#2807/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/10/12 3:43 (200)
夜の虎(15) 青木無常
★内容
冗談とは思えない平然とした口調でパイロットが受けるや、蒼穹をフライアが急
旋回した。
「静止する直前にハッチを開く。声をかけてくれ」
「わかった」
と、パイロットが応える。
「気圧変化と気流ですっとばないようにしておけよ。来な、マリッド。散歩の時間
だ」
「ちょっと待ってよ」
「急げ。化粧直しの時間はねえぞ」
「はーいパパ」
「だれがパパだ」
ぶつぶつとつぶやくバラムに、マリッドはくすりと笑いをもらした。
ハッチのかたわらで、バラムはマリッドの腰に手をまわして小柄な身をぐいと引
き寄せた。
眼下の空中庭園がゆっくりと近づいてくる。
「いいコンビだな」
パイロットが、ぽつりと云った。
「何ぬかしやがる」
「冗談じゃないわ」
目をむくバラムに、マリッドは「ねえ」と同意を求めた。小さく、パイロットの
笑い声が聞こえた。
ほぼ同時に、艇のかたわらで白熱の光球が広がった。
「正確だぜ。威嚇のうちはともかく、よけ切れるのか?」
疑わしげなバラムの問いに返答をよこすかわりに、一気にフライアのスピードが
あがった。
自由落下ではなく、重力下方向に向けて加速したのだ。
フロントヴュウに空中庭園の遠景が一気にぐいと肉迫した。
噴射されたフロントヴュウの黒塊がプラズマ球に拡大した時はリアヴュウに移行
していた。射撃をスピードで後方におきざりの手だ。
「見てくれに似合わず、かなり荒っぽい」
ぽつりとバラムがつぶやく。
「あんたの好みの手じゃない?」
「自分でやる分にゃ、な」
ひそやかな論評には気づかぬげに、パイロットの声が投げかけられた。
「停まるぞ」
同時に機体はずわりと百八十度回頭し、ごうとノズルから火柱をひとつ噴き上げ
てから、ぴたりと静止した。めちゃめちゃな操艇だ。
慣性にふりまわされそうになるのを、握りしめたハッチのグリップをつかむこと
でかろうじて回避し、バラムは「馬鹿野郎」と軽く毒づきつつ荒々しく扉を開いた。
ご、と突風が吹き出すと同時に、盛大な耳鳴りが頭蓋内部に反響する。
行くぞ、とも云わずに、ためらいもなくバラムは宙に舞った。抱きかかえられた
マリッドが小さく「ひえ」とつぶやく。
かんだかい噴射音とともに、下方から煙の尾をひいた黒塊が飛び出した。標的は
もちろん、とつぜん静止したフライアだろう。間をおかずに、雷球が展開した。や
やポイントはずれているものの、かなり近い。
ど、とフライアのノズルが火を噴いた時には、二撃目が、そして間髪入れず三撃
目が、放たれていた。
尻を蹴たてられた馬のようにフライアが飛び出した。
ほとんど同時に、一発がその土手っ腹に命中した。
黒煙があがり、螺旋の渦を描きながらフライアは急落していった。
その時にはもう、攻撃の矛先はバラムとマリッドに向け直されていた。マシンブ
ラスタのやけに軽い連続音。それに、ハンドガンの重厚な発射音と閃光。衝撃波が
いくつも、かたわらをかすめ過ぎていった。
溶け崩れた駐機場が眼前に迫る。
バラム――悲鳴まじりの叫びが、喉まで出かかった。
口にする前に、風が動くのをマリッドは感じた。落下時の、切り裂くような風で
はない。急降下する二人の肉体をつつみこむ、ゆるやかな螺旋の風。
衝撃が、つきあげた。
地面が沈みこむような感覚がマリッドを襲った。
事実、沈みこんでいた。
球型の岩塊がたたきつけられたように、ガラス質に変じた駐機フロアがひび割れ
ながらクレーター型に沈下していく。
しゃらしゃらと音がただよってきそうだった。無数の輝く細片が放射状に飛び散
り、やみくもに放射されるマシンブラスタとハンドガンの銃撃が、大気を焼き焦が
しながら幾重にも交錯する。
「バラム――」
降ろして、とつづけるより速く、疾風のような移動感覚がおとずれた。わきの下
のホルスターに右手をのばしかけたまま、マリッドはなすすべもなく息をのむ。
空気が、鋭利な凶器と化したかのようにヒステリックなうなりをあげた。強化人
間が、超知覚モードに移行したらしい。もっとも――バラムにしてみればそれはき
わめて中途半端な移行であろうことも推測できた。生身の人間を抱えている以上、
