AWC 幻都放浪(24)       青木無常


        
#2577/5495 長編
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幻都放浪(24)       青木無常
★内容
 「虎法師さんから、きいたよ。ずいぶん無理してるって」
 フン、と俺は鼻をならす。
 「なんでもねえさ」
 「ん……」
 「待ってろ。かならず迎えにいく」
 「ん……」
 麗子はそう言って、鼻をすすった。
 それからふたたび長い沈黙をおいて、麗子は「気をつけて」と言った。
 「お兄ちゃんのところに、牙が迫ってる夢を見て目が覚めたの。眠ってるお兄ち
ゃんの喉に、その牙が噛みついて……」
 「わかった」
 俺は答え、ロビーの奥の暗闇に目をやった。
 「気をつけて」
 「ん。わかった」言って俺は、つけ加えた。「待ってろ」
 うん、と小さく答え、それからしばしの間をおいてから、
 「無理しなくて……いいよ」
 と、蚊の鳴くような声で、告げた。
 待ってろ、ともう一度くりかえす前に、電話は切れた。
 ぷつり、と雑音が受話器に響いただけで、発信音はつづかず、公衆電話は役立た
ずの旧世界の遺物へと戻っていた。
 それでも俺は、長いあいだ音ひとつ立てない受話器に耳をあてたまま、そこにた
たずんでいた。
 ひとり能天気に大いびきをかくアブーカジェリフの尻を軽く蹴とばし、半身を起
こしてのぞきこむ沙羅とタツに「妹からだ」とうなずきかけ、俺はふたたび横にな
った。
 眠りはなかなかおとずれなかった。
 待っていたのかもしれない。
 焚き火の炎がつきかけたところへ、薪をくべなおそうと身を起こして、それに気
がついた。
 中庭のガジュマルの向こうに、青白い炎は音もなくただよい来たり、浮かびあが
る。
 その炎がゆらりと渦を巻いたか、と思えたとき、それはひとの形をとった。
 蒼白の美貌に憎悪と呪咀と、そして哀しみをたたえて凝っと俺を見やる、美紀の
形を。
 俺は無言のまま立ちあがり、懐に手をやる。
 短剣の柄が、吸いつくようにして手のひらにおさまった。
 ったく、よけいな時ばかり出てきやがる。
 舌うちとともになぜかそう思った。
 装飾された鞘から銀光放つ刃をぬき放ち、俺は歩を踏みだした。
 深い皺を眉間によせて俺を睨めおろす白い顔を二メートルほど前にして、俺は立
ちどまる。
 「昨日の夜、俺を助けようとしたのはなぜだ?」
 そうきいてみた。
 返答を期待していたわけじゃない。
 それでも答えは、返ってきた。
 「おまえは、わたしがこの手で殺す」
 と。
 鈴をころがすような、心地よい響きをもった声音だった。想像どおりの、美声だ。
 俺はうなずき、身がまえた。
 怒りだけをたたえた女の双眸が見ひらかれ――次の瞬間、青い獣に変じて、俺に
飛びかかってきた。
 身をひねりざま、ヒンジャルを突きだした。すべる手ごたえ。皮膚の表面を切り
裂いた、といったところだろう。
 苦鳴もあげずに青いクチイヌは反転し、ふわりと宙に浮いた。
 ゆらり、ゆらりと、あの幻惑的な動きをはじめた。
 くそ、と口の内部でとなえながら俺はゆらめく青い影を目で追いつづける。その
動き自体が俺を幻惑させると見当はつけていても、だからといって敵の動きから目
をそらすわけにもいかなかった。
 そのまま、美紀が催眠術的な攻撃を続行していれば、俺はいまごろ喉を噛み裂か
れていたかもしれない。
 だが、ふいに宙を舞う獣の美影はよろめくようにして地上へと降り立ち、ふたた
び突進を敢行してきた。
 その動きにも、弘明寺公園で目にした奴らの鋭さは欠けていた。
 身を投げ出しざま、俺はヒンジャルをふるう。
 苦鳴が夜を冷たく震わせ、青い獣は胸から血をぶちまけながら地上に落ちた。
 勢いの助けだけをかりてよろめきながら立ちあがり、幾度となく膝を折りながら
玄関をくぐって逃走する。
 俺は追わなかった。
 俺自身満身創痍だが、あの青いクチイヌは俺以上に傷つき、疲れはてているのだ
ろう。
 蛍火の舞い散る中を、青い炎はよろよろと遠ざかり、やがて夜の闇の中に消えた。
 「おい、だいじょうぶか」
 背後からタツの声がそう呼びかけた。
 ちらりとふりかえる。沙羅もいた。
 俺はふたたび、底深い闇に目を戻し、かすかに左右に首をふった。

