AWC ダルガの心臓(2)       青木無常


        
#2944/5495 長編
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ダルガの心臓(2)       青木無常
★内容
「その師匠に感謝しなさい。でも調子に乗るのはここまで。さっさと逃げて。足手ま
といだから」
 最後のセリフにむっと来つつも、ころがりまわる化物が置きあがりこぼしみたいに
ひょん、と不気味な四足獣の形態を回復するのを見て、おれは素直に怖じ気づいた。
 だから、
「うるせえ。女ひとりおきざりに逃げられるか」
 勇敢なセリフが口をついて出たときは、自分に対する賛嘆と非難の気分とが半々だ
「あら、差別的な発言ね」声に笑いをにじませつつ、尚美は背中ごしにそう云った。
「でも心配はいらないわ。どうしても面子が気になるってんなら――」
 頭上に芝居がかったしぐさで腕をさしあげ、ぱちんと音高く指をならした。
 同時に、遠くまぼろしのように明滅をくりかえす、消し忘れの紅灯を背に、路地の
陰からふたつの人かげがのっそりと現れた。
 どちらも男だ。一方は、角刈りに短く髪を刈りこんだ甘い顔だちの優男、そしても
うひとりは――身の丈二メートルは軽くありそうな、ぶあつい岩みたいな胸をした、
鼻のつぶれた大男だ。こっちの巨漢は、どういうわけだか腰まわりに無数の水筒をぶ
ら下げていやがる。
「騎士はそろってるから、どうぞご安心を」
 軽い口調で云いつつ、尚美はちらりとふりむき微笑した。ちくしょう、しびれるほ
どの、フェロモン無遠慮に放ってやがる。
 が、野郎つきなら興味も半減だ。すくなくとも好んで荒事にまきこまれるいわれは
ない。
「なら、頼むわ」
 無責任に云い放つより速く尚美と化物に背中をむけ、一目散に走り出していた。

    2

 底がぬけたような土砂降りのなかをマンションに帰りついたとき、時刻は午前六時
 鍵は持っているが面倒なので呼び鈴をならす。
 二回。間をおいてもう二回。そして立てつづけに八回。さらに機関銃みたいに二、
三分ほどのあいだ山ほどならしまくってようやく、
「なにようもう。寝てるのにさあ」
 よれよれの声をあげつつ開いた扉のすきまから、小春がしょぼしょぼの目つきで顔
を出した。
 ピン、と来た。睡眠中をたたき起こされたのは事実にちがいなかろうが、どこかう
さんくさい。はっきりいってこのバカ娘は演技が極端にへたくそなのだ。
「ずいぶんじゃねえか。ひとが死にそうな目に会いながらほうほうの体で帰ってきた、
つうのによ」
「なによ、死にそうな目って」鼻にしわをよせつつ問うてから、今度はそのしわを眉
間にまで拡大し、「ずぶ濡れじゃない。どこ行ってたのよ」
「雨はあがったかな」
 小春の詰問には耳を貸さず、一人ごちながらおれはずんずんとベランダを目ざした。
「あ、ちょっ、ちょっ、床が濡れるじゃないよ。シャワー浴びてこいよ。風邪ひくで
しょ」
 ずいぶん殊勝なセリフをつけ加えるが、この娘はそういう気づかいをするタイプで
は断じて、ない。
「うるせえ。おれは夜明けのコーヒーを飲みたいんだ。おお?」
 わけのわからないセリフの最後にわざとらしい驚嘆をつけ加えたのは、あけ放した
ベランダに予想どおりのモノを発見したからだ。
「ども。ちわす」
 ひらいた窓から首をのぞかせたおれを見て、げ、という表情を瞬時うかべてから霞
崎竜二は、露骨な愛想笑いをずぶ濡れの顔にはりつかせつつぺこりと頭をさげた。
「おお、どうしたい竜二。ずぶ濡れンなってそんなとこでよ。手すりの修理でも頼ま
 うぐ、と後ずさりつつも竜二はしゃあしゃあと、
「そうなんですよ峠さん。ほら、ここんとこ、塗装がはげかかってるの小春さんが見
つけられたみたいで、ほら、ここ。で、あの、ぼくが塗りなおしの下見にきたという、
そういうわけでして。はい」
 脳みそ腐ってんのかこいつ、と心中舌をうちながらおれはうす笑いをうかべてうん
うんと何度もうなずいてみせた。
「ほうそうかいそうかい。そいつはご苦労だったよな。こんな朝っぱらから。しかも
「いえいえいえいえそんな。もうぼくなんか、小春さんのためなら、あ、いや、峠さ
んのためだったら夜中だろうと明け方だろうと盆暮れ正月だろうともうなんでも」
「ほう、そうかい、なるほどねえ。じゃちょっと、おれのためにいっちょそこから飛
び降りて見せてくれんか?」
「またまたまたあ。峠さん冗談きついんだからあ。そんな、峠さんに迷惑かかっちゃ
うじゃないですかあ。ぼくとてもそんな真似できませんよ。それじゃぼく、今日はこ
