#2871/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/11/30 21: 6 (191)
空からの告発 3 平野年男
★内容
「たいしたことじゃないんです。専門書の類をあさってみようかと思っていた
だけでして。何しろ、こっちではいちいち注文しないといけない」
「博多からこちらに向かったのは何時頃です?」
「待ってくださいよ……ええっと、博多発が午後三時十八分のつばめ一九号に
乗ってますね。西鹿児島駅に着いたのが夜の七時三分」
「どなたか知り合いにでもお会いになりませんでしたか?」
「いや……? うーん、会ってませんなあ。四時間近く、寂しい旅をしただけ
です」
「そうですか。駅からはすぐに自宅へ?」
「はい。独り者だもんで、ずっと寂しい思いをしていたことになりますかな」
と言って、一人笑う昆虫学者。
が、刑事の方はそれどころではなかった。アリバイが成り立つのかどうか、
はっきりしないのだ。博多に十二時二十七分に到着し、それから遅くとも一時
間半ほどで鹿児島空港近くの現場たるホテルに立てるかどうか……。
伊集院は、別の質問に移ることにした。
「いつ、峻さんが亡くなったと知らされましたか?」
「先ほども言いましたように、帰ってすぐですよ。八時になるかならないかだ
ったかな、東京の本社−−ヒサミ物産から電話があったのです」
「こちらに峻さんの知り合いはいるのですか? 無論、あなたを除いて……」
「……いないでしょう。いや、本当のところは承知していませんが、私の聞い
た範囲では、いなかったはずです」
「そうですか……。参りますね、これは。商談相手の方とも初対面だったそう
ですから、峻さんが亡くなったあの日、峻さんと既知であった人は鹿児島にい
なかったとなります」
「それは」
初めて顔色が穏やかでなくなる昆虫学者。
「つまり、私が疑われているという意味ですか?」
「そうは申しておりません。それどころか、私は、あなたに罪を被せたがって
いる者の存在を考慮しています。わざわざ鹿児島で事件を起こした裏には、あ
なたに容疑を向けさせる目的があったんじゃないかと」
「私に濡れ衣を……」
いくらかほっとした様子の相手を見て、伊集院はさらに続けた。
「そこで教えてもらいたいのです、寛さん。あなたのお兄さんを殺す動機があ
って、なおかつ三月の十六日から十八日の間、あなたが鹿児島にはいなかった
ことを知らない人がいたら、言ってください」
「ふむ」
鼻息を荒くして、久海は腕組みをした。手にした煙草から灰の塊が落ち、そ
れが合図のように、やがて口を開いた。
「まず、兄を殺したいほど憎んでいる人間について、私には分かりかねる。会
社のことはもうさっぱり忘れているのですが、社長の椅子に関しては兄が座る
ことで問題なく、決まっていたのでしょう?」
「そのようですがね」
「仕事以外での兄の人間関係もよく知らないし、家族とも円満にやっていたよ
うだがなあ」
仕方がないので、伊集院はこちらからつついてみることにする。
「中也さんはどうです?」
「中也? 弟のことですか? うん……言われてみれば、あいつには動機がゼ
ロとは言い切れないかもしれませんな。家を飛び出しはしたが、金に困って遺
産放棄を撤回したがるやもしれない。だが、一度撤回した物を取り消すには非
常な困難が伴う。そこで、兄を殺せば……。私達の両親はすでにいないし、兄
には子供もなかった。となれば、兄の財産は兄の奥さんの他、私と中也で分け
ることになる……」
「その中也さん、あなたが事件当日、まだ東京にいることを知らなかったんじ
ゃないですか?」
「知らないでしょう。何せ、私が東京へ行くことを知らせていないばかりか、
ここ何年もあいつとはやり取りがない」
「なるほど。非常に参考になりました。ところで、昆虫学者とは儲かるもんで
すか?」
「全く。本を出して売れれば別でしょうが……。ああ、私にも金銭面での動機
がないかを言っておられる? そりゃ見当違いってもんだ」
快活に笑う久海。
「と言いますと?」
「私は父が死んだとき、遺産をちゃんと受け取りましたからね。放棄なんてし
やしません。それに、遺産を受け取ったからこそ、会社を辞め、こうして虫の
研究に打ち込む決心が着いたのですから。そういう訳で、金には困ってません。
少なくとも食う分には」
「なるほど。これは失礼な質問でした。すみません。では、ここらでおいとま
させてもらいます。また伺いに来るかもしれません、そのときもよろしく頼み
ます」
「もちろん。事件を早く解決してもらいたいのが、身内としての願いですから」
そうして久海は、立ち上がった伊集院に手を差し延べてきた。
(アリバイについては1989年三月の時刻表を参照のこと)
2 クローズアップ
「こちら、渡辺さんの部屋ですか?」
「はい、そうですけど」
祐子は、予期せぬ訪問者を警戒しながら迎え入れた。目の前には、病院の雰
囲気には似つかわしくないジャケットの男がいた。見覚えがないし、見舞い客
ではなさそうだ。若い外見に似合わぬ、一癖ありそうな調子で男は喋り始めた。
「あなたは久海−−じゃなかった。失礼、渡辺中也さんの奥さん?」
「そうですが、あの、どういった御用件でしょう?」
「私、こういう者です」
男は、懐から黒い手帳を取り出した。警察の人らしい。自然と緊張して、息
を飲んでしまう。
「何か……?」
「ご主人の職業は作家で、中川太郎というペンネームを使ってらっしゃる?」
「はい」
「御主人は今、ここにおられますか?」
