#2817/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/10/12 4:25 (200)
夜の虎(25) 青木無常
★内容
「カフラ、おまえがやれ」
そのとき唐突に、ジョルダン・ウシャルが宣告した。
マダム・ブラッドはぎょっとしたように目をむき、口ごもりつつ云った。
「そんな……ダーリン、まさかわたしが――」
「そうだカフラ」さえぎるように、ウシャルは傲慢に云い放った。「おまえがやる
んだ。けっこうな話だろうが。あ? ちょいと石になって眠るだけで、目覚めたと
きは永遠の若さと美貌とを約束されているってわけだぜ。ん? ありがてえ話じゃ
ねえか、そうだろう?」
適当なセリフをならべたてて、頭ごなしに決めつけた。
返す言葉もなく呆然と口を開くばかりのカフラを背に、ウシャルは「決まったぜ」
とバールカイベルに向き直る。
「よかろう」
カフラ・ウシャルの意志などこれもまったく無視の体で、舞踏教団の首魁もまた
うなずいてみせた。「では、マダムの気がかわらないうちにさっそく段取りにかか
ろうか」
「待て。その前に」
と口をはさんだのは、ハリ・ファジル・ハーンだった。「そこの強化人間と、決
着をつけさせてもらおうか」
ずい、と一歩を、踏み出した。
シャルカーン・バールカイベルは瞬時、困惑したように眉根をよせてみせた。
が、すぐに小さくうなずき、口を開いた。
「いいだろう、ハリ。彼に――」
つづく言葉を云い終えぬうちに――銃声が鳴り響いた。
21.閃光
青い薄闇を裂いて飛来した光条は、シャルカーン・バールカイベルの心臓目がけ
て死の直線を描いた。避ける間など、むろんない。
その一瞬に、バラムは賭けた。
「シギム・ナルド・シャス」
口早に唱え――弾ける激痛とともに、感覚がシフトしていくのをたしかに感じた。
時が、長く引き延ばされていく。
同時にそれは、体内をかけ巡る痛覚と悪寒とを展張する役目をも果たしていた。
超知覚と同様に、痛覚までもが強調され、不断の責め苦と化して押し寄せたのだ。
が、う、う、と、間延びした苦鳴で喉を震わせつつ、バラムは立ち上がった。
動作ひとつひとつに、重量感あふれた針の散弾を撃ちこまれるような激痛が爆散
した。だが――肉体もまた、知覚に追随して超越した力を、たしかに発揮している。
砕けるほど奥歯をかみしめて苦痛をかみころし、バラムは疾走した。
銃撃を受けたバールカイベルは――焼け焦げた穴を穿たれるはずの胸上に、極彩
色のスパークを弾けさせていた。何らかのパワー・フィールドの類を、装着してい
るのだろう。奇襲は完全に失敗だった。が――生身の肉体による攻撃に対して、そ
のパワー・フィールドがどう反応するか――試す価値はある。
跳んだ。バールカイベルに向けて。
おそまきながら、火焔につつまれたハリ・ファジル・ハーンが目をむきながら超
知覚モードに移行しつつあるのを横目にする。停まらない。
かたく握りしめた岩のような拳を、バールカイベルの水月に向けて突き上げた。
弾かれた。
となれば、エネルギーのみならず、高速で近づく物体をすべて跳ね返すタイプの
フィールドだ。
ちい、と舌をならしつつバラムは拳をひいた。超知覚に移行したことが、この場
合は徒になっていた。バールカイベルはそこまで計算していたのか。
後退して逃走に移るか、超知覚を解いて攻撃をつづけるか――寸時、逡巡した。
致命的だった。
炎につつまれて血走り、ぎらついた眼が、側方から襲撃をかけてきた。
ふりかえり応戦する間もなく、痛烈な衝撃が脇腹からつき上げた。
弾け飛ぶ。
血を噴きながら、叩きつけられた。
シギム――
唱えかけ、超知覚がまだ解けずにいることに気づく。老ウェイレンのいう、竜脈
のパワーのたまものかもしれない。だが全身をかけ巡る激痛もあいかわらずだし、
何より跳ね飛ばされ、叩きつけられた衝撃によるダメージは四肢を地震のように痙
攣させていた。
ぶざまにのたうちながら立ち上がろうとするところへ、ハリ・ファジル・ハーン
のプリミティヴな肉体が立ちはだかった。
