#2977/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 2/21 8:30 (185)
彼女は彼女 5 永山智也
★内容
「おにいちゃん、友達連れて来たけど、いいよね?」
香苗が部屋の前でそんな風に呼びかけると、ゆっくりと扉が開いた。
「ああ?」
ひょっとしたら眠っていたのだろうか、顔を覗かせた男は、しわがれた声を
出した。目もどこか腫れぼったい。
「何度か話したでしょう? 同じ学校の飯島健治君」
「お邪魔しています、飯島です」
香苗の声に合わせて、飯島が頭を下げた。彼女の家族にいい印象を与えたい
のか、いつもに比べて素直な態度である。
「ああ、君が飯島君か。香苗からよく聞かされているよ」
「はあ、どうも」
何と応じてよいのか分からないのだろう、飯島は頭に手をやりながら、その
ように返事した。
「親がどう思っているかは知らないけど、僕はお二人の味方だから。安心して
遊んでいくといいよ」
にやっと笑って、男は背中を向ける。寝足りないとばかり、再びゆっくりと
部屋に戻っていった。
「さ、挨拶、終わり。早く行こ」
「何だか、茫洋とした感じの人だな。寝起きだったみたいだけれど、そのせい
か?」
「普段からあんな感じよ」
香苗はそう言って、自分の部屋のノブをひねった。
「待っててね。何か持ってくるから」
そう言い置いて、香苗はまた部屋を出ると、台所へ向かった。スナック菓子
と飲み物を盆に載せ、部屋への階段を昇る。
半開きになっていたドアを腰で押しながら入ると、飯島がすでにくつろいで
いるのが分かった。
「初めて来た割には、落ち着いちゃってる。つまんない」
大した意味はないのだが、香苗はそう言って口を尖らせた。
「いや、想像通り、女の子らしい部屋だったから」
視線を部屋中に走らせるようにしてから、香苗の彼氏は答えた。そして遠慮
を見せずに、盆の上のグラスに手を伸ばしてくる。
「さすがにアルコールは御法度か」
本気なのか冗談なのか、そんな口を叩きながら、グラスを口に運ぶ飯島。
「ゆっくり飲むのもいいけれど、早く聞かせてほしいわ」
香苗は声の調子を上げ、飯島の前に両膝をついた。
今日、飯島に来てもらったのは、彼が、妙なことがあったと学校で言ったか
らである。その場で聞こうとしたら、誰もいないところがいいと言われたので、
初めて自分の家に誘ったという訳だ。
「私の部屋じゃなくても、飯島君の部屋でもよかったんじゃないの?」
香苗は質問した。今になって、そんな疑問が湧いてきた。
「だめなんだ。妙なことってのは、俺の家で起こったんだから」
「え?」
「折角、初めて香苗の家に来たのに、こんな話で始めて悪いな」
飯島は、およそ高校生らしくない前置きをしてから、その「妙なこと」につ
いて語り始めた。
「最初はいつだっけか……。だいたい、五日ぐらい前だったかな」
「それって、日曜日?」
カレンダーに目をやってから、香苗は聞いた。
「ああ、そうだ、日曜だった。家に置いてあった自転車がパンクさせられてい
たんだ」
「また!」
「そう、また。いつ、やられたのか分からないが、恐らく、土曜の夜だと思う。
前よりひどく、タイヤを切り裂かれるようにされていた」
「そ、それで、どうしたのよ」
「どうもしない。タイヤを交換してパンクを直しただけだ」
「どうしてよ。二回もパンクさせられるなんて、異常よ。きっと同じ人がやっ
たに違いないわ。すぐに警察なり先生なりに……」
必死の表情の香苗に対して、飯島は片手を軽く上げた。
「それだ、同じ奴がやったに違いない。だったら、またやるかもしれないだろ
う? それなら今度はこっちも対応ができるってもんじゃないか。そう思って、
どこにも届けはしなかったのさ」
「……犯人を自分で捕まえたいのね」
「そういうこと。だが、これがうまくなかったんだな。夜中、自転車を窓から
見張るようにしていたんだけど、犯人の奴、一向に現れない。こっちは寝不足
になってしまった」
自嘲気味に、彼は肩をすくめた。
「その上、別のことをやられちまったんだ。俺が学校行ってる間に、犯人の奴、
ポストに火を着けやがった」
「……ポストって、飯島君の家の郵便受けのこと?」
確認する香苗。
「あ、そうだそうだ、郵便受け。そこに火の着いた紙切れを入れやがった」
「大丈夫だったの?」
「おふくろが早めに気付いてね。郵便受けにあった封筒何通かを焼いただけで、
すぐに消すことができたってよ。幸い、その封筒もダイレクトメールの類だっ
たし」
「そう……」
ほっと胸をなで下ろす気分の香苗。が、それが収まると、すぐに怒りの感情
が起こってきた。
「それにしても、ひどいじゃない! 火の着いた紙を入れるだなんて、下手し
たら、焼け死んじゃう」
「興奮するなって」
と言って、飯島の方は、グラスを手にした。つられる格好で、香苗もグラス
を取り、喉を湿らす。
「昼間のことだから、家が全焼するようなことにはまず、なりっこないさ。そ
れよりも俺が気になるのは、自転車をパンクさせた野郎と今度の奴が同一人物
かどうかってこと。まあ、同じ奴だと思うけどね」
「そうよね……。別々に飯島君に嫌がらせをする人がいるなんて、考えたくな
いわ」
「そりゃどうも」
