AWC 幻都放浪(20)       青木無常


        
#2573/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  94/ 4/ 3  11:26  (199)
幻都放浪(20)       青木無常
★内容
 俺の問いにも虎法師は、無言のままだった。
 泡幻童子が憎々しげに、刻々と変わる顔のひとつひとつを歪ませる。
 やがて、虎法師がさとすような口調で、口を開いた。
 (とり除く方法がないでもない)
 なんだよ、と仏頂面で俺が問いかける。
 (殺せばいい。手間はかかるが、不可能ではなさそうだ)
 じゃあそうしてみたら、などというセリフは口が裂けても俺には言えない。
 それを見こしたように虎法師は、横目でちらりと俺を見やってニヤリと笑う。
 (だから?)
 ふつふつとわき上がる怒りを抑えながら、俺は先を促した。
 (聞きわけよ、ジンめが)笑いを口の端にとどめたまま、虎法師はつづける。
(おまえの妹にとって、おまえとともにいる方がよいか、それとも、この<混沌の
宮殿>の奥深くで、わしらのような存在に守られている方が安全か。考えるまでも
あるまい)
 ぐ、と声をつまらせる。くそ、痛いところをついてきやがる。
 この、まさに桃源郷の実現としかいいようのない壮麗な世界で暮らせるならば、
それ以上の幸せはあるまい。
 だが、この桃源郷の名まえはなんだ?
 (混沌の……宮殿)
 一人ごち、俺は口をつぐむ。
 (そのとおり)虎法師が、俺の心中を代弁した。(この調和に満ちた、理想郷の
名は<混沌>だ。それが気にいらんか?)
 俺は答えず、ただ<宮殿>に見いるばかりだった。
 (安心するがいい)やがて虎法師は、静かにそうつづけた。(おまえの妹は、こ
こにいるかぎり危険に遭遇することはない。すくなくとも、おもえとともにいるよ
りは何千倍も安全だろうな)
 フン、と俺は鼻をならす。
 たぶん、このいまいましい獣人がいうとおりなのだろう。
 俺では麗子を守りきることはできない。
 <混沌の騎士>たちの手からでさえ、守ることはできなかった。この新世界には、
奴らよりさらに険呑で手におえない存在が、おそらく山ほどいるのだろう。
 もし、そういう奴らが俺たちに襲いかかってきたとき、俺は妹を守りきることな
どとうていできないにちがいない。
 すくなくとも、この<混沌>の連中の方が比較にならぬほど手ぎわよく、それを
やってのけるはずだ。
 俺は、懐のうちをさぐってみた。
 アブーカジェリフの短剣はもとより、自分自身の手の実体でさえ曖昧模糊として
さだかではなかった。
 奥歯をかみしめる思いで俺は目を閉じ――虎法師に、むき直った。
 (麗子のところへは、どういけばいい?)
 ひゃーははははは! と耳ざわりに泡幻童子が笑いころげた。
 それにはまるで頓着せず、意外にも虎法師は憐れむような、はげますようなやさ
しげな光をその目にたたえてうなずいた。
 (呼んでみてくれ。わしらには耳を貸しはしないが、おそらくおまえの呼びかけ
になら応えるだろう。今、あの炎のそば近くに運ぶ。かなり熱いが、耐えられるな?)
 ふふん、と俺は鼻で笑った。
 (思念だけでも、熱さを感じるのか)
 軽口をたたく俺の額にふたたび手をのばし、虎法師は俺を導くようにして宙をす
べりだした。
 (あれは本来、霊的な炎なのであろうな。たとえばここへくる以前、おまえの妹
は霊的な脅威を追いかえすことはできても、物理的な脅威に対しては無力だったは
ずだ)
 そのとおりだ、という徴にうなずいてみせる。虎法師の野郎め、ふりかえりもし
ない。
 (ああ、そうだ。てことはつまり、あの炎もそうなのか?)
