#2802/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/10/12 3:24 (200)
夜の虎(10) 青木無常
★内容
球状の展望窓全体に、無骨なパイロットパネルを背景にした異様な醜貌が二つ、浮
かびあがった。
ひとつは、一メートルに満たない矮躯の、極彩色の幅広のテープで乱雑に顔面を
おおった小男だった。巻きつけた色とりどりのテープの間からのぞく眼は、どこか
妄執じみた奇怪な眼光をぎらつかせながら、スクリーンを透して力なく浮遊するバ
ラムをぎろりとにらみつけた。
もう一人の方は、ジャコメッティの針金じみた人体彫刻を思わせる、痩せさらば
えやたらひょろ長いばかりの、できそこないの長躯の男だった。こちらは一目見れ
ばその出自はわかる。――スペーサー、無重量空間で生育した、肉体的にも精神的
にも歪みの極致に達した極端に短命な、呪うべき人類の負の形での亜種だ。どこの
世界でも絶滅することなく、かといって繁栄にも遠く届かないまま、ステーション
や宇宙船、あるいは重力の極端に低い小惑星などの限られた環境の中にいじいじと、
人類に対する憎悪と呪詛とをたぎらせながら、細々と生息する戯画化された宇宙の
忌み子。
二つながらに異様な鬼気を発する映像が、バラムとハーンがそれぞれ衝突して白
濁させたひび割れた一角をのぞいて展望室全体を占拠していた。
そして宇宙の忌み子、スペーサーの方が、どろどろとした落ちつきのない、さだ
まらない視線をさまよわせつつ口を開いた。
「シャルカーン、高速戦艦の編隊が近づいてきた。三、四隻ならぶち壊せるが、そ
れ以上はトーチカの方が燃料切れになるだろう。ジョルダン・ウシャルをのせたシ
ャトルも間もなく到着する。遊びは切り上げて、撤退にかかってくれ」
真摯な要請なのだろうが、その奇怪な濁声はただただ耳ざわりなばかりで、視線
を定めず声も通らぬ自閉的な態度は、スクリーンごしでさえ悲惨さとやるせなさ、
そして苛立ちとを喚起してやまなかった。
それでも、人類に対してのみならず同じ境遇の仲間にさえ協調性を発揮できず、
つねに孤独で陰気な生活を維持するばかりが特徴のスペーサーとして見るならば、
かなりの社交性を発揮していると見てまちがいはない。そしてなによりも、そのス
ペーサーを成員として抱えているアムルタート舞踏教団という組織には、予想以上
に奥深い何かが、秘められているようだ。
「もう少しだ、ヨーリク。もう少し待て。以上だ。カットオフ」
バールカイベルはスペーサーにむけてコンパクトに答えを返す。ぷつりともいわ
ずに映像は消え失せ、視界はふたたび常闇の虚空へと復した。
同時に、シャルカーン・バールカイベルは、血泡を口端にこびりつかせたままう
つろに宙に浮かぶバラムに向き直った。
「さてシフ、質問に答えてもらおう。だれに頼まれてウシャルを追う?」
怯懦を無理におしのけて、バラムは唇の端で薄く笑ってみせた。
「行きずりの女さ。手を握らせてもらうかわりに、頼みをきいてやったんだ」
バールカイベルは、かすかに唇の端をつりあげてみせただけだった。
「そういうタイプには見えないな。よくできたジョーク、と受け取っておこうか」
「笑えるだろう」
「答えは期待できない、ということかな」
ほんのかすかに微笑を浮かべたまま、バールカイベルは静かな口調で云った。
背中に氷柱を突き立てられたように、悪寒が疾りぬけた。
くいしばった歯を、むき出してみせた。
少年のような美貌が、大きく笑った。
笑いながら、ハリ・ファジル・ハーンにむけて、うなずいた。
瞬間、凶人は無表情のまま、ふたたびバラムに向かって強襲をかけてきた。
泣きたいほどの敗北感に重くしがみつかれたまま、バラムはぐいと歯をくいしば
る。
気力をよせ集めるより速く、打撃が背中を強襲した。
跳ね飛ばされつつ、ふりかえる。すでにそこに、敵影は存在してはいなかった。
くそ、どこだ、と胸中で悪態をつきながら視線をめぐらせる。
いた! かたわらにただようDトラップの灰色のフィールドを薙ぎはらいつつ、
下方から迫りつつある。
身をひねった。ひねりざま、電磁ナイフをぬいた。
スパークを散らす軌跡は、空を薙いだだけだった。
打撃。ナイフが手から離れ、弱々しく無重量空間にただよいはじめる。
たたきつけられ、バウンドする先から、腹部に拳が叩きこまれた。間をおかず、
肩口に一撃。鎖骨を砕かれた。
もれ出る苦鳴を他人事のように耳にしながら、必死になって壁を蹴った。
目標は――シャルカーン・バールカイベル!
