#2647/5495 長編
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ヴェーゼ 第2章 狩人たち、集う 2 リーベルG
★内容
2
長い眠りから目を覚ましたとき、リエはてっきり夢の続きを見ているのだとばかり
思い、それ故にそれほど驚愕したりはしなかった。何と言ってもスーツを着て、ペル
シャ風の剣を握ったネコが、自分の顔を覗き込んでいる光景など現実では考えられな
い。
「やあ、やっと目を覚ましたか」ネコははっきりと高い声で言った。「よくあんな
に眠れるもんだな、人間は」
リエはとっさに反応を選び損ねてしまった。口を開こうとしたが、言葉が出てこな
かった。それをどう解釈したものか、相手はリエをまじまじと見ながら続けた。
「あんた、魔法使いかい?最近じゃあ、そういう変な服がはやっているのかい?」
一気にばっと跳ね起きようと思ったが、下手に相手を刺激してもまずいと考え直し、
リエはゆっくりと身体を起こすことにした。口の中がカラカラに乾いていたが、何度
か唾を飲み込んでようやく声を出すことに成功した。
「ここは?」
「おれの住処だよ。憶えてないのかい?」
それには答えず、リエは自分の膝ぐらいまでしかない相手を観察した。最初にスー
ツと思ったのは間違いで、よく見ると日本の着物のようだった。もっともリエは、は
っきり断言できるほど、自分の祖先の民族衣装について熟知しているわけではなかっ
たのだが。それは布ではなく、どちらかといえば革に近い材料でできているようだっ
た。無造作に腰に巻き付いている帯には、剣の鞘がぶら下がっている。
衣装の観察を終えると、リエはそれまで考えまいとしていた事実に正面から向かい
あった。相手はもちろん人間ではなく、こびとやホビットなどでもなく、紛れもなく
ネコだった。後ろ脚で立ち上がり、ふらつく様子も見せないところを見ると地球のネ
コ族とは異なる種族かもしれないが、ネコ科に属していることだけは間違いない。
「なんだね、じろじろと見て」ネコの剣士は少し気分を害したように言った。
「ご、ごめんなさい。その……」リエは混乱した頭をはっきりさせようとしたが、
なかなかうまくはいかなかった。喉がひりつくような感じで、そちらに神経が集中し
ているせいもある。
「あんた、名前は?」ネコは訊いた。
「リエ」リエは名乗った。「リエ・ナガセよ」
「リエナガセ?」ネコはリエのファーストネームとファミリーネームをつなげて発
音した。「変わった名前だな」
「いえ、そうじゃないの。リエ、と呼んでちょうだい」アンシアンにはファミリー
ネームという概念がないのを、遅まきながら思い出したのだった。「あなたは?」
「おれはトートンアードだ。友達はみんなトートって呼ぶけどな」
「よろしくトート」リエは微笑みながら挨拶した。「悪いけど、水か何かない?喉
がカラカラなの」
「ずうずうしい奴だな、おれの住処で勝手にぐうぐう寝て、飲み物まで要求すると
は。まあいい。待ってな」トートは言葉ほど気分を害したわけでもないらしく、剣を
収めると、ちょこちょことどこかへ走り出ていった。
リエはその後ろ姿を見守りながら、ようやく甦ってきた記憶を確認していた。
----アンストゥル・セヴァルティ……ガーディアックの村……赤毛のアンシアン…
…あたしの魔法……あの男の子……
思い出したくない記憶だった。眠っている間にすっかり失っていてとしても、少し
も後悔しなかっただろうが、あいにく記憶を司る神か悪魔が、それほど慈悲深くはな
かったらしい。
軽いめまいに襲われて、リエはぐったりと洞窟の壁にもたれて目を閉じた。自分の
中に、強力な魔法の力が潜んでいるということが信じられなかった。
ネコが戻ってくる気配に、リエは目を開いた。トートは革袋を差し出した。
「ほらよ」
「ありがとう、トート」リエは礼を言って、それに口をつけた。川か池から汲んで
きた生水らしかったが、冷たく澄んでいて、とてもうまかった。リエは砂漠の旅人の
ように、ごくごくと喉を鳴らして水を飲み、身体に生気がみなぎるのを感じた。
「ああ、おいしかったわ」リエは満足そうに口を拭い、空になった袋をトートに返
しながらもう一度礼を言った。「ありがとう。助かったわ」
剣を下げているけど、悪いやつではなさそうだ。リエは微笑んだが、途端に今まで
気付かなかったことに思い当たって顔を強張らせた。
なぜ、言葉が通じるのだろう?
