#2958/5495 長編
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ダルガの心臓(16) 青木無常
★内容
またもや、はずれだった。
音は、いっさいしなかった。
耳に聴こえるような音は。
なにが起こるのかと息をつめて見まもっていても、いっこうになにも起こらない。
どうなってるんだ、と眉根をよせた。
その時にはすでに、それは起こっていたのだ。
兆候は現れていた。
ふと、頭の芯が、針をうちこまれたように痛むのに気づいたのだ。
そして鏑丸の巨体が、まるで内部で機械がうなってでもいるかのようにして小刻み
に振動しているのにも気がついた。
次の瞬間――脳髄のまんなかに、突如生まれでた鋭利な刃物が、膨張するようにし
て四方に向けて破裂した。
「う」
思わずうめき、膝をついた。
きつく目を閉じた。
すぐに、その目を見ひらいていた。
目を閉じるほんの一瞬前、鏑丸の前方に浮遊していたイヒカの一群が、あぶくを立
てて溶け、蒸発したように見えたからだった。
どうやら錯覚ではなさそうだ。
蝟集した化物どもの中心に、まるで穴でもうちこんだようにぽっかりと、空白が穿
たれていたのだ。
目をこらすと、煙のような霧のようなものがうっすらと立ち昇っていくのも見えた。
のみならず――半身だけを、あるいは手や足を、下半身を、半円形にえぐり取られ
た数体のイヒカたちが、なおも微笑を刻んだまま驚愕に目を見ひらいているのも目撃
した。
どさり、どさりとえぐり取られた妖怪どもが糸を断ち切られたように板の間に落下
した。
同時に、耳ざわりな絶叫が堂内に狂おしく響きわたった。
残ったイヒカたちの顔貌に、動揺の色が走りぬけたような気がした。
「どういうからくりだ?」
呆然とつぶやくおれに、
「鏑矢ってのはね」と、得々とした口調で、尚美が答えた。「中空の球を矢じりのか
わりにつけた矢のことよ。かん高い音を立てて飛ぶの」
おれは目をシロクロさせていたと思う。
尚美はそんなおれの顔を見て心地よげに声を立てて笑い、
「いくわよ。鏑丸、まかせた」
声高に宣言するや、おれの手をぐいと引いて走りだした。
「お、おい」思わずとまどい、口にした。「つづきは外でか?」
「ばか」
軽く云いつつ、つないでいた手をふり離した。しまった。
堂を走り出、ふたたび暗黒を天に抱いたゆるやかな坂をかけ降りた。
最初に息があがったのはいうまでもなくおれだ。情けなくひーひー云いながらすこ
し休もうと身も背もなくうったえかけ、そのままその場にへたりこんだ。
だらしないわねと腰に手を当てつつ眺めおろす尚美を横目で見やりつつ、せいせい
喉を鳴らしながら水筒を手にとり、むせぶまで飲んだ。
息がおちつくのを待って、タバコに火をつける。
「喫うか?」
残りすくないラッキーストライクを、尚美にむけてさしだした。むろん、断られる
のを計算の上だ。
またもや予想がはずれた。
「ありがと」
気安くいって尚美はすばやく一本ぬきだし、おれの手からもともとは自分のものだ
った百円ライターをひったくって火をつけた。
深々と煙をすいこみ、いかにもうまそうに吐き出した。
「けっこう、不健康だな」
おれがいうと、尚美は無言のままニヤリと笑って見せた。
待つほどもなく、飄々とした足どりで鏑丸が追いついた。
「あらかたかたづけた」
淡々とした口ぶりで、とんでもないことを云う。尚美も尚美でそっけなくうなずい
ただけだ。
「おまえらもよ」あきれはてた口調で、おれは云った。「まるっきり、尋常じゃねえ
なあ」
そのセリフを耳にして尚美は――そして、驚いたことに鏑丸までもが、ニヤリと笑
った。
唖然とし――あきらめたように息をつきながら、問うた。
「まだ聞いてなかったよな。おまえら自身が、何者かってことは」
どれだけ歩いたのかはよくわからない。そもそもこの地底世界――高天原を訪れて
からどれだけの時間が経ったのかさえ、さだかではなかった。おれの左腕に巻かれた
ロレックス(偽物)は、この地下世界に足を踏みいれた時点でどうやら役立たずのガ