追随するハリ・ファジル・ハーンの速度は、奇跡か、バラムにはわずかにおよば
なかった。
一矢むくいた――苦い快哉を心中叫びかけた。
眼前に、灰色の障害物が出現した。
「くそが!」
快哉は瞬時にして、泣き出したいほどの絶望にとってかわった。自身が武器とし
て調達してきたはずのDトラップが、唯一の活路の前に立ちはだかったのだ。
ジェネレータは、砂のような灰色の亜空間の背後らしい。手で払いのけるわけに
はいかなかった。呑み込まれるだけだ。
四肢を開き、やみくもにふりまわす。かすかに触れた抵抗に向けて、思いきり突
き出した。
かろうじて軌道を変えられた。すり鉢の底に飛び、背が当たった。
跳ね返るより速く、炎模様の獰猛な顔が眼前にせり出した。
そしてその手には、鈍く閃く電磁ナイフが。
奥歯をきしる。なすすべはなかった。
刃先が頚動脈に当てられた。
そのときだった。ふたたび――ラワド・ヴィアンのブルーズが。
「リプライ」
片眉をつりあげてバールカイベルが口にするや――
「ハイ・ラマ」
神への賛辞とは思えぬ軽い口調で応えが返る。
ドーム状のディスプレイには映像は浮かばず、乳白色のノイズが震えただけだっ
た。
その場に集うた三人がいちように、呆然と目をむいた。
その後の反応は、三者三様だった。
とまどいつつもバールカイベルは、おちついた口調で「アウラマドゥの炎を」と
応え――
ハリ・ファジル・ハーンは不興げにきつく眉をよせ、ぎゅっと目を細めた。
そしてバラムは――他の二人とは逆方向に、視線を向けていた。ハーンの、肩口
に。
灰色の虚空間が、そこにざらりと口を開いていた。
その口の奥から、しぼり出るようにして現れた白い繊手が、バラムのかたわらの
ハンドレールをぐいとつかんだ。ついで銃を手にした華奢な肩が、それから蠱惑的
に微笑む野性的な美貌が、あとを追って現れた。
マリッド、と唇の形だけでバラムはつぶやいていた。
銃の引きがねにかけられた指が、ぴくりと動いたとき、ハリ・ファジル・ハーン
が背後の気配に気づいてふりむいた。
その姿がブレて、消えた。消えるまでに瞬時の逡巡があったのは、このおそるべ
き凶人が不意をつかれた証左なのか。
ほぼ同時に、閃光がバラムの頬をかすめて、頭部の後ろわきに焼け焦げた穴を穿
った。
「馬鹿野郎」
側方に逃れながら、バラムは楽しげに罵声をとばした。「おれを殺すところだっ
たぞ」
「そのつもりだったんだけど」
灰色の虚空からすべり出しつつ、涼しげにマリッドは云って笑った。
砕かれた鎖骨をかばいつつ、ハリ・ファジル・ハーンの姿を追う。
血珠が派手に、宙を占拠していた。吐き出した本人は、紅蓮に彩られた肌をどす
黒く染めながら激しく咳きこみ、のたうっている。血泡は口もとからとはべつに、
胸部中央やや左よりからも炎のようにつぎつぎと醸成されつつあった。
目先の脅威は封じられたらしい。
「どうやってDトラップをぬけた?」
感謝も安堵も声にはのせずに口にされたバラムの問いに、マリッドはこともなげ
に「電話をかけたのよ」と答えた。
「吸われて出口があっという間に消えちゃったから、こりゃまずいわと思ってさ。
どこでもいいからいちばん手近の公共機関、て指定でコールかけたら、アウラマド
ゥのみ恵みってヤツ? すぐにつながって、しかも目の前にナイフをつきつけられ
たあんたの顔がおぼろに浮かびあがってたってわけ」
「運がいいな」
「かもね。いまだに生きながらえてはいる。さて」
云って、向き直った先に銃口をポイントしたままマリッドはにっこりと、優雅に
微笑んでみせた。
「あなたが教団のボス?」
バールカイベルはかすかにうなずいてみせた。
「シャルカーン・バールカイベルという」
「あたしはマリッド。よろしくね。ふたつほどお願いがあるんだけど」
「聞こう。美女にリクエストを受けるのは歓迎だ」
「あら、うれしいわ。じゃ早速ひとつめね。ジョルダン・ウシャルを返して」
「君は彼の係累か?」
意外そうに訊くバールカイベルに、マリッドは露骨に顔をしかめて嫌悪を表した。
「冗談じゃない。もちろん情婦でもないわよ。不幸なことに、彼を護衛するのが仕