アンシアンの言語は、地球と同じくいくつかの種類があるが、地球人の理解を超え
たようなものは一つもない、ということだった。実際に、将来の移民に備えて、主要
な言語の分析も行われていた。だが、リエはそれらを学んだことは一度もないのだ。
それなのに、何故トートと会話が成り立つのだろう。リエは当たり前にスタンダード
アメリングリッシュを口にしているつもりだったのだが。
----無意識のうちに、あたしの中の魔法が……
不愉快な考えだが、それ以外にあり得なかった。もともと魔法についてリエの興味
は薄かったが、今ははっきりと魔法に関して嫌悪感すら抱いていた。とはいえ、これ
からアンストゥル・セヴァルティで生きていくつもりなら、イヤでも魔法と折り合い
を付けざるを得ないだろうが。
「ねえ、トート。ここはどこなの?」リエは魔法について考えるのを止めて、トー
トに訊いた。「あたしはいつからここで寝てたの?」
「なんだよ、憶えてないのかい?」呆れたようにトートは肩をすくめた。「えーと
14日前かな。ガーディアックでとんでもないことが起こった次の朝からだからな」
リエは心臓がタップダンスを踊りだしたのを気取られないよう、努めて平静な声で
訊いた。
「とんでもないことって何?」
「知らないのか?あ、そうか。眠ってたんだから知るわけないか」トートはぺたん
と地面に座ると、声をひそめた。「ガーディアックの村人が何者かに皆殺しにされた
らしいんだ。おれも実際に見たわけじゃないから、詳しいことは知らないんだが。噂
じゃあ、魔法使い協会が村を封鎖しちまって、誰も出入りできないんだそうだ。つま
り、邪悪な魔法使いか何かがからんでるんだろうな、きっと」
「魔法使い協会が……」その言葉はリエの記憶の片隅にあった。アンストゥル・セ
ヴァルティの魔法使いの総本山らしいが、実態は定かではない。この世界に潜入して
いる工作員は魔法を持っていないので、調査の手を伸ばしようがないのだ。何しろ、
アンシアンたちでさえ、魔法使い以外はその実態を知らないのだから。
「うん。これも噂だけど、魔法使いたちは何かを探してるんだそうだ。きっと、村
の人間たちを殺した邪悪な魔法使いだろうな」
リエはトートの推測が半分以上間違っていることを知っていたが、もちろん訂正し
てやる気にはなれなかった。何しろ、あの虐殺にはリエ自身が関わっているのだから、
それを知ればトートの態度が急変することは、少なくとも今ほど友好的ではなくなる
ことは火を見るよりも明らかだった。
魔法使い達が何かを探しているというトートの言葉が正しければ、その対象は自分
に違いない、とリエは確信していた。他にありえないではないか。あの名前を知らな
い奇妙な少年やリエの上官、それに生き残った兵士たちはとっくに地球へ帰還してい
るだろうし、何よりもリエはあの赤毛の魔法使いにはっきりと顔----どころか全身を
だ----を見られているのだ。
「ねえ、トート。あなたはこの辺には詳しいの?」リエは訊いてみた。トートは胸
を張って答えた。
「まあね。だいたい、誰がどこに住んでて、何をやってるかぐらいは頭に入ってる
さ。でないと商売にならないからな」
リエは本来の質問をする前に、好奇心から別の問いを発した。
「訊くのを忘れてたけど、あなたは何の商売をしてるの?」
「盗賊さ」トートは誇らしげに答えた。「金持ちから余ってる金貨や宝石を頂いて
くるんだ」
「あまり威張れる商売じゃないと思うけど」リエは皮肉をこめて言ってやった。
「何を言ってるんだ。何かを盗まれたら盗まれる方が悪いんだ。当然しなきゃなら
ない注意を怠ったんだからな。盗賊がいなかったら、誰が世の中のうっかり者に警告
するんだ?」
トートは本気で言っているようだった。リエはひとつアンストゥル・セヴァルティ
の社会構造をかいま見たような気がした。
「まあ、いいわ。じゃ、ひとつ知りたいことがあるんだけど」リエは慎重に質問を
選んだ。「この近くに赤毛の魔女が住んでない?」
