#2711/5495 長編
★タイトル (EXM ) 94/ 7/31 9: 9 (161)
JETBOY第1話(2)
★内容
2
横浜フリューゲルスのプレシーズンマッチと同じ時間帯にもう一つのプレシーズ
ンマッチが行われていた。
大阪府吹田市の万博記念陸上競技場の記者席は、公式発表よりも冷え込んでいた。
テレビ大阪の植草アナウンサーからの情報によると、七時現在で気温六度というこ
とだが、山がちのせいか、気温以上に冷え込んでいるように思える。
いや、試合内容が寒すぎるのだろう。
二万足らずの観衆を集めて行われた試合は、ガンバ大阪がオランダのPSVアイ
ントホーヘンを招いての親善試合であった。
退屈な試合だ。ガンバと対戦するPSVはオランダのチャンピオンクラブであり、
ヨーロッパ選手権の常連クラブでもある。対するガンバ大阪はJリーグの下位クラ
ブだ。途方もない位勝負が見える対戦である。しかしPSVが親心を出してくれて
いるせいか、点差のうえでは白熱する接戦であった。
しかしビデオで観たPSVとは雲泥の差だ、志村孝はそう思っていた。
「記事送っても、大して大きい扱いじゃないだろな」
試合の展開に感化されたのか、ワープロをたたく志村の手もゆったりとしたもの
であった。二月の北風が志村の体を冷やす。観客も御苦労なことだ。
「志村っ、退屈そうだな」
志村の手元に缶コーヒーの姿が現れた。
「試合はどうしたの? 田宮クン」
「いつものおきまりの手順でいいんじゃないの? 」
田宮の原稿は実にいい加減であった。
『ガンバ大阪は相変わらず守備の方針が曖昧なままである。今年も上位に食い込
むことは難しいが、プロタソフの加入で攻撃陣に厚みは出てきたようだ。アイント
ホーヘンとの好勝負はガンバイレブンにとって大きな自信となるであろう』
「ま、監督も適当な事しかしてないわけで。論評もこんなもんでも編集長は怒ら
んだろうて」
田宮は既に、試合中だというのに原稿をまとめたみたいである。
「それよっか、古巣のサンフレッチェの方が気になってな」
「足首さえ切らんかったら今頃ここにはいないからな、田宮は」
田宮裕一は、かつてJリーガーであった。
「左足は未だに動きたがっている。たがたが右足一本の為に記者席で隠居の身だ
よ。無理さえしなけりゃな」
「完治してないのか」
「完治は無理だって言ってたよ」
志村の瞳の中に居る田宮は、既に壮年の枯れた顔であった。志村も田宮も三十代
一年生だというのに、既に一度人生を終えてしまったせいか田宮の顔には精気が無
い。時々足元を見つめる癖が虚しい。
「こんなときにはテレクラでも行って、女の子でも……… 」
「そういえば、思い出した。矢島から電話があった」
「矢島から? 」志村が尋ねた。「またおいしい仕事でも持ってきてくれるのか
な?」
どうやら田宮の口ぶりは、おいしい仕事だと言っているようであった。
「志村、沖縄シーサーズって知ってるか?」
「シーサーズ? なんじゃ? 」
志村は首をひねっている。
「俺は見たことはないが、前々からサッカー協会では有名なクラブでね」
田宮は知るかぎりの知識で概要を語った。
沖縄シーサーズは沖縄の北端の奥間地方に本拠を構える日本初のスポーツシュー
レで、様々なスポーツのクラブを所有する。今年サッカーが沖縄県社会人リーグ二
部に加盟することになっている。
「俺もな、ユース世代の強化委員やっておきながら、チェアマンがマスコミに圧
力をかけているせいか全然情報が入ってこないんだが、地元の人間に言わせれば、
少なくとも本土にキャンプに来たJリーグのクラブよりは強いらしい」
Jリーグよりも、強い?
