#2717/5495 長編
★タイトル (EXM ) 94/ 7/31 9:36 (154)
JEYBOY第2話(3)
★内容
3
沖縄シーサーズの練習光景は、この世代の選手になると自主性に任されている
ようである。ブラジル式の準備運動や軽いジョギングが済むと、選手がコーチと
一緒にめいめいの練習を始める。ゾーンディフェンスの練習をする者達や1対1
の練習をする者など選手によって色々な事をやっている。なかには、ボールを蹴
らずグラウンドの周りを走っている者もいる。
渚は、セットプレーにさらなる磨きをかけていた。
ブラジル人のコーチがコーナーキックをゴール前に向かって蹴り込む。その飛
んできたボールを体に合わせてゴールマウスに叩き入れる練習であった。
コーチが浮き球をペナルティエリアに蹴り込んだ。
ゴール前に張り込んでいる、4人のディフェンダーが渚の動きを阻む。実際、
体格差においては、渚の方がディフェンダーよりも高い。
ディフェンダーが陣形を組んで、渚がペナルティエリアに入るのを防ごうとし
ている。レギュラーではない選手にとっては、売り込む絶好の機会だ。
密集状態の中でボールを探そうとする渚だが、この場所では体を動かす空間さ
えも無い。
しかし、渚は巧みに隙間を見いだした。
ディフェンダーとディフェンダーの合間の空間にするりと入り込み、渚の胸が
ボールを捉えた。
ふわりと落として右足で、爪先で柔らかく蹴り込んだ。
「ほぉぉっ」
ボールはディフェンダーをすり抜け、ゴールキーパーの股間を抜けて、ゴール
マウスに吸い込まれる。これは、実に芸術的なゲットであった。
「うーん、百発百中だな」
田宮の唸り声は途切れなかった。
渚のシュートを撃つ技術は、自身が持つスピードを生かしてディフェンダーを
巧みに振り切ることにおいて長けていた。
勘がじつにいいのだ。
「女子サッカーっぽいぎこちない動きが無い」
シュートを撃つ時のフォームも無理がない。刀を振り下ろしたような曲線を描
くそのフォームは確実にボールを捉え、弾道は一直線に、時には急角度の弧を描
いてゴールネットに吸い込まれていく。
サッカーを芸術と例えるなら、渚の動き全てが優美なものであると言えた。
田宮は渚を絶賛する。もちろん志村も同様である。
ただ、志村の渚を見る視点はプレー以外のところにあった。
「渚ちゃん、下級生に慕われているなぁ」
志村は、渚と和気あいあいにやってる下級生のジュニアユースの連中がうらや
ましくてならないみたいだ。
「あんな可愛い娘が先輩だったら、みんな喜んでついていくよなぁ」
志村の発言は確信をついてはいる。
しかし、ジュニアユースの連中が渚を慕う理由は、もっと深いところにあった。
ジュニアユースの連中がセットプレーの練習に励んでいる。
といっても、ディフェンダーのプレッシャーをはねのけてセットプレーでゴー
ルを奪うことは実際やってみると至難の業である。ジュニアの子が失敗する。コー
チから罵倒に近い声が飛ぶこともある。
そんな時に、渚はその子に対して色々とアドバイスを授けてみたりするのだ。
時にはマンツーマンで、自分の練習をほっぽりだして指導に費やしてみたりす
る。
それに、ゴールにめでたくブチ込むことがあったりすると、親馬鹿の母親の様
に喜ぶのだ。そういう場合は例外なく頭を撫でたりする。
うらやましかった。実に志村にとってうらやましかった。
「矢島ぁ、俺は沖縄に永住するぞ」
「先輩もハマったんですねぇ」
矢島は醒めた感じで言う。
「渚ちゃんと付き合うには、ちょっとしたハードルを越える必要があるんです
けどね」
「ふん、どんな障害があろうが、俺の恋心は挫けるわけがない」
志村にとっては必死だった。事実上女日照りの志村にとって、ここ10年にお
ける最上の女である。志村の容姿からは信じがたいことではあったが、渚は志村
に好意がある感じだったし、今までの傷痕の事を考えれば、決して引き下がるわ
けにはいかなかったのだ。
矢島は、もう警告する気にはなれなかった。
「渚ちゃんを抱いてみればわかることです」
淋しさを含んだ声で言った。
矢島は、用があるといって事務所の方へと向かっていった。
「なんだぁ、矢島の奴」
矢島の、渚に対する反応が気にはなっていた。
しかし矢島の真意なんて、今の志村に判るわけが無かった。
あの子に惚れたらいけないって、本当は教えたかったのだ。
渚の全てを知ること、それは淡い恋心を持つ者にとっては衝撃的で、自己の理
性や常識さえも崩壊されかねない事だったのである。
しかし、見た目だけにおいては、渚のことをまさしく女神だといっても嘘では
ない。渚の仕種が男たちの心を狂わせるのである。
これは、ジュニアユースのボーイズに関しても同様であった。
