AWC 夜の虎(12)       青木無常


        
#2804/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  94/10/12   3:32  (200)
夜の虎(12)       青木無常
★内容
 水のしたたり。
 不規則に。深い地の底から、とぎれとぎれに響いてくる。
 かすかな反響。
 ハンドライトのささやかな灯り以外に、ここには光はかけらもない。星明かりで
さえ捉えることのできるバラムの視覚も、濃密な黒の奥底を見透すことなどできそ
うになかった。
 空気は重くよどみ、まとわりつくようにしてゆっくりと渦まいている。
 耳をすませば、微音がささやかに周囲をめぐるのがわかる。アルビノの虫や小動
物がはいまわる音。壁を、床を破って流れる地下水のせせらぎ。断末魔のうめきの
ごとく断続的に響く、いまにもとぎれそうな得体の知れぬ機械音。
 鋭敏な嗅覚を、たえまなく異臭が刺激する。腐り果ててよどみ、土に還る寸前の
異臭。油と、どぶ泥の臭い。そして――冷気だ。空気の一粒にまでしみ通った、深
く鋭い、冷気。
 人の気配は、絶えてない。
 足を踏み出すたびに、踏みしめた足もとがぐずぐずと沈下していく。死の境界の、
一歩手前の領域だ。
「くそったれたところだな。ええ、おい」
 地下に向けて、呼びかけるようにしてつぶやいた。言葉は、深く闇に吸われてい
く。
 無感動に、バラムはふたたび降下を開始する。
 降りながら、おのれの肉体の内部へと深く、精神の触手をのばした。
 脈拍、呼吸正常、チャクラの回転良好。気のめぐりも、ゆるやかな螺旋を描いて
いささかの乱れもない。
 が――それでもバラムは、変調を感じていた。どこがおかしいのかをはっきりと
特定できない。
 肉体を売り渡した時から、ある意味ですでにバランスは崩れはじめていた。それ
がいよいよ本格的に具象化しはじめた――ただそれだけのことに過ぎないのだろう。
つまり、超人的な殺人機械と化した代償として、いよいよ死神がウインクを開始し
たということだ。
 潮時なのだろう――心中思い、自嘲気味に笑った。
 死ぬのが恐いか? 自問してみる。実感はまるでわかない。いまのところ、恐怖
は麻痺したままらしい。が、それも近いうちにおしよせるだろう。おそらくは、最
悪の形で。
 もう一度、だれにともなく嘲笑を浮かべてみせた。
 唇の端が、神経質に歪んだだけだった。
 縦横に崩れかけた鉄骨を危うく踏みわたる。
 崩れた壁。むき出された土。流れる水音。足裏の錆びた感触。ここに住居をかま
える者など、死霊以外にはあり得ない。
 ホーム、スウィートホーム、と節をつけてつぶやき――眉をよせた。
 顔をしかめて、鼻を鳴らす。
 まちがいない。たしかに血臭だった。
 ハンドライトをはるか下方にむけ、臭いの源をさぐりながら下降をつづける。
 弱々しい光の底に、あざやかな色彩が広がっていた。
 赤だ。
 梁から梁へ、すばやく飛び移り、バラムは殺害現場を目ざして危うい降下をくり
かえした。
 錆びた音を発して鉄骨が折れ曲がり、かわいた土くれがあちこちで崩れ落ちる。
 降りそそぐ汚水と錆と埃とが、飛び散った血だまりをささやかに埋めていた。
 かわききっていない血が、惨劇の展開された時間の間近さを物語る。
 無造作に飛散した内臓は、照らし出すハンドライトの光輪の中でてらてらと濡れ
光っていた。数刻前まではたしかに、しわがれ、枯れ果てた老人の姿を維持してい
たはずだ。
 くそ、とバラムは吐き捨て、周囲に視線をすばやく飛ばす。
 すすだらけのみすぼらしいカンテラ。うす汚れたアルミ盆や食器。こびりついて
いるのは苔だろうか。この地下の底なら、食うものといえば確かに苔やネズミや虫
