#2818/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/10/12 4:28 (167)
夜の虎(終) 青木無常
★内容
―それから、ぽん、と音を立てて離れた。
「なんでえ」呆然とした表情のまま、バラムは云った。「色気のねえキスだな」
「今度はちゃんとしたキスしてあげる」顔をそむけて、マリッドは云った。「だか
ら絶対に、後から来るのよ。ムリは禁止」
「おう。わかった」
力強くうなずき、ふたたび下生えに視線をやったバラムに、マリッドはもう一度
ちらりとその目を向け――
「じゃ、行く」
云って、断ち切るように立ち上がった。
「気をつけろ」
ふりかえらず声だけで応えるバラムの肩に拳を当て――後をも見ずに走り出した。
そんなマリッドの姿が廃寺の向こうへと消えるのを待ってから、今や太陽よりも
まばゆく鼓動をくりかえすジーナ・シャグラトの復活の光を背中に受けて、バラム
は、明滅する闇に向けて声をかけた。
「出てこいよ」
一拍の間をおいて、がさりと下生えを鳴らしつつ、炎ののたうつ肉体が力強く立
ち上がった。
燃えるような双眸はなおも力を失わず、貫くようにしてバラムを見すえている。
「気でもきかせたつもりか? 愁嘆場をつけばよかったのに、よ」
バラムは、牙をむき出すような表情で口もとに笑いを浮かべながら、云った。
無骨なハリ・ファジル・ハーンの無表情に、鏡に映したように同じ笑いが浮かん
だ。
へ、と、笑ったままバラムは吐き捨て、
「後悔させてやるぜ」
云った。
ふん、と鼻をならしてファジル・ハーンは胸をそらし――次の瞬間、消えた。
追わず、バラムはただ目を閉じた。
ほぼ同時に、背筋に悪寒が走りぬけた。
つい、と身をひねった。
爆風が、わき腹をかすめ過ぎた。
同時に影が瞬時ゆらめいて、驚愕の表情を浮かべるファジル・ハーンの揺れる像
に結実し――すぐに消えた。
ふたたび、バラムの首筋にぞくりと戦慄が走り――そのままその戦慄を、腰にす
えた。
肉体は無意識に動いていた。
まったく無造作な動作で一歩を退き、眼前を烈風が薙いだ。
燃え上がるような金髪が風に震え、瞑目したままバラムは、すっ、と手のひらを
払った。
ぐらりとよろめき出たファジル・ハーンが、よたよたと無様に倒れこんだ。
あわてて体勢を立て直し、火焔に囲まれた目をむき出して――ただたたずむだけ
のバラムを睨みあげた。
「……三昧境、か?」
歯をきしりあげるような口調で、問うた。
バラムは、ちらりと片目を開くと、にやりと口もとを歪めてみせた。
「知るかよ」
無責任きわまりない口調で、そう云った。「単なるやけくそだ」
呆然と目を見ひらき――ついでハリ・ファジル・ハーンは、思わず、といった風
にハ、ハ、ハ、と声を立てて笑った。
笑い――歯ぎしりし、そして疾走した。
今度は真正面からつっこんだ。
眼前に立って腰を落とし、身をひねり、大地を土台にわき上がる力を拳に向けて
集約した。
螺旋を描いてえぐりこむ炎の拳を、バラムの掌底が、これも真正面から迎え撃と
うとしたとき――
それが始まった。
山門を、廃寺を、そして戦場たる窪地を、添え物のように照らし出していた照明
がフッと、ふいにその光を喪失した。
瞬時、頭上にのしかかる巨大惑星の青い光さえもが、闇に呑まれたような気がし
た。
同時に、爆発寸前の二人の超人の肉体からも、すべての力がもぎ取られるように
して、奪い去られていた。
がくりと、互いを支えあうような形で倒れかけた時、四囲は漆黒の闇につつまれ
ていた。
文目もわかぬ闇の中で、宙に舞う天使だけが白く、淡く、輝いていた。
「よお」
喪失した力をふたたび得ることもかなわぬまま、ただ倒れこんだ互いの肉体の感
触だけがあるところに、ハリ・ファジル・ハーンがかすれた声で呼びかけた。
「選ばれるのは、どっちだろうな」
奇妙にせいせいとした口調に、バラムは声を立てて短く笑った。
光が、弾けた。
エピローグ 受難への飛翔
「あなたは――たしか、マリッド、そうシフ・マリッド」
何の前触れもなしに気安げに呼びかけられて、マリッドはにこやかに微笑みなが
らすばやく、懐中のハンドガンに手をのばしていた。
が、呼びかけてきた相手の顔を確認するや、微笑みは本物にかわっていた。
「ご無事でしたか。まったく筋合いではないんですが、心配していたので」
いかにもうれしげに笑いながら告げる童顔の軍属整備員に、マリッドもまた笑顔
でうなずいてみせる。
「ずいぶん危ない目にあったけど、なんとか生きのびたわ。おかげさまでね」
ウインクしてみせると、童顔の整備員ははにかみ笑いを浮かべた。
「それはよかった」
「あなたも、あれから大変だったでしょう」
訊くと、整備員はまったくですよと、ジョシュアから途切れ目なく運び上げられ
てくるシャトルや、それらをつぎつぎにピストン輸送するライナー、そして貨物室
