#2860/5495 長編
★タイトル (NFD ) 94/11/19 10: 6 (110)
『転校生』 第3章(2) ・峻・
★内容
なにもできないまま四日が過ぎ、金曜日になっていた。
放課後、ぼくは図書室で時間をつぶし、図書室が閉まると体育館の前で待った。
高志が柔道の練習を終えて出てくると、やあ、と声をかけた。高志はちょっと驚い
たような顔をしたが、すぐに嬉しそうに片手を上げた。
ぼくたちは並んで自転車を押しながら学校を出た。
「浅井さんの様子が心配なんだ」
ぼくはすぐに核心に触れた。
え? というような表情で高志が振り向く。
「学年末テストの成績発表の日から、ずっと変だったから」
「そうかなあ。ちょっと元気がなさそうな感じもしたけど、あいつだってそういう日
もあるだろう」
高志も気付いていなかったのか。
「違うよ。ぼくはひとの表情を読んだり、言葉の裏にあるものを見抜いたりするのは、
もともと苦手だ。でも浅井さんのことならわかるんだ」
高志は小さな目を丸くしてぼくを見つめ、にやっと笑う。
「ほう、そうだったのか」
ぼくは自分の言ったことの意味に気付いて、真っ赤になった。
「そうじゃないけど……」
高志はしばらく笑っていたが、ぼくの真剣な顔を見て表情を引き締めた。
「ほんとうに、変だったのか」
「とても心配なんだ。前にきみは、浅井さんが変わったって言っていたよね。あれは
どういう意味なの?」
これを聞くことが、今日高志を待った目的だ。
高志は少し考えるようにうつむいていたが、やがて心を決めたように話し始めた。
「去年の夏休みの終わりごろ、翔子が家出をしたんだ」
意外な話だった。
ぼくには翔子が家を飛び出す理由を思いつかなかった。
「なんで家出なんか」
「あいつのおふくろさんが、男の人と、その、付き合い始めて……」
高志はこういう話は苦手らしい。
ぼくも下を見たまま聞いていた。
「相手はまじめな人だし、あいつのおふくろさんは、まだ三十五歳なんだから、好き
な人ができたって不思議じゃないって、うちのおふくろはそう言っていた」
「浅井さんはそのために家出したのか」
「翔子はそのことをまったく知らないでいて、近所のおばさんかだれかに、突然聞か
されたらしい。それで余計に傷ついたのかもしれない。家出なんて、やりすぎみたい
な気がするけど、自分の母親のことになるとそういうものなのかもしれない」
よく話してくれたと思った。
ぼくを、それを知ってもいい人間だと認めてくれた。そのことは本当に嬉しい。
しかし、気がかりはさらに増えただけだ。
「それで、いつ帰ったの」
「翔子がおふくろさんと口論みたいなことになって家を飛び出してから、夕方、おふ
くろさんがうちに相談に来たんだ。うちのおふくろとは古い友達だから。夜になれば
戻ってくるだろうと言っていたんだけど、結局その日は帰ってこなかった」
「みんな心配したんだろうね」
「ああ。翌日の午後になっても帰らないので、またおふくろさんがうちに来て、学校
や警察に届けようかと相談していた。結局もう少しだけ待ってみる、と言って、おふ
くろさんが家に戻ってみたら、あいつその間に帰ってきていて、自分の部屋で布団を
かぶって寝ていたということだ」
ほっとしたような気持ちになった。
「警察なんかに届けて、大ごとになる前でよかったね」
「うん、だからこのことは学校でも知らないんだ」
ぼくは高志の目を見ながらゆっくりとうなづいた。
わかっている。決してだれにも言わない。
「でも、一晩どこにいたの。友達のうちかなんかだったの?」
「どこにいたのかは、何度きいても、どうしても言おうとしなかった。一人で帰って
きて、シャワーを浴びて、すぐに寝込んでしまったということだから、徹夜でその辺
をうろついていたんじゃないのかな」
「浅井さんはそのあともずっと、おふくろさんに反発していたの?」
「そんなことはないと思う。おふくろさんは相手の男の人との交際はぴったりとやめ
たそうだし、翔子は、心配をかけたことを謝った。男の人と別れたおふくろさんのこ
とを、かえって気遣っていたそうだ。みんなうちのおふくろから聞いたことだけど」
「浅井さんが変わったというのは、そのためなのか」
「よくわからない。でも、あのあと二学期が始まると、あいつはおれたちを避けるよ
うに、ほとんど口をきかなくなった。ハンドボール部もやめてしまった。当然部長に
なるようないい選手だったのに」
ぼくは、ハンドボールのことを聞かれてうつむいた翔子の表情を思い出した。
「あいつはあれで、結構クラスの人気者だったから、みんな心配したんだ。病気じゃ
ないかとか、失恋したんだろうとか、勝手なうわさもたったけど、二学期の終わりご
ろには、だんだん元気を取り戻してきた」
「それできみは、始業式の日、江藤たちに噛みついた浅井さんに、あんなことを言っ
たんだね。男勝りが一番似合う、なんて」
「安心したんだ。ほかの連中だって嬉しかったと思う」
そうだったのか。
ぼくは嘆息をついた。
「ぼくは何も知らないまま、浅井さんと向かい合っていたんだね」
「それがかえってよかったんだと思うよ」
心の傷に触れられることなく付き合っていられたことが、翔子の痛みを癒していた
のだろうか。
ぼくが少しでも翔子の力になれていたのだったら、それはとても嬉しいことだ。
でも、疑問はすこしも解決されていない。
「浅井さんが最初におかしくなったとき、廊下の窓から三年生が彼女のことを見てい
たんだ。よく江藤や久保井といっしょにいるやつ」
「あの背が高くてごついやつか。矢部だ。矢部洋司」
高志はすぐに答えた。
「前は野球部のピッチャーをやっていたんだけど、二年の途中から新宿あたりの高校
生のグループと付き合うようになって、悪くなった。他の部員たちとぶつかって、野
球部もやめた。体がでかいから、高校生なんかとも対等以上にケンカをするらしい」
「浅井さんは矢部と付き合っていたことがあるの?」
「まさか。ときどき声をかけられたりしたらしいけど、いやがっていたよ」
「じゃ、なぜあんなに怯えたんだろう」
「きみの思い過ごしじゃないのか」
ぼくには何とも言えなかった。もともと具体的な確証があるわけではない。ぼくだ
けが不安に感じているだけのことなのかもしれない。
「これも思い過ごしかもしれないんだけど……」
数日前から気になっていたことがある。
「浅井さんは江藤と久保井を避けているようだった。あの二人が彼女のことを変な目
つきで見ていて、彼女がそれから逃げるように教室から出ていくことが何度かあった
ような気もする」
翔子が始業式の日の例のことで、彼らに嫌がらせをされているのなら、ぼくにも責
任があると感じていた。
高志は考え込むような表情をしている。
「江藤と久保井は、さっきの家出の話は知っているの?」
「そんなはずはない。担任だって知らないんだから」
結局、翔子の異常の原因は何もわからなかった。
いつもの交差点に着いていた。
「これからおれも、翔子のことを注意して見ていることにするよ」
別れ際に高志が言った。
そこで左右に分かれて自転車に乗ったとき、ぼくは明日が終業式で、翔子のそばに
いられるのはあと一日しかないことを思い出した。