の類くらいのものだったのかもしれない。
 得体の知れない、無色透明の食事をもそもそとかきこむ隠棲した老人の姿を脳裏
に思い描き、バラムは小さく身を震わせた。なんのつもりでこんな地の底に潜んで
いたのかはしれたもんじゃないが、死は悲劇ではなく残された唯一の幸福だったに
ちがいない。
 臭跡はとだえた。
「ふん」
 嘲り笑いの形に唇を歪めた。踵を返して頭上に目をやり――愕然とした。
 奇怪な容貌が、無表情にバラムを見おろしていた。
 いや、無表情、というのは正確を欠いた表現かもしれない。
 なぜなら、その小男の顔はカラフルな色彩の布で、ぐるぐる巻きになっていたか
らだ。
 トーチカのコムスクリーンの内部で、バールカイベルに再三帰還をうながしてい
たヨーリクという名のスペーサーの背後で、無言のまま不気味にたたずんでいたあ
の小男だった。
「まだとぎれてねえ、か」
 つぶやき、バラムは笑った。
「とぎれるさ」
 布ごしに不明瞭な声が、頭上から降りかかる。「おまえの命が」
 瞬間、小男の姿が視界から消失した。
「へっ」
 吐き捨て、バラムは右手をふった。
 苦鳴はあがらなかった。
 血しぶきがすばやく後退して、第二撃を回避した。
 横手前方、はがれかけた極彩色の布の一端を風の流れになびかせながら、小男は
音もなく降り立っていた。
「背筋が凍った」
 感情のこもらぬ声音で、小男は云った。「おれの名はクンリーだ」
「バラムだ。よろしくな」
 笑いながらバラムは、肩口に手をやった。深々と突き立てられたナイフを引き抜
く。
 血がしぶいた。
 無造作に巻きつけられた布の奥で、わずかに覗いた異様な光を放つ双眸が、かす
かに笑いの形に歪んだ。
 そして、跳んだ。
 上方へ。
 崩れかけた梁をつたって、器用に上へ、上へと移動していく。
 はるかな高みで、停止した。
「はやく来い」
 声がうながした。
 苦笑し、バラムも後を追う。
 と、逃げるようにしてクンリーはさらに上方へと移動をくりかえす。
 燐光がはるか天上に見えはじめたところで、小男はふたたび上昇をやめた。
 間合いぎりぎりを見はからって、バラムも移動を停止する。
 敵への注視をはずすことなく、四囲に気を投げかけた。――とりあえず、怪しげ
な気配はない。
「どうした」
 クンリーに向けて、云った。「罠をはり忘れたか?」
「もうかかってる」
 無感動に、声が答える。
「死ね」
 同時に、無数の異音がバラムにむけて収束した。
 身をひねらせたのは勘だった。
 避けきれなかった。痛撃が数個同時に、肉体を貫通した。
 苦鳴が喉をついて出る。
「致命傷は避けたか」
 さして意外でもなさそうに、クンリーはつぶやいた。
 歯をむき出して無理やり笑いを押しあげながら、バラムはわきあがる苦痛をおし
隠した。
 右わき腹と胸部右下端、そして左脚に二箇所、ぽっかりと穴が開いていた。その
他に、皮膚や肉の表面が無数にえぐりとられてもいる。
「虫かよ」
 むき出した歯のすきまから、しぼり出した言葉を投げる。
 ほうと小男は感嘆のため息をもらした。
「いい目をしている。キシュガットの弾丸虫だ。慣らすことができるのは、後にも
先にもこのおれ一人」
 自慢する風でもなく、しごくとうぜんのことをでも口にするような調子で、云っ
た。
「なるほど」
 バラムもまた、無感動に応じてみせた。
 ルイテン系キシュガットの亜熱帯地方に分布するカッチュウコガネ――通称弾丸
虫。
 時速三百キロで銀河一の強度をほこる同惑星のランドルカンバ樹の樹皮を突き破
る甲皮は、戦闘艦の装甲に使用されるルベン転換鋼にも匹敵する硬度をほこる。植
民者による掃討作戦が功を奏してその絶対数は現在減少の一途をたどっているらし
いが、いまなお未開発の密林の中を少なからぬ数が飛び交っているという噂だ。
