AWC ヴェーゼ 第2章  狩人たち、集う 1 リーベルG


        
#2646/5495 長編
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ヴェーゼ 第2章  狩人たち、集う 1    リーベルG
★内容

                  1

 「リエ・ナガセ中尉、24才。NWC48年3月10日誕生。誕生都市はシティ・
ネオトキオ。父親は彼女が4才のときに事故で死亡。母親は月面低重力医療センター
で療養中。ハイスクール卒業と同時に軍に志願。統合陸軍訓練センターで1年の訓練
を受けた後、CTSS(対テロ特殊部隊)に配属。4年後、第99特殊陸戦機動部隊
に転属。70年、中尉に昇進。現在までに実戦参加15回」
 ドナは言葉を切って、アンソーヤを見た。
 本来ならこの程度の情報は、ドナの手を煩わせる間でもなく簡単に入手できる。ア
きる権限が与えられているのだ。だが、アンソーヤはどんなに便利であっても、決し
てシグにアクセスしようとはしなかった。そのため、シグ・アクセスのためのナノマ
シンは、アンソーヤの体内には注入されていなかった。
 <ヴェーゼ>プロジェクトのラボの一室だった。表向きは、プロジェクトの人間が
責任者となっていたが、実質的にはアンソーヤのラボだった。地球最大の魔法使いで
 アンソーヤは、少年の身体には大きすぎる管理者用デスクの向こうで目を閉じて、
ドナの言葉を反芻していたが、しばらくすると質問を投げかけた。
 「ナガセの魔法は?最近のハイスクールでは必須になっているはずだが」
 ドナはシグを通じてデータベースを検索するために1秒を要しただけで、ボスの質
問に答えた。
 「当時、まだ魔学は選択科目でしたが、ナガセ中尉は選択しています。試験の平均
点は62ポイント。可もなく不可もなくといったところです」ドナはアンソーヤの本
当に訊きたいことを察して追加した。「とりたてて、魔法に興味を示したり、素質が
あったりしたわけではないようです。もっとも教える側にも問題があったのでしょう
けど……」
 魔学は若い学問である。当然、優秀な教師を質、量ともに揃えるわけにはいかない。
魔学の重要性を把握してハイスクールの必須科目にしたのはいいが、それが満足に機
能しているとはまだまだ言えなかった。アンソーヤが普段から学校教育を冷笑するの
も無理はない。
 大失敗に終わった作戦から3日が経過していた。ルーチンチェックを含む様々な雑
務に忙殺されていたアンソーヤたちは、ようやく解放され、じっくりと考える時間が
できたのだった。
 アンソーヤたちと入れ替わりに送り込まれた掃討部隊は、命令通りディレクターを
回収してきた。正確には、その残骸をである。ディレクターは、そのままラボの分析
装置にセットできるようになっていたが、アンソーヤの手に入ったのは役に立たない
一抱えの金属とセラミックスの残骸にすぎなかった。
 それでも、内部に残っている<ヴェーゼ>の残滓から何かわからないか、とはかな
い希望を抱いたアンソーヤは、ディレクターの一片一片を、それこそ嘗めるように調
べた。しかし、例え<ヴェーゼ>の全てがリエに吸収されたのではないとしても、す
でにそれは蒸発していて、何の手がかりも残っていなかった。地球上であれば、リア
ルタイムに状況を報告するモニタ類を埋め込めたのだが、アンストゥル・セヴァルテ
ィで使用する限り、電子機器はガラクタも同然になってしまう。そのために、単純な
機械装置だけにしたので精製過程の記録も残せなかったのだ。
 結果的には、アンソーヤが導き出したように、アンシアンの女性の体内に<ヴェー
ゼ>精製のキーとなる物質があることは証明された。それを浴びたリエは、短時間で
アンソーヤを凌ぐ魔法使いとなった。しかし、リエは逃亡し、ディレクターは破壊さ
れ、アンソーヤの手元には、何も残らなかった。これでは何もしなかったのと同じか
それ以下である。さすがのアンソーヤも、もう一度別の村を襲撃しよう、などとは言
えなかった。
 「となると」アンソーヤは忌々しげに呟いた。「つまるところ解決方法はただ一つ
か。何としてもリエ・ナガセを捕らえて、彼女を研究しなければならない」
 「それは簡単にはいきませんわ」ドナが応じた。「<ムーンゲート>が次にアンス
トゥル・セヴァルティに開くのは、82時間後ですから」
 「その間に、遠くへ逃げるのは非常に簡単だな」アンソーヤは同意した。「くそ、
何てことだ」
 ドナが見守る中で、少年は薄い金髪を無意識のうちにかき回して、何かを考えてい
た。ドナはアンソーヤの思考を妨げないように、呼吸音すら制限して次の言葉を待っ
た。見かけは幼い少年だが、<ヴェーゼ>によって飛躍的に増大したのは魔力だけで
 「もう一度、アンストゥル・セヴァルティへ行かなくてはならない」しばらくして
アンソーヤの唇から洩れた言葉は、呟きに近いほど低かった。「ぼく自身がだ」

