AWC 幻都放浪(19)       青木無常


        
#2572/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  94/ 4/ 3  11:23  (200)
幻都放浪(19)       青木無常
★内容
 たかだか数センチ、顔をあげるだけで、巨岩を持ち上げるほどの気力と労力が必
要だった。
 獰猛な、虎の顔貌が俺を見おろしていた。
 燃えるような視線に、あわれみが浮かんでいるような気がした。
 それだけを確認すると、俺はもういちどがくりと頭をたれる。
 ケイオスでなければ、なんでもいい。そういう気分だった。
 「やっと、己の愚かしさがわかったようだな」
 虎法師のセリフには、むしろ憐れみと共感がこめられていた。
 俺は答える術もなくただあえぎつづけるだけ。
 そんな俺を見おろしながら、虎法師はおだやかに、つづけた。
 「<混沌>にさからうなど、無益だ。不可能なのだからな。おまえの妹はわれわ
れがあずかっている。害意はかけらもないから、その点では安心していい。だが、
おまえは今夜かぎりで、おそらく二度とは妹とあいまみえることはできなくなるだ
ろう。それを覚悟しておけ」
 胸の底で、怒りがちらりと顔をあげた。
 それだけだった。
 意味を問いただす気力さえわかぬまま、怒りは恐怖に圧しつぶされていた。
 「どういう意味?」
 問いかけたのは、沙羅だ。おそらく、ケイオスの真の姿を目の当たりにはせずに
すんだのだろう。幸運なことだ。
 「言ったとおりの意味だ」重々しい口調が告げた。「われわれは麗子を必要とし
ており、この男は邪魔なのだ」
 怒りにか、背に当てられた沙羅の手がこわばる。
 それを制するように、俺は立ちあがった。
 瞬時、虎法師の眼は大きく見ひらかれ、そしてすぐに、笑いの形に歪んだ。
 「用意ができたようだな」
 法師の言葉に、俺はなおもあえぎ、よだれをたらしつつかろうじて、
 「用意、なんの」
 と問うた。
 「城をおとずれる用意だ。<混沌の宮殿>をな。ただし、思念だけで」
 「思念、だけ、てな、なんの、こった?」
 苦悶にぶつ切れのセリフにも嘲笑をかえすことなく、虎法師は言った。
 「それも言葉どおりだな。おまえの肉体だけはここに留まる。そして思念だけが、
われらの城を訪れる。そこで、妹にも会うことができるはずだ」
 「思念だけ、か?」
 「そうだ」
 「要、するに、そりゃ、幽体、離脱、みたいな、もんだな?」
 察しがいいなとでも言いたげに、虎法師はにやりと笑う。
 「そのとおりだ」
 「なぜだ?」と俺はきいた。「なぜ、思念だけ、なんだ? てめえらは、俺たち
の、意志を、いっさい無視して、妹をさらい、俺を、こっぴどく、痛めつけた。な
ぜだ? さっぱり、わからねえ、説明してくれ。え? なぜ、俺の実体が、妹と、
会っちゃ、いけねえんだ?」
 うったえるような響きが、自分の言葉の中にはあった。
 こんな連中とまともにやりあいたくはない。
 やりあったって、勝ち目なんざどう考えてもありゃしない。口さきだけで解決で
きるんなら、それですましてしまいたい。もちろん、妹をとりもどした上での話だ。
 が――
 「それは、わしにはわからんな」実にふざけた返答が、虎法師の口から発せられ
た。「邯鄲が託宣をくだしたのだ。おまえは危険だ、とな。理由はわからんが、排
除せよとまであれは進言した。いいや、だめだな。どう考えても、その実体をわれ
らが懐深くまで招くことなどできぬわい。せいぜいが、その思念のみを運ぶくらい
でせいいっぱいよ」
 俺は歯をかみしめ、虎法師をにらみ上げた。自分で自分にそんな気力が残ってい
ることが意外だった。
 「狂人じみた、ごたくだぜ!」
 怒りにまかせて、叫んだ。叫びながら、懐に手をさし入れた。畜生、役たたずの
短剣め、どこへ行った。出てこい。
 出てこい!
 「麗子をかえせ!」
 叫び、武器を見つけられぬまま俺は闇雲に拳を握り、つきだした。
 嘲弄するごとく、虎法師は両手を広げてふわりと飛びあがり、難なく俺の急襲を
やり過ごした。
 「野郎!」
 制御不能の怒りにつき動かされて俺は、気づかぬうちに足もとに取り落としてい
た弓と矢をひろい、弦に手をかけた。
 そこまでだった。カツ、カツ、と敷石をならして、巨影が眼前に立ちはだかった。
 馬だった。
 その馬上から、隆二がセラミック剣をふり降ろすのを、俺は幻をでも見るように
眺めていた。
 よけられねえ――焦慮に充ちた思いが心中に暗黒を広げる。
 それより速く、横手からひとつの影が割って入った。
 「隆二、だめ!」
 そう叫びながら両手を広げる沙羅の頭上で、剣はぴたりと静止する。
 隆二の表情が、まるで何かに痛めつけられでもしたかのように、苦痛に歪んだ。
 瞬時ためらい――そして俺はいきおいのまま駆けぬけた。
 「待て!」
 恐慌を声音にこめて隆二があわてて叫び、同時に、<虎法師>の大柄な影が、俺
の眼前に立ちはだかった。
 「糞が!」
 と薙ぎはらった弓の弧を、ふわりと身軽に浮き上がって軽々とかわし、同時にし
わくちゃの手が、俺の額にあてられた。
 くああ! と、天地を揺るがすような雄叫びが、法師の口から爆散した。
 文字どおり、虎の咆哮のごとく。


    12


 その雄叫びは、周囲を空間ごと震わせた。
 比喩じゃない。表現のまま、公園全体がまるで見えない巨大な手に鷲づかみにさ
れたように荒々しく、上下左右にゆさぶられたのだ。
 ただ単に吠えるだけで、この老人は地震なみのエネルギーをまき散らすことがで
きるらしい。
 ケイオスだけじゃない。
 噂なんざかけらも当てにゃならない。<混沌>の連中は、噂など足もとにも及ば
ぬほどの化物ぞろいなのだ。
 手も足も出ない無力感に苛まれる俺に、額にあてられた虎法師の指さきがとん、
と軽く頭をおした。
 瞬間、電柱か何かに、脳天からつらぬかれたような衝撃が奔りぬけた。
 苦鳴を発することさえできないまま、俺の全身は瞬間凝固をかけられたように硬
直し――走りぬける姿勢で宙に浮いたまま、いかに意志をふりしぼろうと指一本動
かせなくなった。
 「もがけば、意念に苦しみがわくだけだぞ」
 虎法師が、しわがれた声で俺の耳もとに告げた。
 眼球さえ動かせないまま、俺は視野の端でその虎法師の挙動をとらえる。
 つ、と、しわがれた大きな手を俺の頭上にはわせると、ふいに虎法師は何かをさ
ぐり当てたかのごとく、つまむように指を閉じてぐいと引いた。
 視界がぐらりと揺らぎ、何もかもが二重うつしになった。
 思わず目をきつく閉じ――ふたたび見ひらいた時、俺は宙に浮いていた。
 ご丁寧なことに、下方には走りかけた姿勢のまま空中に凝固している俺自身の間
のぬけた姿が見おろせる。
 沙羅は宙に浮いた俺には気づかず、呆然と凝固した俺の実体に視線を釘づけてい
た。他のギャラリーもだいたい同じだ。隆二と<騎士>たちまでが、正確には何が
起こっているのかわかっていないらしい。
 俺の幽体が空中にわき出したことを知っているのは、術をかけた虎法師と泡幻童
子、そして――アブーカジェリフだけだった。
 肥満した顔が恐怖に満ちみちて、心配そうに、俺を見あげている。
 手のひらをくいと頭上にかかげた虎法師が、おかしげに、それでいて刺しつらぬ
くような鋭利な視線で、そのアブーカジェリフを見やっていた。
 「イマーム、ラハマン、私は……」
 うろたえつつ口ごもりながらアブーカジェリフが言うと、<虎法師>は激しくそ
れをさえぎるように手をふった。
 「わしの名は虎法師だ、アブーカジェリフ! そしてすでに、イマームではない。
ザール・トゥーシュの信者でさえ、ない」
 そんな、とアブーカジェリフがつぶやいたような気がした。
 <虎法師>は、イルアーナの魔法使いを苦々しくぐいと睨みつけ、ついで俺に視
線を戻した。
 「では今からおまえを<宮殿>に運ぶ。抵抗することはできんぞ。妹と話だけは
させてやる。そこで、自分は無事であることを告げ、われわれに協力するよう言い
つけるのだ。そうすれば、命をとる必要もわしらにはない。わかったな?」
 うるせえ、と俺はわめいたが、声は出なかった。
 それでも俺の言ったことはわかるのか、虎法師はニタリと笑って泡幻童子に向け、
くいと手をふった。
 「では、跳ぶ」
 そう虎法師が宣言するやいなや――視界がブレた。
 耳もとで、風が鳴ったような気がした。幻聴だったのかもしれない。
 下方に、黒い海と、そしておぼろな陸地が見えていた。
 かつてそこには、無数の灯火がまばゆく灯されていたのだろう。いまはそれもな
く、あちこちに点々と、弱々しく揺れる炎の塊が散見されるだけだった。
 そして濃藍の空にはおぼろにガスの塊がいくつも浮かび、そしてその間を俺たち
は幻のように通りぬけていた。
 天頂の星々は音もなくまたたきながら宙を舞う俺たちを眺めおろし、世界は静か
だった。
 ああ、と俺は心のなかで、ため息をついていた。
 それを知ってか知らずか、側方で虎法師がニヤリと笑う。
 (この暗闇に充ちた滅びの世界が、気に入ったか?)
 揶揄を含んだ声音が、頭の中でたしかにそう問いかけた。
 俺は目をむき法師を見つめ、肩をすくめた。
 (べつに。生きるだけだ。今も、昔も)
 俺の答えに、どこか満足げな笑いが返る。
 (だれが、世界をこんな風に変えたのだと思う?)
 問いかけに対する答えなど、俺の中には存在するはずもなかった。
 (知るか、バカ)
 ふたたび、しわがれた笑い声が響き、
 (それをわしらは――)
 言いかけて、黙りこんだ。
 なんだ? と見かえし、法師の視線が前方を、誇らしげに見つめているのに気が
ついた。
 俺もそちらに目を飛ばし――
 そして見た。
 光の氾濫を。
 かつての文明世界でさえ、あれだけの絢爛たる光の饗宴にはなかなかお目にかか
ることはできなかっただろう。
 またたく幾つもの燐光。
 幻想のように地上から天へと、光は螺旋の渦を描きながら舞いあがり、さながら
無数の宝石を乱雑に、それでいてため息さえ封じこめるほどの調和を意図すべくち
りばめたかのようだった。
 構築物は――それを構築物と呼ぶならば、だ――夢の中の幻のごとく、ゆるやか
に変容しながらたゆたうように地上を睥睨していた。
 水底の龍宮に、迷いこんだような錯覚を俺は覚えていた。
 平安という言葉をそのまま光景にぬりこめたような楽園で視覚は占拠され、そし
て聴覚は、幸福を体現する天上の音楽に満たされていた。
 俺の心の中から、妹への愛情も<混沌>への憎悪も、そしてケイオスへのあの狂
おしい恐怖でさえが洗い流されたようにゆっくりと溶融していき、かわってあふれ
かえるような幸福感がゆっくりと、だが圧倒的に、おしよせてきた。
 (あれが……)
 俺は呆然とつぶやいた。
 (<混沌の宮殿>だ)
 虎法師が、後をひきとった。吠えるように歯切れのいい独特の口調の底に、恍惚
とした響きを聞いたような気がした。
 俺たちはゆっくりと、海底へ沈みこむようにして、降下した。
 やがて、天上の都市のごとくまばゆく壮麗に光り輝く構築物の一角に、どこか異
質な光が見えてきた。
 異質、というよりは冒涜、といった方がいいかもしれない。
 天匠の調和が支配するこの世界にあってまさにそれは、暴虐でさえあった。
 燃えている、というのが、最初に心に浮かんだ印象だ。
 それは、ある意味では正しい直感だったのかもしれない。
 炎のように紅蓮に、不規則にメラメラと明滅するその一角は、何か怒り狂ったよ
うな――あるいは、赤ん坊が泣きわめいてでもいるような光だった。
 そうか、と俺は得心した。
 (そうか、あそこに――)
 (おまえの妹がいる! いまいましい、小娘が、な!)
 幻聴でさえけたたましく、泡幻童子がわめきたてる。
 流れるように、音もなく宙を舞う無数の光の氾濫は、その炎の一角でのみ、まる
でせきとめられたように停滞し、淀み、はじき返されていた。
 何者の侵入をも、かたく拒むかのように。
 笑いと怒りとが、同時にこみあげてくるのを感じた。
 (てめえらはあそこに麗子を閉じ込めておきながら、てめえら自身が締め出され
ちまったってわけだ。そうだろう?)




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