AWC 夜の虎(3)       青木無常


        
#2795/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  94/10/12   2:56  (200)
夜の虎(3)       青木無常
★内容
 異変が、襲来した。

    3.天空の狂気

 圧倒的な質量をともなって、衝撃波が貫通した。
 バラムの動きが停止する。
 一瞬のことだった。
 その一瞬、ウシャルは死の恐怖さえ喪失していた。
 覚えのある感覚だった。
 その感覚を、どう表現すればいいのか。究極の苦痛。暴風のごとき悪夢。瞬間を
貪り食う狂気。そのどれもが正確でありながら、言葉以上のなにものも表現しては
いない。そう――これら、忌避すべき事態の底に、もっと根源的な感覚がかくされ
ている。
 至上の悦楽。
 四肢を、皮膚を、臓物さえひき裂かれる苦痛の底に、無上の性的快感が潜んでい
るのである。
 すべて一瞬。一陣の颶風のごとく、右から左へ走りすぎていった。
 僥倖だった。あと一秒でも長く、その衝撃波がつづいていたら、発狂するかショ
ック死していたにちがいない。
 眼前の暗殺者も、静止していた。
 ほんの一瞬。
 その一瞬を、マダム・ブラッドは逃さなかった。
 朱唇をすぼめ、ふっと息を噴く。
 銀線が、銃をささえるバラムの手を貫いた。――含み針だ。がらりと音をたてて、
レイガンが地におちた。
 ちい、と舌をならしてナイフをぬき、暗殺者はウシャルにせまる。
 帝王を背に、マダム・ブラッドはさらに二度三度、針を噴いた。
 銀光がひらめき、冴えた音が夜に響きわたる。
 噴き針はことごとく跳ねかえされ、両者の距離が一気につまった。
 そして――ウシャルは、呆然と目撃した。妻の背中から、異物がはえでているの
を。
 血をからませたナイフがゆっくりとひき抜かれ――
 マダム・ブラッドは、その名にふさわしく鮮血を噴きだしてたおれ伏す。
「ぐう……」
 自分でも意識しないままうめき声をあげながら、帝王は二歩三歩と後退した。
 暗殺者は、血まみれのナイフに朱い舌を這わせる。レーザーブレードでもヒート
ナイフでもない。ただの合金のかたまり。
 だが、ウシャルの喉笛を掻ききるには、充分だ。
 銀色に輝く光をはなつ刃が、ウシャルの喉もとにせまり――
 そして二度目の僥倖がおとずれた。
 震動。
 地上五百メートル、ウシャル城の異名をもった堅牢さと鉄壁のガードシステムを
誇るビルが、土台ごともちあげられたような衝撃。
 ついで、世界は奈落へとしずむ。惑星の巨大な一挙動で、ウシャルはぶざまにこ
ろがった。
 二度、三度、ウシャルズ・タワーは激烈な震動にゆさぶりをうける。
 最先端の全身美容でさえ無力さを露呈した暗黒街の帝王の巨躯が、跳ねとばされ、
たたきつけられ、ゴムボールのように飛びまわる。
 その暴虐の嵐のさなかに、ウシャルは見た。
 バラムが、立っているのを。
 この激甚な震動のさなかにあって、暗殺者はナイフをかまえた姿勢を崩すことさ
えなく、冷徹な視線で跳ねまわるウシャルの行方を追いつづけているのだ。
 恐怖の二文字が脳裏を占拠する。
 夜の虎――バラム。
 燃えあがるような黄金の髪。肉眼では捕捉不能の身のこなし。狂気を秘めた、冷
厳なる殺人者――伝説は、まぎれもなく真実だ。
 激痛が、背面全域を強襲した。
 同時に、みしり、となにかが軋む音。石の感触が、痛覚を追って背中にひろがっ
た。
 重い音とともに背にした狙撃防止壁がこなごなに砕け散り、異常肥満したウシャ
ルの巨体が虚空に放り出された。
 宙に浮きあがる一瞬、周囲の光景が鮮明に視界をうめつくす。
 大地が苛烈に上下動をくりかえしていた。耐震構造の摩天楼が瓦礫となって四散
していくのも見える。そして――宙に舞うウシャルを追って崩れゆくビルからダイ
ヴする、悪魔の暗殺者の姿も。
 十年だ。ウシャルは思った。ストラトスの地下世界の支配者におさまってから、
十年。謀略と殺戮のかぎりをつくして、たどり着いた場所。前の帝王はわずか三ヵ