にまで生命維持システムを追加した輸送船までも駆り出してのてんやわんやを、身
ぶり手ぶりを交えて説明しはじめた。
まだまだラッシュは続行中だが、まったくひさしぶりに休暇をとれたのでまずは
ゆっくりと眠らせてもらおうと出てきたところですよ、と整備員が結ぶまでマリッ
ドは笑いながらうなずいていた。
それから、報告のためにストラトスに帰ってきたのだと教えた。
「これから、どちらへ?」
訊かれて、マリッドは肩をすくめてみせた。
イムジェフィフタスの山中で、ハレ・ガラバティの祭りがクライマックスに達す
る夜に輝いた死の光の噂は、すでにストラトス星系にもかなりくわしい情報として
供給されているはずだ。
ガラス化した深山の大クレーターには、復活したはずのジーナ・シャグラトはも
ちろん、バラムも、そしてもう一人の強化人間の姿も見つかってはいない。石化し
た、結晶質の像に関する報告もまた、いっさい届けられてはいないらしい。
バラムも、ハリ・ファジル・ハーンも、おそらくはもう生きてはいまい。
脱出する際にシャルカーン・バールカイベルとヨーリクの姿はすでに見失ってい
た。三機あったはずのフライアは二機に減っており、その二機に群がるようにして
フードつきの長衣の一団がとりついていただけだった。
教団員たちを屠る作業は、マリッドにとってはさほど困難なことではなかった。
むしろ、約束どおり一機のフライアを置き去りにしてバラムを待たず、次第に光度
を増しつつある明滅に追われるようにしてひとり、その場を去ることの方がよほど
困難で耐え難い仕事のように思われた。
それでもマリッドは生き延びた。――約束どおりに。
目を閉じ、マリッドは小さくため息をついた。
おそらくはもう、バラムは生きてはいないだろう。
理性はそう告げていた。だが、感情は納得しなかった。
約束したじゃない。
執拗に、そうくりかえしていた。
そしてさらに直感が、なんの根拠もなく告げていた。
ふたたび出会う日がくるだろう、と。
だからマリッドは、心配げに見まもる童顔の軍属の前で小気味いいほど激しく首
を左右にふってみせ、そしてにっこりと笑ってみせたのだった。
「これはまだ内緒のことなんだけど」
と秘密めかして整備員の耳に唇をよせる。「やめるつもりなの。今の仕事」
それは、と、童顔の軍属は何か云いかけて口をつぐみ、肩をすくめながら、人そ
れぞれですからね、とわかったような口をきいた。
快活に笑いながらそのとおりよ、とマリッドは答え、
「行き先はまだ決めてないわ。フェイシスの、中央あたりって漠然と考えてるだけ」
「がんばってくださいね」
無邪気に告げる整備員に、苦笑しながらマリッドはありがとう、と云って背を向
けた。
その背中に、
「ああ、そういえば、お連れさん。ほら、この前テロリストがどうのって、ぼくを
からかったあの人ですけど」
どうしました、と訊かれることを予測して、どう答えていいのか困惑しつつふり
かえった。
そして、次に整備員が口にした言葉に、目をむいた。
「先日、見かけましたよ」
「ほんとう?」
声を抑えようと意識したが、無駄だった。
そんなマリッドの勢いにやや驚きながらも、童顔の軍属はうなずいてみせた。
「ええ。遠目だったんで、はっきりそうだとは云えないんですが――でも、あの燃
えるような金髪といい、印象的な、ちょっと恐いくらいの目の輝きといい、たぶん
まちがいないと思いますよ」
そして、つけ加えるようにして、ねえ、あの人がテロリストだってのは、冗談な
んですよねえ、と小声で問うた。
しばし呆然としていたが、やがてマリッドは声を立てて笑いながら幾度もうなず
いてみせた。
そして、その男が乗り込もうとしていた便がどこへ向かうものなのかを問いかけ
ようとした時、最後のインフォメーションがかかった。
「あ、これに乗るんだわ、あたし」
「ああ、でしたら、はやく。次の便だと、三日は待つことになりますよ」
「そうね」
云って、小走りに走りかけ――バラムの行き先を問おうとふりかえった。
「はやくはやく」
心から案ずるような表情を浮かべて云う童顔の軍属の顔を、しばし呆然とマリッ
ドは眺めやり――
「いろいろとありがとう」
云って手をふり、そして背を向けた。
必ず追いつく。
バラムはたしかに、そう約束した。
そして先行したのなら、もうひとつの約束を果たしに、向かったのだろう。
実体のない、欲望と悪意に力を与えられた、人類の滅びる日まで決して滅びるこ
とのないだろう力に、立ち向かうために。
「あんたが追いつく前に、あたしの方が追いついてあげるわ」
ゲートをくぐる列の最後尾に走りよりながらひとりごち、いぶかしげにふりかえ
った婦人に向けてにっこりと微笑んでみせた。
あいまいに微笑みながら視線をそらす婦人にはすぐに興味を失い、マリッドは待
ち受けている新たな危難の日々に思いを馳せた。
不思議と不安は感じなかった。
夜の虎――了