#2959/5495 長編
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ダルガの心臓(17) 青木無常
★内容
そして破滅は人類におしよせ、世界は崩壊と運命とに、翻弄されつくしてしまった
のだ。
わずかに生き残った人びとも、弱々しい難民と化して生命の灯を細々と維持してい
くのがせいいっぱいの、卑小な存在となりはてた。
記憶は伝説に埋もれ、アスラたちの子孫もまた人類の間にちらばり、かろうじてそ
の命脈を保ってきていたらしい。
まるで、喪われた戻らぬ楽園をさがし求めるようにして。
崩壊の白い牙からかろうじてよみがえった、未開の暴虐な世界を放浪しながら。
そしてかれらは、昔日の栄光にはほど遠くはあるが、それぞれの安住の地を見いだ
していった。
あるいはナイルの古き水辺に。あるいは中央アメリカの密林に。あるいはヒマラヤ
の高峰に。あるいはケルトの闇の森に。
そしてあるいは、ベンガルの奥地の見捨てられた古い村に。そしてまたあるいは―
―蓬莱と呼ばれる神仙の島の、対立するふたつの闇の種族として。
「てことはおまえら、もとはひとつの種族だったってことかよ」
あまりにもとほうのない話に呆然と訊きかえすと、尚美はどこかさびしげにうすく
笑ったのだった。
「伝説ではそうなっているわね。でも、芦屋も安倍も、おたがいにひどく憎みあって
いる。近親憎悪なのかもしれないわね――昔日の、アスラたちとおなじように」
そして、かつてアスラと呼ばれた超越種族は、人類のあいだにまぎれて忘れられて
いった。かれら自身の多くでさえ、自分たちの出自を忘却の彼方におきざりにして。
超越者としての記憶の不完全な断片をのみ、神話や魔術としてかろうじて残してい
るだけとなったのだ。
そして少数のそうでない者たちも、文明の破滅を間にはさんで多くの月日を経、多
くの遍歴を経るうちに次第にその血をうすれさせていったのだ。
「かつてアスラと呼ばれていた人びとと、その子孫であるあたしたちとを同一のもの
として考えることはナンセンスなのよ」と尚美は、遠い目をして口にした。「わたし
たちと、あのドゥルガスの連中とが同じ種族に見えて?」と。
まさにそのとおりなのだろう。よくよく観察してみれば顔や身体的特徴のいくつか
には共通のものを見いだすこともできるかもしれない。しかし、それにしたって根は
同一のものであるとの論拠としてはいささか、いや、かなり薄弱なものにちがいなか
ろう。
「安倍にしても芦屋にしても」と尚美はつづけた。「あるいは世界中にちらばる、あ
らゆるアスラの残滓にしても、まさにただの残滓。その血は極端にうすめられて、ふ
つうの人たちとまるでちがいはないくらいになってしまっているのよ。ドゥルガスの
ように一族ぐるみで超越した力を残しているのは例外中の例外。それでもかつてのア
スラたちの力とは、まるで比べものにはならないのよ。それがたとえ――篭女のよう
な、突然変異的ともいえるほどの、異常能力の持ち主であろうとも、ね」
アスラというのは、まさに鬼神の一族だったのよ、と尚美は静かにつけ加えたのだ
った。
まったくそのとおりなのだろう。
この、凶悪にして圧倒的な存在感を発散する、篭女のような存在さえもが、全盛期
のアスラにくらべれば子どものようなものだとするならば。
とても信じる気にはなれなかった。
苦痛にのたうち、か、か、か、とぶざまにうめきながら脂汗とよだれとをだらだら
たらし、情けなく眉をよせておれは、呆然と篭女を見かえした。
そんなおれを見て、クス、と篭女は天女のように笑った。
拳をしめつけていた手がふとゆるみ、手首に移動した。
崩れるおれを手首だけでささえ、痛みに握力をうばわれた拳から難なく篭女は、問
題のジッポをうばいとった。
「どこまでも悪い子ね、達彦ちゃんは」それがとてつもなくうれしい、とでもいいた
げな口調で篭女は云いながら、ジッポの蓋をカシリと開いた。「うんと、おしおきし
てあげるわ。楽しみね」
まさにうきうきとした口調だ。助けてくれ。
白い手でためらいなくライターの点火部をつまみ、ひきずり出した。
通常ならガスをしみこませる綿のつまった部分に目をやる。
その目が、いぶかしげに細められた。
その瞬間――おれはぎらりと目をむいた。
ライターの中身に篭女の注意は、完全に集中していた。
