#2650/5495 長編
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ヴェーゼ 第2章 狩人たち、集う 5 リーベルG
★内容
5
セーラ・マドウの人生は決して幸福ではなかった。正確に言えば、不幸の連続であ
ったといっても過言ではない。にもかかわらず、セーラは驚異的な精神力を発揮して
人生をより楽しいものにするべく、自由にならない身体で努力を怠らなかった。それ
を知ったスカルバーユは、16才の少女の類いまれな資質に感嘆しないではいられな
かった。
すでにチコはドナの妹、セーラ・マドウに関するデータを完全に手に入れていた。
妹の方のデータは、全くガードがかけられていなかった。もっとも、ドナのデータの
封じ込めを行った者----または組織----の盲点を突いた、というわけではなかった。
そこからドナのデータのガードを突破できるような接点を見い出す試みは、ことごと
く失敗していた。それはすなわち、情報操作をしなければならないような事が何もな
いからである。
「……その事故が起こったのは、セーラが12才のときね」チコはセーラの生い立
ちを物語風にスケッチしているところだった。スカルバーユの仮想視界に、セーラが
12の時の映像が浮かび上がる。「場所はシティ・タカチホ。第8レベル」
まだセーラが自分の脚で歩けることに何の疑問も持たなかった頃だ。チコが再生し
ているのは、オレンジ色のワンピースを着て、明るく笑っているセーラだ。女として
の身体を形成させ始めた、健康そうなジュニアハイの一生徒。
「セーラが両親と一緒に、シティ・タカチホに行ったのは、彼女のいとこの結婚パ
ーティに招待されていたからだったわ。事故はそのパーティ会場で起こったの」
続いて仮想視界には、どこかの貸しホールらしい広いパーティ会場の風景が映し出
された。スカルバーユの視点は、シャンパングラスを手にして同年代の男の子と何か
楽しそうに話しているセーラを斜め前方から見下ろす位置にあった。
ちょうどパーティは、花嫁がドレスを替えて登場して盛り上がったところだった。
セーラも美しい花嫁のドレスに見とれながら一心に拍手をしていた。
不意に視点が動いた。カメラが素早くパンして、会場の壁際に設置されている消火
器に焦点が合う。と、次の瞬間、消火器は突然爆発した。
視点がセーラの後方に戻る。セーラは、さっとそちらを振り向いた。飛んできた破
片が、隣にいた男の子の顔に突き刺さる。セーラは血しぶきを浴びて悲鳴を上げた。
同時に右足の膝に破片の一つが命中し、セーラは悲鳴を上げながら倒れた。
「……テロ・ネットワークが消火器にカモフラージュしたヒュドラ対人地雷タイプ
III を爆発させたのよ」チコの悲しそうなナレーションが入る。「指向性で、扇形に
数千の破片をばらまくやつ。狙いは、出席していた政府閣僚の一人だったらしいけれ
ど、他の出席者に対して遠慮する必要を認めなかったのも確かね」
セーラはまだ運がいい方だったかもしれない。居合わせたほとんどの人間は即死し
た。セーラの両親も例外ではなかった。セーラは奇跡的に両脚に数個の破片を浴びた
だけで、ショックで意識を失ったものの命に別状はなかった。
「だけど、テロリストの仕掛けはそれだけじゃなかったのよ」
消火器のあった壁は、爆発した地雷が指向性だったため、ほとんど被害はなかった。
ところが、爆発の2秒後、今度は壁そのものに亀裂が走ったかと思うと、それは一瞬
で崩れ落ちた。明らかにあらかじめ壁の各所に小型炸薬が埋め込まれていたらしい。
その向こうの壁も同じ運命を辿り、その奥にはシティの外壁が見えた。
スカルバーユが見守る中で、外壁の一部が爆発し、堅牢な強化セラミックスと硬化
処理合金の外壁に人間が通れるほどの大穴が開いた。そこからは、ぞっとするような
灰色の空が見えた。
「そのとき同時に、そのレベルのシールドシステムがシャットダウンしたの。予備
システムは作動しなかった。あらかじめ破壊されていたのね」
シールドが消失した瞬間に、シティの至る所に設置されているモニタリングセンサ
ーが、シティ内の汚染数値の急激な上昇を感知して、狂ったように警報を鳴らし始め
た。非常シャッターが次々に降りる。だが、第8レベルにはすでに大量の汚染物質が
侵入していた。
「救護部隊がパーティ会場に到達したのは、ようやく混乱も収まりかけた1時間後
のことだったわ。生存者はいないと思われていたけど、ただ一人、セーラだけは生き
ていたの」
スカルバーユの視点が完全防護服に身を固めたレスキュー隊員のそれに変わり、床
に横たわっているセーラの姿を見下ろしていた。別の隊員の手がセーラの手首をとっ