ラクタと化してしまったらしいのだ。秒針はぴたりと動きをとめてひくりともせず、
残りの針は十一時十五分をさしたままだった。
とにかくおれたちは、延々とつづく下り坂を休み休み降りつづけた。
途中で、景清が合流した。その報告によれば、どうやら小春は無事らしい。
そして一度の眠りをはさんで、たどりついた。
灰色の、泥漠に。
泥漠、というのもおかしな言葉だが、ほかにいい形容が思いあたらない。泥の海、
というには、それは個体じみた感触をしすぎていた。だからといって荒野というには
やわらかすぎる。泥地というには広漠としすぎていたし、やはり泥漠だ。
そして、泥平線まで重くひろがる暗黒の天を背におって、篭女は最初に出会ったと
きとおなじ和服姿で、たたずんでいた。いったいどこに着替えを隠しもっていたのだ
ろう。それとも、この地下世界に専用の衣裳戸棚でも装備しているのか。
小春はといえば――まるで篭女にすがりつくような姿勢で、とろんとあらぬ方を眺
めやっている。どうやらおれと同じく、篭女のあのすさまじい官能の術中におちいっ
てしまったようだ。もっとも、これもおれと同様、小春にはその方面のブレーキはな
いも同然だから意外とはとてもいえない。
ただし、小春のやつめ、あきれたことにヴィトンのバッグをしっかりと小わきに抱
えこんだままじゃねえか。まったく、とんでもない執着心だ。
「ごくろうさま、達彦ちゃん」なれなれしい口調で篭女が云った。「それじゃ、出し
てくれる?」
白い繊手を優雅にさし出した。
おれは背後の三人組に、ちらりと視線を投げかけた。
どうしろという指示ひとつ口にせず、尚美たちは無言でおれに見いっているだけだ。
ふう、と息をつき、おれはふところに左手をさしこんだ。
そして愛用の、ジッポのライターを出した。
「やっぱりだましていたのね」
低くおさえた尚美の声が、ささやきかけるようにして背中ごしに聞こえた。
その声の響きに内包されたものにぞっと背筋をふるわせたが、内心の動揺はおもて
には出さず、肩をすくめてみせた。
がちり、と音をたてて蓋をひらき、石を擦って火花を散らす。
切れ長一重の篭女の目が、つ、と細められた。
憎悪の炎が、その奥に狂おしく燃えていた。
和服の胸もとに手をあてている。傷跡がうずいてでもいるのだろう。
「悪い子ね、達彦ちゃんは」細めた目でにらみつけながら篭女は云った。「そんなも
のに宝物を隠して、わたしをだましていたのね。その上、それをわたしに投げつけて。
手痛いキスマークだったわ」
ニイ、と、笑った。
不気味さに、思わずあとずさっていた。
気にもせず、篭女はつづけた。
「おしおきをしてあげるわ。こちらにいらっしゃい」
やさしい口調で云い、うすく、かすかに笑ってみせた。
同時に鼻腔を芳香がかすめた。
ヤバい、とおれはあわてて鼻をつまみつつ、
「小春がさきだ。こっちにこさせろ」
鼻つまみの、間のぬけた声で要求した。
篭女は笑いながら、足もとに横たわる十九娘の豊満な肉体を眺めおろした。
「あら、かえしてあげてもいいけど、彼女の気持ちも尊重しなくちゃ。どう? 小春
ちゃん。達彦ちゃんのところにかえりたい? それとも……」ニタリと、笑った。
「あたしのところで、永遠に仲良くしていたい? あたしと……達彦ちゃんと、三人
で」
おいおいおい、なに勝手なことぬかしてんだこのアマ、といきり立ったが、つづく
小春の答えなど一瞬もかからず予測できる。
「わかった、おれの負けだ。今そっちいくから待っててくれ」
あっさり降参の意を表し、ごていねいに両手をさしあげて歩を踏みだした。
肩ごしに横目で背後を見やる。
尚美たちは腕ぐみをしてたたずんだまま、とりあえず動きだす気配はない。どうも
今回は援軍を期待しない方がよさそうだ。
ため息をついて篭女に視線を戻し――その背後に茫漠とひろがる泥の大地に視線を
とめた。
吸いついた視線をムリヤリひきはがす。
そして、なにごともなかったような顔をして虚空を眺めやりつつ、口笛を吹きなが
ら歩きつづけた。うむ、われながらわざとらしいとぼけ方だ。
篭女の前にたどりつき、口をへの字にしながらジッポをさし出した。