事なの。返してくれる?」
教団の首魁は、心底哀しげに首を左右にふってみせた。
「残念だが、それはできないな」
「甘いばかりじゃないのね。じゃ、もうひとつの方。こっちはとっても簡単よ」
「聞こう」
「死んでほしいの。あなたに」
宣告より速く、トリガーは引きしぼられていた。
奇跡は、それよりもさらに速く訪れていた。
消失したのだ。バールカイベルと――血まみれでもがき苦しんでいたハリ・ファ
ジル・ハーンが。
くそが、とひとりつぶやきながらバラムはふたたび、魔法の呪文を口にした。
シギム・ナルド・シャスと。感覚のシフトはぎくしゃくと訪れ、しかも広がるは
ずのフラットな充実感は悪夢のような悪寒にとってかわられていた。
シフトがうまくいかないのは初めてのことではない。生死にかかわる場面でそれ
が訪れたのも同じだ。まがりなりにも、超知覚に移行できたことはむしろ僥倖とと
るべきだったのかもしれない。
ハリ・ファジル・ハーンが、レイの軌跡からバールカイベルをかろうじて引きず
りあげる場面を目撃した。そのスピードには、さきほどまでの激烈さは欠けていた。
負傷のためか、それともバールカイベルの肉体が強化人間の超絶したスピードに耐
えきれないであろうことを考慮したためか。
ひとつだけたしかなのは、あのスピードなら拮抗できる、という事実だった。
壁を蹴ろうとして――愕然とした。
軟泥にからみつかれたように、四肢は重く、緩慢にしか動かなかった。
肉体が、シフトした感覚に追随しきれていないのだ。
く、そ、と思わずもれ出たつぶやきまでもが嘲るように、冗長でもどかしかった。
反対側の壁にバールカイベルを飛ばしながら、ハーンは苦痛に顔をみにくく歪め
たまま壁を蹴った。――マリッドにむけて。
みるみる迫る。ゆるやかに火花を散らす電磁ナイフよりも、背後にぐいとひかれ
た拳の方がより凶悪で、力に満ちていた。。
――シギム・ナルド・シャス!
奥歯をきしりつつ、唱えた。
シフトのただ中で、重ねて唱えたことなど初めてだった。
効果は、すぐにあらわれた。
爆発する激痛となって。
灼熱の業火が、凶悪な悪寒を引きつれてバラムの全身を荒れ狂った。
狂気のように脳内を焼きつくされながら――壁を蹴る足に、ふたたび力が宿って
いることにおぼろに気づいていた。
体当たりがハーンを跳ね飛ばす前に、血管と筋肉で膨れあがった下腕の発射台か
ら、ハンマーのような拳がマリッドの胸脇に叩きこまれていた。
――胸脇に、だ。
たしかに、心臓をねらった、と見えたハリ・ファジル・ハーンの神速の動きに、
マリッドが、わずかであろうが反応できた、ということか。
疑問は、ハーンとともにもつれあいながらおきざりにされていた。
ふりまわされるナイフをかわしながら、ハーンの頭蓋をわしづかみにした。
闇雲に力をこめたのは、意図してではなく身裡を荒れ狂う地獄の責め苦のためだ
った。
ハーンの顔面が、苦痛にひどく歪んだ。
そしてバラムの内部で、身体の芯から燃え盛る悪夢の痛覚が、限界に達したかつ
いに破裂した。
耐えきれず、うなりつつハーンを蹴りつけた。その時にはすでに、超知覚はまた
もや意志に反して消し飛んでいた。
そしてどうやら、ハリ・ファジル・ハーンもまた。
くあ、と血珠を吐きつつ炎の肉体が宙をのたうち、
「退却するぞ、ハリ!」
切羽つまた口調で叫びながらバールカイベルがハーンに向けて宙をすべった。
千載一遇の機会だった。
「シギム……」
魔法の成句を口にしきる前に、真紅の衝撃が脳内に破裂した。
鼻腔の奥で強烈な血臭がはじけ、肺の中心から蜘蛛の巣状に、激痛の稲妻が拡散
する。
半球をぬけてすり鉢の底の出入口へ、のたうちまわるハーンの鋼鉄の肉体を引き
ながらバールカイベルは一直線に吸い込まれていった。
姿が見えなくなる直前、少年の形をした美貌がちらりとバラムを、そしてマリッ
ドをふりかえった。
そして消えた。
「くそが」
吐いた毒づきも弱々しかった。あいかわらず激痛が全身を経めぐりつづけている。
気の制御も今やまるで効かない。知覚とともに強化されたはずの治癒機能も、どう