AWC 夜の虎(9)       青木無常


        
#2801/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  94/10/12   3:20  (200)
夜の虎(9)       青木無常
★内容
酷薄な微笑をうかべてみせる。
 見かけどおりの年齢ではあるまい。なによりも、ことさら見せかけるまでもなく
立ち昇る存在感は、そのたよりなげな外見とはまったく裏腹に物理的な圧迫さえ、
ただよわせているように思えた。
 その小柄な姿が、芝居じみたしぐさで片手をあげて、背後の虚空を示してみせた。
 無骨に砲身を鈍く光らせたトーチカの先で、拡散しつつあるストラトス軍の戦闘
艇の破片が幻のように淡く、輝いていた。
 五機いた軍側の戦闘艇も今は二機しか見あたらず、うち一機は戦闘不能状態に陥
っているらしく、回転しながらゆっくりと宙域から離脱しつつある。
 残った一機もまるで酔漢のようによれよれと逃げ惑う姿ばかりが目についた。追
いまわす小型艇二機は見たところ、ほとんどダメージらしいダメージひとつ受けて
はいない。
「残念ながら余興もそろそろ終わりかけだが、まあゆっくりしてもらえれば幸いだ」
 おちついた口調で告げられるのへ、バラムは鼻の頭にしわを寄せてみせる。
「あいにくだが、くつろげる気分じゃないな」
「いたらなかったようで申し訳ないな」
 嘲弄ともとれるセリフを、バールカイベルは真顔で口にする。
「ウシャルはどこだ?」
 無視して、問いかけた。
「そろそろ到着するころあいだ。恒星船に直接収容させる予定だから、到着したら
そちらから連絡が入るだろう。なぜ遅れたかについては、私も疑問に思っていると
ころだ」
 涼しげに云い――つ、と、まぶしげに目を細めた。「われわれのスペシャルゲス
トに、どういったご用向きが?」
「なに、たいした用事じゃないさ」
 唇の端を獰猛につりあげて、バラムは笑った。「ちょいと頚動脈を引き裂かせて
もらいたいだけだ」
「それは困る」
 哀しげに眉をよせて、バールカイベルは云った。「申し訳ないが、阻止させても
らわなければ」
 ふん、と鼻をならしながらハンドレールを手にして、前進を停めた。
 身をたわめる。
 が、
「残念だが私では、君の相手はつとまりそうにない。ハリ・ファジル・ハーンが代
役だ。後ろを見たまえ」
 ふりむき――愕然とした。
 暗黒の底に光る獣の眼を思わせた。
 そのとおりだったのかもしれない。紅の炎のような奇怪な模様に一面をおおわれ
た派手派手しいの顔の中で、その派手派手しさをなお圧倒するように、いましも破
裂しそうなまでに印象的なその双眼が、真正面からバラムを威嚇した。
 信頼に満ちた無表情で、バールカイベルがハリ・ファジル・ハーンと呼んだのは、
この男の名前なのだろう。
 太陽フレアのように広がる黒い、こわい毛髪。
 強靭で苛烈な、鋼鉄の凶器を連想させる隆々とした半裸の肉体にも、まるで蛇の
ように炎状の入墨が狂おしくからみついている。
 制御室の男たちが手にしていたナイフなどより、その男の放つ鬼気の方がよほど
剣呑だった。
 なによりもそれほどの殺気を、ふりかえるまで、バラムに気づかせもしなかった
その穏行。
 懐にしたDトラップのスイッチを入れてバラムが投げつけたのは、ほとんど焦慮
に後押しされての反射的行動にすぎなかった。
 投げつけられたジェネレータが次元断層を膨れあがらせつつ移動する先に、だが
凶人の姿はすでに消失していた。
 視線を転じ――魁偉な入墨で全身を鎧われた、しなやかで強靭な紅蓮模様の肉体
が、超高速で振動でもしているように奇怪な残像をしたがえてゆっくりと壁際に向
けて移動していくのを視界にとらえた。
 追うより速く、ブレた残像が壁を支点にして消失し――戦慄が背筋を奔りぬけた。
 わきあがる動揺をむりやり抑えこみつつ、口中でつぶやいた。
「――シギム・ナルド・シャス」
 呪句は幻聴のごとく意識内部に反響し、水月の奥底から生体制御物質が、噴き上
がる水煙のように放射状に広がっていった。
 狂気よりもなお冷徹で非人間的な、野心と打算の結晶が、近い未来の破滅とひき
かえにバラムの内部に、超知覚と、それを追随する肉体能力とを惹起する。
 屈辱も恐怖も胸中からひきはがしたように遠ざかり、感覚が拡散した。視界の端
にまで意識は分散遍在し、聴覚と触覚は全宇宙に向けて球状に展開した。
 視野の端でとらえる。バールカイベルの背後の虚空で、蛍光のように淡く広がる
残骸を背に、縦横無尽に追撃と逃走を交錯させていた三機の宇宙艇の動きが、ぜん
まいがゆるむように、にわかに鈍く、遅くなっていく。
 わきあがる歓喜の念さえ他人事のように感じながら、紅炎の戦士ハリ・ファジル
・ハーンの姿をさがす。
 背後。ふりむいた先に、岩のような拳がすでに予備動作を終えてバラムに向けて
くり出されつつあった。もう一方の手は、無重量空間での打撃を対象物に確実に叩
きこむべく、宙に舞うバラムの二の腕をつかもうとまさにのばされているところだ。
そしてそれらを保証する発射台として両の脚は、ハンドレールと壁との狭間にきっ
ちりとはさみこまれている。
 神速、という言葉はこの男にこそふさわしかろう。――超知覚へと移行したバラ
ムを除けば。
 ――まちがっていた。
 強化されてなお意識の速度を追いきれぬ肉体反応の限界は、己の動作さえ夢の内
部のできごとのようにもどかしく重かった。だから、ハリ・ファジル・ハーンの迫
り来る拳がおなじようにのろのろと重いのは当然のことではあった。
 それでも、まちがいなく驚異だった。
 骨格をその構造から変容され、神経系を有機的にブーストされ、さらに筋肉の秘
めるポテンシャルを限界までつねに引き出せるように処置を受けたバラムの動きに、
ハリ・ファジル・ハーンは苦もなく追随してきたのだ。
 ――きさまも――とバラムは、鍛え上げられた刃のような意識の内部でつぶやい
た。――強化人間か……!