★
金城英夫は姫百合学園中等部2年生である。
沖縄シーサーズのジュニアユースでフォワードを勤めている子であるが彼は実
のところシーサーズのジュニアユースセレクションに合格しているわけではなく
その点においては異端であった。
シーサーズは、ジュニアユースの段階から2チームに別れる。練習は一緒なの
だが待遇が雲泥の差となるのである。姫百合学園は沖縄全土からのプロサッカー
選手志向の選手を集めているが、寮で2人部屋が与えられるのはAチームのみで
あり、Bチームは12畳の畳間に8人部屋という劣悪な環境に追いやられるので
ある。渚は例外であり、自宅から通ってはいるが。
そのセレクションというのが厳しいものなのだ。パスはワンタッチで回せなけ
ればならないし、しかも正確でなければならない。ドリブルや体力面、チームワー
クや初歩的戦術に関してもチェックがなされる。
英夫のセレクションの結果はさんたんたるモノであった。パスはツータッチで
も変なところに蹴飛ばしてしまうし、戦術テストは赤点寸前で、ブラジル人コー
チの評価も最低であった。
英夫の脱落は当然かと思われた。総花的評定では必ずいい点数ではない。
しかし英夫は、ドリブルに関しては文句無い程小学生離れした技術を持ってい
たのである。その点だけを見れば文句無くAチームのイレブンに入れる実力はあっ
たわけだ。
ジュニアユースの首脳陣が決めつけた、英夫のBチーム行きに異を唱えたのが
渚だったのである。
渚は英夫がAチームに入る為の戦術眼やパステクニックを、一緒につききっき
りで練習することによってたたき込んだ。
そのかいあってか、英夫は半年でAチームに入った。戦術面に関しては色々と
異論があったようだが、パスだけは精度にやや難があるもののワンタッチでコン
トロール出来るようにはなり、今では2年生の段階でレギュラーである。
そういうわけで、英夫は渚に多大な恩があった。
ついでにいうなら、『ミス姫百合』とは渚の学園内での称号である。彼女が半
年も側にいたのだ。この時の英夫は最もうらやましい奴であった。
渚の事情を知った後も少しの間だけ自己嫌悪することがあったものの、それゆ
えに彼女に対する尊敬の念と情愛は衰えることはなく、逆にそれは増し続けていっ
たのである。
井上渚の全て、それが英夫のモチベーションであった。
「英夫君! キーパーの動きに気をつけて! 」
「はい、先輩! 」
セットプレーの練習が続いている。
やる気満々で所定の位置に入った。ペナルティエリア内の密集地帯でのセット
プレーは、ある意味では英夫の得意分野である。
渚は、空間を探してゴールへとボールを導く。しかし英夫のやり方は、決して
そんな渚の影響を受けたものではなかった。
ブラジル人コーチが、密集地帯にボールを送り込んだ。同時にディフェンダー
がボールの流れを見極めて英夫の動きを封じ込める。
英夫は、彼のやり方で、ゲットを決めた。
ゴールキーパーが手にしかけたボールを頭でもぎ取った! 不格好なやり方な
のだが、それでもゲットはゲットである。
但し、あまりにも強引すぎたようではある。ヘッディングでブチ込んだという
言い方では綺麗すぎた。事実、体当たりでぶちかましたドサクサというもので、
ゲットはそのオマケというようなものだ。これはキーパーチャージという反則で
ある。キーパーは打ち処が悪かったのかノビていた。
「ゴメン、ゴメン」
英夫が右腕をつかんでキーパーを起こそうとした。
しかし背後から猛然と走ってくる気配を感じた。
「大丈夫、金原君! 」 渚がキーパーのもとに走り寄ってきた。
「金城君、ちゃんと謝ったの!」
「謝ったけど」
「聞こえなかった。もう一度、ちゃんと謝って!」
諭す目で、渚が英夫の事を見た。
「うん」
厳しい瞳が目の前にある。納得した。渚の言葉は英夫にとって絶対である。体
がすぐに反応した。
「ごめんなさい、金原君!」
響きわたる大声で謝罪した。
「よし、次は気をつけようね」
納得したようだ。英夫と金原の頭を軽く叩いて、渚は元の場所に戻っていく。
ここで笛が三度鳴った。
「よしっ、休憩しよう」
渚の回りに全ての選手が集まった。同時にコーチ陣もそこに集まっていった。
皆グラウンドの真ん中に腰掛けて、休憩しながら残り時間の練習の指示を聞くみ
たいである。
Aチームはジュニアユースとトップ(といっても、実際はユースである)合わ
せて四十人ちかくである。渚は彼らすべてを従えているようであった。
休憩して間もなくは穏やかな空気が漂っていた。
しかし、ブラジル人コーチの誰かが言った言葉がこの雰囲気を重苦しいものに
変えた。
一人を除き、苦々しい顔をした。
「後半、誠が入る」
この一言だけである。