AWC わくらば 二の二         城 成夫


        
#2893/5495 長編
★タイトル (RGJ     )  94/12/15  10:26  (200)
わくらば 二の二         城 成夫
★内容


 この夜の出席者は全部で十二人だった。大きな丸いテーブルを囲んでいちば
ん奥に中井常務が掛け、そのあと卒業年度の古い方から順番に席についた。先
輩は絶対だと言っていた風間の言葉を、淳はなるほど……とあらためて納得し
たような気がした。いちばん入り口に近い席には、レイコと部長秘書とが仲よ
く並んで掛けていた。
 幹事の説明では、同窓会を開くのはほぼ二年ぶりだということで、淳のほか
にも何人か新しく入社した人がいるらしく、卒業年度順に自己紹介があった。
男性社員が全員おえたあと、部長秘書につづいてレイコが立ち上がった。
「伊予田レイコと申します。レイは命令の令を書くんです」
 彼女はちょっと下を向いて、自分の手のひらに字を書く仕草をしながら、や
や声をおとして言った。
「いや、令嬢の令でしょう」
 すぐ右隣りにいた若い社員が、タイミングよく口を挟んだ。そろそろアルコ
ールが回り始めたとみえて、目のまわりをほんのりと紅にそめていた。
 彼女は声の主の方をちょっと盗み見ていたずらっぽく笑うと、
「同じよ……」
 それは隣りの社員とのプライベートな会話なのか、淳の席からはやっと聞き
とれるくらいの小さな声だった。そして、
「幼稚園からずっと成恵ですから、フルコース組の一人です。ですから入学試
験の経験ってありません」
「幼稚園は試験なかったんですか?」
とまた隣りの社員が口をはさむ。
「忘れちゃったわ」
 令子は彼の方に顔をむけて、前よりもさらに小さな声で言った。
「ぼく、幼稚園を受けて落ちちゃったんですけど……」
「お前とは出来が違うんだよ」
と、今度はさらに右隣りの席に掛けていた、彼より一、二年先輩らしい社員が
罵声をあびせた。どっと笑い声がおこった。
 笑い声がおさまると、令子がまたつづけた。
「ノーベルへは去年、短大を卒業してすぐ入社しました。それ以来ずっと総務
部ですので、そろそろ外の部課に代わりたいと思っています」
「ぼくの課に来ませんか」
 淳のひとりおいて隣りの席から、先刻の自己紹介で営業部にいると言ってい
た、課長らしい四十がらみの男性が大きな声で言った。
「営業は嫌だそうですよ」
 すかさず先刻の若い社員が斬りこむ。
「振られちゃったか。ガツカリだな!」
 大仰なジェスチュアに、回りからまたどっと笑い声がおこった。

 昨年の短大卒というと、令子は二十一か二になるのだろう。淳の予想ははほ
ぼ当たっていた。それに彼女が幼稚園からずっと成恵学園に学んでいたという
と、淳が高校に入ったとき、彼女は小学校の四、五年だったはずだ。ひょっと
すると、淳は彼女がランドセルを背負って通学する姿をどこかで見ているかも
しれない……こんなことを考えていると、淳はいつの間に返ったような気持ち
になって、十年以上も前のさまざまな想いが脳裏をよぎるのだった。

 その夜の出席者は、ほとんどが淳にとって初めての人たちだったが、そこは
気のおけぬ連中だった。昔の学園の名物教師のことや、自分たちの悪童ぶりな
ど、いろいろと思い出話に興じているうちにすっかり打ち解けてしまって、ほ
んの二時間ばかりの宴会だったが、淳にはいつの間にかこの人たちが、あたか
も学園時代からずっと続いている親しい仲間ででもあるかのような想いにとら
われてくるのだった。

