#2952/5495 長編
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ダルガの心臓(10) 青木無常
★内容
「説明してくれよ」
訊いた。
考えこむようにして、おれが服を着おわってからも尚美は腕ぐみをしたまま長い間、
黙りこんでいた。
が、やがて口を開いた。
「どこまで理解してるの?」
「いっさいがっさい、わからねえことだらけだ」正直に応えた。「まず、ここはどこ
なんだ?」
尚美は、さぐるような目つきでまじまじとおれの顔を見つめていたが、やがてため
息をついた。
「高天原」
おれは眉根をよせる。
右翼でもねえし日本神道にくわしいわけでもぜんぜんねえが、高天原の名前くらい
はきいたことがある。日本神話の最高神アマテラスなんたらが暮らしてる天界の名称
だ。
「地の底だと思ってたが、な」
ちゃかすような口調で云うと、尚美はふっと笑って首をうなずかせた。
「だいたい正しい認識よ。正確には、異次元といった方が近いでしょうけどね」
「どっちにしろ、この世じゃねえ――つまりあの世かなんかってことか?」
憮然とした調子で問うと、尚美はさもおかしげにくつくつと笑った。
「残念だけど、死後の世界とは本質的にちがうかもね。この世界は現実に存在するし、
わたしたちの世界と往還することさえできるわ。もっとも、その往還の仕方には特殊
な条件が必要だけれど」
「特殊な条件?」
「樹海の溶岩洞穴に飛びこめば、だれでもたどりつける、というわけにはいかないの。
たいていはただの洞穴だし、運よく通廊にいきあたったとしても、高天原に出られる
とはかぎらない。むしろ――人間の生きのびることのできないような、異様な世界に
放りだされてしまうことの方が多いみたいね。あなたたち、運がいいわよ」
云って尚美は、わざとらしくにっこりと笑ってみせた。思わず背筋をおぞけが疾る。
首をぶるると左右にふるい、つづけた。
「あのインド人どもはなんだ? この世界――高天原と関係があるのか?」
「直接には、関係するわけじゃないけど」と云ってから尚美は、困惑したように黙り
こんだ。そして、みずから整理しつつ話すようにして、ふたたび口を開く。「三年ほ
ど前に、ベンガル奥地の古い、まずしい村で神聖なご神体が盗まれた事件があったの」
内心、ひどく困惑したが、それは顔に出さないでおいた。いきなりベンガル奥地か。
「村人は外の世界の影響をほとんどうけていない、一種秘教的な古い宗教を崇めてい
たわ。そしてそのご神体が、いわば村と一族とを、悪鬼妖怪から守ってくれる守護神
そのものでもあったわけ。だから彼らは、盗まれたご神体をなにがなんでもとり戻さ
なくてはならなかったわけなの。村の占い師がご神体の行方を占い、いくつかの奪還
ポイント、とでもいうべきものを示した。それにしたがって、村でも屈強な戦士たち
が旅だった。辺地と秘教に守られて、それまで彼らの特異な肉体的特徴や神秘的な知
覚力は、外の人間にはいっさい知られていなかった。だから、いつも神宝の簒奪者に
はかなり近いところまで迫ったりもしていたわ。でも、簒奪者たちもただ者じゃなか
った。悲劇はそこから生まれたのよ。神宝はたびかさなる争奪戦のすえ、村人とも簒
奪者ともまるで無関係な第三者の手に偶然わたり、やがてその行方をくらませた」
そこで尚美はいったん息をつぎ、なにか質問はあるかとでもいいたげな目でおれを
「あのインド人が、その村人とやらなのか?」
小づくりな美貌が無言でうなずくのを待って、おれはさらに問いかけた。
「じゃ、その簒奪者、てのは? おまえらか?」
尚美が――そして岩かげの二人が、それぞれ声もなく笑った。
「いいえ」
と尚美が応えた。
旅に出る前に出会い、そして氷穴の出口で接触をかけてきた、背筋をふるわせるよ
うな和風美人を思い出した。
「あの女か」
ひとりごとのようにつぶやいた。
「篭女のこと? そうよ。というか正確には、彼女の属する一族ね」と尚美が訂正し
た。「芦屋一族、というのだけれど」
知ってる? とでも云いたげに、片眉つりあげておれを見た。むろんそんな名前に
心あたりのあろうはずもない。
尚美はつづけた。
「芦屋一族というのは、日本の影の部分で幾度となく暗躍をくりかえしてきた、闇の
支配者の血統よ。その系譜をたどっていくと、今昔物語なんかに名前の出てくる芦屋
道満につながるわ。もっとも道満は伝承中では、ライバルの陰陽師・安倍清明にこて
