#2805/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/10/12 3:35 (200)
夜の虎(13) 青木無常
★内容
11.隠者の指標
その時にはすでに、バラムはふりむきかけていた。
動作は中断される。
背後から、右胸を貫かれていたのだ。
ぶば、と血を吐いた。
苦鳴をかみころしつつ、跳んだ。
跳びながら上体をひねって、後方をあおぎ見た。
よどんだ地下の空気を貫いて、銀の針が三本、降下するバラムを追った。
手で払う。感触からすると、二十センチほどの長大な全長をのぞけば何の変哲も
ないただの針だ。
そのただの針をもって、バラムの右胸を瞬時に貫通させた張本人は――天空から
かすかに降りそそぐ淡い光を背景に、影となってたたずんでいた。
小柄だが、すっきりと背すじはのびている。悠然と、そして淡々と、落ちていく
バラムを眺め降ろしている風情だ。
背には斜め上下に、太い棒状のものを背負っているようだ。影だけだが、武器に
は見えない。上側にのびた一端から左右に短くのびている突起は――弦楽器のチュ
ーナーと同じ形だ。
それだけのことを確認しつつ、たん、と半回転して足場に降り立つと同時にバラ
ムは、かたわらからもぎとった廃材の塊を影にむけて思いきり投げつけた。
ぶん、と気を裂くうなりとともに飛ぶそれを、影は無造作にひょいと上体をひね
ってやり過ごしただけだった。
歯をきしりつつ、さらに反撃を加えようとして――胸奥からあふれ出してきた血
塊をどぼどぼとまき散らしながら、がくりと膝をついていた。
「急所を外したわい、クンリー」
しわがれた声で、影が云った。声音からすればかなり高齢の老人だ。
「おれのせいか」
淡々と小男が云うのへ、かぶせるように老人はさらに言葉を重ねる。
「しかり。わしが攻撃をしかける瞬間、おのれはよけいな口をきいたではないか。
ちっとは反省せい」
クンリーは肩をすくめてみせ「何にせよ助かった、老ウェイレン」と口にした。
「油断しおったな、クンリー。おのれはいつも詰めが甘い。様子を見に戻ってよか
ったの。ええ?」
「いってくれる。挽回、というわけではないがあとはおれが引き受けた。老ウェイ
レン、あんたは一足先に戻ってくれ。準備が必要なのだろう?」
「うむ。ではまかせたぞ」
老ウェイレン、と呼ばれた影はそう答え、つけ加えるように「もう戻らん」と云
った。
「だいじょうぶだ」
クンリーの言に老ウェイレンは無言でうなずき、手にしていた銀の針を懐にしま
う。
くるりと向けかける背に――
「準備てな、何だ」
苦しげなあえぎの底からしぼり出したバラムの問いを背中に受けて、首だけをふ
りむかせた。
「隠者ハニから、なにを聞いた?」
クンリーもまた目をむいている。
「化け物が」
吐き捨てざま、小男は宙を飛んで、バラムの伏した足場まで移行した。
飛びおりざま、全体重をかけてバラムを踏みつけた。
がば、と錆びた肋材を血の噴水が赤く染め上げた。
それでも、睨めあげる眼光だけは消えなかった。
「死なぬか。理由があるのだろうな」
老ウェイレンもまた、声音に驚嘆をこめて遥かな高みからつぶやいた。「どうや
らまだまだ、充分以上に危険そうだ。とどめをさしておくか」
「いいや、それにはおよばない。いろいろ聞き出しておきたい。あんたは早く行っ
てくれ、老ウェイレン」
老人はなおも疑わしげな間をおいて、はいつくばるバラムとクンリーとを交互に
眺めやっていたが、やがて静かに云った。
「くれぐれも油断はせぬことだ。よいな」
云いざま、ふわりと、小柄な身体が宙に浮き上がった。
そのままゆっくりと、天空の燐光の中へと上昇していく。
「ぐう!」
うめきとともに、バラムの右手が閃いた。
銀線が、老ウェイレンのかたわらをかすめて宙に消えた。
「まだそんな真似を!」
クンリーは驚きとともにバラムを蹴りつけた。「今度はこっちの番だ。だれに頼
