#2754/5495 長編
★タイトル (XVB ) 94/ 9/10 18: 3 (174)
悪夢の響き(2) $フィン
★内容
どれぐらいたったのだろう。
点々と斑の黒い染みがついた部屋に俺は一人立ちすくんでいた。
疲れた。
傷ついたこの身を癒すため俺に特別に創られた快適なソファに座った。
チクリ、尻部に軽い痛みが走った。
しまった、針か。
俺はすぐに腰を浮かした。
だが針はすでにソファの中に埋もれ消えていた。
俺はソファから離れた。床に転げ落ちるのが精一杯の行為だった。
くそう、やつら今度は何をする気だ。
俺のことはほっといてくれ。
ほっといてくれよう。
頼むからさあ。
どこかでこの光景を見ているはずのやつらに、俺は必死になって訴えようとした。
いけない。力が抜けていく。
強烈な眠気が襲ってきた。
だが起きていなければならない。
今度こそ眠ってはいけない。
俺の本能がささやいていた。
このままでは俺は・・・。眠るものか。
俺は抵抗した。だが甘美な眠りの渦は俺に対し容赦がなかった。
俺は渦に巻き込まれ、そして敗北した。
「雨が降っていますわ」ガラスに流れ落ちる水滴を見つめている女がいた。
両手をポケットの中に入れ、そんな女を冷やかに眺めている男がいた。
女は振り向き、男を見つめた。
女の顔は陶磁器のように透き通り白く美しかったが、それまでだった。
女が男を見つめる表情は白いがゆえに能面にも似てなんの感情をあらわれていな
かった。
男の方はといえば女と同じく、感情が欠如していた。
お互い見つめあうその瞳には相手の像が写っている。お互いを見ていない。見て
いるとすれば、使い勝手のいい便利な道具としか考えていない。そんな瞳の色だっ
た。
「ああ・・・ところであれはどうなっている」男は顎で女に合図した。
「安定してます」データに映し出されたものを見て女は答えた。
「あなたは聞きたいのですか。ただいまの気温25.5度 湿度68パーセント
草原度数71パーセント 草原に対する家畜率30パーセント それから・・・」
「もういい」機械的に言葉を続ける女に、軽く手を振り男はやめさせた。
男は湯気の立つ茶色の液体を口に運ぶ。
「そうですか・・・コ−ヒを飲むのはかまいませんが、床にこぼさないように注
意してくださいね。清掃は私がやらなければならないのですから」
「君もこれがほしかったのか」コーヒカップを持ったまま苦々しい顔で女を見つ
めた。
「わたしはほしいときには自分でつくります」
「そうだろうな。君がじっと俺の方を見ているからほしいのだと勘違いしそうに
なったよ」男は自嘲的に笑うと残っていたコ−ヒを一気に飲み干した。
水が流れる音が聞こえてくる。食器が触れ合う音。男が自分の飲んだ容器を洗っ
ているのだった。
「きみねえ、俺に文句をいう権利はないと思うよ。もし俺がこの部屋にコーヒー
をこぼしたとしても、きみが掃除するわけないだろ。それに掃除には便利な清掃ロ
ボットがいるじゃないか」
女は男に冷やかな笑顔を向ける。
「わたしはロボットが嫌いです。それにロボットは一応形どおりのことはできて
も、隅までは清掃できないでしょう」
「きみは変わっているな・・・何しろ朝歯を磨くのまでロボットにやってもらう
のが普通だというのに、俺たちの母星ではロボットの手にまったく頼ることのない
そんな人間がいたら、記念物的存在になってしまうだろうね」女のことを非難しな
がら男は機械には一切頼らす食器を洗い続けている。
「あなたも人のこと言えないでしょう」女は揶揄のこもった声で答えた。
「かわいげのない女だな」男は小声でささやく。
「どうせわたしはかわいくないですよ」女は数字が次々と並ぶ数値を食い入りな
がら、そっとつぶやいた。
しばらくの間、二人の間で沈黙が続く。
「どうして母星はあんなものに関心を持つのでしょうね」数値画面と映像モニター
の中でだらしなく涎を垂らし床に眠りこけている男を見、そして相方の男に聞いた。
「なんだ質問か」洗いものが終わり、濡れた手を自分の服で拭きながら男は女の
そばに寄ってきた。
女は眉を寄せる。お互いの距離が近すぎるのが気にいらないらしい。あまり近す
ぎると衛生上の問題、例えばお互いの体に付着している病細菌による感染症、微妙
な放射能の汚染など、以前学習したことを思い出していた。
「お互いの質問にはできるだけ答えるように、母星からのお達しだからな・・・。
あれにはどんな役割を持っているのか俺にはわからない。母星にとって重大な何か
を持っているんだろう。俺たちの役目は、あれを管理し、保護することだ。いいつ
けられたことを忠実に守ってさえいれば、いずれは俺たちの交代要員が配備されて、
俺たちはこのいやなお役目から開放されるということだ」映像モニターの中の男を、
指でぱちんとはねた。
「そうですわね・・・」女は額に指をつけて考えている。
「わたしはこのドームの管理を行っていたらいいのですよね。それではあなたも
自分の義務だけは果してもらいたいものです。あなたの管轄対象データを少し観察
していたのですが、あれが損傷していますわ。出血率5パーセント、生存率96パ
ーセント。これだと軽い錯乱状態に陥った後の裂傷としては中度の部類に入ります。
あれの体から血を止めて細菌の侵入を防いだ方がよろしいと思いますよ」
