#2794/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/10/12 2:52 (200)
夜の虎(2) 青木無常
★内容
の見えている。
壮絶な微笑で顔を歪ませながら、バラムは顔面をおおった仮面の端に手をかけた。
「墓石に刻むために、か? 無駄だがな」
笑顔をはりつけたまま、関門をぬけるために顔面にはりつけていた仮面を引きむ
しる。「おれの名はバラムだ」
逆立つ炎のようなブロンドの下、刃の双眸がナイフのような嘲笑とともに現れた
瞬間、三人の美女が踊りかかってきた。ゴルゴン、アスナス、メドッサ――不吉な
死と残虐の代名詞をもって暗黒世界を震撼させる、ジョシュアのゴルゴン三姉妹。
フェイシス圏内にレンジを広げても十指にもれない、凄腕の殺し屋だ。
黒衣の熟女が、ウシャルの巨体を軽々と小脇にかかえて後方に飛びすさるのを横
目に、バラムはゴルゴン三姉妹の強襲に正対した。
常人の動態視力ではその動きを追いきることはできまい。白い三つのドレスはそ
のまま疾風と化し、正三角形の中心にバラムをすえる。間をおかずに閃光が三条、
暴漢にむけて突きだされる寸前――
「シギム・ナルド・シャス」
バラムは口中ひそやかに、奇怪な呪句をつぶやいた。
思考と感情は対自我に追いやられ、全身が感覚器官にかわる。
時間の遅延。
いましもトリガーをひき絞らんとする三姉妹の指の動きが、寸きざみに視認され
た。身体は即座に反応する。
ゴルゴン三姉妹が緩慢に目をむくのへ、バラムはうす笑いをうかべる。
トリガーに手をかけた時点で、バラムはなんのアクションもおこしてはいなかっ
た。にもかかわらず、ひきしぼられた指に反応して三方向から躊躇なくビームが放
出されるまでの刹那の時間に、火線の襲来を避けきれる人間の存在など感覚が理解
を拒否して当然だ。そういう意味では、ゴルゴン三姉妹は常人の域に棲息していた。
それでもなお、呆然としつつも、すさった殺し屋を追って照準をすえ直したのは、
風評に恥じない勘と判断力だ。
が――追いきれなかった。
テロリストは、人間の領域を軽く凌駕していた。
風の流れを皮膚が感知し、光のつぶやきを耳がとらえ――そして、タイムラグな
しに肉体が反応する。
さらに――
三姉妹の視野から、バラムの姿が消失した。一瞬の後に、あわてて四囲を見まわ
したのは、二人だった。
三人目、三姉妹の名前を代表するゴルゴンは――鋭利なハンティングナイフに喉
をかき切られて、血しぶきをあげていた。――ほかのふたりが、まるで気づかぬう
ちに。
最愛の姉を一瞬にして屠られた妹二人は、奥歯をきしらせつつ即座に飛びすさっ
た。
唇の端を歪めてバラムは追撃する。
スピードについていけず、なにが起こっているのかさえわからずに棒だちになっ
た招待客のあいだを、すりぬけ、おし退け、つきとばしながら、二人と一人は目ま
ぐるしく場内を移動した。
そんな激戦のさなかにありながらバラムは、柱廊玄関のむこうにいましも消えや
らんとするウシャルが奇妙な動作をするのを確認していた。
首を掻き切る動作を、してみせたのだ。
ステージ上のオーケストラにむけて。
黒衣の婦人にうながされて、成果をたしかめることなくウシャルは消え――
突然、パティオはホルンとファゴットの重厚なファンフーレにみたされた。チャ
イコフスキーの第四交響曲。
そして――同時に起こった異変を、バラムは視認した。
機械的にたち働いていた仮面の給仕たちが、ファンファーレとともにいっせいに、
ぴたりと動きをとめたのである。
切り裂くように響きわたったトランペットが退き、哀しげにのこった木管の底か
ら弦が重く滑りはじめたとき――
2.花の舞い
給仕たちは移動を開始した。
中心点は――いうまでもなく、バラムだ。
絶えず位置を移動しながらハンドガンで襲撃をかけるゴルゴン姉妹の攻撃をぬっ
て、仮面の一団はバラムにむけて殺到する。
身長一メートル弱、童子の面をつけ、長い髪を結んでうしろにたらした奇怪な襲
撃者――面の名をとって“渇食”と呼ばれる彼らは、ペルソナ・サプライ社がほこ
る感情剥脱式才能強化法のヴァリエーションである。仮面に組みこまれた電子装置
は頭部をおおう無数の突起から放射されるパルスで脳細胞の特定部位に刺激をおく
り、その結果――感情の抑制と特定の行動における身体活動の強化が可能となる。
当初、戦争時における殺人への禁忌を解除する目的で開発されたこの技術は、研
究が進むにつれて無数のヴァリエーションを生み出した。特に、ネブロ・ガートに
おけるロボットの大量発狂とそれにともなう虐殺の一件以来、電子頭脳への不信と
鉄のかたまりへの恐怖が叫ばれはじめた結果、一部のサービス業ではこの技術が諸
手をあげて歓迎され、いまや銀河文明に蔓延せんとそのいきおいを拡大している。
給料の莫大さと仕事の卑屈さとのギャップに慢性的な人材不足を余儀なくされてい
たサービス業界はこれによって一気に活況をとり戻すこととなり、枯渇していた古
