折覗く、極彩色のケーブル。機械達の集落。
ちらちらと輝くのはパイロットランプの群。照明を落としたその場所は、メガロ
ポリスの夜景を思わせる。
『彼女』の納められたケースはとうにそれらが覆い尽くした。彼女に接続された
全ての機械は、宿り木のごとく彼女を必要とし、租借し、消化し、同化した。
ドームの中に生まれたちっぽけな都市が、その泡を破裂させんばかりに膨れ上が
った。その勢いはますます彼女を圧迫し、つながれる機械の台数は加速する。
へばりついた蔦を無理に引き剥がせば、彼女の脳髄と精神は引き裂かれる。
『私の愛するヴィナスポート。白い泡にも似たドーム都市たち。酸の雨が降り注ぐ
イシュタルの丘。とても捨ててはゆけないわ』
「マルヤム頼む、君のデータを僕にくれ!きっと君を再生させてみせる」
彼は小さな結晶を掲げた。宝石にも似た、うずらの卵ほどの紅い石だ。
「これを使ってここの君と、外部端末を中継させる。僕なら端末には最高のヒュー
マノイドボディを用意できる。それには君の基礎データが必要なんだ。身体はここ
にあっても、君の心は僕と一緒に」
『地球のマグマに飲み込まれるのね』
彼女……今は鋼鉄の都市管理機械と化したマルヤムを代表する立体映像は、思い
出のようなセピア色だった。ケースに入れられ、機械に埋もれる前の彼女と同じ姿
で。
「……けど、そうなるかもしれないけど、ここにいるよりはましだ!金星は見捨て
られるんだ。残された人間はみんな地球に帰る。地下都市を作って嵐をやり過ごす
つもりなんだ。僕はそれに協力する。地球再生計画はもう始動しているんだ」
『あなたが?協力?なんて馬鹿なドラクーン』
少女の映像は口元に白い手をあて、優雅に笑った。哀しげに。