AWC わくらば 二の三         城 成夫


        
#2894/5495 長編
★タイトル (RGJ     )  94/12/15  10:30  (163)
わくらば 二の三         城 成夫
★内容
 会社の仕事は、秋に入っていっそう忙しくなった。残業につぐ残業の毎日で、
ときには深夜まで仕事をするのも、そう珍しいことではなかった。そんな中で、
三つきほどが瞬く間にすぎていった。

 十二月に入って間もなく、淳の所属する開発二課の忘年会が会社の近くの割
烹でおこなわれることになった。
 開発部には一課から三課まで三つの課があり、淳の所属している二課はその
中では比較的こじんまりしていて、三人の女性をふくめて全部で十五人ほどの
課員だった。その二課の中では風間がいちばんアルコールに強いといううわさ
を聞いていたが、この忘年会の席で淳はあらためて風間の酒豪ぶりを見せつけ
られた。淳がやっと三杯目のビールのコップに口をつけたころ、風間はすでに
七、八杯は空けているようであった。
 みんないい加減酔いがまわったころ、その風間が淳のまえにお銚子を持って
座りこんだ。
「先輩、いかがですか。いっぱい……」
 淳は前にあった酒杯の酒をぐっと一気に飲み干すと、黙って空の杯を彼の手
に渡そうとした。
「いや、そんなことしないで、先輩から先にどうぞ……さ、ぐーっといきまし
ょうよ」
 彼は淳に杯をむりやり返すと、溢れそうになる迄なみなみと酒をついだ。淳
はそれを半分ほど飲んだあと、
「風間君、このあいだ銀座でやった成恵の同窓会に出なかったじゃないか!」
「ええ、ちょっと顔を合わせたくない人がいましてね。このところ同窓会の方
はご無沙汰することに決めてるんですよ」
 技術屋にしては珍しく社交性のあるこの男が、顔を合わせたくない人がいる
などとは、淳にはちょっと信じられなかった。顔を合わせたくないから同窓会
に出ない……淳は彼の意外に気の弱い一面を、かいま見たような気がした。
「顔を合わせたくないないって、誰にさ……常務かい?」
「いや、女性ですよ」
「女性っていうと……部長秘書?」
「いや、もうひとりの……そら……」
 彼は自分から名前を言い出すのが照れくさいのか、しきりに淳にその名前を
思い出させようとした。
「あゝ、伊予田さんか? 総務部の……」
「そう、ボッシュですよ」
「ボッシュってニックネームなの? あの女(ひと)……」
「ええ、彼女、目の玉が大きいでしょう。それでレンズメーカーの名前をもじ
って、つけたらしいんですけどね」
「なるほど……」
 誰がつけたのか知らないが、うまい名前をつけたものだと淳は思った。
「ボッシュなんって言われても、若い人には分かりっこないですよね。今どき
ボッシュのレンズを使ってる人なんって、めったにいませんものね」
 彼は淳に同意を求めるように言った。
「それで、何でまたボッシュに会いたくないの?」
「はぐらかそうとしたんだけど、だめだな……城戸さんも強引だからな!」
「…………」
「誰にも話したことないんだけど、それじゃ言い出しついでに恥を忍んで話し
ちゃいましょうか。誰にも言わないでくださいよ」
「無論そんなプライベートなこと、誰にも言いはしないよ」
 彼は左右を見て誰も聞いていないことを確かめると、ぐっと声を落として言
った。
「実は今年の春でしたかね。人を介してボッシュにプロポーズしたんです」
「それで?……」
「見事にふられましたよ」
「へえ! あの女(ひと)がねえ……」
 あの伊予田令子が風間を袖にしたということは、淳にはにわかに信じられな
かった。彼のような優秀で磊落な男を……淳には、令子が男性を見る目がない
としか思えなかった。それとも、彼女はよほど理想が高いのだろうか? この
まえ同窓会の帰りにタクシーの中で話をした限りでは、そんな雰囲気は微塵も
感じられなかったが……淳はあのときの令子とのやりとりを思い出しながら、
同窓会の帰りに起きたことを、風間に簡単に説明した。
「どうやら城戸さんも、だいぶ彼女に気があるらしいですね」
「いや、別に……」
 突然の風間の言葉に、淳は内心を見すかされた気がして慌てて否定した。
「老婆心かもしれませんけどね。やめといた方がいいですよ。綺麗な花はみん
な摘みたがるものですからね」
「どういうことさ?」
「彼女、れきっとしたフィアンセがいるんですよ」
「フィアンセが?……」
「人のうわさですけどね、相手は同じ総務部の、東高大の法科を出た男だそう
です。私もふたりで歩いているところを見たことがありますよ」
 酔いが回っているせいだろうか、淳は彼の言葉を遠い別世界の出来事のよう
に聞いていた。ショッキングなニュースには違いなかったが、そのときは不思
議に何の実感もわいてこなかった。