 眼前にせり出した無骨な拳の向こうで、ハリ・ファジル・ハーンはおもしろくも
なさそうに、唇をへの字に歪めていた。
 顎先を痛撃がとらえる。
 ひきのばされた知覚は、苦痛もまた冗長かつ深甚に叩きこんだ。
 食いしばった歯の奥からしぼり出た苦鳴は、再生速度を誤った音声信号のごとく
滑稽に響きわたる。
 強化知覚を圧するように瞬時にして口中に広がる血の味は、ひさしく忘れていた
記憶をバラムに思い起こさせていた。
 追随する者のない弧絶した神域で、同衾する死神と壊れていく肉体だけが脅威だ
った。
 今そこに、肉をそなえた現実の敵が、文字どおり殴りこんできたのだ。
 抑えるすべもなくあふれ出る笑みが、炎のようにバラムの顔を歪ませた。
 同時に、ひさしく忘れていた恐怖と怯懦の苦い味もまた。
 二の腕を万力のようにしぼりこむハーンの手首に、あいた指から突きをくらわせ
る。
 状況が精度を狂わせた。わずかにツボからそれた攻撃は、予定の骨格破壊をもた
らすことなく痛撃のみを敵に与えた。
 それでも、徒労に終わらなかっただけましかもしれない。かたく腕を固定してい
た重機のようなハーンの握力がゆるんで拘束から脱し、叩きこまれた衝撃の勢いの
まま空を回転する。もし、拘束をはずせなかったら――強化されたバラムの骨格で
さえ、ダメージを免れ得たかどうかはなはだ心許なかったのだ。
 そしてバラムは、幸運に援けられた逃走をそのまま攻撃に移行させた。
 衝撃のまま回転するスピードに、ひねりにひねった勢いを加えて、ハーンの燃え
盛る上半身に蹴りを叩きこんだ。
 ひねりこまれ遠ざかるバラムの肉体を、追う形で上体をのびあがらせたハーンの
脇の下、心臓の側方に、硬質の靴先が深くのめりこんだ。
 炎に彩られた顔面がゆっくりと、苦痛にひき歪んでいく。
 おれもまた、この男にこんな顔をさせられていたのだろう――奇妙に遠ざかった
感慨は、ふたたびバラムの顔を歓喜にほころばせた。
 正面からぶつかりあった鉄球がたがいに逆方向にはじけ飛ぶようにして、狂気じ
みたスピードで旋回しながら二人の強化人間は右と左に飛んだ。
「近い将来に起こり得ることではないと思うが」
 遠い記憶の底で、人間を超える肉体を与えられてから初めて目覚めた時の、白衣
に身をつつんだ凍てつく湖のように無機質な医師――強化人間開発チームの中核を
なす生化学者が口にした言葉が脳裏をよぎる。「きみと同じような能力を持った相
手――つまり驚異的な加速能力と、それを補償し、補強する骨格、筋力をもった相
手と闘う時には、不用意に真正面から激突などしない方がいい。それほどのスピー
ドとパワーとが正面からぶつかりあえば、いかに強化された肉体だろうと互いに耐
え得るものではないだろうし、そうなれば当人同士のみならず、その周囲の環境そ
のものに激甚なダメージを与えることになるからね」
 予言どおり、支柱にしたたかに打ちつけられたバラムの背中で、重装甲の戦艦が
接触しても耐え得るはずの強化ガラスごと、構造物がみしみしと音を立てながら歪
んでいった。
 対面では同様に、ハーンの背後で窓外の星空が無数のひび割れに瞬時にして真白
く凍りつくのが見えた。
 そして衝撃がひきがねとなったか、強化知覚は瞬時にして解けていた。
 地鳴りのごとく轟いていた重い空気の流れが目覚めるようにして常態に復し、巨
獣の長く深い息づかいも平凡な喘鳴へと変化した。そのぶざまな喘鳴をもらしてい
るのがまぎれもなく自分であることを、狂おしく自覚した。
 そして、呆然と、魅せられたようにシャルカーン・バールカイベルが感嘆のため
息をつくのもまた、たしかに聞こえた。
 それこそまさに、僥倖だったのかもしれない。
 互いに――おそらくは互いに、おのれと同等のポテンシャルを秘めた化物を相手
にぶつかりあうという悪夢のような状況に陥り、白熱した脳裏に怜悧な計算はたし