衣服の布地が燃え落ちるほどの高速で移動するわけにもいくまい。
抑制されてなお、その移動速度は狂気じみていた。ブレた像がいくつも重なり、
閃光が同時に八方ではじけ飛んだような気さえした。
現実には、三方向だった。
だしぬけに視界が静止し、精神が慣性にめまいを強いられながら必死に状況を把
握しようと努力する。
どさり、と、橙色の長衣をつけた人影がふたつ、倒れ伏すのを目撃した。
胸と、腹に銃撃を受けている。バラムの両腕は、マリッドを横抱きにしたままだ。
となれば――高速移動をくりかえしながらバラムが、意図的に同士討ちを誘発した
のだろう。
三人めは呆然と目を見ひらいて、眼前の信じがたい光景を眺めやっていたが、ふ
いに憎悪をこめて手にしたハンドガンをかまえ直した。
バラムがふたたび高速移動に入る前に、手にした銃のトリガーをマリッドがひき
しぼることができたのも、ほとんど反射のたまものといっていい。
音よりも速く額、目と目のちょうど中間点を兇悪な光条が撃ちぬき、頭蓋内容物
の湿ったかけらとともにフードが後方にはじけ飛んだ。
長衣につつまれた身体が棒のように背中から倒れていったのは、一拍の間をおい
てからだった。
「上出来だ」
ニヤリと笑ってバラムが云った。
とっさに返す言葉を思いつかずに、マリッドは刃物のようなテロリストの顔を見
つめかえす。
遠ざかった。
なにごとか、と思考が疑問を浮かべる前に、解答は背中からおとずれた。どさり
と地にたたきつけられる衝撃。放り出されたのだ。
「ちょっと。いきなり乱暴じゃない。女性の扱い方がなっちゃいないわよ」
「夜宴都市の貧民窟で育ったんでな」
薄笑いを浮かべながら放り出すような口調でバラムは応え、くるりと背を向ける
と小走りに走り出した。
「ちょっと。おまけにせっかちで自分勝手なマイペース! あんたって最悪」
罵声を投げかけながらマリッドは起き直り、あわてて後を追う。
溶融し飴のかたまりと化した駐機スペースをよじのぼり、途中から原型をとどめ
た階段に移った。エスカレータは下半分を損壊させられまったく機能していない。
昇りきる。野次馬半分の人群れを、おしやるまでもなく後退させ、三つのペーヴ
メントのうち距離がもっとも短いと思われる一本を選んで降りた。
目標は、ラベンの七天使像、アルガ星天宮の天使だった。広大な公園敷地内のほ
ぼ中央に位置する人工湖の、螺旋状に成形されたフィールドにそれはある。
典型的な空中庭園のひとつであるラベナド第二公園の基本的な構造は、地上の風
光明媚な一角をそのままえぐり取って宙に浮かべた形だ。周囲の森林や小川も、基
本的にはラベナドが最初にテラフォーミングを受ける以前の自然状態をベースにも
っていた。
アスレチックのように複雑な迷路形態をほどこされているわけではないが、かと
いって樹林をぬうように設けられた遊歩道が単純な直線路、というわけにもいかな
い。のんびりと散策を楽しむならともかく、舞踏教団相手の出遅れた先着争いの最
中であるバラムたちにしてみれば、景色や深い森林の雰囲気を楽しみ味わう余裕な
ど天からない。
ホログラムの蝶が眼前をひらひらと横切ったが、バラムもマリッドも心なごむ演
出などまるで無視して前進をつづけるだけだった。
が――ふいに、バラムが立ち止まった。
異常を感知したのだ。
視線に疑問をこめて無言で見あげるマリッドを手で制して、耳をすます。
かすかな異音が、聴覚を刺激した。
13.空虚なる兵団
音、というよりは振動、と表現した方が感覚的にはより的確かもしれない。深く、
重く、大気をふるわせるようなその響きにはたしかに、聞き覚えがあった。
汚物臭の集積したダウンタウンのさらに地下――降りそそぐ汚水と静寂の底で、
影だけの老人が短くかき鳴らした、奇妙な楽器の音色。
それがどうやらいま、惜しげもなく披露されているらしい。
切り刻むリズム。躍動する旋律。
方角からすれば――七天使の島からだ。
せきたてるようなリズムに追われるようにして、二人はいっそう足を速めて島を
目ざす。
異常は、湖岸からのびる架橋にたどりついたときに見わたすことができた。
無秩序に午後を楽しんでいるはずの人々の一部が、いちように恍惚とした表情を
浮かべながら音源にひたと視線をすえ、まるで何かにとり憑かれたように夢遊病者