月でウシャルにその座を追われた。その前のやつは、三年半。おれは、十年保った。
たったの十年だ!
 街路が、みるみるせりあがってきた。
 はっと気がつき、反重力サスペンサのコントローラに手をやる。ランドムーヴ・
モード、最大出力。風船のように膨れあがった腹の上で、超小型回路がいましも破
裂しそうな金切り声をあげる。
 地上が、激烈ないきおいでせまる。
 糞、効いているのか、この野郎――声に出して毒づこうとしたが、苦しげなうめ
きがもれただけだった。
 叩きつけられた。
 陥没する。下じきになったものが。
 もがいた。ころがり落ち、車道に身を横たえる。即死は免れたらしい。救い主は
――陳腐きわまりない。駐車違反のステッカーをはられたリムジンだ。
 反重力フィールドがなければ、原型をとどめぬ肉塊と化して四散していたにちが
いない。が、落下の衝撃のためか、反重力サスペンサは完全にオシャカになっても
いた。
 じわりと、身奥から苦痛がわき出す。
 うめいた。四肢に力が入らない。全身が苦痛に染めあげられていく。
 天上から、瓦礫が降りそそいだ。
 駄目か? 諦念が心をよぎったとき、再び大地が盛りあがった。
 粉々に砕けた敷石とともに、跳ねとばされた。
 そして突風。
 路上を転々ところがされた。
 横手、前、後方、巨大なコンクリート塊が、派手な音をたててつぎつぎに路面に
突きたてられる。直撃されれば、すみやかな死のおとずれを見るだろう。
 が、奇跡の手は、いまだウシャルを見はなしてはいなかった。
 カザル産、直径二十メートルの球形樹の植えこみが、クッションとなってウシャ
ルを受けとめる。綿毛のように丸々とした広葉樹が市中心部の交差点にどっかりと
居すわっているのを見てウシャルは常々ばかばかしいと考えていたが、天運は布石
のつもりでこれを植えておいたものらしい。
 肥満体は、芝生の上にぽとりと安置された。
 からだは、やはり動かない。たとえ動いたにせよ何をする気にもなれなかった。
 ぼんやりと、空を眺めた。
 つかの間、自分が空を飛んでいるような錯覚に襲われていた。
 原因はすぐに理解できた。雲だ。暗色の夜空を、無数の雲塊が駆けめぐっている
のだ。まるでなにかに追いたてられてでもいるかのように、異常なスピードで。
 この突然の異変は、いったいなにに起因するのか。
“死者の道”だ。
 知識よりさきに言葉がうかぶ。胸落ちは実感のあとにやってきた。
 超光速船に乗ったときの、あの感覚。実体不明の超光速粒子“リプ粒子”――通
称“セント・エルモの火”――で船をとりかこみ、血の赤の航跡を描いて銀河を縦
断する旅。虚空をきりさく朱線は通常“死者の道”と呼びならわされている。秘教
的なヴェールに注意深く秘匿された奇怪な生態の導船生物“リパー”。機関部で不
断の張り番をする、闇にうごめく生殖不能者“ストーカー”。光速を超えた世界は
まともな人間をしめ出す悪夢の空間だが、それもこれも通常の人間には耐えること
のできない異常現象のおかげだ。
“リプ粒子”か、あるいは、超光速空間自体の特性か、光速を超えて航行中の船内
には気狂いじみた幻覚が蔓延する。ときにそれは物理的な圧力さえともなってあら
われ、内部の人間は発狂、ショック死、または殺人鬼への変貌を否応なしに選択さ
せられる。回避手段は、いまのところひとつだけ。――音声催眠法による深い眠り
のなかで、悪夢にうなされて目的地への到着をひたすら待ちつづけることだ。
 それは、ウシャルにとっては最悪の経験のひとつだった。強迫観念や幼児期の精
神外傷が極彩色の圧力塊となって具象化し、間断なく心の深層から責めのぼってく
るのだ。全身をしぼり雑巾のようにしめあげられる、地獄の責め苦以外のなにもの
でもない。
 だが、にもかかわらずウシャルは、その責め苦の底にかつて味わったことのない
地獄の快楽がひそんでいることにも、おぼろげながら気づいていた。
 そうだ。あれは“死者の道”だ。どこかのうすら馬鹿が、セント・エルモの火を
船体にまとわらせたまま、この惑星の大気圏に突入を敢行したのだ。衝撃波、地震、