 目黒区中根の丘の上で、最初にそれを見つけたのは沙羅だった。
 「あれなに?」
 と指さす先に、何か白いもやもやとしたものが浮かびあがっている。
 最初は、綿のようだと思ったが、すこしちがっていた。雲に見えないこともない
が、それよりも俺の記憶を刺激するものがあった。
 肉体を離れて旅をした夜、見おろす闇の中に壮麗に照り輝いていた幻の宮殿。
 「<混沌>だ」
 俺はつぶやくように言い、そしてぶるると身を震わせた。
 どれだけの距離があるかはよく知らないが、新宿まではまだずいぶんとあるはず
だ。小高い丘の上とはいえ、山ほどもなければああは見えまい。
 それが俺たちの敵なのだ。
 もう一度、身を震わせて俺は、
 「行くぞ」
 短く言い捨て、歩き出した。
 今さら戻れやしない。
 ひき返す気もない。
 駒沢通りから恵比寿へぬけ、渋谷駅前から明治通りに入る。
 左手に昼さがりの陽光がオレンジに、崩れかけたビル街へと身を沈め、そして隠
れては見える光の塔はいよいよ天にそびえるようにして俺たちの行く手に立ちはだ
かった。
 時おり、疲れたような視線をその塔に向けながら俺たちは無言で歩きつづけた。
 千駄ヶ谷から山手線をくぐって代々木へぬけ、甲州街道へとさしかかった時、陽
はすでに暮れかけていた。
 目の前が目的地――新宿区西新宿。かつてそこには、超高層ビル街が広がってい
た。
 そして今、ここには、幻の塔がそびえ立っている。
 「バベルの塔ね」
 沙羅が、ため息をつくようにして言った。
 「俺には、樹木に見えるな。天をささえる大樹だ」
 タツが、呆然とそうつぶやく。
 「世界樹ってわけね。知ってる? 北欧神話」
 と沙羅が俺にふる。もちろん、俺は首を左右にふるうだけだ。
 「ラグナロック。神々の黄昏よ。巨人との戦いに敗れて、神々の宮殿ヴァルハラ
は黄昏を迎えるのよ」
 俺は鼻を鳴らし、そして言った。
 「なら、俺たちが巨人だ」
 沙羅はふりむき、天を圧する塔を眺めあげる俺を長いあいだ無言で見つめてから、
うなずいてみせた。
 「そうだね」
 と。
 俺は答えず、ただ塔を見あげた。
 左手から、沈む朱と紫の輝きを受けて光の塔は、血のように朱く染めあげられて
 膝ががくがくと笑いだしそうになるのを、俺は懸命におさえこんでいた。
 勝ち目などないことはわかりきっていた。
 だが、負けるつもりもなかった。
 狂気じみた戦だ。それでも、俺たちはここまで来た。
 懐をさぐる。
 魔法のヒンジャルは、手に触れもしなかった。
 戦うべき時ではないのだろう。
 いいさ。知ったことじゃない。託宣など、ハナっからあてにしちゃいない。
 俺は視線を塔からもぎ離すとふりかえり、いならんだ三人のドン・キホーテに順
々に、視線を巡らせた。
 沙羅は、肩をすくめて微笑んでみせた。
 へ、とタツは口もとを歪めて唾を吐いた。
 「アフラは偉大なり」アブーカジェリフが唱え、絨毯の上でひれ伏してみせた。
 どうにも、奇妙な連中だ。
 俺は無理やり笑いを浮かべてふりかえり、
 「行くぞ」
 と背中ごしに手をふった。