 が、それを慣らし、あまつさえ自在にあやつるとなると、まずそんな発想を浮か
べた者からして存在すまい。ましてそれを現実になしとげたクンリーの技量は、生
物学的博識よりは虚仮の一念にこそ支えられていたにちがいない。
「観念しろ。避けきれる代物じゃない」
「そうでもないね」
 簡素なバラムの返答に、一瞬、クンリーは顔色をなくした様子だった。
 が、すぐにつう、と目をすぼめ、
「なら、見せてもらう」
 右手をふった。
 空気を切り裂く音。無数の弾丸虫が、バラム目がけて収斂した。
 瞬間、足場を蹴ってバラムは宙に躍りあがった。
 両の腕が消失し、上体が激しくブレるのを、小男は目撃した――ような気がした。
 その一瞬後には、なにごともなかったように涼しげな顔でバラムは、もといた足
場に着地していた。
 ニヤリとクンリーに笑いかけ、かかげた拳を開いて見せる。
 手のひらの中から、地下の深淵へ向けて次々とこぼれ落ちていったのは――もち
ろん弾丸虫だ。
 布の間からのぞく双眸が、初めて驚きにむき出された。
「不可能だ」
「現実を認めないのはおまえの自由さ」
 後ずさりながら、クンリーは呆然とバラムを見かえす。
 ぎりりと奥歯をかみしめた。
 裂けるような笑いを浮かべて、バラムは跳躍した。
「おのれ」
 これも無感動な声調で悪罵を吐き散らしつつ、クンリーは闇雲に逃げた。上へ、
上へ、光の許へ。バラム――夜の虎、闇の寵児だ。
「悪あがきはみっともないぜ」
 跳躍をくりかえす背後から、ぴたりとささやきが追いすがった。
 血走った視線を背後に走らせつつ、小男はなすすべもなく逃げまどうだけだ。
「無駄だ無駄だ。あきらめろ」
 なおも声はぴたりとはりついたまま離れない。
 身も背もない体で飛びあがり、小男は宙で身をひねった。
 嘲笑が、眼前にあった。
 はがれかけた極彩色の布の奥から、小ぶりな口が現れていた。その口が大きく開
かれ――悲鳴のかわりに、弾丸虫が飛びだした。
 顔をひねった。
 避けきれない。
 頬肉がそぎとられた。
「死ね」
 声とともに、必殺の第二撃が飛び出した。バラムの鼻と唇の間――人中、人体最
大の急所だ。直撃されれば、即死は免れない。
 硬い音が、高らかに響きわたった。
 クンリーとバラム、それぞれが別々の足場に、同時に着地していた。
 無表情にクンリーはバラムの顔面を見やり――目をむいた。
 裂けるような嘲笑。
 むき出されたバラムの、歯と歯の間に、弾丸虫はがっちりとくわえこまれていた。
「信じられん――」
 呆然とつぶやいた。
 へ、と喉を鳴らしてバラムは、弾丸虫を吐き捨てた。いっしょに、欠けた歯が深
い地の底へと落ちていった。
「痛え」
 つぶやき、ふたたび笑って見せた。片頬がそげ、前歯の一部が抜け落ちた顔で。
 呆然と、クンリーは立ちつくした。
「いい子だ」
 ささやき、ずいとバラムは歩を踏み出す。鉤のように指を折り曲げた手を、布の
からんだ喉にむけて突き出した。
「あのじじい――隠者ハニから、なにを聞き出したか教えてくれよ」
「おれは知らない」
 クンリーはなおも目をむいたまま、首を左右にふった。「その場にはいなかった
んだ」
「嘘ぬかしやがれ」
 ずいと、喉をつかんだ手がすぼまった。
 低くうめいて震えた喉首に、五本の指が深くくいこむ。
「嘘ではない。残念だがな。聞き出したのは相棒だ。おれは、おまえの追撃を阻む
ために準備にまわっていた。弾丸虫を配置して、な」
「そうかい」
 バラムは、薄笑いを浮かべた。「で、相棒はどこに行ったんだ?」
「おまえの後ろだ」
 静かな口調で、小男は云った。




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