まれておれたちを――」
言葉は、驚愕のうめきにさえぎられた。
蹴りだした足をつかまれたのだ。
血塊を吐くバラムに。
怒りよりは恐怖をその双眸に浮かべつつ、クンリーはあいた足でバラムの手を蹴
りつけた。離れない。
「しぶといな……」
静かにひとりごち、小ぶりな口をぐいと開いた。
羽音ともに黒い虫の影がつぎつぎに吐き出された。
ブ……とそのうちの一匹が、クンリーの足首をつかんだバラムの手の甲を強襲し
た。
ぐあ、と短く苦鳴をもらし、バラムは思わず手を離す。そのすきにクンリーは飛
びすさって距離をおき、用心深げに遠まきにする形でバラムを見おろした。
「依頼者よりも、おまえの素性に興味がわいてきた。いったい何者なんだ?」
「おれは虎さ――」
つぶやきは、口をわって出た血塊に途切られた。
クンリーは憐れむように瞼を細め――つぎの瞬間、瞠目した。
眼前で、ふいにバラムの姿が消失したからだ。
敵の軌跡を確認するよりおのれの移動を優先したのは、修羅場をくぐりぬける過
程で培ってきた勘のおかげだ。
が、その勘もこの場合には何の役にも立ってはいなかった。
どがりと、移動する先で背中にいきなり痛撃をくらった。
痛みや衝撃よりも驚愕のが大きかった。
「いつの間に……」
つぶやきはわしづかまれた後頭部の、危険な握力の感触に中断される。
「質問するのはやはりおれの方だな」
牙をむき出しにした笑い顔が、目の前にただよってきそうな口調で背後から、バ
ラムの声が云った。
「答えはさっきと同じだ」
歯をくいしばりつつ、クンリーは云った。
「なら」
死ね、と口にする前に、血塊が喉の奥からせり出してきた。
後頭部をつかんだ手が離れるより速く、クンリーは電光の勢いでふりむきざま、
すぼめた唇で標的をとらえた。
膝をついてぶるぶると全身を震わせる凶人の姿を目にし、寸時、その双眸に哀れ
みの翳りがよぎる。
すぐに気をとり直し、尋問よりも殺害の方が優先、と判断を下し、殺人虫を吐き
出すべく喉を震わせた。
動作は、鈍い射出音に中断された。
はがれかけた布のあいだから、すぼめた唇をかいくぐって虫が二匹、ぶぶ、とた
めらいがちに羽をゆらめかせつつ漏れ落ちるようにして現れた。
眼前を途方にくれたように右に左にただよう虫をうつろな視線で眺めやり、クン
リーはかすかに薄く、笑った。
そしてやにわに、どさりと崩おれた。
「……仲間……か……」
胸部をおさえてふりかえったクンリーの額に、焼けこげた穴が穿たれた。
声もなくたおれこみ、そのまま足場を外して落下していった。
深淵へと。
宙をただよっていた虫たちが、後を追うようにして闇へと降下した。
はるか下方へと吸いこまれていく死骸に目をやりつつ、バラムはうめきとともに
つぶやくようにして、云った。
「遅いじゃねえかよ」
「バカいわないでよ」
暗がりから、ハンドガンをかまえて踏み出してきたのはマリッドだった。「布男
に加えてあのおじいさんまでいたんじゃ、あたしなんかとても相手しきれなかった
わ。もちろん、死人半歩手前のあんたなんか論外ね。だからおじいさんがどっかい
っちゃうまで、気配を消してるだけでせいいっぱいだったのよ。死ぬ前にかけつけ
ただけでも感謝してもらいたいわ」
「くそったれが」
苦しげにバラムは毒づいた。「なら、せめてクンリーだけでも生かしときゃよか
ったものを――」
「それどういう意味? 見つけられなかったの? 隠者ハニを」
「見つけたさ」
バラムは唇の端をぐいと歪めて見せる。「死体でな。ちょいとしゃべらせるのは
無理なようだぜ」
くやしげに云うバラムの傷の具合を点検しつつ、マリッドはにっこりと微笑んだ。
「あら、そうでもないわよ」
目をすがめるバラムにむけて、片目をぱちりと閉じてみせる。
飛び散った血はどす黒く変色をはじめていた。断ち割られたように散乱する内臓
には、色素の欠落した奇怪な虫の群れがむらがり、音もなくうねりながらのめりこ