の足どりで、島を目ざして歩を進めているのだ。
遠まきに、不気味そうに眺めやる者も少なくはないし、半狂乱で家族や恋人に揺
さぶられて正気をとり戻した体の者も中には見受けられはする。だが、大半は確信
に充ちた足どりで声ひとつ立てず、整然と橋をわたっていく。
どうやらこの魔術的なリズムを刻む奇妙な楽器の音色は、それだけで催眠術的効
果を発揮しているらしい。
バラムとマリッドは、奇妙にうつろな表情でひたひたと進む群衆をぬうようにし
て、橋をわたった。
心なしか、自分たちの気分までもがおかしくなってきているような気さえする。
それをふり払うようにして幾度も首をふるっては、互いの正気を確認しあうように
目と目を交わし、そして前進した。
七つの宮は十二角形を形成する白い石柱と、骨組みだけの天蓋を高くそびえさせ
て島内に点在している。それぞれの位置関係は等間隔を志向しつつ微妙に幾何学形
からずれた形で配置され、アルガ星天宮は島の奥側に位置していた。
そして七つの宮にはそれぞれ、天使の名を冠せられた白い結晶質の石でできた彫
像が、配置されている。もともとはジョシュアーンの遺跡から発見された石像を模
して造られたものらしい。リアルだが奇妙な幻想性をも帯びた七人の女性形の裸体
の天使たちは、翼さえ持たぬまま支えるものもなしに宮の上空に浮遊し、天に遊弋
する無垢の魂を演じている。ただし、ジョシュアーンの石像を稚拙に真似ただけの、
芸術的価値は低い代物と酷評する玄人筋も少なくはない。
ゆらめくようにして音色の源を目ざす人波をすりぬけて、二人は島内に歩を踏み
入れた。道はいびつな螺旋模様を描いて奥側にぬける遊歩道を形成しており、近道
らしい近道は見あたらない。音を円状にまわりこむように横手にしながら走りぬけ
る。
樹林の間に天使像が、白い石柱に囲まれて宙に舞う姿が見えた。歩道をはずれ、
林間をぬって広場にまろび出ると、ふるえるような深く曖昧な旋律はいっそう、重
く、存在感をたたえて二人の耳にとどけられた。
ストラトスの光を背に歓喜に満ちて天を乱舞する、白い裸形の天使の像を中心に
して、驚くほどの群衆が集うていた。より不気味なことには――深い音色の演奏を
のぞいて、奇怪なほど濃密な静寂が一帯を占拠していることだった。
病んだ、紫色のオーラが立ち昇るのが目に見えそうなまでに、異様な鬼気が不気
味にどよめいていた。個人差はすべてぬりつぶされ、楽器の音色にあわせるように
して大きなひとつのうねりを形成している。ここにはすでに、正気を失った家族知
人を揺り動かす者の姿もない。
起こっていることの意味は明白だった。音による集団催眠。それも、異様なまで
に強力な。
おそらくはここに集う者すべてが、敵なのだ。赤子にいたるまで、すべて。
そして、つやつやと紅に光るざんばら髪の、行者を思わせるあわせの衣服を身に
つけた老人は、天に踊る天使像の足下に、忠実によりそう導師のようにして天宮の
台座に腰をおろしていた。
奇妙に深い光を放つ、白目部分のない青色の双の瞳が、かけこんできたバラムと
マリッドを視界の端にみとめ、凶器のように鋭い嘴の端が深い笑いの形に歪んだ。
ラトアト・ラ人――イシュ・タン・ヨル・ハー催眠法を人類にもたらした、音声に
よる複雑な文化を築きあげた奇怪なる異星人だ。老ウェイレン、とクンリーは呼ん
でいた。
狂おしく迫る律動。
その、切り刻む弦の音が、ふいにとだえた。
群衆の様子に、変化はない。
十メートルほどの距離をおいて、バラムとマリッドは嘴の老人と対峙した。
「来たかよ“夜の虎”」
つらぬくような眼光が、真正面からバラムをとらえた。「強化人間。“フィスツ”
の鬼子。うぬが相手ならば、クンリーなど赤子より無力であったろうさ。まったく
うかつだったわ」
口上に、バラムはふ、と唇の端をつりあげた。断裂寸前の琴線上。落ちれば、そ
こは死の淵だ。
身奥に熱いものがふつふつとわきあがるのを狂おしく自覚する。待ちつづけてい
た感覚だ。超絶の肉体とひきかえにすべてを捨てた男の、残された最後の砦。
「秘密は今、手に入れる」
淡々と老人が告げる。「だが、おまえさんはどうあっても殺しておかねばならん。
敵にまわすには、あまりにも異質すぎるゆえ」
ず、と、しなびた指が奇怪な楽器の弦をつまびいた。
虚ろな視線のままいっせいに、群衆が蠢いた。