「どうしてこんなチームが底辺なんかに居るんだ? 田宮クン」
志村は缶コーヒーをぐいっとやった。
「今年16歳になったばっかなんだよ、イレブン全員。だから、トップチーム結
成一年目というわけ」
「16歳! 」
なんと若いチームだ。田宮はユース代表の強化委員であったが、これでは彼が在
職している意味がない。日本代表には当然高校生世代の代表チームもあって、次代
のアトランタオリンピックもしくは2002年のW杯目指して鍛練を積んでいるの
であるが。
「協会の指導者連中も面子があって、無能さをさらけ出すのが怖いから日本代表
ユースをシーサーズと当てようとはしないんだよ。東京の協会の方に対戦希望の打
診があったんだけどね、蹴っちまった」
「逃げ腰だな。けど本当か? そのハナシ」
「あの矢島君が言うんだ。あっち関係の話なら彼以上の奴はいないよ」
志村はニヤリと、利権屋が山吹色の菓子を目の前にしたような顔をした。
「試合が終わったら確かめてみるかその話」
「その話、実を言うと、お前が最初だ」
「えっ? 」
「シーサーズの独占取材手記を日本で最初に書くのは志村だっていうこと。流石
大学の後輩だ。先輩の事を大切にしてくれる」
志村に白羽の矢がたったみたいである。
「貧乏ライターのお前の生活を助けてくれるんだ、いい後輩だ」
「そのくせ、女を分けてやろうとしたことはないけどもね、あいつは」
憎まれ口だが、目は輝いていた。
沖縄シーサーズに、志村の心は向いた。
「ようし、矢島に引き受けたって言っておいてくれ」
「俺も行くぞ、志村」
田宮もユース強化委員の手前、この世代のチームには興味が無い訳がない。
志村の表情が緩む。面白い記事が書けそうだとライターの本能は笑いを隠さない。
田宮が時計を見た。
「じゃ、俺は帰るわ」
どうやら、最終の「のぞみ」東京行きの時刻が近い様子である。
「じゃ、田宮。東京で」
記者席から田宮の姿が消えた。
志村は、再びフィールドに目を向けた。スコアは依然変わっていない。しかし、
観客席は次第に疎らになっていった。
本物のクラブこそがフイールドに立つ資格がある、志村はポツリと言った。
ガンバ大阪にJリーグたる資格があるか、そう観客に聞いてみたい気分であった。
翌日、志村はその足で、東京副都心の矢島の職場へと赴いた。
★
沖縄シーサーズは、矢島の仕組んだプロジェクトであった。
否、この言い方では語弊がある。これは、矢島の勤めている広告代理店・博士堂
がJリーグに進出する前に仕掛けていた一大実験であった。矢島はこのシーサーズ
の管理を、若干二十代の若さで引き受けているのである。
従って、矢島の名刺には、沖縄シーサーズ東京事務所課長という職業も書き込ま
れている。この名刺は、最近作ったものらしい。
シーサーズのプロジェクトが動いて六年が経ったと矢島は言った。
ここは博士堂の応接室である。木目造りの豪勢な部屋だ。矢島と志村がソファに
腰掛けて歓談しているのだ。
シーサーズの事は口外していないはずである。しかし、
「取材に関しては、いまだ解禁していないのにアポイントメントが殺到しまして
ね。全部断っているんですが、今日も電話番してたんですよ」
志村が訪れたので、電話番は他人任せにしているようである。
「先輩が第一報を伝えるんです。僕も同行しますが、重大ですよ」
志村孝だから任せられるんだと強調した。
「それにしても、お前が女以外の件でここまで熱心にやるとはねぇ」
矢島の顔を嘗め回すように見つめる。この顔は、俗に醤油顔に分類される、見た
目は東洋人の書生という感じの風貌である。
矢島はキリリと志村に語った。
「惚れたんですよ」
爽やかな顔だ。
「僕は、三年前からシーサーズを見つめてきました。Jリーグも、セリエAも見
てきましたが、シーサーズは、イマジネーションの豊かなイレブンです」
強くて楽しいサッカーを魅せるイレブンなんだ、矢島は愛情溢れる言葉でシーサー
ズの魅力を表現した。
「シーサーズがジュニアユースの頃に武者修行に降り立ったとき、対戦したクラ
ブの選手皆が驚嘆した記憶、それが今でも頭に焼きついています。川淵チェアマン
や読売の幹部連中の邪魔さえ入らなかったら、今頃はシーサーズのJリーグ入りが
示唆されていたことでしょう」
矢島の舌は回り続ける。
「今の日本代表だったら、シーサーズの方が上手だと思いますよ」
ここまで言ってしまった。
「大きく出たな」
「けど、けっして誇大広告ではないですよ」
矢島は自信を持って、クラブの詳しい概要を説明した。一貫したブラジル人コー
チの指導、鹿島アントラーズよりも整った練習環境、それらを表現するために潤沢
な時間を使った。
志村も、ついにその魅力に陥落したみたいである。
しかし、まだそれだけではなかった。
「沖縄に着いたら凄いですよ。特ダネが先輩を待っています」
矢島が親指を立てた。
「日取りは五日後の、午後七時半の羽田発那覇行きの全日空。三日間の予定です。
経費はウチ持ちです」
豪勢だ。
「沖縄は南国美人が多いですからね、十六歳くらいの可愛い娘と、ツーショット
出来るかもしれませんよ」
志村が体を乗り出した。
「よしっ、五日後だなっ」
矢島の両手を握った。
そういうわけで、スポーツライターの志村孝、広告代理店の矢島宏樹の先輩後輩
コンビとサッカー解説者田宮裕一の三人は空路沖縄を目指すことになるのである。
志村が足早に立ち去った。
「ちょっくら、後楽園まで取材にいってくるわ」
今日はドームの対ヤクルト戦であった。
志村が姿を消した応接間には矢島一人である。
「さてと」
矢島が受話器をとった。プッシュホンを巧みに操り、電話をかける。
何度かの発進音が続く。
しばらくして九度目の発進音が過ぎ去ろうとした。
「ブツッ」
はい、姫百合学園です。
「私ぃ、は、博士堂の矢島というものですが、あの、井上… 渚さんはいらっしゃ
いますでしょうか? 」