#2953/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 95/ 2/ 6 0:51 (192)
ダルガの心臓(11) 青木無常
★内容
とごにょごにょ反論するおれのセリフにかぶせるように、
「それに“ダルガの心臓”は、値打ちものとはちょっといえないわね」
と尚美は、意味ありげに宣告した。
あん、そりゃどういう意味だと問いかえそうとした時だった。
9
「タッちゃん、また浮気してる!」
てめえの浮気性を天から無視した炎の叱責が、背後から刃のようにとんできた。や
思わず肩をすくめたおれの姿を他人事のようにおかしげに眺めやりながら、尚美は
ついと一歩、身をひいた。
間にすべりこむようにして割って入った小春が、いまだつっ勃ちっぱなしのおれの
股間にごんと肘鉄くらわせつつ、敵意にみちた視線をぎっと尚美にむける。
「はじめまして」とぼけた笑顔をうかべながら、平然とした口調で尚美が云った。
「安倍尚美というの。よろしくね。峠達彦とは、執拗に口説かれて困惑しつつどうし
ようかと思案中の関係よ」
とんでもねえことを云う。
対して小春の方も――おお、おそろしい――あきらかに演技とわかる満面の笑顔を
うかべて、
「あら、こちらこそよろしく。でもタッちゃんはあたしひとりで間に合ってるからご
心配にはおよばないのよ。そうでしょタッちゃん」
最後の脅迫的なセリフは、もちろん刺すような視線とともにおれにむけられたもの
だ。
「い、いや間に合ってるというか、もてあましてるというか」
しどろもどろにもれ出た本音に、
「あ?」
と小春は下唇つきだして中指おったててみせた。ひー、この女、事故に見せかけて
二、三人地獄に送ったことのある伝説的なヤンキー娘かなにかにちがいない。
なんでもないです、としおたれて小さくなるおれにさらに脅迫的な一瞥をくれてか
ら、やおら尚美にむきなおり、
「ってことなの。わかった?」
もう一度にっこり笑ってみせてから――おお恐わ――帰るわよ、とあばずれた口調
で宣言しつつぐいとおれの襟首をひいた。
「待って。まだこっちの用がすんでないのよ。あなたのダーリンを横どりするつもり
なんか全然ないから、もうすこしだけお話させてくれない?」
すこしあわてた風に尚美が云った。いたずらがすぎたかしら、とでも云いたげな口
ぶりだ。ちっ、おもしろくねえ。
と呑気に考えているすきに――小春が、切れていた。
「テメエ、いったいなんなんだよ、この淫乱のドブスの泥棒猫! 拳つっこんでガバ
ガバにされてえのか」
ものすごいセリフを皮切りに小春は、常人にはとても口にはできない下品かつ陰惨
なセリフを怒涛のようにまくし立てはじめた。やっぱりおれの読みはまちがない。
唾とばしまくる小春の、特殊なボキャブラリー満載の演説にさすがの尚美も困惑を
隠しきれず、返す言葉もなく呆然と目を見はりながら聞き入るばかりだ。鏑丸はあい
かわらずなに考えてるんだかわからない無表情、景清ときたら、この野郎、明らかに
笑いをこらえていやがるじゃねえか。
うんざりして、帰ろうかなとあ思案しつつタバコをくわえ、ガス切れのジッポの蓋
を開いては閉じてもてあましたヒマをやり過ごした。
と、その時、視界の端で黒い影が動いた。
びしっと決まった黒の上下に長い黒髪。――篭女だ。
尚美たちとはちょうど反対方向、しかも死角になる位置だ。計算してのことだろう。
芦屋一族の人間、と尚美は云った。が、単に尚美たちとは敵対している、というだ
けで、おれの敵とはかぎったわけじゃない。それに尚美よりはこの篭女の方が、大は
ばに脈がありそうだときた。
おれはすばやく四人に視線を走らせ、いまやどのひとりもおれに対しての関心を失
っていると見てとって、心中ほくそ笑みつつゆっくりと移動を開始した。
あっけないほど首尾よくいった。
垂直に切りたつ岩壁にちょうどさえぎられる位置におさまると、黒いジャケットの
意外に広そうな肩に腕をまわし、耳もとにむけてささやいた。
「よう篭女」
名のりあった覚えもないのだが、篭女の方も打てば響くように切れ長一重の妖艶な
流し目をちらりとむけて、薄く笑ってみせる。うう、たまんねえや。どうやら自分の
