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邪狩教団 第3話 ミレニアム 15
★内容
15
「追え、ハミングバード!」カインが叫んだ。
玲子は頷いて、マーシュを追って走り出した。だが、意外にもマーシュは出口に飛
び込むのではなく、そのそばにあった何かを掴んで振り返った。
玲子も、そしてマーシュの後を走っていたジヒョンも動きを止めた。
「ミスター・マーシュ」ジヒョンが落ち着いた口調で訊いた。「自爆するつもりな
の?」
「……然り……」マーシュは答えた。「……新たな主君の誕生に……贄を捧げる…
…のだ……」
玲子はマーシュが握っているものに注意を集中した。一見して携帯電話のようだ。
だが、「自爆」というジヒョンの言葉が正しければ、何かの起爆スイッチになってい
るのだろう。
「それを使うのは、私が脱出してからという契約だったはずだけど?」ジヒョンが
マーシュに一歩近付いた。
マーシュは何かが潰れるような音を発した。どうやら笑っているらしかった。腐っ
た魚のような臭気が周囲に立ちこめ、すぐに消えた。
「……お前たち人間との……下らぬ約定など……知ったことではない……」
「あの子に何かをしたんでしょう、ミスター・マーシュ」ジヒョンはさらに一歩近
付いた。「ここを爆破したら、あの子も死ぬことになるのよ?」
再び、ぐしゅぐしゅという不快な笑い声と、腐敗臭が漂った。
「……その娘の体内では……我が主君の……この次元への投影された……種子が今
も仮の眠りについておる……その娘の肉体が破壊されたとき……地上に甦る……」
玲子はぎょっとして、カインの腕の中で意識を失っている道代を見た。プラーナを
集中してみると、確かに道代の方から弱々しい邪力が感じられる。マーシュの言葉が
真実であるなら、その体内には、<旧支配者>の霊体とも言うべき種子が巣くってい
るのだ。
「契約違反よ」ジヒョンが一歩進みだしながら言った。「違約金を払ってもらうわ」
「……黙れ……厭うべき人間め……それ以上近付くと……爆破を早めるぞ……脱出
するなら……今のうちにするがいい……」 ・・
「そうはいかないのよ、ミスター」ジヒョンは首を振った。「私はここから脱出す
ることになっているんだから。この建物を破壊されると困るの。それにまだ脱出の時
間じゃないのよ」
「……ならば死ぬがいい……」冷酷にマーシュは応じた。「……お前の命などに構
ってはおれん……」
「完全に契約違反ね」ジヒョンはため息をつくと、マーシュをじっと見つめた。「
違約金50万ドルか、死をもって償うか。どちらにするの?」
「……生意気な……口を叩くな……」マーシュは嘲笑した。「……銃などでは……
わしは……死なぬ……」
「まあ、そうでしょうね」ジヒョンは白い歯を見せた。「でも、これならどうかし
ら?」
見守っていた玲子は、思わず声をあげそうになった。ジヒョンの手から小さな何か
が勢いよく放たれ、至近距離からマーシュの手首に命中したのである。玲子はそれが
<旧神の印>が浮き彫りになった石であることを見た。玲子のメダリオンにも同じも
のがある。
マーシュが、すさまじい絶叫を発した。石版が命中したマーシュの手首は、瞬時に
蒸発し、その先端に握られている起爆スイッチがぼろりと落下した。
反射的に玲子が反応した。メダリオンが空を切り、マーシュの顔面に激突した。同
時にマーシュが、苦悶の声をあげながら素早く何かを唱えた。落ちている起爆スイッ
チが動き、ふらふらと宙に浮いた。
だが、それがマーシュの手に収まる前に、カインが飛び出していた。剣が一閃し、
マーシュの太い首はきれいに胴体から斬り飛ばされた。
ブシュッ!
