#2738/5495 長編
★タイトル (XVB ) 94/ 8/ 6 14:46 (121)
総盆踊りの話(3) $フィン
★内容
元少年剣士の記憶が失われたことは、浪人赤壁左門上之介には予想外の出来事であり
ました。元々赤壁左門上之介と申す人物そんなに悪い人物ではございません。それどこ
ろがこの治安の悪いお江戸にはめったに見られぬ好人物でございました。
背は高からず低からず、町娘だけにかぎらず町男までが恋いしこがれて店屋に火をは
なつほどの顔を持ち、学問においては南蛮渡来の医学術『超舌』を使い、器具なしで患
者の健康状態がわかるのは当然のこととして、心理状態、家族関係、果ては患者にとり
ついた蚤、しらみの病気まで見分けるというものでございます。
踊りというものは本来人間用につくられたものでありまして、どんなに練習してもひ
とつふたつはミスをしてもいいようにつくられております。浪人が踊った『秘技股間踊
り』は人間と思えぬ正確さと人間の体力・精神力をはるかに上回る踊りであったためと
、ほんの少しのいたずら心を起こして南蛮の薬を用いたために、相方の記憶が失われた
の
でした。
「どこか痛いところはないですか」浪人は優しく元少年剣士の背中を見ながら聞きま
した。
「ん・・・どこも痛くないっていったら嘘になるけど、それよりもここのあたりが変
」元少年剣士は胸のところを指さしました。
「どれどれ」元少年剣士の乳首のあたりをぺろーり。
「どこも異常はないようですけど・・・」浪人は首を傾げて聞きました。
「そうですか。ここのところがほんのり熱を帯びているように思うのです。よく見て
くれませんか」
「うーむ、どれどれ」ぺろーり、ぺろーり、ぺろーり、今度は丹念に何度も何度もな
めました。
浪人赤壁左門上之介がひとなめするたび、元少年剣士の頬がぽっと赤くなる。舌が離
れたびに落胆の色が見えました。
「うううむ、これは」熱心に少年の身体を診察しすぎて、媚乱ぎみの舌をしまいこむ
。 「これは、いけませんね」がたがたがたがた・・・・浪人赤壁左門上之介が頭を抱
え
て、背中を振るわせ、腰を振るい、全身が震わせています。
「どうしたのですか。僕に悪いところがあったのですか」元少年剣士の白い手が浪人
赤壁左門上之介にかかりました。
「きみの病気はもう直りません」
「えっ、僕は死ぬのですか」元少年剣士は大きく口をあけて浪人を見る。かわいそう
に元少年剣士は自分の記憶を失ったまま今生を全うするのでしょうか。
「虫歯がありますね」浪人は大きく口をあけた元少年剣士を覗きこんで言いました。
「ああああっ、なんということ!! 毎日刃は磨いているのだけどそれでも虫歯はで
きてしまう」元少年剣士は照れたように笑いました。自分の記憶が失っても、浪人から
難病の宣告を受けても、自分の日課として毎日踊りの道具である刃を磨いていることを
忘れないとは、元少年剣士、これぞ武士の鏡であります。
「ははははは、刃を毎日磨いていてもこればかりはわたしにも直せません」
「本当のことをおっしゃってください。ぼくはどんな病気なのですか」
「実は」
「はい」ごくり、元少年剣士が唾を飲み込む音が聞こえてきます。
「どうしても聞きたいですか」
「はい」ごくり、ごくり、唾を飲む込む音が聞こえてきます。ぽたりぽたり汗が落ち
る音が聞こえてきます。
「それじゃ言いましょうか。これはね。君のかかっている病気は」
どっくん、どっくん、どっくん浪人の顔を見ていると元少年剣士の胸が高まり、心の
臓の音が聞こえてきます。
「こ・い・わ・ず・ら・い」
「はあ?、何と言いました」
「だから恋わずらいです。君は恋をしているのです」
「えっ、では、高鳴る僕のか弱い心の臓はあなたに恋をしているのですか」
「そうです。それからいいにくいことなのですけど・・・君はこの部屋から出ていか
なければならません」浪人は残念な顔をして言います。
「そうですか、愛しいあなたがいうのなら僕は素直に出ていきましょう。あなたと逢
えなくなるということもないでしょうし」元少年剣士は微笑みながら言いました。
「それが、この部屋を出ると君はもうわたしとは逢えないなるのです」苦渋に満ちた
顔で浪人は元少年剣士の顔を見て言いました。