 翌朝、酔いがさめると、淳は昨夜の風間の言葉がひどく気になりはじめた。
会社に出ると淳はさっそく風間をつかまえて、令子に関するもっと詳しい話を
聞き出そうとした。だが彼も人のうわさだけで、果たして彼女にほんとうにフ
ィアンセがいるのか、確たる証拠をつかんでいるわけではなかった。要するに
酒の上で口が軽くなって、つい余計なことまで喋ってしまったというところな
のだろう。そのうわさの真偽を確かめようと思ったら、自分の足で調べるより
仕方がなさそうだった。しかしそうした淳の焦りにおかまいなしに、会社は年
末の休みに入ってしまった。

 年があけて初めての出勤日、淳が三時の休み時間にコーヒーでもの飲もうと
思って九階のカフェテラスへ行くと、たまたま和服姿の令子が目にはいった。
白の地に赤と金色の模様のはいった派手な訪問着は、背のすらっとした令子に
はよく似合って、和服姿の多い仕事はじめの社内でもひときわ人目をひいた。
彼女のまえにはユニフオーム姿の若い男性社員が腰かけ、親しそうに何かひそ
ひそと話し合っていた。
 令子はテーブルを二つ隔ててかけている淳に気づくと、一瞬かたい表情をし
て目をそらしたが、すぐに笑みをうかべて軽く彼に会釈をした。これが風間の
いうフィアンセなのだろうか。太い黒縁のめがね、オールバックにした真っ黒
い長髪……椅子にかけて組んだ足の形から想像すると、かなりの長身のようで
あった。淳はコーヒーを飲みながら、ときどき遠慮がちにふたりを流し目で見
るだけだったが、ふたりは恋人同志のように親しげに、いつまでも話をつづけ
ていた。
 休み時間がおわってから、淳が職場にもどって風間にそのことを話すと、彼
は自分の見た男にまちがいないと念をおした。

 その週の金曜日、めずらしく仕事を定時できりあげて会社の通用門をとおっ
たとき、淳は門の外で待ち合わせをしている男女の群の中に、この前カフェテ
ラスで会った男を見つけた。淡い縞の入った黒っぽい背広の上に、グレイのコ
ートの襟をたて、ボタンを外したままで無造作に羽織っている。あのとき淳が
想像していたとおり、かなりの長身であった。
 夕方になって急に吹きだした北西風がかなり冷たかったが、待ち合わせをし
ている人の群れにまぎれて、淳は素知らぬふりをして立っていた。すると三、
四分たって、ベージユ色のオーバーを着た令子が、門の奥の方から姿を現した。
淳は一瞬ドキッとして、彼女の視線を避けるように思わずまえの人の陰にかく
れた。
 男はいち早く令子を見つけると、右手をあげて彼女の方に近づいていった。
そして二人は親しげに肩を並べてバス通りまで歩いていくと、タクシーを拾っ
て目黒の方向へ消えていった。

 淳はその後二、三回、井の頭線の電車の中で令子を見かけたが、自分から彼
女に近づいていく気にはなれなかった。あの黒縁のめがねをかけた長身の男は、
いったい令子の何なのだろうか。あのときタクシーに乗って、二人はどこへ行
ったのだろうか。こんなこことを考えただけで、淳は心臓のあたりに締めつけ
られるような痛みを覚えた。あの男が令子の何なのか聞いてしまえば、気持ち
がすっきりすると思うのだが、淳はいま彼女にそんなことを聞く気にはとても
なれなかった。いっそ令子が自分の視界から消えてくれたら……と、そんなこ
とを淳は願った。だが通勤の途中や会社の中で遠目に令子の姿を見かけると、
淳の視線はやはりその後ろ姿を追わずにはいられないのだった。

 五月に入って間もなく、ふと何気なく手にした社内報の消息覧に、淳は令子
の名前を見つけた。結婚という太字の活字の横にまず夫になる人の名前が、そ
の左には同令子(旧姓伊予田)と小さな活字が並んでいた。
 あのあと間違いなく二人が婚約していることを確かめ、もう令子のことは半
ば忘れかけている淳だったが、この社内報の記事が彼の気持にとどめを刺した。
彼は社内報の外のページを見ようともせず机の上におくと、仕事を続ける気に
もなれず、いつまでも虚ろな目で宙を見つめていた。
 就業規則では女子社員も、結婚後ひきつづいて会社に残れることになってお
り、現に淳のまわりにも何人かミセスの社員が働いていたが、それっきり彼は
令子の姿を見かけなくなった。たぶん結婚と同時に退職したのだろう。もう今
さら、それを人に聞いてたしかめる必要もないと淳は思った。そして同時に彼
の令子に対して抱いていたやり場のない気持も、青春末期のほろにがい思い出
を残して泡のように消えていった。
                              (未完)





























前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 城成夫の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE