#2576/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 4/ 3 11:38 (198)
幻都放浪(23) 青木無常
★内容
14
「おまえらはバカだ」一夜の宿を提供してくれた屋台のおやじはそう言いながら、
約束の保存食料三日分を梱包し、俺たちの荷物に分散してまとめてくれた。「あん
な化物どもにケンカ売るなんざ、正気の沙汰じゃねえ。いいか? 二度とここに戻
ってくるな。バカの相手は心底疲れるからな」
仏頂面のままおやじはそう言い、そして最後にちらりと笑ってもう一度、くりか
えした。
「おまえらはバカだ」
だれもそれを否定せず、そうしてバカどもはふたたび歩きはじめた。
海岸通りから弁天橋(!)をぬけ、桜木町の高架をくぐって、東横線ぞいに東京
をめざす。
高架線のコンクリートの壁には、横浜地元のかつての画家の卵どもが描いた、落
書アートがならんでいた。
技量もセンスも俺にはわからない。他の奴らだってそうだったろう。それでも、
かつての時代の息吹は、俺たちの胸を刺激せずにはいられなかった。
言葉も画題も絵柄も模様も、どこか洗練からひとつ外れたところにあるような気
がした。それがそのまま、叫びや思いの形であるような気も。
こいつらは今、どこで何をしているのだろう。
そして、こいつらのように今もまた、自分の思いや形にできない心の中の何かを、
無理やり吐き出してはおきざりにしていく奴らが、どこかにいるのだろうか。
「DANCE WITH ME」
壁に描かれた文句を、沙羅が声に出して読みあげる。
俺はフン、と笑う。
「踊るか? 俺と」
「ふん、やなこった。だれがあんたなんかと」
笑いながら顔をしかめ舌を出し、沙羅はくるくると体をまわす。
へ、と俺も口もとを歪める。
そこでちらりと横手に目をやり、狂おしいほどにひたむきな視線をあわててそら
すタツの姿を目にした。
沙羅に視線を戻し、笑いをしぼませながら彼女の視線が逃げるようにそれていく
のを追いかける。
ン、ン、ンと鼻唄をうたいながら沙羅はトントンと軽い足どりでステップを踏む。
「あんま体力使うんじゃねーよ」
俺は言い、なあタツ、と叫ぶように言いながら奴の背中をどやしつける。
げほ、とタツは力なく声を立てた。
その時――
「哀しいねえ」
ふいに俺たちの横手――壁の方角から、そんな声がかけられた。
俺もタツも、ぎくりとして身がまえた。
一瞬後には、あっけにとられていた。
「その哀しさが人生なんだ。ヘイ、ボーイズ&ガールズ、君たちはいま、二度と
くりかえすことのない、宝石のような時代を生きているんだぜ」
浮いた歯が二度と噛みあわないようなセリフを恥ずかしげもなく堂々と吐いたの
は、壁に描きこまれた、やけに四角い顔で、きれいにならんだやけに白い歯をキラ
リと光らせた落書きの人物だった。
「なんだおまえ。生きてんのか」
あっけにとられた俺が聞くと、さわやかな歯なみを光らせた横むきの人物は目だ
けを俺たちに向けて大口開けて笑ったまま、答える。
「もちろん、ぼくは生きているさ。そして君たちと同じように日々、思い悩み、
そして人生について考えながら暮らしているんだ」
背景の、海に浮かぶ摩天楼はアメリカンコミック風だ。となれば、この人物もそ
の手のキャラクターを意識して描かれたのだろうが、どこかアメリカの汗くささと
は微妙に異なる、日本的な泥くささを感じさせる。
「もしかして、この壁の絵の連中、みんな生きてるのか?」
呆然としつつ問いかける俺に、壁の人物はチッチッチッと舌をならした。
「もちろん、右どなりのトミーとベティーの新婚夫婦も、そして左どなりのイン
ド生まれのクリシュナも、生きているさ。こうして君たちと話をできるのは、この
ぼく、生粋のニューヨークっ子のロビー・ボビー・リッキー・ブラウンだけだけど
ね。それにね、ベイビー、ぼくはなんと、未来を予知することだってできるんだぜ。
ヘイ、どうだい? 驚いたかい?」
「ああ、驚いたとも」
と俺は答えた。未来を予知できる、と称することに対してじゃない。壁に塗り込
められて動けないくせに、この底ぬけの陽気さはいったいどこから来るのかという
驚きだ。土台、今どき未来を予言するヤツなんざ掃いて捨てるほどあちこちにいる。
そのうちの半数は単なるインチキか狂人で、残りの半数のうちの大部分はたまに予
知を的中させたりしないでもないが、その的中率の低さと曖昧な言葉ばかり選択す
るせいで、ほとんど役には立たない。
「それで、ボーイズ&ガールズ、君たちはいったい、こんなところを歩きながら
どこへ行こうってんだい?」
「東京だよ」タツが答えた。「ちょいと、無謀な戦争しかけに、な。予知ができ
るってんなら、俺たちの未来を占ってみろよ」
「ヘイ、ボーイ」と、ロビー・ボビー・リッキー・ブラウンは少々不服そうに答
えた。「ぼくは占い師じゃなくて、未来を予知する予言者だぜ。まあいいさ。お代
はいらないからよくお聞き。ふうん。君たちはすでにいちど、敵とあいまみえてい
るね? しかもこっぴどくやられて、ほとんどお情けで許してもらえたって感じだ。
ちがうかい?」
ぐ、と全員が声をつまらせた。
「うるせえ余計なお世話だ」
一同の心理を代表して俺が言う。
「こりゃ失礼。何も君たちをバカにするつもりじゃなくって、ただ単に事実をの
べただけなんだ。気にさわったら、ごめんよ」
とロビー・ボビー・リッキー・ブラウンはさらに傷口をえぐるようなセリフを軽
「おい、そろそろ行こうか」
ムッとしたようにタツが言うのへ、壁の人物は「おいおいベイビー、ひとに質問
をしといて、そりゃないだろう」ときた。
「いいから、能書きたれてないでとっとと予言とやらをやってくれよ。俺たちゃ、
先を急いでるんだ」
うんざりしたように俺が言うと、ロビー・ボビー・リッキー・ブラウンはOK、
OK、すぐに予知してあげるよ、といい、言葉とは裏腹にそれからふいに黙りこん
だ。
じりじりと待つが、黙りこむと絵に描かれた人物だからかまるで変化がない。
いいかげん待ちくたびれ、もういちど声をかけようかと思案した矢先、ふいにロ
ビー・ボビー・リッキー・ブラウンは口を開いた。いや、奴の口は最初っから開き
っぱなしなんだけど。
「ボーイズ&ガールズ。いいかい、よくお聞き。これからの旅で君たちは、ひと
りをのぞいて望むものを得られず、失意の結末を迎えることになりそうだ。だけど
ね、希望だけは決してなくしちゃいけないよ。いいかい? 少年は、いつかかなら
ず少女に出会うものだし、ひとはだれでも生まれた時から、幸わせになるために歯
をくいしばって生きつづけるんだ。それにたぶん、失意や喪失なんてものは、けっ
こう貴重で心地よい宝物でもあるんだからね」
どうもわけのわからんことを吐かしやがる。
しかしどうやら、悪い奴ではなさそうだ。
俺はフンと鼻を鳴らして「わけがわからねえや」とあからさまに言い放ち、タツ
はタツで「たわごと吐かしてんじゃねえよ」とまるきり容赦がない。が、どちらの
口調にもどこか笑いが含まれていた。
「ヘイ、ボーイズ&ガールズ。人生は不可解なできごとの積み重ねだ。そして哀
しみも喜びも、いつでも君たちの足もとにころがってるんだ。だから泣くのはおよ
しよ、ベイビー。いつでも、どんな時でも、明るく笑ってごらん。そうしていれば
きっと、多くのことがうまくいくから。それじゃあ元気で。またいつか会えるとい
いね」
ヘン、と俺たちは中指を立てて笑いながら落書きの男に別れを告げ、そしてさら
に先へ。
高架のつきたところへ出ると、そこは横浜駅前だった。比較的原型を保ったビル
が港に立ちならび、あちこち崩れ落ちた高速道路がルミネ前を走りぬける。
海を眺めやりながら、俺たちは腰を降ろして休息した。
ふと、絨毯から降りて地べたにあぐらをかいたアブーカジェリフが、遠い目をし
ながら海の彼方を見やっているのに気がついた。
弘明寺のマンションでのできごとを思い出した。
しこたま酔っぱらって乱れまくる俺たちの狂態をあきれながら見やるイルアーナ
人に俺は、魔法のヒンジャルが肝心な時にはちっとも役に立たないどころか出てき
さえしない怠慢をなじったりした。
魔法使いは怒るでもなく、ただ哀しい目をして静かに語った。
そのヒンジャルは、アブーカジェリフの家系に代々伝わるものであること。そし
て、彼が故国を後にして日本へ旅立つ前夜、末の息子がお父さんの無事を祈って、
絵本で覚えたばかりの、他愛のない護身の魔法をそのヒンジャルにかけてくれたこ
とを。
「だからそのヒンジャルは、五年まえではなく、わしが故国を後にする前の晩か
らすでに、魔法のヒンジャルだったんだよ」
アブーカジェリフはそう語り、そしてそれきり沈黙した。
「帰りたいか、アブーカジェリフ」
俺はそんなことを思い出しながら、肥満体の親父に問いかけた。
褐色の肌の異国人は、寂しい目をして、この上ないほど素直な哀しみをその表情
に浮かべながら、無言でうなずいた。
横浜を境に俺たちは海に背を向け、旧東横線の跡をたどりながらさらに先へと歩
を進める。
幾度かの休憩をはさんで、多摩川をわたるころには陽が暮れていた。川べりに沈
みかけた真っ赤な夕陽が、水面を朱く染めていた。
そのまま進めば、夜半には新宿にたどりつくことができそうだったが、そこで一
夜を明かしていくことにした。だれもが、沙羅でさえもが、運命と対峙する時をす
こしでも遅らせたがっていたのかもしれない。
ホテルの中庭で火を焚き、俺たちは山下公園から持参してきた弁当を言葉少なに
消化した。
あたりがすっかり闇につつまれかけたころ、街に蛍火がしずしずと降りそそぎは
じめた。
この不思議な灯火の粒は、この五年間、季節には無関係に、時おり、思い出した
ように世界に降りそそぐ。害もなく益もなく、降りついだという痕跡もいっさい残
さず、ただ夜になると音もなく、天から舞い落ちてくるのだ。
それを、<異変>で死んだ人びとの魂の破片だと言う者もいたし、あるいはまた、
アラブの上空でミサイルを受けて沈んだ未知の乗り物の残骸であるとも言われてい
た。ほんとうのところはたぶん、だれも知らないのだろう。
なぜ、世界がこんな風に変貌をとげてしまったのかさえ、だれにも答えることは
できないのだから。
言葉少なな夕げの席で、ふいに沙羅が口を開いた。
「あたし、あのケイオスってひとのこと、たぶん知ってるわ」
だれよりもこの俺が目をむいて身を乗り出したのは言うまでもあるまい。
「なっなっ何者だあれは?」
と声がうわずったのは無理もあるまい。
それに対して沙羅はおかしげにちらりと笑ってから、真顔に戻って、
「季刊『武道』って雑誌がむかしあったの。知ってる?」
俺は首を左右にふるい、タツが、ああ見たことある、とうなずいた。
「その雑誌にさ、北海道あたりの古武道として棒か何かを使った武術が紹介され
ててさ。いまじゃその流派の名まえとか、どんなタイプの武術かとかぜんぜん覚え
てないんだけど、その宗家と跡を継ぐ予定の息子の写真があって、とくに息子の方
は、そんなごつい武道の跡取りのくせにお人形さんみたいにきれいな顔をしていた
のでよく覚えてるの。たいてい、その手の雑誌だと人物の顔つきとかはけっこうい
い加減に撮ってるもんだけどさ、やっぱりその写真家も、跡取りのきれいさに感動
してわざと顔がきれいに写るように撮ったんじゃないかなって、そう思ったから、
よけいによく覚えてる」
「なるほど、武道家かい、あれは」タツが感心したようにそう言った。「たしか
に、あの貫祿、つうか雰囲気はなみの人間じゃあなかったわな。しかし、近くで見
たわけじゃないからよくわからんが、武道やっててあれだけ傷や歪みのないきれい
な顔してる奴ってのも、めずらしいぜ」
「うん、防御に関しては天性のものがあるって、お父さんの宗家がほめてるのが
記事に載ってた。それでも、一年前、あ、一年前ってのは、その記事を読んだ時の
ことね、そのころに大怪我をしたとか書いてあったな。だからどんな天才も、油断
すれば危ないんだって、なんか教訓的なことが書かれてた」
「ふん」
とタツは真顔で鼻を鳴らしただけだった。
夜半、眠りについた俺たちを、ロビーの公衆電話がふいに叩き起こした。
タツと沙羅は警戒心まるだしで顔を見あわせていたが、俺は飛びつくようにして
ロビーを横ぎり、受話器をとりあげた。
「もしもし!」
気負いこんで声をあげる俺に、しばし雑音の向こうの静かな息づかいがただよっ
ていた。
やがて、
「お兄ちゃん……」
麗子の声が、そう言った。
「……元気か?」
一拍の間をおいて、俺も静かにそう問いかけた。
「うん。お兄ちゃんは?」
「とりあえず、生きてはいる」
「そう」
「ああ」
そのまま、長い沈黙がおとずれた。
「明日には、そっちに行けると思う」
俺が言うと、ん、と麗子は短く答えただけだった。