腐敗臭が全員の嗅覚に襲いかかった。マーシュの胴体からは、どろどろした青緑の
液体が噴出している。それが耐えきれないほどの瘴気を放っているのである。玲子は
窒息しそうになりながら、焼夷炸薬弾を出し、発火装置を活性化するとマーシュの胴
体に叩きつけた。
たちまち数千度の炎が呪われた肉体を包んだ。ローブが一瞬で焼き尽くされ、その
下の鱗に覆われた強靭な身体が現れた。首のない肉体が、炎を消そうとするかのよう
にばたばたと動き回った。だが、もちろんそれは無駄な努力だった。数秒後には、全
てが溶解し崩れ落ちた。貪欲な炎は細胞の一片まで余さず食い尽くすまで消えないは
ずだった。
玲子は少し離れた場所に転がっているマーシュの首に近寄った。もはや抵抗するこ
とはできないようだったが、注意して少し距離を置いたままで訊ねる。
「彼女の中にいるものを追い出す方法はないの?」
「……ない……」マーシュは苦しそうに答えた。もちろん、玲子は同情など微塵も
感じなかった。
「彼女が死ななければどうなるの」
「……いつかは……死なねばなるまい……」耳まで裂けた口が、嘲笑するかのよう
に歪んだ。「……そのときこそ……お前たち愚かな人類は……新たな支配者の存在を
……知る……のだ……」
マーシュの首は、驚くべき生命力を見せ、ぐちゅぐちゅと潰れるような声で笑いだ
した。玲子は無言で、笑い続ける<従者>の頭部を蹴った。不快な嘲笑を響かせなが
ら、頭部はバウンドしながら転がり、勢いよく燃えている炎の中に飛び込んだ。新た
な獲物を見つけた炎が、たちまち頭部を包み込み、食い尽くし始めた。それでもまだ
マーシュは人類に対する嘲笑をやめようとはしなかった。玲子の手からメダリオンが
飛び、マーシュの口に叩き込まれた。
ようやく哄笑が止み、屋上に静寂が戻った。それとともに、遠くから人のざわめき
や、車の騒音、そして何発かの銃声が聞こえてきた。今まで邪力に妨げられていた音
が一斉に届き始めたのだろう。
ふと気付いて、玲子はジヒョンのいた方向を見たが、テロリストの姿はなかった。
首を巡らすと、ジヒョンのすらりとした姿が屋上のフェンスの上に立っているのが見
えた。小型のアタッシュケースを片手に持っている。
「ジヒョン」玲子はそちらに近付きながら言った。「あいつを滅ぼすのを手伝って
くれてありがとう。礼を言うわ」
ジヒョンは幅数センチのフェンスの上で、器用にバランスを保ちながらクスクス笑
った。
「礼には及ばないわよ、お嬢ちゃん。いえ、ハミングバードだったかしら」ジヒョ
ンは答えながら、内ポケットから何かを取り出した。「あいつが、いつか裏切るだろ
うってことは最初から予想してたんだから」
「でも、この事件の責任の半分は、あなたにあるのよ、ジヒョン」玲子はジヒョン
の手元に目を凝らした。それは栄養ドリンクぐらいのガラス容器だった。中にはかす
かに燐光を放つ液体が入っている。
「まあ、そういえばそうかもね」ジヒョンの指が容器のキャップを外した。「で、
どうするつもり?」
「投降しなさい。悪いようにはしないから。警察に、とは言わないわ」
ジヒョンは容器を口にあてると、ぐいと傾けた。奇妙なことをする、と思いながら
玲子は漠然とした不安を感じていた。
「邪狩教団に?」ジヒョンは容器を肩越しに投げ捨てた。「そうね。悪くない考え
かもしれないわね。でも、まあ遠慮しておくわ」
「逃げられないわよ」玲子は警告した。
「そう思うの?」
ジヒョンは再びコートの内側に手を入れると、今度は指ぐらいの棒を取り出した。
「そう思うわ」玲子は好奇心に負けて訊いた。「それは何なの?」
「私の脱出手段よ」ジヒョンはにっこり笑った。悔しいが、その笑みがとても魅力
的であることは玲子も認めざるを得なかった。
ジヒョンはその棒を唇に軽く当て、そしてゆっくり吹いた。
「笛?」
玲子は首を傾げた。だが、それにしては何の音も聞こえてこない。ただ、奇妙なこ
とに、背筋を冷たい興奮が走り、訳もなく玲子は不安になった。
笛を口から放すと、ジヒョンは再びにっこり笑った。そして、いきなり大声で叫ん
だ。
「いあ・いあ・はすとぅーる!はすとぅーる・くふすやく・ぶるぐとん・ぶるとら
ぐるん・ぶるぐとん!あい・あい・はすとぅーる!」
ジヒョンの声が消えぬ間に、夜の闇を切り裂いて、巨大な影がどこからともなく飛
来した。それは鳥のような形だったが、夜目のきく玲子でも、その姿をはっきり捉え
ることはできなかった。玲子はマーシュとは比べものにならないほど強烈な邪力を感