バカになった左拳をぶらぶらさせたまま――右正拳を篭女の肩口にむけて、思いき
りたたきつけた。
唖然とライターの中身に目をむいた篭女が――つぎの瞬間には、驚愕の表情で後方
に飛ばされていた。
打たれた肩から、派手なスパークをまきちらせつつ。
解放され、おれはよろよろと二、三歩ふらついた。それでも、
「いつまでも同じとこに隠しとくかよ」
バカにしたように云いながら、女を殴りつけた後味の悪さを、かみしめた歯の奥に
のみこんだ。
べちゃりと、篭女は泥上にたおれた。
なおも信じられぬように、見ひらいた目で呆然と虚空を見やり――
泥にまみれた和服の左肩に手をあてながら、むくりと起きあがった。
笑っていた。
はり裂けるように。
背筋を悪寒が疾りぬけた。
怯懦を強引におしのけるように、かみしめた歯をむき出し、握った拳の内部の“心
臓”のかたい感触を、狂おしく意識した。
同時に、糸につりあげられるようにして篭女がぶわりと立ちあがった。
笑いながら、五指を鉤型にした手をつき出している。
怖じ気づく腹にムリヤリ渇をたたきこみ、おれは右拳を腰の後ろにひいて、身がま
強襲する篭女のわき腹にむけて、フックをくり出した。
白い手に、いとも簡単にはね飛ばされた。
ヤバい――と後退する間もなく、はり裂けた笑顔がおれの眼前に立ちはだかり――
――その背後から突如あらわれた泥まみれの顔が、憎悪に満ちた赤い目を篭女にす
えたまま白いうなじに深く、かみついた。
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白い美貌が、苦痛に歯をくいしばってふりかえる。
背中に何者かがとりついたことに気づき、激しく身体をふるが、泥まみれの巨大バ
ッタは、子泣きじじいみたいに執念深くしがみついて離れようとはしない。
片腕のくせに、大健闘といったところだろう。
いうまでもなく、あのインド人――ドゥルガスどもの最後の生き残りだった。偶然
か必然かはしらねえが、奇しくも篭女に腕をひきちぎられた男が、その生き残った一
人でもあった。
泥の中にバッタのように身をおりたたんでじっと息をひそめながら、襲撃の絶好の
機会を待ちつづけていたのだ。
憎悪に顔を歪ませた篭女が、とりついたドゥルガスの足首をつかんでひきはがそう
とした。が、泥まみれのバッタ人間は意地でも離れない。憎悪にぎらぎらと光る目で
篭女をにらみつけながら、かみついた顎にぐいぐいと力をこめた。
「チャンス到来!」
叫びつつ、たたずむおれを飛びこえて、尚美のまわし蹴りが篭女の左肩に炸裂した。
三人はもつれあったまま、泥漠にたおれこんでいった。うむ、こりゃなかなかツブ
のそろった泥レスじゃねえか。まあ背中のインド人はご愛敬だが。
と、すでに極度に無責任な気分になりつつ、とろんとした目で呆然となりゆきを眺
めやる小春の肩をひっつかんで、ゆすった。
「おい小春! とっとと正気にかえれバカ。地上に帰るぞ」
ぶるぶるぶると景気よくゆすると、なすがままに首を前後左右にゆらしながらふん
ふんふんと魂のぬけたようなうめき声をあげる。ダメだ、これは。
しかたねえなあ、と背負う決心をして、骨ぬきの小春に背をむけ――
景清の、どこか倒錯した美貌が目の前に立ちはだかっているのに、気がついた。
「いく前に」と、事態全体をおもしろがってでもいるかのような口調で、角刈りの優
男は云った。「忘れないで置いていってくれないかな」
にこやかに笑いながらさし出した手を、おれは荒々しくはらいのけた。
「悪いが、よ」はっきりいって敵意むき出しだ。「このお宝は、おれが十五万出して
正当に手に入れた品物なんだ。かんたんにゃ、わたせねえな」
「十五万は高いとは思わないけど」と景清はすずしげに云った。「めんどうだから、
力づくでもらいうけることにするよ」
おれがかまえるより速く、神速の蹴りがみぞおちに深々とたたきこまれていた。
痛覚に、肉体の自由を一瞬にしてうばわれていた。
げぼ、と喉をならしながら上体をおる。
それを助け起こすようにして景清が手をさしいれ、いたわるように背中をなでなが
らおれの右手を握った。げ、こいつもホモか。
「またそのうち、ゆっくり話でもしよう。――ぼくが、世界の王になってからでも、
ね」
にっこりと笑い――“心臓”を奪いとった。
世界の王、ときたもんだ。つまりこいつも、篭女とおなじく危険な幻想を抱いた独
裁者志願てわけだ。