かに剥奪されていた。
 狂気じみた力の衝突がひき起こす被害とすれば、展望室を一気に破壊し尽くさず
にすんだだけ軽微といっていいはずだ。だからといって、このままぶつかりあって
いれば昔日の生化学者の予言どおり双方にとって致命的な結果に陥るであろうこと
は、あまりにも明白だった。
 同じ結論に、ハリ・ファジル・ハーンもまたたどりついたらしい。うさんくさげ
に――あるいはとまどい困惑でもするように、眉根をよせて顔を歪ませながらも、
衝撃のせいでいびつに歪んだハンドレールごしに移動する速度に、先刻の異様なブ
レは見られない。
 バラムもまた、魔法の呪文を口にすることなく足場を固めて待ちかまえた。
 たん、と壁を蹴った紅蓮の肉体が、瞬時にしてバラムの懐に接近する。
 身をひねりざま回避しつつ、宙をすべるハーンの頚部にすばやく手をのばした。
 が、ハーンの反応のがやや速かった。のばした腕にとらえられるより速く、支点
のない空中で器用に肉体をそらせて襲撃をかわし、同じ動作の延長で逆にバラムの
上腕をがっちりととらえた。
 そこを支点にして、丸太のような右腕が下から上へと視界をよぎる。波打つ筋肉
は鋼鉄そのもの。
 頚をひねって体をかわした。
 拡散した気を再度、水月にむけて凝集させる。むろん、知覚は常態のままだ。つ
かまれた二の腕を支点に虚空で姿勢を整え、ひゅうと息を吸った。
 十時十分の野太い眉が、光る目と深い黒瞳を刺すようにしてバラムに結びつけた。
 応えるように見ひらいた眼をすえながら、バラムは掌を突き出した。
 つ、と、つかまれていた腕が後方にむけて押し出される。無重量の空中でたより
なげに後退しつつ、かまわずバラムは、自由になった腕をそえて掌をくり出しつづ
けた。
 届かない。
 かすめすぎた掌を脅威をこめて見やりつつ、ハーンはすでに次の攻撃動作に移行
していた。
 膝と肘が上下から、まさにやり過ごされて通過しつつある下腕に向けて顎を閉じ
た。
 手首と足首を飾る、鈍色の金属のふさつきの腕環と足環が、幻のようにかわいた
音を立てたような気がする。硬質に砕け散るその音に、だが激痛はまぎれることな
くバラムを襲撃した。

    9.脱出

 ぐ、と苦鳴が喉を震わせる。
 同時に、収斂し、身内に拡散し、あふれ返っていた気力が、瞬時にして散逸して
いくのをはっきりと自覚した。
 強化された骨格はそれでも砕かれることなく堅固さを維持してはいたが、痛覚が
肉体の動きを完全に停止させていた。
 その空隙を逃すはずもなく、風のようにおぼろな鬼神の襲撃が、速射砲のように
たてつづけにバラムの肉体を翻弄した。
 幾度となく打たれ、壁にたたきつけられた。
 吐き出される血泡は真紅の球となって汚穢に宙をただよい、虎と呼ばれた男はな
すすべもなくぐったりと力なく、自らが吐き出した汚物を追った。
 たん、と最後に弱々しく湾曲した展望窓に背を打ちつけ、静止した。
「そこまでだ、ハリ」
 情けか、それとも得体の知れぬ計算かは定かではない。死の一歩手前でバールカ
イベルが口にした救いの言葉は、バラムにとっては最悪の屈辱だった。
 ぴたりと宙に制止したハリ・ファジル・ハーンは、光る双の眼をぎろりとバール
カイベルに向け、あいかわらずおもしろくもなさそうな面つきで、紅の蛇がからむ
腕を組んで静止する。
 計ったようなタイミングで、ドーム内部にオルゴールの音色が響きわたった。
 ラワド・ヴィアンが半世紀ほど前に星際規模でヒットさせたブルーズのメロディ。
通信プロセッサの呼び出し音としては少々古典的な部類に入るが、このトーチカが
忘れられた場所である以上はさして奇妙ともいえまい。
「リプライ」
 対して、これも平凡な応答のセリフをバールカイベルが機械的に口にするや、半




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