#2712/5495 長編
★タイトル (EXM ) 94/ 7/31 9:13 (142)
JETBOY第1話(3)
★内容
3
搭乗時間までまだかなりあった。
羽田空港の本屋は申し訳程度のものではない。洋書とかの品揃えは町の本屋より
も充実しているし、雑誌や文庫本にしても水準程度のものは揃っている。
スポーツライターの志村は『週刊リング』の記事に目を通していた。
47ページのパンクラスの大阪城ホール大会の記事である。鈴木みのると高橋和
義との一戦の記事がハードな文脈で克明に描かれている。
鈴木がグラウンド(寝技)での関節技で高橋を2分48秒の秒殺刑にしたショッ
トの下に書かれている小さい活字のコメントには情感が溢れていた。
「うん、もう少し高橋の心情に突っ込んでやりゃよかったかな」
客観的に分析した点数は可という程度である。
実を言うと、この記事は先週志村が書いたものであった。
志村がもっとも愛するスポーツは、筋書きのない90分間のドラマを描くサッカー
であるのだが、駆け出しの頃精力的に寄稿したのはプロレス雑誌であった。ここで
の下積み期間を経て最低水準ながら食うには困らない生活が出来るようになったの
である。今は別の雑誌に寄稿することが多いのだが、時々都内や関西地方のビッグ
マッチになるとかつての恩返しと言わんばかりに仕事を引き受けるのだ。
しかし、志村は自分の雑誌であれ買うことは滅多にない。大抵は立ち読みで済ま
す。といっても、本屋のおばさんの視線がうっとおしくなった。
志村はガマグチの中から小銭を取り出してリング誌を買うことにした。
400円、志村はこれを痛い出費ととらえている。ビールが一本買える値段であっ
た。
「さて、ぼちぼちかな」
時計を見た。7時24分沖縄行きの搭乗時間まであと少しであった。
「矢島の奴、ちゃんと切符手配してるだろな」
矢島とサッカー解説者田宮とは搭乗口で落ち合う約束であった。
♪オレ・オレオレオレ 〜
気分はプロレスの事を押しやり、既にサッカーの事、あの沖縄シーサーズの方へ
と向いていた。
今日の東京は少し空気が濁ってるけど快晴である。
沖縄も晴れてたらいいなと、ガラス越しに向こうの空を見た。
数分歩くと搭乗口が見えた。
おっ、いたいた。
志村の視界に、背広姿の田宮と矢島がいる。
「よお」
「あっ、先輩」
「志村ぁ、2分ばかり遅刻だぞ」
時計を見る。1分の遅刻だ。
「ま、いいじゃないの。フライトは20分後だろ」
志村は気楽である。服装も軽装で沖縄の温暖な気候を想定したバカンス気分の恰
好としゃれこんでいる。
矢島と田宮は、一応仕事ということで正装していた。しかし田宮のアイテムの組
み合わせが妙なことに志村は気づいた。
プーマのデイバッグが田宮の足下にあった。
結構中身は詰まっている。十中八九、中身はスパイクにゲームシャツに違いない。
「田宮ぁ、向こうでゲームでもするん? 」
田宮は照れくさそうに返答した。
「いやいや、今度ユースの大会があるだろ。日本代表ユースの仕事もやってるか
ら一寸だけ試しに揉んでやろうかと思って」
「おっ、久しぶりにみれるかな、あの切り返し」
自分の使い古したスパイクを持ってくる事自体、やる気の証明であった。
しかしこの「年寄りの冷や水」に矢島は意地悪そうなコメントをのこした。
「田宮さんに教わることがいろいろとあるだろな、連中も」
全くの社交辞令だ。
田宮はこの仕事の為にしっかりと情報収拾に努めていた。それに沖縄県サッカー
協会が最近の沖縄シーサーズの練習試合の結果をファクスで送り付けてきたのであ
る。沖縄大学相手に12対0の完勝すぎる勝利だ。これを見たサッカー協会の上層
部が唖然として自分らの無能さを再確認したことはいうまでもない。
ようやく開かれたシーサーズの正体にサッカー協会はうろたえている最中であっ
た。だからこそ、この目で実力を知り、体感することによってテクニックの差を確
認する必要があったのだ。
矢島が自信満々に二人を招待したのも判る気がした。
しかし矢島の興味はシーサーズというより別のベクトルへ向いているような気が
してならなかった。
先程からにやにやしている矢島の仕種が気になっていた。志村はパスケースの中
の少女のことについて尋ねてみた。矢島の視線は度々、胸ポケットにしまいこんで
いるパスケースを見透かしてるように感じられた。
「あのパスケースの女の子、結構かわいいけど、知り合いなん? 」
志村が矢島の背中を叩く。