 その夜、同窓会をおえて外へ出たとき、時計はもう九時をかなり過ぎていた。
 冠園のすぐまえで中井常務の車を見送ったあと、みんなで銀座通りまで歩い
て出ると、同じ方向に返る人たちが三、四人ずつグループを組んでタクシーを
拾うことになった。井の頭線方面ということで、淳のグループは令子と、ほか
に若い男性社員の三人だけだった。
「また一緒になりましたね」
「ほんとね!」
 淳の言葉に令子が相づちを打った。
 タクシーがくると淳は令子をうしろの座席の奥に座らせ、自分はその横にか
けた。
「伊予田さん、お住まいはどちらなんですか?」
 タクシーが走りだすと、さっそく淳は令子に声をかけた。
「わたくし、西永福なの……」
「そうですか! それでこの前、井の頭線の電車の中でお見掛けしたんだ。ぼ
くは永福町なんですよ」
「あら!ほんと……」
 彼女はさきほど冠園のドアのそばで逢ったときと同じような、びっくりした
口調で言った。
「わたくしの家も町名は永福なのよ。駅は西永福ですけれど……」
「西永福のどの辺ですか? ぼく、あの辺はよく散歩するんだけどな……」
「線路の南側なの。住宅ばかりで目標が何もないから、ちょっとご説明しにく
いわ」
「駅から何分くらい?」
「そうね。わたくしの足で五、六分かしら……」
 それだけで彼女の家がどの辺なのか、淳にはほぼ見当がついた。その辺りは
永福でもかなり高級住宅の並んでいるところだった。
「ぼくの家も線路の南側なんです。たぶんぼくの家から伊予田さんのお宅まで、
ゆっくり歩いても十五分とかからないでしょう」
「十五分ていうと、一キロくらいかしら?」
「そんなものでしょう……それにしても奇遇だな。伊予田さんと同じ学園で、
おまけに家も近くだなんて! 全く思いもよらなかった」
「…………」
「世の中って広いようで、あんがい狭いものですね」
「…………」
「今度あの辺へ散歩に行ったら、伊予田さんのお宅さがしてみようかな」
 アルコールのせいもあるのだろうか、淳はいつになく饒舌になっていた。

 前の助手席に座っていた若い社員を渋谷駅の近くで降ろしたあと、タクシー
は夜の井の頭通りを永福町へ向かった。渋谷の繁華街をすぎると、それまで街
の照明でわりあい明るかった車内が急に暗くなった。ときどき対向車のまぶし
いヘッドライトが、令子の顔を暗い車内に急に浮き上がらせては、矢のように
後方に消えていった。
 間もなく車は小田急線のガードに差しかかった。前方にロマンスカーの流線形
の車体が見えると、淳はまた思い出したように令子に話しかけた。
「伊予田さんは、いつも何ごろの電車?」
「永福町を七時四十分にでる始発があるでしょ。いつもたいてい永福町でいっ
たん降りて、それに乗りかえるの」
「それじゃ、ぼくの一台まえの電車だ。あの次だと毎日すべりこみなんです。
このところ駅から会社まで、五百メートルばかり毎日かけ足ですよ」
「男のかたって、そういう人が多いみたいね。総務部にもそういう人が何人か
いるのよ」
「いっしょに駆けてるのが、かなりいますからね。それがどういう訳か、不思
議と毎朝同じ顔ぶれなんですよね」
「…………」
「疲れて歩きはじめると、うしろから駆けてきた同類に『がんばれ!』なんて
励まされたりなんかしちゃってね……」
 令子は何を思い出したのか、口をおさえて「ふふふ……」と笑った。総務部
のすべりこみ組と淳とが、いっしょに励まし合いながら駆けている図を想像し
てかもしれない。淳はいささか得意になって言った。
「でも結構いい運動になりますよ。毎日ですからね……」
「…………」
「先月はね、タイムカードの片面を全部、八時二十九分にきれいに揃えちゃっ
たんです。すべりこみ仲間がぼくのタイムカードを見て、うまいもんだって感
心してましたよ」
 せいぜい二、三回しか逢っていない女性に対して、こんな気軽にぺらぺら喋
るというのは、淳にとって初めてのことだった。彼はますます調子に乗ってつ
づけた。
「そしたら二、三日まえに、とうとう課長に言われちゃいましてね。君は一分
間でユニフォームに着かえて、七階の自分の席につけるのかって……」
「それで城戸さんは何てお答えして?」
「着けませんって答えましたよ。正直にね………そんなことは物理的に不可能
ですから……」
「…………」
「就業規則では、八時三十分には仕事を始めなきゃならないことになってるで
しょう。入社したばかりで違反ばかりやってるものだから、たぶん目をつけら
れて、勤労からうちの課長に注意があったんだと思うんですね。課長は八時半
なんかに来てやしないから、分かりっこないですから……」
「それもそうね」
「でも、今さら勤労や課長に何って言われったって、そう簡単に直りゃしませ
んよ、こういう悪癖は……。なにしろ、ぼくときたら幼稚園に入ったときから、
バスケットを持って毎朝すべりこみをくり返してたんですから……。かなり年
期が入ってるんですよ」
「おもしろいかた……」
 令子はまた暗いタクシーの中で「ふふふ……」と笑った。