「いえ……。ちょっと用があって」
「そうでしたか」
どうしたものかな。そんな表情になる刑事。
「本当に、何があったんでしょうか?」
赤ん坊の様子を気にしながらも、祐子は質問を繰り返した。祐也は今、寝息
が聞こえそうなほど静かな奥の部屋で、よく眠っている。
「……どうやら、何もご存知ないようですな……。あなたの御主人のお兄さん、
久海峻さんが亡くなりました。それも、他殺らしいのです」
「え? いつです?」
「五日前の昼間のことでした。鹿児島空港近くのホテルで、殺されているのが
見つかったのです。こちらの新聞にも割に大きく、載ったはずですが」
「あいにく、新聞もテレビもろくに見ていませんから」
また、赤ん坊のことが気になった。
「ふむ。それでも、ヒサミ物産の方には連絡が行っているはずですが、何も聞
いていませんでしたか?」
ヒサミ物産は、確か、夫の兄が勤めている会社の名だった。久海峻は、そこ
の役職にあると聞いている……。が、その顔は見たことがないので、実感が湧
かない。
「いいえ、何の連絡も……」
「ははあ。会社の方はてんてこまいなんですかね。まあ、そんな訳で、こちら
にもお話を伺いに。最初、お宅の方に行ってみたんですが、留守だったみたい
で、近所の人に聞いて、こちらの病院だと」
刑事が台詞を終える前に、夫が病室に入って来た。
「どなた?」
「あの、あの、こちら、刑事さん。あなた、お兄さんが殺されたって」
「は? 何だって?」
寝耳に水という感じで、夫の中川太郎こと渡辺中也は、しきりに聞き返そう
としている。
「あ、警視庁の浜本といいます。実はですね……」
刑事は悔やみの言葉を口にしてから、つい先ほど祐子に聞かせた話を、中川
にも繰り返した。
「犯行があったのは、三月十八日の午後一時から二時ぐらいだったんですが、
この当時、あなた方がどこでどうされていたか、話してくれませんか?」
「それって……私達を疑っているんですか?」
「いえいえ。型通りのもんですよ。参考までに」
「……ちょっと待ってください」
中川は、システム手帳を取り出した。厚めで茶表紙の手帳だ。その内に目的
のページを見つけたらしい。
「このところ、走り回ってたから……。あ、三月十八日は、カンヅメしていた
んだ」
「缶詰と?」
妙な言葉を聞かされたという体で、浜本刑事は聞き返してきた。
「締め切り近くになっても作品のめどが立たないとき、ホテルなり旅館なりに
篭って、原稿にかかりきりになることです」
「ああ、あれですか。その間、どなたか側にいたんです?」
「いや、それが、一人で。最初は編集の小口君もいたんだが、ずっとにらみを
利かせてくれてた訳じゃなし……」
「もう少し、詳しくお願いします。どこのホテルで、いつから、そのカンヅメ
状態になったんですか?」
「三月十七日の朝、十時ぐらいだったか。Tホテルの確か、三一四号室だった。
円周率みたいだと、小口君が言っていたから」
「小口という方は、どこにお勤めなんでしょう?」
「CC出版の文芸三部、そこの編集だと聞いてますね」
「その方とは、いつまで一緒だったと?」
浜本という刑事の質問は、口調こそ穏やかだが、遠慮なく切り込んで来る。
祐子にはそう感じられた。
「三月十七日の昼過ぎまで。ルームサービスで、昼飯を一緒に食べたから、調
べてもらえれば」
「分かりました。それ以後はずっと一人でしたか?」
「十九日の夜に差し入れがあったな。そのまま翌日の最終日まで居座られてし
まいましたがね」
「要するに……」
メモしたばかりのページを改めて見直しながら、刑事はゆっくりと始めた。
「三月十七日から二十日までカンヅメをされて、十七日の昼過ぎまでと、十九
日の夜から二十日にかけては一人ではなかったと。これは、我々としても困り
ましたなあ」
「十八日のアリバイがないからですか? 抜け出してなんかないんだがね」
「いや、こちらとしては、少しでも枠を絞りたいんですよ。ま、もう少し、あ
なたの身辺を探らせてもらうことになりますか、これでは」
「ふん」
気に入らなさそうに、中川は鼻を鳴らした。
刑事はそれに気付いたかどうか、何の反応もせずに、矛先を転じた。
「奥さんの方は、いかがです?」
「私は子供を見るので手一杯でした、ここのところ」
「ほう。かわいらしい赤ちゃんですねえ。初めてのお子さん?」
小さなベッドで横になっている祐也を、刑事はそう評した。ありきたりで、
当たり障りのない感想。
「そうです」
「どんな病気なのか、伺ってもよろしいですか?」
「あの……心臓が弱くて……今日は検査だけなんですが、病院側の配慮でこう
してベッドで休ませていただいているんです」
「はあ、それは大変ですな」
大げさなまでに、刑事は気の毒げな顔を作った。と、祐子には感じられてし
まう。男が刑事でなければ、そんな感情は抱かないであろうが。
浜本刑事は言葉を続ける。
「気苦労も多いんでしょう。それじゃあ、子供をおいて、出かけるなんてこと
は無理でしょうね」
「はい。つきっきりで」
「一応、お伺いしますが、赤ちゃんの他に、誰か証人となってくれるような人
は?」
「担当の先生とか看護婦さんが、定期的に診に来てくれました」
「なるほど。ところで、あなたを含めた兄弟三人の仲はどうでした? えっと、
峻さんと寛さんでしたか」
「動機ですか、刑事さん? まるでどこかの政治家だ、口では疑っていないと
言っても、裏じゃあ……」
中川の皮肉な口調には、さしもの刑事も慌てたようで、首を忙しく横に振っ
て、否定の意を表明する。
「いえ、これはそういったもんじゃなく、一種の確認です」
−−続く