艶然と笑いながら篭女は左右に首をふった。
さし出された手をおしかえすようにしながらやさしく握り、そして云った。
「ひざまずいて、うやうやしくさし出しなさい」
なに、と目をむくおれの顔を、笑いながら見つめる。
「そして、こういうのよ。女王さま、わたくしが悪うございました。その高貴な御手
で、どうぞお気のすむまでなんなりとおしおきをなさってください、と」
云って、天使のようににっこりと笑ったのだ。
おれはぎりりと奥歯をかみしめ――うめき声を喉の奥にムリヤリのみこんで、ひざ
まずいた。
うっとりとして篭女の足にしなだれかかった小春が、朦朧とした目の奥におもしろ
そうな光を宿らせてどんよりとおれを見る。くそ、このバカ、ひとに世話を焼かせて
おきながら。
勝利の微笑をうかべる“女王さま”を、せいぜい哀れっぽい顔をつくろって眺めあ
げ、口にした。
「女王さま」
つん、と上むかせた顎をとがらせ、篭女ははるかな高みからおれを見下した。
おれは歯をむき出し――ぺろりと舌を出して唇のまわりをなめた。
そして、云った。
「調子に乗るなよ、女王さま」
云いざま、中腰から立ちあがるバネを利用して、かたくジッポごと握りしめた左ア
ッパーを、気どって上むいた女の顎にむけて思いきり、たたきこんだ。カエル飛びっ
てヤツだ。
思いきり――スカされた。
うるんだ瞳が微笑をたたえつつ、驚愕と焦慮に目をむいたおれの無防備な横顔を眺
めやった。
逃げる間もなく、握りしめた拳ごと白い繊手にわしづかみにされた。
「があうっ……」
苦鳴をあげつつ、おれは膝をおった。
ピアノの鍵盤の上をでも優雅にすべっていれば似合いそうな白い手が、無造作にお
れの拳をつかんで圧力を加えはじめたのだ。
ぎちぎちと、拳の関節が悲鳴をあげた。
その気になれば、一瞬でおれの拳など砕きつぶせる――脚をもいだ小動物を観察す
るような目つきの、篭女の視線がそう語っていた。
そしておれは、その視線に恐怖した。
恐怖しながら、思い出した。黄泉へと降る道々、尚美が語った物語を。
「何万年も昔のことよ」
というのが、尚美が物語の切り出しにえらんだセリフだった。そして物語の内容は、
その切り出しにふさわしいものだった。
アトランティス、ムー、ソドムとゴモラ、バベルの塔――喪われた超古代文明の伝
説はひとを深く魅了する。なぜなら、それは遺伝子にきざみこまれた遥かな過去の記
憶の琴線にふれるからだ。――そういうふうに、尚美は語りはじめたのだ。
超古代文明は現実に存在し、繁栄を謳歌し、そして滅亡の淵に深くしずめられたの
だ、と。
――あまねく地球をおおいつくしていたその超古代文明は、ある超人的な一族にそ
の基盤をささえられていた。
かれらは手をふれずに岩をもちあげることができた。火をおこすことなくものを燃
やすことができた。翼もないのに自由に空を飛ぶことができた。他人の心をよみ、ま
た大地や自然にひそむ超越的存在と意思を疎通させることさえ可能だったという。
その一族は、アスラと呼ばれていた。
インド神話では鬼神の一族とされているアスラのことだ、と尚美はいった。
そのアスラこそ、安倍、芦屋、そしてあのドゥルガスやイヒカたちの、共通の祖先
であったのだという。
数人集まれば山を動かすことさえできたという鬼神の一族は、だが地球的規模で襲
いかかった天災をきっかけに、滅亡への道を歩みはじめたらしい。
正確には、地球的規模の天災にまつわる、複雑に錯綜した人びとの思惑によって、
だ。
アスラの力は強大だった。それこそ、一致団結すれば地球でさえ動かすことができ
るほどに。
だが、いかに超常的な力をもっていようと、かれらは高潔な神などではなかった。
あくまでかれらは、人の一変種でしかなかったのだ。
人としての思惑がからみあい、もつれあって分裂した。アスラ同士で、いくつもの
陣営にわかれて複雑に利害を錯綜させつつ殺しあいをくりかえしたのだそうだ。
力をあわせれば、アスラたちは迫りくる破滅をさえ回避させることができたかもし
れない。だが、ひとつになるにはアスラたちもまた、あまりにも――人間だった。