「いやぁ、沖縄の方で作った友達ですよ」
「へえ、手がはやい」
「名前は渚ちゃん、本名は井上渚って言うんですけど」
可愛いでしょって、田宮に話をふってみた。
「矢島さん、今度売り出すアイドルか何かですか」
アイドル、ほぉ・・・・・・ 。矢島は悪い気はしない。
「芸能界でデビューしてみないって誘ったことはあったけど、断られちゃって。
これは2年前の写真ですから、今はもっと可愛くなってますよ」
「この子と何処までいったんですか!」
にわかワイドショーの志村レポーターが矢島に直檄した。
しかし、この件について矢島の歯切れは悪かった。
「抱けるもんだったら、抱いてみたいけど。今は、遠くで見つめるだけってのが
幸せかな・・・・・・ 」
「珍しい」と志村は意外な反応をする。先輩は矢島のモテモテぶりを度々目の当
たりにしていた。合同コンパのセッティングをさせたら東都に並ぶ者無しと自負す
るくらいだったし。多彩な交際が彼の大学生の頃の日記の半分を占めていることを
志村は知っている。
「どうして、矢島は堂々とアタックしないんだろ」
今までのこともあり、それが引っ掛かっていた志村である。
ぼちぼち搭乗の時間であった。
思惑を背負った三人組は、実を言うともう一人の有名人の存在に気づかず機内に
乗り込んでいたのである。
彼は大仕事の為に渡航したのである。
沖縄シーサーズの情報が解禁されるのは今日である。しかし男は性急であった。
トランク片手に乗り込んだ。
サッカー界の革命児を見るために費やす渡航時間は4時間半。志村は熟睡し、田
宮は読書に耽った。
矢島の手には、彼女のカチューシャがある。半年前のデートの際にもらった品だ。
カチューシャには、想い出がある ・・・・・・。
実をいうとこれ井上渚のものだった、井上渚の真っ白なカチューシャをじっと見
つめながら、矢島の時間は流れていった。
気が付くと、ボーイングは下界から離れていた。
★
彼の目的ははっきりとしていた。
8ミリビデオカメラの再生機能を使って、彼は外国の試合の模様を見ていた。ファ
ーストクラスなので音は消してあるが別に不都合はない。
ユースの試合だった。ブラジルの結構有名なユース大会だろう。
黒いユニホームは名門コリンチャンスFCのものであり、胸に赤と黒のラインが
入った白いユニホームは世界の強豪サンパウロFCのものであった。
ドリブルを使って距離を稼ぐ伝統的なブラジルサッカーというより、ヨーロッパ
風の組織力をその中に組み込んだインテリジェンスのある試合展開が小さな画面の
中で繰り広げられている。
彼の視線はある一人のプレイヤーに向けられていた。
コリンチャンスの背番号10が画面に現れた。
小さな画面により食い入るようにして10番の全てをチェックする。
この選手は体は小さい。
しかし、納得できる技があった。
流石、あっちで通用するだけのもんがあるみたいやな・・・・・・ 。
10番だけが際立っていた。チームの方針どおりにパスを回している他の選手達
と違って10番だけが法則性を無視していたのだ。錠前をかけているサンパウロの
守備陣にひとり飛び込んでドリブルで豪快に突破する。
柔と剛の絶妙な組み合わせが中央突破一つとっても現れている。相手をやりすご
してあざ笑う玄人好みの技巧もあるし重量級のセンターバックを相手にしても吹っ
飛ばされることなく逆に圧倒している。
最前列から最後尾までのサンパウロ守備陣を全て突破し、残るはキーパーとの勝
負のみとなっていた。
10番は自らシュートを放った。
地平から、ゴールマウスの真上に突き刺さる豪快なゲット!下から上への反応は
難しく、ワールドクラスのゴールキーパーでもこれは反応できない。
実況があったら、ゴォォォォォォォォォォォルという叫びが続くであろう。
冷静な彼も拳を握りしめている。
小さな体を大きくひろげて歓喜する10番の姿があった。
10番は、色の黒い東洋人だった。
彼はビデオのスイッチを切った。もう実力を知るには十分すぎた。
勿体ないかもしれへんな、Jリーグじゃ。
会うのが楽しみになった。
沖縄に着くまでまだまだ時間がある。彼は一眠りした。
コリンチャンスFCは数多くのJリーグ外国人選手を日本に送り出している。ベ
ルマーレ平塚のアウミール、横浜フリューゲルスのバウテル、名古屋グランパスエ
イトのジョルジーニョ等。
ユースとはいえ10番の活躍は見事すぎた。その10番がいま日本に、
いや、沖縄に居るのだ。