気象異変の兆候、すべてそれで説明がつく。
 これで、肩の荷がおりた。ウシャルはほっと息をつく。
 それでは、この心奥にわだかまる恐怖感が一向に去ろうとしないのはどうしたわ
けだろう。なにか重大な危険を見すごしている不安感。
 ――バラム!
 反射的にとび起きていた。自分がとてつもない間抜けに思えて、顔面がカッと燃
える。
 四囲にすばやく視線をはしらせながら、茂みに飛びこんだ。
 瓦礫、残骸、死骸。死骸一歩てまえでうめく亡者たち。
 暗殺者の姿は、どこにも見あたらない。
 にわかには信じがたいが――ウシャルを追って飛んだのが、結果的には死のダイ
ヴとなったのか。
 あるいは単に、パニックに駆られて崩壊するビルから、絶望的な逃亡を試みただ
けなのかもしれない。
 いずれにしろ、あの荒れ狂う震動と崩壊の猛威のなかに飛びこんで、無事でいら
れるはずがない。たとえ、それが――あの“夜の虎”であろうとも。
 鼻を鳴らし、茂みにすわりこむ。自分でもそれを信じてはいない。勘が、告げて
いるのだ。危機は去っていない、と。
 胸ポケットをさぐり、震える手で煙草を口にくわえる。
「火を貸そうか、シフ・ウシャル」
 背後から、声がかかった。愕然としてふりむく。
 嘲り笑いの前で、ナイフが左右にふられた。
 飛びすさろうとした。
 腰が抜けていた。
「なぜだ」
 泣きそうな声が口をついて出た。
「なぜ?」
 バラムはさも面白そうに笑った。「言葉の選択をまちがえたのか? “助けてく
れ”だろう」
「だれがそんなことをいうものか。殺されてもおれは死なんぞ」
 わけのわからないことをいう。
 出来の悪い生徒をまえにした教師のように、バラムは眉をよせながら苦笑した。
 銀色の刃が眼前にせまる。肥満体が小きざみにふるえた。
 そのとき――
「撃ちぬくぞ、バラム」
 抑揚のない冷えびえとした声が、暗殺者の背後から無感動に警告した。
 バラムの動きが凍りつく。
 すかさず、ウシャルは死の手からすりぬけた。尻でいざりながら、バラムの殺傷
圏内から必死で逃亡する。
 バラムは、ゆっくりとした動作で背後をふりむく。
 黒の礼服に身をつつんだ男が二人、銃口をバラムの心臓に向けてポイントしてい
た。先刻のばかげたパーティ会場で見かけたツラだ。
 暗殺者の目がすうとすぼまる。
「司星庁情報局の者だ。その男は我々が保護することになっている」
 黒服の一人が淡々と告げた。
「保護だと」
 怒りの炎が、言葉と化して噴出する。「マフィアの頭目を司星庁が保護する、だ
と?」
 答えたのは、もう一人の方だった。
「政治的な問題なのだ。極秘のな。われわれはいま非常に微妙な立場に立たされて
いる。われわれ、というのは、君をもふくめたジョシュア、およびストラトス在住
の全人民をさしている。邪魔をする気なら、排除する」
 フン、とバラムは鼻さきで嘲笑った。
「できるものならやってみろ」
 冷笑は、つぎの瞬間、凍りついていた。
 鈴のような短い笑い声が、ひびきわたったのだ。
 愕然としてふりむいた。

    4.妨害と収奪

 野性的な微笑。
 誇り高き美貌。
「この二人は、口にしたことは確実に実行するわよ、バラム。そしてもちろん、わ
たしもね。避けきれる?」
 訊いて、蠱惑的に笑ってみせた。
 ぎり、と奥歯をきしらせて、バラムはマリッドをにらみつける。
 マリッドは高貴な微笑をうかべたまま、くるりと体を反転させた。
 音をたてないように後ずさりかけていたウシャルが、恐怖の表情をうかべて動作
を凍結させる。
「あなたもね、ジョルダン・ウシャル。個人的にはバラムとともにあなたも排除す
べきだと、わたしは考えているのよ。そして状況によっては、それを実行する権限
を持ってもいるの。命が惜しかったらおとなしくしていることね、坊や」
 ウシャルは痴呆のようにかくかくとうなずいてみせた。が、その恭順が見せかけ
のものでしかないことを、バラムは見ぬいていた。その双眸は怒気に染まりながら、




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