て脈を確かめる。隊員は驚いたように、同僚に合図した。うつ伏せだった少女の身体
が持ち上げられ、スカルバーユは致死量の汚染物質の充満する部屋でセーラが生きて
いた理由を知った。非常用の分子フィルターマスクが、その顔を覆っていたのだ。
「誰がセーラにマスクを装着させたのかは分かっていないわ。セーラ自身でないこ
とも確か。自分で使えば命が助かったかもしれないマスクを、誰かがセーラに与えた
のね」
セーラは直ちに集中治療室へ送り込まれた。マスクのおかげで、汚染物質の吸引は
免れた。だが、脚の傷から侵入した汚染物質は、すでに下半身の神経に修復不可能な
ダメージを与えていた。
「というわけよ」チコは映像の再生を終えた。「気の毒な話ね」
「その事故のことは何かで知った憶えがあるな」スカルバーユは普段使わない記憶
にアクセスした。「結局、犯人は検挙されなかったんだな」
「捜査は今も続いているわよ。だけど、ほとんど手がかりなしね。それに今、犯人
が逮捕されても、セーラは喜ばないでしょうね、きっと」
「かもな」スカルバーユは同意して、違うことを訊いた。「そのとき、ドナは何を
していたんだ?ドナはパーティにいなかった。何故だ?」
「ドナはシティ・ドレスデンにいたことが分かっているわ。そこの友人の結婚パー
ティがあったのよ。つまり、ドナはいとこの結婚パーティには出ないで、友人の方に
行くことにして命を救ったのね」
「運がいいな」
「確かにね」
「それから、どうなった?」
「セーラが退院すると、ドナは今のフラットに移ってセーラと一緒に暮らし始めた
のね。政府から補償金も出たし、両親のフラットを売却したから、経済的には困らな
かったわ。その収支は1クレジットまで完全に疑わしいところはないわよ」
「なるほど」スカルバーユは頷いた。「よし、じゃあ、その線はひとまず置いてお
いて次に移ろう。ドナとセーラのデータを、できるだけ細かくすり合わせて相関チェ
ックをかけてみてくれ。クロスリファレンスも最大レベルまで作る。とにかく、あり
とあらゆるデータをチェックするんだ」
「はいはい、っと」チコは軽口を叩きながら、素早くこれまでに作成した100余
りのデータベーステーブルにインデックスを付加し、同時に全テーブル同士の相関チ
ェックを開始した。
「ちょっと、リソースもらうわよ」チコの虚像が座禅を組みながら言った。「フル
スピードでやるから、他のジョブのパフォーマンス落ちるかも」
「何でもやってくれ」
チコは座禅を組んだまま静止した。スカルバーユは、魔法の力が急激に増加するの
を感じて、慌ててベッドルーム全体に強めの結界を張り巡らせた。魔法監査委員会な
どに余計な注意を抱かせてもつまらないからだ。一度ブラックリストに乗りでもした
ら一生、委員会の放つ生霊やら使い魔やらにつきまとわれ、四六時中、監視されるこ
とになってしまう。そうなればもちろん、情報屋などは廃業だ。
チコが行っているのは、単純なクロス・チェックではない。それだけならば、わざ
わざMIの手を煩わせなくても、スカルバーユが簡単なマクロを組めばできてしまう。
だがチコが行っているのは、作成したクロス・リファレンスを元に、グローバル・シ
グに存在する無限大のデータとの関連付けを推測し、結合し、最適化して意味のある
情報を抽出することである。その中には数十年分のニュース記事もあれば、カスター
ドケーキの作り方、ボレロのリフレインの回数まで、文字どおり全てが含まれる。こ
れらの、大部分意味のないデータ群から、ほんの微量の有意義なデータを推論する能
力は、MIでなければ不可能だった。そして、チコはそれに慣れていた。
チコがチェックに要した時間は、90秒だった。
「ぐたー」チコは妙な擬音を発しながら、ごろりと寝転がって荒い呼吸を繰り返し
た。「疲れたあ。しんどいジョブだったわ」
「何か見つかったか?」スカルバーユは勢い込んで訊いた。
チコは輝くような笑顔を見せた。
「あったわよ、というより見つけたんじゃないかと思うわ」
スカルバーユは黙ってチコの言葉を待った。
「ドナのオフィスワークタイムは4t/w。その他の時間はオフィスにはいないは
ずなのよね。ところが、ドナのワークタイム以外を追っていくと、少し妙な点がある
のよ」
「なるほど」スカルバーユはドナのデータから作成したチャートを呼び出して、週
4時間のワークタイム以外のほとんどの時間を、フラットで過ごしていることを確認
した。「ドナのデータでは、フラットにいることになっているな?」
「そうなのよ。だけど、セーラのデータとマッチングさせていくと、細かい部分で
ズレが見られるわ。といっても、普通に見ていたんじゃわからないでしょうけどね」