のへんで」
 云いつつひょいと立ちあがるや脱兎のごとくおれのわきをすり抜け、玄関へとむか
「おい、シャワーくらい浴びてったらどうだ? おまえんとこ風呂ねえだろ?」
 親切ごかしてわざとらしくいうのへ、いえ結構ですそれじゃまた、と上の空のセリ
フをおきざりにして竜二は疾風のごとく扉の向こうに消えていった。
 ヤバ、と目を伏せる小春にじろりと一瞥をくれ、おれは無言で風呂場にむかった。
 シャワーを浴びながら、たった今の茶番劇は不問にしようと決めた。べつに寛大ぶ
ってるわけじゃない。追及すれば小春のヤツめは開きなおって
「ふん、何さ。あんただってさんざんあちこちで浮気やりまくってるくせに」
 などとふてぶてしさ丸だしで煙草に火をつけながらうそぶきはじめ、しまいには
「あたしの処女をむりやり奪っといてさんざ弄んだあげく捨てるつもりのくせに、な
によなによなによ」
 と事実に反する抗議をわめき立てながらおんおんとウソ泣きしはじめるのがオチだ
からな。
 それにこの霞崎竜二というヤツは、曲がりなりにも大恩あるおれの師匠でも、いち
おうあるのである。
 太極拳だか八極拳だか知らねえが、うちのマンションの裏のぼろアパート前で深夜、
中国拳法のトレーニングを欠かさないヤツの、見よう見まねで遊び半分につきあって
るうち、奇妙なことに身体も軽くなってきたし毎日毎日調子がいい。その上、酔った
晩にからんできたチンピラを軽くあしらえる自分を発見できたときはたしかに、竜二
のヤツに感謝もしたし、その一件以来深夜の奇妙なトレーニングにもいっそう身を入
れるようにもなっていた。
 おれの顔をつぶすような真似をしゃあしゃあとしたのは少々許しがたいが、どっち
みち小春などなりゆきで同棲してるだけのバカ女、その性の強さに正直うんざりさせ
られているのも事実だ。となりゃ、場合によっちゃ脂肪ばかりの脳毒娘をおしつける
絶好の対象でもある。せいぜい大事にしてやるか、といったところだ。
 むろん、尚美に「師匠を大事に」と、本気ともとれぬ忠告を受けたばかりであった
事実もまた、この決定に多少の影響を与えているかもしれない。なにしろ、見よう見
まねの拳法とはいえ、たしかに人外の化物にも少しばかりは通用したのだ。
 なんにせよ、ドシャ降りと化物に襲撃を受けた余韻とをすっかり洗い流してタオル
で頭を拭きながら浴室を出ると、ベッドの上で小春がしなをつくっているのに出くわ
した。
「信じてよタッちゃん。あたし潔白なのよ。なんなら試してみたっていいわ」
 云いつつくねくねと上体をくねらせた。でかいおっぱいがぶるると揺れる。
 おれは鼻先でふんと笑いつつ「わかったわかった」と生返事をおきざりに台所に向
かい、冷蔵庫からレーベンブロイをとりだしてタブを引く。
 らっぱ飲みにする背後からナメクジみたいな感触がぺたりと背中にはりつき、
「ホントに信じてる? 小春のこと疑ってない?」
 甘ったれた声を出す肉欲娘は無視して、愛用のジッポで煙草に火をつけた。
「わかったから、ちょっと離れてろ。考え事があるんだ」
 紫煙をぷうと天井にむけて吐き出しつつおれが云うと、小春のヤツめ、やっぱり疑
ってるんだ、あたしを放りだす気なんだ、さんざん弄んでおいてこの人でなし、等々
とうわごとをほざきながらおんおん声をあげつつ、背中にまとわりついて離れない。
離れないどころか、百いくつの巨乳および恥丘のじゃりじゃりした感触をおれの背中
にぐいぐいおしつけながら、ひとの股間にことわりもなく手をのばしてめったやたら
にいじくりはじめる。
「おい、痛え、やめろこの。乱暴にあつかうんじゃねえよ」
 ぐびぐびと喉をならしてビールを流しこみつつ、おれがそう云うのをハナから無視
して小春は、
「じゃ、疑ってないんなら証拠をみせろよ。証拠みせてってば」
 なおもウソ泣きしながらとりついて離れない。
 もちろん、意に反して刺激に反応しつつある不道徳な息子の説得も手伝って、おれ
はしかたねえなあとなかばうんざりしつつ脂肪ののりきった小春の肉体を抱きあげて
運び、ベッドにむけて放り出した。
 どっちみち、理由やきっかけがどうあれ欲情した小春をなだめるにゃ、この手しか
ないのもわかっていた。その上、いっしょにいれば一日何度となくこういう状態にな
る好きものとくるんだから、三十こえた身にゃすこしばかり荷が重すぎるぜ。
 でかすぎてたれ気味のおっぱいをぶるんぶるんふるわせつつよがりまくる十九娘を、
ややさめた目で見おろしながら白い腹の上に放出し、なかば放心状態で煙草を三本ず
つふかした後、おれはやおら立ちあがった。