「どうして、どうして逢えなくなるのです、うわあああ」元少年剣士は叫び声をあげ
ました。
この踊りの天才、この医術の天才、この世界中の男も女からも愛される天才的な才能
を持つ浪人赤壁左門上之介がはじめて困難にぶつかったのでございます。
その名も「恋わずらい」でした。
これは元少年剣士が記憶を失いましたことが原因になっております。
生まれてまもない動物なら、普通はインプリンティング(刷り込み)という初めて見
た生き物、ときにアビルのおもちゃなど目の前で動くものを親と思いこむことがありま
すが、おおむね生き物を親とするのでございます。
この元少年剣士の場合も同じことが起こったのでございます。記憶がなくなり、次に
目覚めたときに動く生き物、つまり浪人赤壁左門上之介にインプリンティング(刷り込
み)をしてしまいました。
ただし、元少年剣士は生まれたばかりではなく、第二次成長期に至っております上に
記憶が失う前が欲情の途中で果てたもので、初めてみた動く生き物を『恋人』としてイ
ンプリンティングしてしまったのでございます。
「ああ、恋人よ。どうしてそんな無慈悲なことをいうのです」元少年剣士は落ちつき
を取り戻し、浪人赤壁左門上之介に言いました。
「わたしたちが男だからです」浪人はあるものを指さしました。
「それでもいい。男同士でもいい。僕は女役になって後ろからあなたのためにつくし
てもいい。どんな大勢が相手でもあなたがやれという恰好になります。あなたがやれと
いうのならお江戸の町で僕は裸踊りしてもいい。それでもぼくはあなたについていきた
い」元少年剣士は頭を振り腰を振り回してわめいています。
「駄目です」浪人はぴしゃりと言いました。
「なぜですっ。僕はこんなにあなたのことを愛しているのに。恋人よ」元少年剣士は
浪人の胸に飛び込みました。
「いけない、少年よ。残念ですが君とは元々結ばれぬ運命になっているのです」浪人
ははぁと大きくため息をつきます。
「僕は大丈夫です。あなたの後にどこまでもついて行きます。たとえ火の中、氷水の
中、どんなところにもついていきます」
「あなたは何もわかっちゃいないのです」首を横に振る浪人赤壁左門上之助。
「何がわかっていないのです。僕はあなたのことがこんなに好きなのです。愛さえあ
ればどんな困難なことでも乗り越えてきます」
「わからない人ですね。駄目だといっているでしょう」
「僕にはわかりませんっ。頭の悪い僕にわかるように教えてください」
「そうか、それほどまでにいうのなら、これを見てください」浪人は元少年剣士の目
の前に一枚の板を出してきました。
「この美しい方は誰なのです」元少年剣士はその板を持ち、聞きます。
「それはあなたです」浪人は答えました。
「なんて美しい。この美しい人がぼくなのですか。闇夜の烏のような黒い髪。白陶器
のような艶やかな肌。踊りの観客たちが流す血のような唇。白鳥のようなすらりと延び
た首。ああああ、なんと僕は美しいのだろう」元少年剣士が手に持っている板。これこ
そ南蛮の少年を水仙に変え、その原理をさらに改良して創った、世にも恐ろしきみらあ
というものでした。
「わたしはどう見えますか」
「あなたもぼくに負けないぐらい。ううん、ぼくの方が少しだけ負けてます」
「そうです。昔はわたしたちはこんなに美しくなかった」浪人は自分のきめこまやか
な肌をさわりながら言いました。
「わたしたちはあまりにも美しすぎる」浪人は眉を歪めて悩ましげに言います。
「わかりました。僕たちが美しすぎるのが罪なのですね。どうして僕はこうなったの
ですか」
「わたしたちは進化したのだよ」浪人はさらに顔を歪めて言った。
進化、それは南蛮渡来の学問でございます。黒船がきたぐらいで腰を抜かすお江戸の
踊り人たちはまったくといってもいいほど知らぬ言葉でございます。
昔地球には生物はおりませんでした。それが何かのはずみでみじんこが生まれ、お魚
になり、お魚から足が生えて、蛙になり、蛙から尾がとれて、とかげになり、とかげに
毛がはえてお猿さんになり、お猿さんに毛がなくなって、とかげにならずに人間ができ
たというのが進化でございます。
お江戸の一踊り人でありながら、南蛮の学問文化を簡単に口にする浪人赤壁左門上之
介という人物。なかなか侮れぬお方でございます。