じとったが、ジヒョンは平気な顔で巨大な翼の間に飛び乗った。そのとき、ようやく
玲子は、その正体に気付いて愕然となった。
「バイアキー!ハストゥールに仕える風の<従者>!」
ジヒョンは最後に一度手を振り、楽しそうに笑った。その途端、バイアキーは飛び
立った。その巨大な姿は、すぐにかき消すように見えなくなった。一陣の風が頬を撫
で、玲子はぶるっと震えた。
『……ハミングバード!』気が付くと、イアピースが叫んでいた。『応答しろ!ま
だ生きているなら、ただちに応答するんだ!』
常に冷静沈着なタイラントも、このときばかりは感情が声に表れていた。玲子は、
クスリと微笑むと応答した。
「ハミングバードです」
翌朝の新聞の一面は、霞川大学の事件で満ちていた。新聞だけではなく、テレビ、
ラジオ、パソコン通信などあらゆるメディアが、謎に満ちたこの事件に関する情報を
流していた。玲子は休息のために用意されたホテルの一室でそれらを見た。
公安部の皆川課長は、無謀な突入を命じたことを非難され、辞表を提出せざるを得
なくなった。同時に、極秘のはずだったカウンターテロ部隊、JASPSの存在が露
見してしまい、警察上層部、それに政府関係者は、これから何週間もマスコミや野党
の厳しい追及に追われることになる。
ジヒョンをはじめ、テロリストは誰一人逮捕されなかった。ジヒョン以外のテロリ
ストは全員が死体となって発見されていた。ジヒョンがどうやって脱出したのかは、
謎とされていた。
ジヒョンの邪眼によってコントロールされた学生たちは、ジヒョンが消失するのと
同時に一斉に昏睡状態に陥り、やがて目覚めたときは元の精神状態に復帰していた。
ただし、コントロール下にあった時の記憶は誰も残していなかった。
「道代さんはどうなったんですか?」玲子はテレビを見ながら訊いた。
「一度は意識を取り戻したが」タイラントは答えた。「その精神は完全に破壊され
ていた。今は睡眠状態にある。おそらく、このまま眠らせておくことになるだろう」
「永久に?」
「やむを得ないさ、ハミングバード」ジャスミンが言った。全身が包帯だらけだが
見かけほど重傷ではない。「殺すことはできないのだから」
ジャスミンは例の屋上の階段の途中で倒れていたのを無事に収容された。彼のチー
ムも全員が回収された。あのときカインは、ジャスミンを殺すことなく無力化したの
だった。殺してしまえば、時間の節約になっただろうし、あの状況ではそうしてもカ
インを非難することはできなかった。だが、カインはわざわざ困難な方を選択したの
だ。その理由を玲子に問われて、カインは不機嫌そうに答えた。
「殺したら、君はまた文句を言うだろうが。違うか?」
「ミレニアム・プランは凍結された」タイラントが言った。「我々は、当分の間、
我々の力だけで<従者>に対抗していかなければならない。ところで、ハミングバー
ド。君には3日後に別の任務が用意してある。充分、休息をとっておくのだ」
「あなたって血も涙もない人ですね、長官」玲子は座っていたソファに身体を預け
て呻いた。
「今度は楽な任務だ。詳細は直前に伝達する」タイラントは立ち上がった。「では
元気でな」
「今度は楽な任務だ」玲子はタイラントの口調を真似た。「その言葉が正しかった
ことが一度でもあるんですか?」
タイラントは部屋を出る前に振り返ったが、何も言わずにそのまま姿を消した。
「じゃあな、ハミングバード」ジャスミンも立ち上がった。「また、いずれ、どこ
かの戦いで」
「はいはい」玲子は肩をすくめた。「みんなして、かよわい女子大生を苛めるんで
すね。お元気で」
ジャスミンは包帯だらけの身体を、きびきびと動かして出ていった。
残ったカインは、居心地悪そうにテレビを見ていたが、やがて立ち上がった。
「ぼくもそろそろ失礼しよう」カインは、そういうと足早にドアまで向かった。
「また会いましょう、カイン」玲子は立ち去る少年の背中に向かって声をかけた。
「ああ、ハミングバード」カインはドアを開けようと立ち止まった。そして、背中
を向けたまま、呟くように言った。「幸運を祈る」
「なんですって?」玲子は耳を疑って聞き返した。
「幸運を祈るって言ったんだ」ぶっきらぼうにカインは答えた。「またな」
少年の姿は風のように消え失せた。玲子は唖然とした表情で、しばらく閉じたドア
を見つめていたが、やがて楽しそうに笑みを浮かべると、ソファに横たわって目を閉
じた。幸運なことに、すぐに玲子は深い眠りに落ちた。それが、カインの祈りのため
であったかどうかは定かではない。
End
94.11.05