正体がバレていることは承知の上らしい。
となりゃ、こりゃいよいよ本格的なおれの味方のご登場か、と自分勝手な結論に達
して内心ほくそ笑みつつ、
「会いたかったぜ」
ため息とともに耳もとにささやきかけた。
とたん、ああん、と容貌に似あわず大胆なあえぎ声をおれの胸にむけて吐きかける。
白いブラウスのすきまからのぞく谷間目がけて無遠慮に手をさしこみ、もみしだい
た。大きすぎも小さすぎもしない、手のひらにしっとりと吸いついてくる絶妙の形と
肌ざわり。そのうえ、とろけるようなやわらかさだ。うは。
あいた片手は、革のタイトスカートをたくしあげ、尻の割れ目から花芯へと一気に
つっこむ。ムードだのなんだの天から無視だが、なにかまわねえ、いけいけだ。
案の定、篭女はひくひくひくと派手に全身ふるわせつつ、
「そんなとこ……あう……」
と尖りきった形のいい顎を上むかせて、潤んだ焦点のさだまらない目でうつろにお
がばと唇を重ね、思いきり吸った。じゅるじゅると音がした。すげえ。しかも屋外
唾液をすすりあい、音を立ててのみこんだ。
鼻腔をなんともいえない芳香が刺激する。小春がつけてるような、不快なほどプン
プンにおうおしつけがましい香水のにおいではない。ほんのりと、くすぐるようにか
すめつつ脳髄の芯まで沁みこんできそうな甘い香りだ。
頭がくらくらしてきた。
抱きしめたまま、くずれるように篭女の肉体に体重をあずけた。
背後によりかかった篭女が抱きとめる形で受け入れる。
もう死んでもいい。
異様な多幸感が全身かけめぐるのに、かすかに違和感をおぼえた。が、怒涛のよう
におれの身裡を占拠した官能が、淡くきざした疑念を意識の井戸の底に深く、どろり
とおしこめる。
篭女、とささやいたつもりが、
と、舌がもつれていた。官能に泥酔した状態だ。おかしい。気持ちいい。
「いい子ね、達彦ちゃん」
まるで母親のような口調で篭女が口にし、おれの後頭部をやわらかくなでおろした。
幸せだ。くそ。抵抗できねえ。
どう考えても催眠術だ。いつかけられたのやらさっぱりわからん。もっとも、頭の
先から爪先まで無防備きわまりない精神状態であったことだけはたしかだ。ああ情け
ねえ。
だがその一方で、このまま永遠にとろけるような夢幻境で、マシュマロみたいにや
わらかい篭女につつまれていたい、と熱烈に願っていたこともまた事実だった。
「ダルガの心臓はどこに隠したの?」
とろけそうに甘い口調で、篭女はおれの耳朶の奥にむけてささやいた。
あ、あ、と赤ん坊がむずかるように喉がふるえた。舌のもつれも手伝って、かろう
じてブレーキをかける。
声を出しかけてからふいに、とろんと黙りこんでしまったおれを篭女は一瞬――刺
すような目つきで見た。
瞬時――腰の芯までどっぷりひたりきっていた催眠状態がぷつりととぎれた。
背筋を、壮絶な悪寒が疾走したからだ。
氷のような一瞥だった。熱いもののカケラもない、ただただ鋭く深く底なしに冷た
い、永劫にも匹敵するような地獄の一瞥。
とろけるようないいなりの気分は一瞬の間だけきれいに消失し、恐怖がどす黒くお
れの胸中を充たした。懐柔ではなく恐怖のために、すべてを白状してしまいたい、と
思ってしまったほどだ。
もしその視線があと数分の一秒でもよぶんにつづいていたなら、腰をぬかしたまま
ふるえる声音でべらべらと、問われるままになにもかもをしゃべってしまったにちが
いない。
が、幸いなことに篭女は、圧力によっておれを支配しようとは思わなかったらしい。
一重のまぶたがついと開き、やさしげな光が黒瞳をふたたび深くうるませる。
「悪い子ね」こんどのセリフは、母親ではなくスネた年若い恋人の響きを内包してい
た。「いいわ。あたしがさがしてあげる」
熱くささやきかけながら、愛撫する手つきでおれの身体をさぐりはじめた。
ジャケットの内ポケットからはじめて肩から袖口、尻からスネから親指の先まで。
もちろん股間はねっとりとした手つきで終始、緩急自在に刺激をくわえられっぱなし
だ。ああ死ぬ。
だがふたたび、今度は疑わしげな困惑まじりに、篭女は怒りに眉根をよせた。くう、
最高に艶っぽいぜ、その表情。