どいつもこいつも。
おれはといえば、情けないことにただの一撃で苦痛のために全身から力を奪われて、
なすすべもなく景清のすることを見まもるだけだ。
そっ、と、おれの身体を泥漠の上に横たえると、景清は笑いながら立ちあがった。
「おっと」
呑気なかけ声とともに、身をかがめた。
その頭上を――特大の鉈のように、巨大な蹴りが吹き過ぎた。
景清は、重量級の鏑丸の蹴撃を軽くいなして泥の上を反転し、笑いながら身がまえ
た。
「たもとをわかつ気かい、鏑丸」
「こちらのセリフだな」こっちの口調も、いつものように淡々としたままの鏑丸のセ
リフだ。「私利私欲のために、それを使うつもりか?」
「そうだよ」とうぜんのことのように、景清は応えた。「絶好のチャンスじゃないか。
どうだい、いっしょに」
重い脚が、真正面から景清を襲った。景清はふわりと浮きあがって軽くその襲撃を
よけつつ、空中でなにかを弾くような動作をした。
とたん、うお、と叫んで鏑丸が顔をふせて膝をついた。
「うわ、きたねえ」
なにが起こったのかを偶然見ていたおれは、思わずつぶやいていた。
景清は泥のかたまりを、鏑丸にむけてはじき飛ばしたのだ。
とん、と身軽に飛びおりて、おれにむけてにっこりと笑う。
「弁慶と牛若丸さ」
なんて気障な野郎だ、とおれは思わず鼻頭にしわをよせていた。
くるりと背をむける景清を見て、あわててよろよろ立ちあがる。痛む腹をおさえつ
つ追撃にかかろうとするのを――鏑丸の、グローブみたいな手がおしとどめた。
「内輪の話だ。悪いが、傍観してくれ」
いいざま、片目をおさえて立ちあがった。
云いかえそうとして、やめた。
どう考えても、みぞおちに強烈な一撃くらってダメージのでかいおれと、単に目つ
ぶしをやられただけの鏑丸とではどちらが追撃に適任かは一目瞭然だ。
「ち、好きにしろ。だが十五万の品に関しちゃ、おれも部外者じゃねえってこと、忘
れるなよ」
釘をさすおれに、鏑丸は唇の端だけでうすく笑って応える。
そして、うちわみたいにでかい手を、口のわきにそえた。
――鏑矢はかん高い音を立てて飛翔する――尚美の説明が脳裏によみがえった。
同時に、イヒカどもを瞬時にして蒸発させた、あの信じがたい光景もまた。
その巨体が小刻みに振動することといい、後ろにいただけのおれの頭が脳みその芯
から炸裂するように痛んだことといい、この鏑丸の得意技の正体は、たぶん可聴域か
らはずれた音の振動――超音波か何かなのだろう。
イヒカの群れを円形に撃破したことからして、その音域はかなりしぼりこまれた志
向性のものではあるはずだ。が、それにしても不死の肉体をあとかたもなく粉砕して
しまうほどの威力からして、周囲にはまったく影響なし、というわけにはいかないの
だろう。頭痛の原因はたぶん、そのへんにあるってこった。
などとのんびり分析しているヒマはない。
発射態勢に入った鏑丸を前に、おれはあわてて両手で耳をおさえた。おそらく、耳
をおさえたぐらいではまったく効果はないのだろうが。
そして、目を閉じた。女々しい? うるせえ。なんとなく、だ。
今か今かと身がまえつつ、頭痛がくるのを待った。
いつまで待っても、それは訪れなかった。
おれはおそるおそる薄目をひらき――鏑丸も、そして景清も、ぽかんと魂をぬかれ
たようにして空を見あげているのに気づいた。
この期におよんでなんだいったい、とおれも頭上に視線をやった。
――無数の影が、天降ってくるところだった。
フェスティバルの朝、いっせいに解き放たれて天へとむかう色とりどりの風船のよ
うに――それともあるいは、ふりはじめの小雪のようにそれらは数かぎりなく、そし
て音もなく宙にうかんでいた。
四本の腕、はためく薄もののすそからのぞく、芋虫じみた奇怪な下腹部。もはやい
うまでもあるまい。この地下世界の支配者、仏像人間イヒカどもだ。
「なんだありゃあ」
とおれは、気のぬけた口調でつぶやいた。
「すさまじい数だな」緊張にみちた声で景清も云った。「念仏をとなえているぞ」
とっさには意味を理解できず、ただ反射的に耳をすましていた。
そう。
たしかに念仏をとなえるような、異様なつぶやきを妖怪どもがもぐもぐと口にして
いるのが、降下してくるにつれ次第にはっきりしてきた。
「なんの供養だ」
思わずつぶやいていた。
答えがかえることなど期待してはいなかった。
が、予想に反して、答えがかえった。
――頭上から。