んぱんにやられちゃってるけど、ね」
おれは、ひくりと眉をあげた。
安倍、か。
そう思った。
目の前のこの女は、最初にフルネームを安倍尚美、と名乗っていた。パブの女とし
て出会った先入観から源氏名だろうと思いこんでいたのだが、どうやら本名だったら
しい。つまり――そういうことなのだろう。
「ようするに、その芦屋とあんたたち――安倍、ってのはライバルの家系、と、そう
いうことなんだな」
尚美は肩をすくめてみせる。
「とりあえずは、そういうふうに理解してくれた方がわかりやすいかもね。ほんとは
もうすこし複雑な関係なんだけど。まあ、ともかく」
と、腕ぐみをとき、あずけていた岩壁から背中をひきはがした。
優雅な足どりで、形のいい腰を左右にふりながら、ゆっくりとおれの前に歩みよっ
てきた。
「芦屋一族の先兵を追って、わたしたちの仲間もおくればせながらインドに飛んだ。
争奪戦の混乱にまぎれて行方をうしなった“ダルガの心臓”の痕跡を追って、それが
どこでどうまちがったのか二束三文の安ものあつかいでみやげものとして観光客に売
りつけられてしまったのをつきとめたの。買ったのは日本人の、二十そこそこの若者。
もちろん彼だって自分が手にしたものの価値などにはまるで気づくことなく、自分の
はたらいているアルバイト先の上司にみやげとしてそれをわたしてしまったってわけ
よ」
「なるほど」とおれは歯をむき出した。不快な記憶を刺激されたからだ。「それを、
その上司の知り合いのどこかのまぬけが、女よせの効果がある神秘の石だとかもっと
もらしいでっちあげかまされて、ごていねいに十五万も出して購入したと、そういう
わけだな」
「あら」と尚美はおかしげに目をむいた。「占いのたぐいが好きなタイプには見えな
いけど?」
「よけいなお世話だ」
ふてくされて鼻をならすおれを見て、尚美は快活に笑った。
「でも、十五万て商品価値はともかく、女よせの効果って部分はあながちまるっきり
のでたらめでもないわ。シャクティって言葉、ご存じ?」
ご存じもくそもない。おれはいぶかしげに眉をよせるだけだった。
そんなおれの表情を見て尚美は真顔でうなずき、そして説明を加えた。
「日本語でいえば、性の力、性力と訳されるわね。文字どおりに単純に理解してしま
ってかまわないわよ。インドではセックスも解脱にいたるりっぱな方法のひとつ、と
考えている人たちが古今東西、存在するのよ。男根を象徴するリンガ、女陰を象徴す
るヨニという名の聖石信仰もあるし。その類の信仰なら日本をはじめ、世界各地で普
遍的にみられるものでもあるようね。つまり、人がセックスにつぎこむパワーには、
神秘な存在に通ずるほどの潜在力があるってこと」
「つまり“ダルガの心臓”てのはその、シャクティとやらに関係があるってことか」
「そのとおりよ。そういう意味では」と、尚美は、いまだおさまらないままのズボン
の内部のおれの息子を、人差し指でぴん、とはじいた。「あんたや、あんたのつれて
る娘みたいな性力旺盛な人物のもとに“心臓”がわたって、なおとどまりつづけてる
っていうのも、あながち偶然のせいばかりともいえないかも、ね」
け、とおれは半顔歪めてみせた。
「ご迷惑なこったぜ。なにも好きこのんでこんな地下迷宮に迷いこんできたわけじゃ
ねえんだがな」
「それはわたしたちもご同様ね」いいつつ、尚美はその猫のような瞳でじろりとおれ
をにらみあげた。「すくなくとも、この闇の王国に“ダルガの心臓”がもちこまれる
事態だけは、なんとしてでも避けたかったんだけど」
そこまで訊いて、おれはわれしらず眉間にしわをよせていた。
闇の王国、と聞いてさらなる疑問符がわいたからだ。高天原がどうの異次元がどう
のもよくわからねえが、その神の居住地たる高天原がなぜ闇の王国になるのかが、感
覚的にまったく理解できなかったのだ。
が、そんなおれの疑問にはおかまいなしに、尚美はさらに先をつづけた。
「なのにあんたたちときたら、まるでひきよせられるみたいにふらふらと。はっきり
いって、あんたたちが芦屋のスパイかなにかだって、まったく不思議はないって疑っ
てるのよ。もちろん、いまもね」
おっと、冗談じゃねえ。これで、無知まるだしのおれの態度に幾度となく尚美が疑
わしげにしていた理由がのみこめたが、あきらかにまるで身におぼえのねえ話だ。
「心外だな」いいつつ、おれは尚美の形のいい顎にそっと手をよせた。「おれァいつ
でも、きみの味方だぜ」