むようにして黙々と、めったにありつけぬ滋養を摂取している。
頭部もまた半分がた噴きとばされており、頭蓋の端から内容物がどろりとあふれ
出していた。とうぜんのごとくそこにも、無数の小生物が熱心に作業にいそしんで
いる。
どこからどう見ても立派な屍体だ。どれほど設備の整った医療施設であろうと、
この状態から蘇生させるのは不可能に近いだろう。
ましてこの地下深くでは、どうあがこうと意識ひとつ閃かぬ、ただの肉塊にすぎ
ない。
眉ひとつひそめず、かといって子細に検分するでもなく、マリッドはしばしのあ
いだ無言で、隠者ハニの屍骸を眺めおろしていた。
「どう考えても、これから何か聞き出そうてのは無理だろう?」
マリッドの沈黙を驚愕と消沈、ととってバラムは云った。「さっさと上に帰って、
べつの方策を考えた方が早道だ。どうしても埋葬してやりたいってんなら、墓穴く
らいは掘ってやってもいいがな」
マリッドは屍骸を眺めおろしたまま、肩をすくめてみせる。
ふ、と息をつき、バラムは華奢な肩に手をかけた。
ふりかえったマリッドが微笑しているのに気づき、目を瞠った。
「あんたけっこう、頭かたいね」
笑いながら云うと、あっけにとられたバラムをおきざりにするように前に踏み出
し、屍体の前に膝まずいて――瞑目した。
「おい……?」
途方にくれたようにバラムが問いかけるのは無視して、マリッドはまるで礼拝堂
でおのれの罪と世界の救いとを一心不乱に祈る聖女のごとく、手を組みあわせて頭
をたれた。
バラムはといえばなんのことやら理解できずに、なかばは狂人をでも見やるよう
に一心に祈念するマリッドを眺めおろすだけだ。
ひどく長い時間が過ぎたような気がした。
日の光の一筋さえそそがぬ深い地下の底であれば、実際にはさほどの時は経過し
ていなかったのかもしれない。
いずれにせよ、しびれを切らしたバラムがマリッドに声をかけようとした矢先に、
それは起こった。
バラムとマリッド、それぞれが腰からつるしたハンドライトが、またたくように
してちらちらと明滅した後、ふいに光を喪失して沈黙してしまったのだ。
お、と喉をならしつつ簡便な装置に手をやった。
スイッチをひねりまわしてみたが、投光機はすねた子どものように黙りこんだま
ま、光のかけらをさえ身にまとおうとはしない。
ち、と舌を鳴らしつつ、マリッドのいたあたりに手をのばしかけ――
べつの光を見た。
眼前、隠者ハニの無惨な屍骸がころがっていたあたり。視線はやや上むきだ。
ただようような、蒼白い、たよりなげなおぼろな光だった。
その光に照らし出されて、祈る姿勢のまま頭だけをあげたマリッドの後ろ姿が、
影となって浮き上がった。
それでいて頭上に張り出しているはずの崩れた肋材や、光源の足もとに残虐に横
たわるはずの屍体が照らし出されないのは、いかなる超自然の選択のたまものなの
か。
理由はさだかならぬまま、バラムの眼前でマリッドとはべつに、もうひとつの人
影がおぼろに姿を現した。
蒼白い光輝のただ中に。
黒い、聖職者風の長衣に、同じ色の奇妙な形をした帽子。どこからどう見ても宗
教家といった感じで、一時は大学に席をおいていた有名な考古学者といった感じで
はない。この奇態なファッションが半世紀ほど前の流行で、その当時はストラトス
では、老いも若きも、聖堂にこそふさわしいようなこの類の衣服を身につけて街路
を闊歩していたのだ、などとはもちろんバラムもマリッドも知らない。
服装がうす汚れてもいず、ほのかに神秘と威厳をさえただよわせているのは、状
況の異様さをさしひけば、現れた存在のもっとも輝かしい記憶を忠実に再現してい
たせいかもしれない。長くのびた髪も髭も、ざんばらという印象からはほど遠く、
奇妙な風格をかもし出している。
だがそれらの不可思議な威厳を、唯一、裏切っているものがあった。
目だ。
よどんだ両の目は光ひとつ宿さず、焦点をもさだめぬままうつろに宙をさまよっ
ている。