にい、と、眼をむき出したまま、笑った。
これまでかよ、と歯ぎしりする思いで目を瞠り――
彼我の間に、再度レイガンの光条が割って入るのを目撃した。
茂みを踊りこえてマリッドが現れたとき、バラムは、大きく身体を沈めていた。
掌底を、つきあげる。
瞬時、対応の遅れていたファジル・ハーンが地を蹴って後退した。
その背後からマリッドの強襲が足下を薙いだ。
バランスを失い、高速の勢いに弾かれて頭部を下方に回転する。その背中に――
バラムの掌が、沈んだ。
肋骨が陥没していく感触を、バラムはたしかに感じていた。
強靭な肉体は無力なゴム鞠と化して弾け飛び――血塊を派手にまき散らしながら
二度、三度と地に叩きつけられたあげく、立ちはだかる樹幹を根もとから薙ぎ倒し
て――静止した。
ず、ずん、と重い音を立てて、粉砕された樹木が倒れこんだとき、バラムの超知
覚は解け、苦痛だけを残して世界を常態に復させた。
くあ、とうめきを吐きつつバラムは両膝を突いた。
「バラム!」
叫びつつマリッドがかけよる。その背後に――
「動くな」
静かに、しわがれた声が警告した。
ハーンの敗北と、そしてバラムの変調とに反応した一瞬の虚をついて、強化人間
に抗し得るほどのすばやさで老ウェイレンが、マリッドの背後をとることに成功し
たのだ。
首筋、延髄の上にぴたりと銀針を当てられて、マリッドは硬直した。
「動くな。おまえさんも、ややグレードが落ちるとはいえ強化人間らしいが、いく
ら速く動けたとてわしが針を突き刺す方がすばやいぞ」
低く、いささかの脅迫めいた響きもなく淡々とした口調で、老ウェイレンは告げ
た。
いわれるまでもなく、マリッドは微動だにさえできなかった。
「ようやく、役者がそろったというわけか」
シャルカーン・バールカイベルが静かに云った。
「いささか、損失してはいるが、な」
老ウェイレンが受けて云った。
そのとおりだな、とため息をつくような口調でバールカイベルはうなずいた。
「殺せ、老ウェイレン。残念だがハリ・ファジル・ハーンがやられてしまったとな
れば、その二人はわれわれには手に余る厄介者でしかない。機会を、逃すな」
老ウェイレンが無言でうなずき、手にした針を刺しこもうとした時――
「カフラ……!」
苦しげにうめくだみ声が、その手を停めさせた。
首筋から血をしぶかせて膝をつくジョルダン・ウシャルをはるか置き去りにして、
マダム・ブラッドが闇に向かって疾走していく。
「軽く――」
見すぎたか、とバールカイベルが述懐する前に、マリッドは前方に向けて倒れこ
んでいた。
目をむいた老ウェイレンが、あわてて針を刺し出そうとするところへ――倒れ込
むマリッドにかぶさるようにして、苦痛にうめき声をあげたままバラムが、えぐり
こむようにして下方から、拳を叩きこんだ。
咽喉部から下顎に向けて――重機のような衝撃がつき上がるのを、老ウェイレン
はまるで他人事のように感じながら宙に身を踊らせた。
突き抜けた拳は、異星人の奇怪な嘴をなかばほどもひきちぎっていった。
だん、と音を立てて小柄な身体が地に落ち、苦痛に声もなくのたうちまわった。
同時に、銃声がいくつか、青い闇に反響した。
フードつきの長衣が手にしたハンドガンから放たれた火線が、暗闇の一点に交錯
した。
死の光条に貫かれてカフラ・ウシャルはのけぞり、倒れ伏した。
「カフラ……!」
もう一度、暗黒街の帝王が血を吐くような口調で叫んだ。
「カフラ!」
呆然とことの成り行きを眺めやっていたバールカイベルが、その酷薄な美貌にな
おも放心をはりつかせたまま、力なく首を左右にふった。
「シフ・ウシャル……この成り行きはまったく意にそわないが、しかし君はどうに
か――」
皆まで云わせぬように――鮮血を盛大にしたたらせたまま、ジョルダン・ウシャ
ルは目をむき、食いしばった歯列の間から――しぼり出すような絶叫を放って夜を
震わせた。
慟哭だった。
成否さえさだかならぬ秘法の実験台になれと宣告し、その返礼に首を裂かれてお
きながら、なおもジョルダン・ウシャルは――カフラ・ウシャルの死に慟哭した。