 アンソーヤは確かにリエを求めている。<ヴェーゼ>のカギを握る生きた標本とし
て、リエの身体は絶対に必要なものなのだ。リエの自由意志は、この際問題ではない。
彼女がどう思おうと、地球人類がアンストゥル・セヴァルティへ移住を果たすために
は、一人の元中尉の人権など取るに足らないことなのだ。ちょうど、アンソーヤ自身
に人生の選択権がないのと同じように。
 だけど、ぼくの胸の奥に鋭く突き刺さった針のような痛みはどうしたことだろう、
とアンソーヤは落ち着かない心で自問した。同情か?それともとっくに消えてしまっ
たはずの良心か?あの夜、リエが森の中に歩み去るとき、アンソーヤは黙って見送っ
ていた。自分の頼みをはねつけて、去っていったリエに、怒りと憎しみを感じたのは
間違いないし、今もそれは変わらない。だが、同時に全く別の感情が同居していたこ
とを、アンソーヤはしばらく認めようとしなかった。
 それは、たとえ困難な前途であれ、自由と戦いを選んだリエへの称賛であり、自分
にはない強さと決断力を示したリエへの羨望であった。アンソーヤは、自分が心のど
こかでリエの安全を、それも<ヴェーゼ>のためでなく、リエ自身の自由と未来のた
めに祈っていることに気付いて、呆気にとられたものだった。
 アンソーヤの乾いた笑いが広い部屋に響いた。全くナンセンスだ、と言わざるを得
ない。自分に誰かを思いやるような部分が残っているとは、想像すらしなかった。<
ったからだ。それが力を得た代償として大きなものであるのか、些細なものであるの
かはわからなかったのは、それを突き詰めて考えたことがなかったからだ。もし、真
剣に喪った心の温かい部分を想いはじめ、それがこの世の何ものにも代え難いものだ
と分かってしまうことを恐れたのかもしれない。
 アンソーヤは首を振って、つまらない想いから逃れた。デスクの上から数枚のホロ
シートを取り上げて目を通し始める。
 それはラボで昼夜を通して行われている<ヴェーゼ>研究の進行状況だった。結果
はアンソーヤを元気づけるような内容ではなかった。
 何年もの歳月と、莫大な費用、それに世界で最高の科学者と魔法使いが、投与して
も簡単に人間を殺したりしない<ヴェーゼ>を求めて研究を続けている。なのに、か
の霊液は、頑なにその正体を明かすことを拒んでいた。
 すでに、アンシアンの女性を秘かに誘拐し、この研究所に連れてきて<ヴェーゼ>
精製の原物質----それは単にジュースと呼ばれていた----を採取するという実験は、
極秘裏に何度も行われていた。だが、結果はいずれも失敗だった。地球では駄目なの
だ、ということが分かるまで、罪もない異世界の女性が何人も犠牲になった。
 アンストゥル・セヴァルティには何かがある。空気や水や日光、そんなものでない
何か魔法的な要素が。それを知るためならば、悪魔に魂を売ってもいいと思ったのは
一度や二度ではない。
 疲労が体内で自己主張しはじめ、アンソーヤはホロシートを放り出した。明日にな
ってドナが出勤してくれば、きちんと分類されたファイルに収まるだろう。アンソー
ヤはオフィスに隣接する私室に入ると、きちんと整えられた清潔なベッドの上に倒れ
込んだ。数分のうちに少年は寝息をたてはじめた。