「おれの知る限り赤毛の魔女は一人しかいないな」トートはすぐに答えた。「あん
たの言うのは、パウレンのことだろ?」
「そう……だと思うんだけど」リエは曖昧に言葉を濁した。「その人は背が高い?」
「ああ、大抵の男より高いかもな。パウレンの知り合いかい?」
「まあね」まるっきり知らないというわけではないから嘘ではない。
「じゃあ、あんたも魔法使いなのかい?」トートは重ねて訊いてきた。
リエは何と答えるべきか迷ったが、結局事実を省略して答えることにした。
「そう言ってもいいかもね。協会とは関わりないけど」
「ああ、なるほど」トートは納得したように頷いた。「あんたも自由魔法使いだっ
たのか」
それは協会に属していない、いわばフリーの魔法使いのことらしかった。リエは曖
昧に頷き、否定も肯定もしなかった。
「パウレンの家はここから遠いの?」リエは訊いた。
「そうだな。ちょうどこの丘の反対側だ」そう言ってからトートはいぶかしげに問
い返した。「だけど、パウレンの家の場所が知りたいなら、直接訊けばいいじゃない
か?水晶玉か何かで」
「う、うん。まあ、そうなんだけど」リエはうまい言い訳を探した。「つ、つまり
いきなり訪ねてびっくりさせたいのよ。その、久しぶりだから」
「なるほどな」トートは納得したようだった。「これから行くのかい?」
「どれぐらいかかるかしら?歩いていくと」
「そうだなあ。まあ、普通に歩けば1日ぐらいかな。近道があるにはあるんだが」
トートは腕を組んで考えた。「どうだろう、おれが案内してやろうか?」
「それはありがたいけど……」リエが失礼にならないような質問の言葉を探してい
ると、それを察したトートがけらけら笑った。
「ああ、気にしないでくれ。今回は貸しにしといてやるからさ。おれは誰かに貸し
を作るのが好きなんだ。おれは大抵のことは自分で何とかなるけど、時には誰かの手
を借りなきゃならんときもある。そういうときの手札は多い方がいいからな。魔法使
いに貸しを作る機会なんか滅多にないし」
リエも笑った。この盗賊が好きになりかけていた。
「ありがたく借りておくことにするわ。ところで、借りついでに幾つか頼みがある
んだけど」
「何でも言ってくれ」
「まず、どこかで服を手に入れてほしいの」リエは自分が着ていた統合陸軍特殊部
隊の戦闘ジャケットを示した。「こんな変な服じゃパウレンも驚くだろうし」
「おやすいご用だ。あてはあるんだ。他には?」
「食べるものをお願い。お腹がぺこぺこなのよ」リエはたった今、胃袋の訴えに気
トートは再び笑った。
「魔法使いでも食べなきゃならんからな。わかった、待ってな。ほんの1デックほ
デック、というのはアンストゥル・セヴァルティの標準的な時間の単位で、地球時
間の72分にあたることを、リエは知っていた。見たところ時計を持たないトートが
どうやって時間を知るのかは謎だったが、それはゆっくり確かめればすむことだ。
「じゃあ、また後でな」トートは小走りに洞窟から走り出ると、生い茂る草の中へ
姿を消した。
トートが誰かに話すかもしれない、という考えが一瞬浮かんだものの、リエはすぐ
にそれを捨て去った。ネコ族がどれほど信義を重んじるかはわからないが、トートは
何となく信頼できそうな気がしていた。その気ならトートは、眠っている間にリエを
刺し殺して、ナイフや栄養チューブなどを盗むことだってできたのだ。調べるまでも
なく、それらは無事だったし手を触れた形跡もなかった。
リエは洞窟の出口まで移動して、そこに静かに腰を下ろすと、地球のシティでは決
して味わえない新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ。目に映るのは、汚染物質にまみれ
た地球では、想像すらできないほどの自然の光景だった。リエはかつて得たことのな
い喜びが身体中に満ち溢れて来るのを実感し、しばらくは余計なこと----例えば、今
この瞬間にも敵意に満ちたアンシアンの魔法使いが何人も、自分の足跡を追っている
というような----を考えないことに決めた。