その奇怪な心情を理解しきれぬ思いで、バールカイベルたちは呆然とした視線を、
血を吐きながら叫びつづけるウシャルに向けていた。
が、やがて“帝王”はふいに絶叫をとぎらすや、糸を切られた操り人形のように
がくりと、膝をついた。
そのままくたくたと、ついた踵に尻を乗せ、血と涙とをしたたらせつつ放心の体
でうつろな視線を天にさまよわせた。
そしてすすり泣きが、長い間、青い闇の底にせせらぎのように流れた。
見ひらいていた目をふとすがめ、シャルカーン・バールカイベルがつ、と、歩を
踏み出す。
ジョルダン・ウシャルのかたわらにゆっくりと歩みより、いたわるようにして血
を噴き出す首筋の傷口に手をのばした。
それが触れる前に――ぎろりと、ウシャルの双眸がバールカイベルに向けて移動
した。
狂気の薄笑いでも浮かべていれば、かえって納得がいったかもしれない。
“帝王”はそのかわりに、弛緩しきったように口端から唾液をたらしながら、さも
気怠げな口調で云った。
「やるよ」
と。
バールカイベルがいぶかしげに眉根をよせるのを目にして、初めてウシャルは小
さく笑い――そして、かたわらに無表情にたたずむ二人の美童に顔傾けた。
そして、無造作な口調で云った。
「復活させろ。ジーナ・シャグラトを」
な、と、バールカイベルが目をむく前で、無表情なふたつの美貌が異口同音に、
奇怪な和声をともなった呪文めいた異言を、唱えはじめた。
そして数刻の間をおいて、宙に浮かぶ天使像――ジーナ・シャグラトの、青ざめ
た裸体がふいに、白い燐光を発しはじめた。
美童の唱える呪言に同調するようにして、まるで鼓動のように盛滅をくりかえし
ながら、像の放つ光は徐々に、徐々に、目を射るような激しい白色光へとかわりは
じめた。
立ちすくんでいたのはほんの一瞬――シャルカーン・バールカイベルは躊躇なく
踵をかえし、小走りに移動を開始した。
「退却だ」
短い命令に、なおも放心していたヨーリクと教団員たちもまた、我に返ってバー
ルカイベルを追う。
「バラム、わたしたちも――」
云いかけるマリッドを、さえぎるようにしてバラムは手のひらをかかげてみせた。
どうしたの、と問いかけるマリッドをさらに制して聞き耳を立て――ふいに、泣
き笑いのような、奇妙な表情を浮かべた。
「おまえは先に行け」
そして云った。
マリッドが問いかえすより速くぐい、と強引に背中を押した。
「フライアは三機あったはずだが、奴らがぜんぶ持っていっちまわないともかぎら
ない。おまえの分と、後からおれが行く分、すくなくとも二機は確保してくれ。そ
れができたら、舞踏教団の連中なんざ放っといてかまわねえ。それからおまえは―
―おれを待たずに先に逃げろ」
「どうして?」
不満げに抗議するマリッドへ、バラムは――透明に、笑って見せた。
ぎょっと目をむいて思わず口をつぐんだマリッドの背中を、もう一度、あやすよ
うにして優しくおしやった。
「ちょいと時間がかかりそうなんでな。先にいって、チェンランと合流しておけ。
いつになるかはわからねえが――必ず、追いつくからよ」
そんな、と抗議しかけて言葉をのみこみ――眉根をよせながらマリッドは、口も
とをへの字に曲げた。
「もう、遅いよ」
「何がだ?」
すでに上の空の体で問いかえし、そしてつけ加えた。「行け」
幾度も、口を開いては言葉をのみこみ、最後にマリッドはぐいと目もとをぬぐっ
てから、決然と云った。
「あたしも残る。いっしょに、闘う」
「駄目だマリッド」
これもまた、叱責するようにきっぱりとした口調で、バラムが云った。――視線
は、折れ倒れた樹木の向こうの下生えにすえたまま。「おれを困らせるな。まず、
おまえが生き延びるんだ。でねえと、おれも逃げられねえ」
そんなのないよ、と力なく口中でつぶやくようにして云い、マリッドはどん、と、
バラムの背を押した。
お、と口を開いて眉根をよせつつ思わずふりむいたバラムの唇に、少年めいた美
貌がむしゃぶりついた。
内臓まで吸いつくしてしまいそうに激しく、マリッドはバラムの唇をむさぼり―