 車はいつの間にか、井の頭通りを永福町の近くにさしかかっていた。銀座か
らだと今の時刻でも三十分はかかるのだが、淳にはそれがほんの十分か十五分
にしか感じられなかった。甲州街道の赤信号で車がとまると淳が言った。
「伊予田さんのお宅へ先にまわりましょう。運転手さんに指示してください」
「あら! もう永福町?」
 令子も時間の早さにびっくりしている様子だった。
「遠まわりさせちゃ悪いわ。城戸さんのお宅からどうぞ……」
「いや、ぼくの家はもう過ぎちゃったもの」
 淳のうそに令子は気づかなかった。
 令子の指示で車は左に曲がると、西永福の駅のすこし手前で井の頭線の踏切
を渡った。鬱蒼とした木立にかこまれた狭い道路を、車はスピードを落として
ゆっくりと走った。
「うち、次の十字路を右に曲がってすぐなの」
「そうですか。それじゃ次のかどで車を止めてもらいましょうか」
 淳の指示で車が止まると、令子はメーターを見て千円札を出しながら言った。
「わりかんでお願いできます?」
「いや、ぼくに出させて下さいよ。ノーベルでは入社したばかりだけど、成恵
ではぼくの方がずっと先輩なんだから……」
 いったん出した千円札を、むりやり令子に返して自分で料金を払うと、淳は
彼女とその場で車を降りていっしょに歩きだした。大きなけやきの木の枯れた
葉が道路いちめんに散って、二人が足を運ぶたびにかさかさと乾いた音をたて
た。
「九月に入ったばかりだというのに、もう落葉してるんですね」
「ええ、今年はとくにひどいの。先月からもう落葉してるのよ。以前はこんな
ことなかったんですけれど……」
「わくらばですね。きっと……」
「わくらばって?」
「病気の病に、葉っぱの葉を書くんです。落葉の季節でもないのに、病気で枯
れて落ちてしまう木の葉のことをいうんです」
「わくらば……とても詩的な名前ね」
 令子はかさかさと音をたてる自分の足もとを見つめながら、“わくらば”と
いう言葉を小さな声で二、三回くりかえした。けやきの木は何本もあるものと
みえて、どこまで行っても枯れ葉はいっこうに尽きなかった。
 百メートルばかり歩いたところで、彼女は急に立ちどまった。
「うち、ここなの……」
 彼女は小走りに走って三、四メートル先へ行くと、うしろをふり向いて右手
で家の方を指さしながら言った。高さが背丈ほどある長くつづく生け垣の端に、
ブラケットに照らし出された石造りの大きな門があった。暗い樹木の向こうに、
応接間の窓枠が白く浮かんで見えた。
「それじゃあ……ぼくのうちすぐだから、歩いて帰ります」
 淳は軽く会釈しながら言った。
「どうもありがとう。今夜はとても楽しかったわ。それじゃ気をつけてね」
 彼女は淳の会釈に答えて、右手を横に小さく振りながら言った。
 令子と別れて少し歩いてから振り返ると、彼女が門のまえに立ってまだ手を
振っているのが闇のなかで微かに見えた。

 令子の家から淳の自宅まで、やはり歩いて十五分とかからなかった。
 淳は自宅の前まで来てもすぐに家に入ろうとせず、きちんと区画が整理され
た近くの住宅街を歩いてみた。昼間吹いていた強い東風のせいか、東京にして
は珍しく星のきれいな夜だった。昼でも人通りの少ない寂しい住宅街は、夜に
なってシーンと静まり返り、中には早々と電灯を消している家もあった。
 歩きながら淳は、ここひと月ばかり自分と令子との間に起こった様々な出来
事を思い返していた。エレベーターでの出逢い、社員食堂での出逢い、同窓会
での出逢い、そして今またタクシーでの出逢い……ただの偶然にしてはあまり
にもいろいろなことが重なりすぎているような気がした。ノーベルへ入ったこ
とも、こうして令子と同じ永福の町に住んだことも、また彼女と同じ成恵学園
に学んだことも、淳には最初からすべて決められていたことのように思えてな
らなかった。そしてその決められた道を何も知らずに歩み続けているのかと思
うと、これから歩いて行く先に一体何が待ちかまえているのか、淳にはそれが
楽しさを通り越して、むしろ無気味にさえ思えてくるのだった。




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