 『……続いて衛生局より、本日の汚染指数をお知らせします』マグニウェイの車内
でドナはぼんやりと公共放送を聞いていた。『ベルゼン2:51、ハイドロデンキス
タン:22、ストロンチウム90:16……』
 汚染物質は一向に減少する気配すら見せない。地球上に散らばる千以上のシティは
どれも厳重にシールドされているはずだが、汚染物質は必ず侵入し、不幸な市民の健
康を犯していく。10年前にアンストゥル・セヴァルティから魔法がもたらされて以
来、シティのシールドにも魔法的な要素が加わり、汚染物質がシティ内に侵入する件
数は確かに減った。だが、魔法の力を持ってしても、海や山や空に満ちた複雑な汚染
物質を消し去ることはできなかった。
 ドナは以前に見たホロムービーを思い出した。それはA.D.の時代の記録映画で
巨大な哺乳動物を狩るシーンが収められていた。映画自体は捕鯨反対をアピールする
団体が、その残虐性を強調するために制作したものらしかったが、ドナは少しも残虐
性など感じなかった。10分程度の短い映像だったが、ドナに生命の素晴らしさを認
識させるのには充分だった。映像の中で、クジラは潮を吹き、男達は銛を発射し、巨
大な獲物は甲板に白い腹を見せて横たわった。男の一人が解体中のクジラの肉をナイ
フで削り取り、うまそうにむしゃぶりついていた。その瞬間、ドナは耐えきれないほ
どの羨望を感じた。
 シティの人工的な空気を吸って、合成された食料を食べ、殺菌消毒された水を飲ん
でいる今の生活と比べると、ドナは文明が進歩しているのか、退化しているのかわか
らなくなるときがある。
 マグニウェイが音もなく停止した。
 『レベル24、第8ブロック』楽しげな、しかしどこか退廃的な声が告げる。『レ
ベル24、第8ブロックです』
 ドナはホームに降り、賑やかなプロムナードに足を踏み入れた。シティの各所に設
けられたパークエリアの始まりである。わずか100メートル四方だが、芝生と木が
適度に配置され、ビジネスマンや、学生、親子連れ、カップルなどが思い思いに散策
し、コントロールされた自然を楽しんでいる。ドナはここを通って帰るのが好きだっ
た。いくつかの店も開いているので、ときには花やケーキを買って帰ることもある。
 ピンクホワイトの球形をしたケーキショップの前でドナは立ち止まり、カウンター
の向こうの男に声をかけた。
 「ザッハトルテ2つ、それからアーモンドショコラ2つ、包んでちょうだい」
 中年の太り気味の主人は、真っ赤な鼻の上の陽気な瞳でドナを見た。一瞬、その瞳
が油断のない光を帯びたが、すぐに陽気な色が戻ってきた。
 「やあ、ドナ。妹さんの具合はどうだね」
 「変わりなしよ」シグを通じて支払いをしながらドナは答えた。
 「気の毒にな」
 主人は手早くケーキを合成紙の箱に詰めて差し出した。ドナはさりげなく手を触れ、
細い針のようなプラスティックカプセルを相手の掌に貼り付けた。主人は驚くほど素
早く手を引っ込めた。
 「次は?」ドナから顔をそらしながら、主人が小声で訊いた。
 「4日後、だと思うわ」ドナも囁き返した。
 シグを通せば、声が誰かの耳に入る可能性はなくなるが、万が一モニタしている者
が入れば、デジタル化した証拠が残ることになる。小声で囁くという昔ながらの方法
 データの受け渡しを、こうした古典的な方法で行っているのも同様の理由だった。
シンジケートに対する治安当局の警戒は、決して侮っていいものではない。
 ケーキの箱を手にしたドナは、プロムナードを通り抜け、いくつかのMR(ムービ
ング・ロード)を乗り継いで自分のフラットへたどり着いた。
 「ただいま」ドナはドアを閉めながら奥に声をかけた。「セーラ?」
 キッチンの方から小さな返事があった。緊急時以外、フラットの中ではシグによる
会話は行わないことにしていた。
 やがて、下半身をセラミックスと軽金属のムービング・チェアに固定したハイティ
ーンの少女が、かすかな移動音とともに姿を現した。ドナに比べると、哀れなほど痩
せ細っている。Tシャツの袖からのぞく腕は、一番太い部分でもドナの手首ほどしか
ない。胸などブラをつける必要がないほどだ。だが、ドナと同じように豊かなブルネ
ットを後ろで束ねた少女の顔は明るく、大きな瞳には陽気な光が踊っていた。
 ドナはジャケットを脱ぐ前に、妹を抱きしめ、愛情をこめて頬にキスした。
 「夕食がもうすぐできるわ」セーラはキスを返しながら楽しそうに言った。「ジャ
ケットは脱いだらそこのパケットに入れておいてね。プレスしとくから。ぐしゃっと
入れちゃあ駄目よ。麻が入ってて痛みやすいんだから」
 「はいはい」ドナは言われたとおりに丁寧にジャケットを脱ぎだした。「ケーキ買
ってきたわよ。クーラーに入れておくわね」
 「もう、姉さん」セーラは目を輝かせながら文句を言った。「また誘惑に負けたの
ね?太っても知らないわよ。あたしぐらいスリムにならないと、誰もデートに誘って
くれなくなるんだから」
 「エネルギー補給よ」ドナは笑いながら着替えのためにベッドルームへ向かった。





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