きよき職業もそのすそ野を広げる仕儀となった。
そして、技術は当然のごとく地下へも流れ――ここに奇怪な闇の住人が誕生する。
つねにテロリズムの脅威にさらされる政府要人をガードする“平太”と、暗黒街
の大物の周囲を固める“大飛出”はその代表といえよう。頭部さえ無傷なら骨折も
出血もなんら意に介することなく標的に向かう荒事師は、理想の護衛役だ。
そして、見てくれは単なる給仕にしか過ぎない“渇食”であろうと、その実態は
殺人をもいとわぬボディガード、といった剣呑きわまりない設定もありがちなこと
だ。チャイコフスキーのファンファーレが始動の合図なのはご愛敬だろう。
総勢、五十七名。千名以上の名士が招待されたパティオにおける給仕役にはすく
なくとも、一人の殺し屋にむかわせるには充分すぎる人数だ。
バラムはウシャルの消えた柱廊玄関に視線を送りつつ、急迫する仮面の群れと、
ゴルゴン姉妹にに向けて――やさしげに微笑んでみせた。
「邪魔だぞ、糞餓鬼ども。ぶち殺されたいか?」
むろん、ゴルゴン姉妹はともかくとして、通常の意識を剥奪された“渇食”が、
バラムの口調や表情に恐れをなして道をあける道理はかけらもない。テーブルや彫
刻のあいだをぬってバラムをかこみ、ふわり、とまるで糸に吊りあげられるように
して宙に舞う。
くるりと弧を描いた袖先から、閃光が空気を焼いた。
一瞬バラムの身体がブレるようにして輪郭を崩す。
強烈な異臭が充満した。黒焦げの穴が、一瞬前までバラムの立っていた位置に穿
たれていた。
着地と同時に数人の“渇食”が血しぶきをあげて倒れた。首筋に刻まれた朱線か
ら噴きだす大量の血が、童子面を真っ赤に染める。
が、ほかの“渇食”の動作に遅延はまったく見られない。地面に足がつくやつか
ずのうちにその小柄な体はすうと横に流れ、神速で移動するバラムを追う。“花の
舞い”――地下商人が自信満々に送りだした“殺人渇食”の特殊技能は、バラムの
動きにも遅れることなく正確で冷酷な攻撃を展開した。
軽やかな足どりで飛びはねていならぶ障害物をあざやかにクリアしながら、目ま
ぐるしく移動する戦場の中心にたえずバラムを置いている。
その動きは、まるで重力が消失したかのような――とはいえない。重力は動作の
なかに積極的に利用されている。消失しているのは、重力のヴェクトルだ。壁を、
天蓋を、四囲に存在するあらゆるものを踏み台にして、一見優雅にさえ見える移動
を展開する。その実バラムの超人的な体技をもってしても殺傷できるのは五人に一
人。しかも攻撃は間断なく八方から襲ってくる。
ゴルゴン姉妹は芸術的な連携で攻撃をくり出す“渇食”の包囲網からはずれて、
少し離れた場所からなりゆきを見守る体勢だ。
と、業を煮やしたか――ふいに、バラムはぴたりと停止した。
なんの策略か、と、たたらを踏むようなことは“渇食”はしない。いっさいの躊
躇なく、白い仮面がいっせいにバラムにむけて殺到した。
旋風がまき起こる。
銀光が上下に奔り、つづいて鮮血が渦を描いてとび散った。
凶刃をさけて飛びすさったのは、襲撃をかけたうちの半数にもみたなかった。
「道をあける気はなさそうだな」
うす気味わるいほどやさしげな声でいって、バラムは笑みをうかべた。「ガキは
寝る時間だ。おとなしくすっこんじまいな」
地獄の微笑みが前方にむけて弾けとんだ。
一団となって“渇食”も後退する。が――
くるりと反転するや、バラムは料理の満載されたテーブル上にとび乗り、巨大な
炎の柱を噴きあげるメインディナーの炉鍋を蹴りとばした。
高らかに悲鳴があがった。
巨大な炉鍋は軽々と宙を舞い、炎を噴きあげたまま盛大な音をたてて落下した。
オーケストラの、ただなかへ。
第二主題にはいっていた交響曲第四番がとぎれ、かわって悲鳴と怒号のファンフ
ァーレがあがる。
一瞬の遅延が“渇食”の動きを侵食した。
バラムには、その一瞬で充分だった。
残像を置き去りに暗殺者の姿が消失し――ごろごろと音を立てて数個の首が転が
った。
包囲網が、破られたのだ。
一瞬の停滞からすばやく回復して、生き残りの“渇食”たちが追撃を再開したと
き、一気に包囲網を突破してウシャルを追うかに見えたバラムが――再度ふりかえ
る。
ここぞとばかりに急襲をかける“渇食”に、そして、離れた場所からなりゆきを
見守っていたゴルゴン姉妹に向けて、数条の光跡がはしりぬけた。
一瞬だった。
一瞬で、勝敗は決していた。
武器は、うち倒した“渇食”のひとりから奪ったハンドガン。
光跡はいくつもの直線を描いて黒焦げの穴を穿った。――“渇食”たちの、ゴル
ゴン姉妹の心臓に。
またたく間に残敵を掃討しつくしたバラムは、今度こそなんの障害もなく標的を
追って屋内に走る。
とり残された招待客たちは、呆然とパティオの惨状を見まわした。
ふと気がついて上空に目を転じた一人が、はっと息をのむ。
そこでは、満天の星空を投影しているはずの立体映像が影をひそめ、むき出しの
天井が黒々と頭上をおおいつくしていた。――システム異常。だが、その理由は?