「もっていないの? どこにやったの? あたし――欲しいの」
つ、つ、つ、と微妙な指さきで勃ちあがった陽根の裏っかわをズボンごしに刺激す
る。くううっ漏れっちまいそう。あう。
「どう……どうすんの……?」
天上を遊弋する気分で朦朧と、問うた。心臓を手に入れてどうするつもりだ、と訊
きたかったのだ。
篭女は、純日本風の淡く儚げな微笑みをうかべた。
ああ。
こんなふうに笑うひとが、邪悪な意図をもっているはずがない。
おれは思い、陶然とその笑顔に見とれた。
だから、ささやくように息だけで口にされた次のセリフを、脳みそは理解すること
を拒んでいた。
「征服するの……世界を……」
哀しげにさえ聞こえる信じがたい宣告の底に、獰猛で貪欲な欲望のマグマをかすか
に垣間みたような気がした。
耳朶を、ついで首すじを、甘くかまれてすべてが消し飛んだ。
朱い唇が吸盤みたいにおれの口に吸いついてきた。
じゅば、じゅぼ、と下品な音を立てながら舌がからみついてくる。
しびれ切った頭の芯から、思考力の最後のかけらが吸いつくされた。
「しん……ぞうはね……」
悩ましい、熱い口調で口にしたとき――
「篭女!」
氷を断ち割るように小気味いい叫びが、おれの意識の混濁にずばりと切りこんだ。
頬をはたかれたように、ハッとわれにかえった。
救世主だ。
凛と大地を踏みしめて弾劾するごとく指つきつけた尚美のさっそうとした姿を目に
して、すなおにそう思った。
背後には鏑丸が岩みたいにでんと立ちはだかり、景清はかたわらの岩上に、いまし
も飛びかからんとしている獣の姿勢でとりついていた。
そしてさらに――よけいなことに――神話の英雄みたいに凛々しい尚美をいきなり
つき飛ばして、般若の形相の小春がどおんと出現した。
「また浮気してる! あたしというものがありながら、タッちゃんのバカ」
後半のセリフは、いまにも泣き出しそうにふるえていた。
ちょっとだけ、ほろっときた。
ごめんよという気分になった。
一瞬だけだ。考えてみれば、きわめて身勝手で一方的な非難だ。冗談じゃねえや。
そんなおれの内心を読みとったわけでもなかろうが、小春はふたたび鬼のような顔
をしてずんずんずんとまったくためらいなく前進してきた。
尚美と鏑丸が、うろたえたように目を見はった。が、虚をつかれたのか、行動には
移れなかった。
「人質がふえたわ」
よかったわね、とでもつけ加えそうな口調で篭女が、抱きかかえた背後からおれの
耳にささやいた。
バカ戻れ小春、と叫ぶ間もなく、憤然と立ちはだかり指つきつけて弾劾の姿勢をと
った時点で小春は、くたくたと中身のぬけたぬいぐるみみたいに崩れおちた。
いきりたち、歩を踏みだしかける尚美たちを制するように、冷たい感触がおれの喉
「三人相手は分が悪いわ」この期におよんでなお、おれの耳朶を息で刺激することを
忘れぬまま篭女は云った。「動いたら、達彦ちゃんの喉にもうひとつ、お口ができて
しまうわよ。そんなことになっちゃったら、おたがい困るでしょう?」
困るなんてもんじゃない。抵抗しようとしたが、催眠術の効果はまだいささかも減
じてはいないらしく、指さきが数本、ひくひくとうごめいただけだった。
唇をかむ尚美たちを前に、篭女はクスリと笑い――
虎の咆哮が、その笑いを断ち切った。
10
ざし、ざし、ざし、と立てつづけに地をならしながら、四つの影が砲丸のように重
く、降り立った。
バッタのような姿勢をした褐色の顔が四つ、いっせいに歯をむき出した。
「ドゥルガス……!」
尚美と篭女、ふたりの美女の口から異口同音に同じ単語が発された。
おりたたみ式インド人どもは、灼熱の光をその四対の眸から放ちながら獣そのもの
の威嚇を喉の奥からしぼり出し、間髪いれず四つの方向に飛んだ。
眼前に迫る、躍動するヨガ行者の痩せ枯れた肉体にはばまれて、その背後でなにが
起こったのかはよくわからない。
そのぶん、篭女のとった行動があざやかに視覚に焼きついた。
涎のすじをひいた真っ赤な口が篭女の喉もとに喰らいつこうとした、まさにその瞬
間――白い繊手が優雅な弧を描き、逆におりたたみ人間の伸張しきった異様な喉くび
のなかばを、万力のような力強さでわしづかみにしていたのだ。