「ああ、お前が優秀だってのはよくわかってるよ」スカルバーユは軽く手を振って
チコを褒めた。「それで?」
「はっきりとは分からないけど、ドナ・マドウに裏の顔があるとしたら、それをセ
ーラに全部話していると思う?」
「妹に余計な心配をかけまいとするなら黙っているだろうな」
「でしょ?」
「ということはだ」スカルバーユは顎に手をかけて考えるポーズを取った。「ドナ
が、ワークタイム以外に何をしているにせよ、妹には事実とは異なることを話してい
るに違いない。そう言いたいんだな」
「ぴんぽーん!」チコは電子音でなく、言葉で叫んだ。「大正解!」
確かにこれば求めていた突破口であるかもしれない。ドナがセーラに事実と異なる
予定を話した日時が正確に分かれば、そこに何らかのパターンを見い出すこともでき
るかもしれない。パターンが定まれば、ドナの行動をその想定されたパターンに従っ
て監視すればいいのだ。だが……。
「だが、ドナがセーラに何を言ったのかわからなければ意味がないじゃないか?」
スカルバーユは指摘したが、チコは顔色一つ変えなかった
「そんなの分かるわけないじゃない。言ったことなんて、もう調べようがないわよ。
ドナとセーラは、フラット内ではシグをほとんど使わないから、記録は残ってないし
ね。だけど、これからのことなら方法はあるわよ。アタシの領域じゃないけど」
「……おれの領域ってわけか」
「大変ねえ」チコは他人事のように微笑んだ。「がんばってネ!」
「……」
チコの言うことは正しい。つまりシグを使って何とかできるのは、ここまでという
ことだ。残された方法としては、スカルバーユ自身が、ドナかセーラと接触して、パ
ターンを探り出すしかない。
「セーラの方がやり易そうだな」ややあってスカルバーユは言った。「どうやって
接触すればいいと思う?」
「セーラはここ何年か、ドナ以外の人間とはほとんど会っていないわ。友達ができ
たら喜ぶでしょうね。それも同年代の」
チコは直接どうしろとは言わなかったが、間接的にほのめかしていることは明白だ
った。スカルバーユは少し考えてから命じた。
「さっきの映像で、爆発の直前にセーラが話していたガキがいたな」
「この子ね」
VVに映像が再生された。セーラと話している少年。見たところ、当時12才のセ
ーラより、3、4つ年上だろうか。
「これは誰だ?」
「花婿から8親等離れた親戚よ。もちろん事故で死んでるわ」
「これにするか。じゃあ、こいつを4年ほど成長させてみてくれ」
映像から少年の顔が分離し、続いて急速な変化がはじまった。生きていれば少年が
辿ったであろう成長過程が細かくシミュレートされているのだ。もちろん、チコは少
年のDNA情報から両親の経済力による環境まで考慮している。
「こんなのでどうかしら?」
チコが示したのは、細身で長身の20才ぐらいの青年だった。短めの髪と、笑って
いるような光を宿す瞳は同じブラウンである。目立つ特徴はないが、善良で真面目な
ヤングビジネスマンといった印象を与える。
「まあいいだろう。じゃあ、データの方は任せるから、適当に作っておいてくれ」
「OK、ボス」
スカルバーユは苦笑すると、服を脱ぎ始めた。ベッドの上で足を組んで座ると、呼
吸を整え、目を閉じて呪文を唱える。
最初は髪の色だった。これはそれほど難しくない。スカルバーユの黒い髪は、呪文
とともに、次第に脱色されていき、淡いブラウンで落ち着いた。
次は顔だった。スカルバーユは慎重に呪文を選びながら、骨格を再形成し、同時に
肉を移動させ、チコの示した青年の顔を作っていった。ひねた中年男の顔は、数分で
青年への変化を完了させた。
続いて身体全体だった。これはあまり手をかける必要がない。せいぜい、腹の脂肪
を整え、脚を数センチ長くするだけでいい。
最後に全体のバランスを調節するために、部分的に細かい呪文を唱えながら、スカ
ルバーユは新しい肉体を仕上げた。
「これでどうだ?」スカルバーユはチコに訊いた。
「声をもう少し高めにした方がいいかもね」チコは指摘した。「それから瞳の色も
もう少し濃い方が見栄えがいいわ」
「お前の好みに合わせるんじゃないぞ」スカルバーユは言われたとおりに声帯を変
化させた。
「うん」チコは頷いた。「いいんじゃないかしら。はい、服を出しておいたわ」
スカルバーユはクローゼットから服を取り出して着てみた。
「よし、これで行こう。後はどこでセーラと接触するかだな」
「それについては、考えがあるんだけど聞く?」
「言ってみてくれ」
チコの案は、スカルバーユも気に入った。
「よし、それで行こう。いつだ?」
「4月20日よ」チコは答えた。「場所は、医療センタービル、第8内科セクショ
ンね」