高速エレヴェータの内部で、ジョルダン・ウシャルは恐怖と怒りに荒く息を弾ま
せていた。テロリストに命を狙われるおぼえは、山ほどある。そのために高い金を
だしてゴルゴン三姉妹や特製の“渇食”部隊をとりそろえておいたのだ。いまさら
殺し屋の一人や二人にあわてる必要などないはずだった。
が――相手が悪い。
バラム――夜の虎。
伝説の男だ。かつて地球文明圏全域にわたって勢力を展開していた強力な武器供
給トラスト“フィスツ”をただひとりで壊滅させたという男。伝説にすぎない、と
いってしまえばそれまでだが、現にあの男はゴルゴン三姉妹の長女を、苦もなく葬
り去っている。
全身を間断なく震わせながらぎりぎりと奥歯をきしらせる“帝王”の腕に、黒衣
の女がなだめるようにそっと手をおいた。
「大丈夫、心配ありませんわ、ダーリン」
カフラ・ウシャル――十年来つれそってきた、ジョルダン・ウシャルの正妻だ。
一見上流階級の麗人にしか見えないが、天鵞絨の黒手袋にかくされた両の手は、無
数にくりかえしてきた暗殺に赤く染まっている。通称マダム・ブラッド――その実
態は、ゴルゴン三姉妹にも劣らぬ凄腕の殺し屋だ。ウシャルが現在の地位を獲得で
きたことも、この凶女なくしては考えられない。
「五十七人もの“渇食”にいっせいにかかられては、逃げることさえできるものは
いませんもの。あの男もいまごろは……」
「甘いぞ、カフラ」
渋面で、ウシャルは答えた。「フィスツをたった一人でズタズタにした男だ。伝
説は誇張されるものではあるが――おれは今日、あの男を目にしてあれが単なる伝
説などではないと悟ったのだ。あの男の目はまさに野獣の目だ。それにあの動き―
―あれァ、断じて人間じゃねえ」
「まあ、おびえていらっしゃるのね。可愛いひと……」
醜く肥満した顎に手をかけ、耳に息を噴きかけるのをうるさげに払いのけながら、
ウシャルはむきになっていいつのる。
「おれの勘が悲鳴をあげてやがるんだ。ここまで地位と権力を築きあげ、そしてお
れの命を今日までながらえてきた、このおれの勘がな。それを信じられねえっての
か、ええ?」
語気の荒さに、マダム・ブラッドは鼻白んだように顔をそむけた。
ウシャルはそれを無理にひき戻し、
「そら、屋上についたぞ。いま扉がひらく。そのドアのむこうに奴が立っていねえ
と、おまえに証明できるか? あん?」
怒りに美貌を引きつらせて何か云い返しかけ――マダム・ブラッドはウシャルの
表情の変化に気づいた。
「ほうれ、見ろ」
勝ちほこったように口にされたセリフとは裏腹に、ウシャルの顔面からすうと血
の気が引いていく。
ストラトス星系・惑星ジョシュア第一の都市、ポルトジョシュアの夜景を背後に、
黒い人影のかまえたハンドガンの銃口が一直線に、ジョルダン・ウシャルをポイン
トしていた。
敵意に眉をひそめ、ついで、マダム・ブラッドは笑みをうかべながら唇の端に朱
い舌をちらりと走らせる。
バラムもまた、笑みをうかべていた。――嘲笑を。
「遅かったじゃねえかよ“帝王”。エレヴェータがてめえの体重で故障でも起こし
てたのか?」
ウシャルの顔が怒気に朱く膨れあがった。
フン、と鼻で嗤い、トリガーにかけられたバラムの指が引かれる、その寸前――