    15


 新宿ランプをくぐると、上空から数十の<天使>が舞いおりてきた。
 その白い翼を、ある者はまた<悪魔>とも呼んだ。
 単純に<翼>と呼ぶ者もいる。
 この最後の呼称が、もっともその特徴をよく表しているかもしれない。
 宗教画などによく出てくる天使の、まさに翼だけがおぼろに白く輝きながら宙を
舞うのだ。それは雲間からさしそめる陽光を受けて神々しく街を眺めおろしながら
空を飛び、そして獲物を見つけるとその背中へと舞いおりる。
 そしてまさに天使よろしく、その背中に融合するや、獲物の意志とは無関係に大
空へと舞いあがり、そして運ぶのだ。
 <混沌の宮殿>へと。
 獲物の選定基準が奈辺にあるのかは、よくわからない。
 多くの場合は、麗子のように何か特殊な能力を持っている者が好んでさらわれる
らしいが、時にはなぜこんな人物を、と首をかしげたくなるような者をつれていく
こともあるらしい。また、その獲物は人間だけではなく、動物や、また場合によっ
ては完全なる妖魔をさえ連れていくこともあるという。
 切れば死ぬし、殴れば痛がるようにのたうつというから、まったく手におえない
妖物というわけでもない。ただし、どれだけ追い払おうと、一度ねらわれた獲物は
入れかわり立ちかわり執拗に狙われ、ついにはほとんどの例外なくつれ去られずに
はいられないともいう。
 それはそうだろう。四六時中空を眺めているわけにもいかないし、眠っている時
にも<天使>は出張してくるらしい。一度背中に融合されてしまえば分離は不可能
な上、傷つけただけで融合した本人に痛覚が伝授されるともいう。
 いわば、<混沌>の、目的不明の人さらいの先兵がこの<天使>なのだ。
 いま、それが俺たちの背中目がけて、ゆっくりと降下してくる。
 「融合して、どこへ運ぶつもりかしらね」
 沙羅がそうつぶやくのへ、
 「試してみるかい?」
 とタツが言った。
 「冗談じゃないわ。この世の果てにでもおきざりにされちゃったらいやだもの」
 「そりゃそうだ」
 と、タツは腰を落として刀の柄に手をかけた。
 「ちと数が多すぎるな」
 俺がつぶやくのへ、タツもうなずきかえす。
 「二十二対ある。スピードは遅くても、頭上からだ。俺の刀もおめえの弓矢も、
不利なポジションだな」
 「OK」とうなずいたのは、沙羅だった。「魔鏡で吸い込んであげる」
 「だいじょうぶか?」
 とタツが問うのへ、首を横にふってみせた。
 「力の強い妖魔じゃないし、七つか八つくらいは吸い込めると思うけど、それで
ジ・エンドね。だから残りはまかせたわ」
 「もったいなくねえか」
 「どのみち、虎法師や泡幻童子みたいな桁外れの相手には、使いようのないアイ
テムだからさ」
 「よし、まかせる」
 言いつつ、俺は弓に矢をつがえた。矢筒にあるのは、ここまで来る途中で制作・
補充したぶんを含めて十二本――プラス、<八月>に<十二月>。
 沙羅はうなずいて首から下げた鏡を手にとり、天に向けてかざした。
 舞い降りてくる白い翼が、吸い寄せられるようにして渦を巻きながら、ゆっくり
と、まるで囲いの内部へと帰還する羊のように従順に、鏡の中へともぐりこんでい
く。
 七つ、八つ、九つ、十――沙羅の予想より一対を越えて<天使>はどことも知れ
ぬ彼界へと消えていき、十一対めがその表面に触れたとたん、パキ、と魔法の鏡は
硬質の音を立てて粉々に砕けて落ちた。
 「沙羅、危ねえ!」
 叫びざま、その足もとで身がまえていたタツが銀光を閃かせた。
 無数の白い羽を散らして<翼>は両断され、落ちた。
 どす黒い血がアスファルトの路面にぶちまけられた。残り、十一対。
 そのアスファルトの路上に、翼と同時にカタンと音を立てて落下したものがあっ
た。予想していたように沙羅が身をくぐめてひろい上げる。




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