「あん、どこ行くのよう。もう一回」
 と言語道断なセリフを吐く淫乱娘に、後ろ足で砂をひっかける動作をしてみせなが
らおれは、
「旅行の用意だ」
 短く云った。
「旅行? どこ? どこいくの? とうぜんあたしもつれてってくれるんでしょ。そ
 パリ、パリ、パリ、と割れせんべいみたいにくりかえす。バカいってんじゃねえそ
んな金どこにあるってんだ、と毒づきながら非現実的な提案を一蹴しつつ、おれは行
き先を考えあぐねていた。
 借金とりがおしかける月末あたりになるといつも思うことだが、今まで実行したこ
とがなかったのはわざわざ遠くへ出かけずとも何とか行方をくらましていられたから
だ。が、そろそろそういう時のおれの立ちまわり先も知れはじめている。
 今夜、というか昨晩、斉藤を冷たくあしらったのも危険な要素といえばいえないこ
ともない。だれに稼がせてもらってるのかをヤツはよく忘れるし、逆に怨恨に関する
ものおぼえは抜群とくるからな。
 だが、なによりも尚美との出会いが、思いつきを実行に移させる強力な原動力とな
っていた。
 正確には、尚美との出会いというよりも彼女の謎めいたセリフと、そしてあの化物
の襲撃のせいだ。
 なにがどうなっているのかさっぱりわからないものの、ここはしばらく身を隠して
いた方が賢明だと直感が告げていた。
 旅行などバブルがはじけて店の業績不振が目立ちはじめたころからは、鎌倉にさえ
出かけていなかった、ということもある。
 前回いったのは二年前の安曇野、同行者は、ちくしょう、腐れ縁てやつだな、小春
だった。
 年齢をごまかしておれの店に飛びこんできたところを危うく警察にシッポをつかま
れそうになる寸前でかっさらい、かくまうつもりでマンションに住まわせたのが運の
つき。十六という年齢とボリュームのある肉体、なによりおれも相手も極端な好きも
の、ときたのもそれに拍車をかけた。
 ふん。考えてみれば、いいコンビではあるかもしれない。
 パリがだめならバリはバリ、とあくまで脳梅毒なセリフに固執するバカ娘をまとわ
りつかせながらおれは、ごく簡単に荷づくりをすすめた。
 駅前のドトールに出て軽く朝食をすませ、近くのコンビニでたりないものを購入に
出かけた。
 まとわりついて離れようとしない小春をムリヤリ漫画コーナーに落下させてから、
のんびりした足どりで店内をめぐった。めぐりながら――おれの視線は一点にはりつ
 場ちがいな人物がいたからだ。
 早朝のコンビニに、和服姿のびしっと決まった二十代後半くらいの、背筋がぞっと
くるような美人がたたずんでいるのだ。男ならぬ身であろうと好奇心を刺激されて不
思議はあるまい。
 まして――切れ長一重の、印象的な輝きを放つ目がちらり、ちらりとのぞき見るよ
うに視線を投げかけているのは、どうやらまちがいなくこのおれらしい。
 こりゃうまくするといけるかもしれねえな、朝っぱらからついてるぜ、うくくくく、
と鼻の下をのばしつつどうやってモーションかけようか思案しているうちに、ちくし
ょうめ、警戒心まるだしの小春が百いくつのバストごとおれの腕に腕をからませ、
「なに見とれてんのよ、このヘンタイ」
 ときた。
 これで、うるせえ余計なお世話だあっち行ってろ、と邪魔な背後霊を毅然とおっぱ
らいでもできれば大したものだが、残念ながらそこまで強気に出るほどの勇気はない。
なんでもねえよとつぶやきつつ、こびりついて離れたがらない視線を苦労して女から
ひきはがし、買い物をすませて店を出た。
 ねっとりとした視線はいつまでもつきまとって離れなかった。ちくしょう、このバ
カ娘さえいなきゃ。
 部屋へ帰ってから、再度欲情しておさまらない小春とさらに一戦まじえた後、不覚
にも眠りこんでしまい、結局、旅行に出発したのは夕刻をまわろうという頃あいだっ
た。
 どこいくのねえどこどことハイティーンの小娘にふさわしくはしゃぎまくる小春に
てきとうに生返事をかえしつつ、マンションを後にする前におれは電話を取りあげた。
出かける前に、かたづけておかなきゃならないことが幾つかあったのだ。
 が、アドレス帳を開こうとかたわらに目を転じたとき、おれの目に入ったものがあ
った。
 うす汚れた鈍色の、不細工な金属塊。
 おれはしばしそれを眺めやり、そして、自分でも理由不明の衝動につき動かされて、
その見栄えのしない、彫刻ともオブジェともつかぬ奇怪な物体を、ジャケットのポケ
ットの中にすべりこませていた。

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