が、尚美は気取ったしぐさで、つん、とおれの手をはねのけ、ふんと鼻をならした。
「残念だけど、信用ならないわね」
傲慢な調子で口にし、そしてふいに――上目づかいにおれを眺めあげながら、つ、
と背中からおれの胸によりそった。
「それとも、わたしてくれる?“ダルガの心臓”」
ひじで軽く、わき腹をつついてきた。う。
「そこだ」危うく篭絡されかかるところを寸前でぐっとこらえて、さらに問うた。
「あのインド人どもが、その“心臓”とやらにご執心な理由は充分によくわかったが
な。その芦屋だのおまえら安倍だのといった、まるで無関係な連中がそれをつけねら
って飛びまわってるってのが、まずさっぱりわからねえ。それとあの仏像人間。そも
そも、その“心臓”てのはいったいこの富士山の底の――高天原とやらと、なんの関
係があるってんだ?」
すると尚美は、なぞめいた微笑をうかべて、つい、とおれから離れた。
「知らない方がいいことって、たくさんあるのよ、峠達彦」
「わからんなあ」
と、おれは気むずかしげに腕を組む。
「わかる必要は、ないのよ」
ふたたびおれの眼前に歩みより、触れるか触れないかの距離でちょんと、おれの鼻
を指ではじいてみせた。
「わたして」
「やらせてくれるか?」
自分でもスケベまるだしだなと自覚しまくりの笑みを頬にはりつけつつ、短い髪の
間からのぞく耳にささやいた。壁によりかかった野郎二人組が、うさんくさげに眉を
よせつつ、ついと半身をむける。
「考えてもいいわよ」
ため息とともに熱く、おれの胸にむけて尚美はささやいた。うひょ。もうひといき
「かまわないわ」
打てば響くように云いながら、顎をそらすようにしておれに向けて顔をあげる。
やったぜくくく、と内心小おどりしつつ、顎に手をかけ唇をよせた。
つん、と長く細い人さし指が、甘くただれた進撃を阻止した。
「なんでえ」
じらすなよ、と云いかけるのへかぶせるように、
「まず、出して」
ときた。
おお、と喜びいさんでジッパーをおろそうとすると、
「ばか、ちがうわよ。べつの宝物。“ダルガの心臓”。もってるんでしょ?」
いって、ながし目をくれた。
ここで鼻の下でものばしつつほいほい出せば、真性の本格的単純バカ助平だが、ど
うもおれはそこまでの境地にはいたれないらしい。
いぶかしく眉間にしわをよせ、肩をすくめ、両手を左右に広げてみせた。
「それなんだ」と、さももっともらしく口にした。「なにしろ、旅行に出る時点じゃ、
その“ダルガの心臓”てのがいったい何なのかってのが、さっぱりだったんでな。持
ってきてねえんだよ。マンションにおいてきちまったんじゃねえかな」
そらっとぼけてそう云った。
とたん、
「痛っ」
むこうずねを蹴り飛ばされて、飛びあがった。
「とぼけないでほしいわね、峠達彦。あんたのマンションはとっくに捜索ずみ。使い
古しのコンドームまで調べてまわったけど“心臓”はどこにもなかったわ。となれば、
あんたが持っているとしか考えられないわね。でしょ?」
「あーん?」おれはわざとらしく目をむいてみせる。「どこにもなかった? そりゃ
おかしい。じゃあその、芦屋のなんたらが先にかっさらってっちまったんじゃねえの
か? それとも、あのインド人どもとか、よ」
「それも考えられないわね」刺すような視線をおれにすえたまま、尚美は平然と云っ
た。「ベンガルのドゥルガスの連中は、日本語はできなくても嗅覚は発達してるわ。
“心臓”をもっていない人間をしつこく追いまわしたりするようなことは、彼らはし
なくてよ。それに芦屋の方がそれを先にかっさらったんだとしたら、忍野の旅館まで
あんたを追って出没する意味がない。いいえ峠達彦、とぼけたってダメよ。“ダルガ
の心臓”は、あなたが持っている。まちがいなく、ね」
すっと身をひき、半身をおれに向ける姿勢でにらみあげた。
のこる二人も、ずいと身を乗り出し、遠まきにおれを囲む体勢だ。
ヤバいかもしれんな。
内心少々あせりつつも、おれは傲然と胸をそびやかした。
「うるせえな。知らねえものは知らねえんだよ。だいたい、あの林田がおれによこし
たものが、そこまでの値打ちものだってことからしてが、どうにもありそうにねえ話
だぜ」
「それほど信用ならない人物から、十五万も出して“幸運の石”を購入した人はだれ
?」尚美はからかうような口調で、にえくりかえるようなセリフを口にした。「あん
たの嗅覚がなにかをかぎつけたからじゃなかったのかしら?」
「うるせえ。それは、うー、あの、つまりだな、その、林田のヤツはもともと口ばっ