おどけた口調になる飯島。
そんな彼に対し、香苗が膨れてみせると、飯島はすぐに真顔に戻った。
「で、俺が気になった点は、他にもある。自転車のタイヤをパンクさせるだの
郵便受けに火を着けるだのの嫌がらせを受けるようになったのは、香苗とつき
合い出してからのことなんだ」
「ええ? ほんとに?」
思わず大きな声になる香苗。すぐに自分の口を押さえた。
「そうなんだ。実は、パンクの前には、家の窓に石を投げられたことがあった。
投石が始まったのが、おまえとつき合い始めてからなんだ」
「信じられない……」
「いや、別につき合いをやめると言ってるんじゃないぜ」
香苗の様子を見て慌てたのか、飯島は急いだように付け加えた。
「ただなあ、そこを考えれば、誰が犯人なのか分かるんじゃないかと思って」
「どういうこと?」
「香苗、おまえのことを好きな奴、いるだろう?」
「そんなの分かんない。けど……誰かが私と飯島君のことを嫉妬して、色んな
嫌がらせをしたって考えてるの?」
「時期的なものを考えたら、それがぴったりくるんだ」
飯島の瞳に香苗の姿が映し出されているのが分かった。
「誰でもいい、思い当たるのいないか? クラスの中でも外でもいいから」
「……そんなに大勢から想われるほど、きれいじゃないから、私」
重たくなった空気を和らげるために、香苗は冗談めかして言った。
飯島の方も、ちょっとばかり唇の端をゆるめる。
「そうかあ、いい考えだと思ったんだがな。おまえの魅力が分かるのは俺だけ
だってことかな」
「意地悪」
いつかのようにまた軽くぶつ真似をしてから、香苗は笑った。
「とにかくさ、これ以上エスカレートするようだったら、警察に届けた方がい
いって、絶対」
「分かったよ」
あきらめたように言った飯島は、それまでの姿勢を崩した。
「よし、もうこの話はやめ。憂さ晴らしに何か、元気のいい音楽でもないか?
俺が聞いてないので」
飯島の言葉にうなずいて、香苗はCDを選びに立ち上がった。
香苗は河川敷を歩いていた。高校へ行くには通らないといけない道だ。いつ
もならば、他の女子と一緒に、わいわいと喋りながら通う。
だが、今朝は違った。日直の当番なので、早めに登校しないといけない。早
起きにつき合ってくれる友人はさすがになく、また飯島の家はちょうど反対方
向にあるので、一人である。
何とはなしに、川面を見つめながら歩いていると、ふと、見慣れない物が視
界に入ってきた。
(何だろ)
声には出さなかったが、そんな形に唇を動かした香苗。よく川を見下ろして
行き来しているので、その風景がちょっとでも変わっていると、気になってし
まう。じっと目を凝らす。
お世辞にもきれいな水とは言えないので分かりにくい。ようやくのことで、
沈んでいるのはW字形に曲がった何からしいと判断できた。
「自転車だ」
今度は声に出して、香苗は言った。その通り、沈んでいるのは自転車、水面
からわずかに覗いているのはハンドルの部分であるようだ。
香苗は、誰かが自転車の運転を誤って、自転車だけ川に落ちたのだと思った。
乗っていた人はとっさに飛び降りるのが普通だと、当たり前のように考える。
が、沈んでいる自転車の横には、何か黒っぽい固まりがあって、気になって
しまう。どうやら、布製の物らしくて、内部に空気が溜まっているのか、膨ら
んでいるのが見て取れた。
「あ……あ」
布製の黒い固まりの輪郭を目で追っている内に、香苗は短い声を漏らさずに
はおれなくなった。
何故ならば、それは人の輪郭を示し始めたからである。黒く見えたのは、学
生服らしかった。
「−−」
もはや、上げる言葉もなく、香苗は走り出した。どちらに向かえばいいのか
分からなかったが、とにかく学校を目指した。誰かがいるに違いない。
沈んでいたのは、飯島健治だった。運命とか、巡り合わせとかいう言葉が、
香苗の脳裏に浮かんだ。
「あの日、健治は」
飯島の母の声は、淡々とした調子だった。なるべく感情を抑えようと努力し
ているらしい。
飯島健治の葬式が終わり、初七日も過ぎて落ち着きがようやく出てきた頃、
香苗は一人、飯島の家を訪ねた。健治君と親しかったクラスメートだと名乗る
と、飯島の人は快く迎えてくれた。
「何かあったんでしょうか?」
ここにきて言い淀んでいるらしい飯島の母を促すため、香苗は言葉を差し挟
む。先ほど手を合わせた仏壇の方から、線香の煙が漂ってきている。
「先生方や警察の方にも話したことですが……夜遅くになって、出て行ったん
です」
「夜遅くに」
相手の言葉を繰り返す香苗。
「どうして」
「私もよく分からないんですが……。十一時に近かったでしょうか、電話がか
かってきたんです。相手の人は、**高校の者だと名乗りました」
**高校−−香苗や飯島が通う高校の名前だ。
「健治を出してくれということでしたので、私、健治を呼びました。健治に限
らず、あなた達の年頃だと誰もがそうでしょうけど、電話のやり取りを聞かれ
ると嫌に思うので、私はその場を離れました」
「じゃあ、どんな話をしたのかは、分からないんですか」
「ええ、詳しくは……。ただ、ときどき、あの子が短く大きな声を上げている
のが分かったので、ちょっと驚きました」
大声……。香苗は妙に思った。
−−続く