「ちっ、馬鹿が、またやりあがった。ちょっと行ってくる」相棒の鋭く心暖まる
指摘で俺は映像モニタ−を見た。
映像モニターには旧人が映っている。
俺は侮蔑の意味を込めて彼らの種族を旧人と呼んでいた。旧人−画面に映る男に
は母星の学者たちの間では学名上もっともらしい名前がつけられているが、俺の相
棒、データ大好き、能面女にでも聞けば簡単にわかることだろうが、それを聞くこ
とは俺のプライドというものが許さなかった。それに覚えても単なる名称に過ぎな
いものはすぐに忘れるだろうと感じていた。
旧人は俺たちと違い、体が脆い、ちょっとしたことで傷つき血を流す。それに俺
たちに混ざって生きることができない。
環境が違いすぎるのだった。それに旧人は精神的に脆い。ためいきをついてしょ
んぼりしているかと思うと、いきなり暴れだし、部屋中の物を壊し、自分自身を傷
つける。
俺には理解できなかった。
俺たちが苦心して彼らの文化を研究し、快適な空間を与えているというのに、な
ぜ破壊の衝動がわきあがるのだ。
やつが暴れ己自身を傷つけても、俺はまったく痛くない。自分のやった行為はそ
のまま己に戻ってくるというのに、なぜ不必要な行動をおこす? 彼らの言語でヒ
ステリーとか呼ばれれいたそうだが、俺にはその心理がわからない。常識人として
育った俺にはやつの行動原理が理解できず、頭を悩まし続けている。
俺はこの惨めな旧人が嫌いだった。
やつはただ生きているだけの絶滅種だ。滅んでしまうものはさっさと滅んでしま
うがいい。
もっと偽善に満ちた保護団体のやつらがすればいいんだ。
だれかが守ってやらなければ彼らは滅んでしまう。それはわかる。だがなぜ母星
のコンピュータは何のとりえもない俺を指名したのだ。
俺は旧人に愛情を持っているわけでもなく、それどころか旧人に対し憎悪さえ持
っているこの俺が指名されなければならないのだ。
しかし、俺はどう嫌おうとも、母星からの指示がある限り、世話役、医療サイド
からの責任者としての任務を任されている限り、旧人を見守り続けなければならな
い。
俺は相棒とともに旧人の世話役としてこの星に赴任し、この星のこのドームの限
られた空間の中で旧人の管理メンテに追われているクソ面白くない毎日を過ごして
いるのだった。
俺は旧人の部屋に入った。やつはよだれをたらしてぐったりしている。ソファに
セットされた針に刺されラリっているのだった。
「ほら、しっかりしろよ、旧人」
ふんっ、俺は鼻で軽く笑い、いつものように旧人のために治療の準備を行う。
ルルルルル・・・歌が聞こえてきた。
「な・・なんだ」音響装置はオフになっているはずだ。相棒が管理室から操作し
て電源を切っているのを俺は知っていた。
旧人だ。やつがラリりながら歌っているのだ。
ルルルルル・・・薄目を開けて俺を見つめている。白く乾いた唇で歌を歌ってい
る。
やつの口からは一度も聞いたことのない歌が部屋に響きわたる。
「おい、それはなんというものなんだ」一度も口を聞いたことのない旧人に歌の
名前が知りたくて思わず俺は声をかけた。
「ルルルルル・・・」旧人は焦点の定まらない目で俺を見つめ、呪文のように歌
い続けている。
「おいっ、歌の名を教えろっ」俺は怒鳴った。
不思議だ。旧人なんかに・・・俺は熱くなっている。俺が熱くならなくても、旧
人の保存データーを少し調べればわかることだと感じている。俺はその歌の名をど
うしても旧人の口から聞き出したかった。
「せっかく人がわざわざ聞いているんだ。おまえ、なんとかいったらどうだ」乱
暴に旧人の胸を掴みゆすった。
俺を無視し、薄笑いを浮かべ歌い続ける旧人。
旧人のくせに・・・俺たちの世話なしでは生きていかれないくせに、俺たちの保
護なしでは滅んでしまうくせに・・・俺のいうことも聞けないのか。
馬鹿にしやがって・・・。
旧人に対して持つはずのない屈辱感が俺の心を支配していた。
俺は旧人を殴った。
俺は歌い続ける旧人を殴った。
旧人の歌が俺を暴力へと駆り立てた。
俺は一度殴ると歯止めが止まらなくなった。
何度も何度も何度も殴った。
それでも旧人は歌い続けた。
俺は殴った。拳から血が滲み出るまで殴った。俺は痛みを忘れて殴り続けた。
旧人の顔が青黒く変色し、俺の息が上がりかけたころ、旧人は口ずさんでいた歌
をやめた。
「おい、どうした」俺は聞いた。
きょとんとした顔を俺を見、にたりと笑った。
「うおおおおおおおお」旧人が突然頭を抱え叫び声を上げた。
旧人は俺を突き飛ばした。
「くそっ、旧人のくせに」旧人は俺を突き飛ばし、俺は床に転がり、俺はやつに
憎悪の言葉を投げた。
「駄目だっ」俺は叫んだ。旧人がドアを見ているのに気がついた。やつは逃げる
気だ。
やつはここから逃げようとしている。
俺は夢中で旧人の足にしがみついた。やつは俺の腕を振り払おうとする。
旧人が持つ力とは思えぬほど、強い力だった。
蹴りが俺の腹を打った。
「ぐ・・」息が止まりかけた。俺は痛さを抑えうずくまる。
旧人は俺を一瞥する。
涙が出てきた。蹴りを入れられて涙が出たのではない。やつは馬鹿にしたような
目で俺を見ていたのだ。
旧人は俺を置いて外に出ていってしまった。
「旧人のくせに、旧人のくせに、旧人のくせに・・・」俺は旧人がいない部屋に
だらしなくうずくまり、いつまでも嘆き続けた。