 (そうであれば苦労はない。<騎士>たちのような、霊的な結界には阻まれぬ者
たちを使えばよい。だが、おまえの妹はどうやら、この<混沌>にきてパワーアッ
プしたらしい)
 近づくにつれ、燃えさかる炎は巨大になり、圧倒的な質量をもって俺たちの前に
立ちふさがりはじめていた。これを、ほんとうに麗子がひとりでやっているのだと
は、とても信じがたい。
 (そいつァ、たいしたもんだ)
 (茶々をいれるな。いいか? この<混沌>は、いわば意念の城だ。結界の、い
わば可視的な形にほかならない。つまり、<混沌の宮殿>自体が巨大な精神エネル
ギーともいえる)
 (なるほど。麗子はそいつを利用しているわけか)
 (おそらくは、な。そしてこの世界そのものが、おまえの妹の力を増幅させるき
っかけとなってもいるのだろう。ゆえ、<騎士>たちもまたこの炎の壁をこえるこ
とはできぬ)
 (ざまあみろだ)
 俺は、いまや眼前にそびえる巨大な壁となった火炎を見あげながらつぶやいた。
 これは、麗子の恐怖の象徴なのだ。
 (おまえらが、麗子をおびえさせたんだ)
 (そのとおりよ)言葉には自嘲の響きがあった。(だが、悠長なやりかたをして
いるほどわれわれには余裕がないのだ。いまも、な)
 俺はちらりと虎法師を見やり、無言で唇をかみしめた。
 じりじりと、フライパンのすぐそばに立たされているように肌が焼けていくよう
な気がする。いや、遠赤外線に焼かれるような、と表現した方がいいかもしれない。
 まるで、魂の内側からこんがりと焼きあげられるような熱さだった。
 俺はため息をひとつつき、ぐいと頭上を見あげた。
 (おまえらを助けるためじゃねえ)つぶやいた。(こんなとこに閉じこめられて
ちゃ、麗子自身がかわいそうだ)
 (むろん、それでよいさ)
 虎法師の言葉は黙殺したまま俺は無言で火炎を見あげ、そしてやにわに口に手を
当てるしぐさをした。
 麗子!
 叫んだ。
 ごうごうとあたりをどよもす轟音をつらぬいて叫びは反響した。
 反応はないまま、灼熱の炎がいきおいを増した。
 噴きつける火炎の舌に、泡幻童子や虎法師までがうめきをあげて退いた。
 俺もまたどろどろに溶けた真っ赤な怒りの舌になめられ、頭の中身がまっ白にな
るほどの苦痛を感じた。
 麗子!
 かまわずもう一度叫び、反応を待った。
 めらめらと燃える紅蓮に変化はない。
 もう一度。そしてもう一度。
 俺は幾度も叫び、そして待った。
 燃え盛る沈黙が応えるだけだった。
 (わかった。もういい)
 あきらめを色濃くにじませて、虎法師が言った。
 泡幻童子は脈動する無数の顔に、侮蔑をあらわにしているだけだった。
 麗子!
 二人を無視してさらに叫ぶ俺の肩に、やけにやさしく、虎法師がぽんと手をおい
た。
 (もういい。ほかの手を考える)
 (それは麗子を殺すってことか?)
 俺はふりかえり、語気荒く言った。
 虎法師はしはじの間、無言で俺の顔を見つめていた。
 そして、言った。
 (それも考慮の内に入っている)
 (させるか!)
 わめきつつ、俺は握りしめた拳を法師の頬にたたきつけた。
 つきぬけた。
 (おまえはいま、実体ではない)
 あわれむように、そしてうんざりしたように法師は言った。
 (糞めが!)
 吐き捨てて俺はふりかえり――
 (――待て……!)
 と叫ぶ虎法師がとめる間もなく、灼熱の炎めがけて、飛びこんでいった。
 待て……ジン……追いかける声音はまたたく間に遠ざかり、そして俺は怒気と恐
怖で煮えくりかえる赤の色彩のただなかで、苦痛にのたうちまわっていた。
 肉体のない俺の感じる苦痛は、まるで一点から爆発するように無限に拡大してい
く。しかもそれは、終わりのない地獄の責め苦のごとく無際限に、幾度も幾度もく
りかえし爆散しては俺を苦しめるのだ。
 気が狂うか、と思えた。
 いっそ狂ってしまいたい、とも。
 もはや狂っているのかもしれなかった。
 そしてそんな思いもすべて、果てしなく爆発をくりかえす苦痛一色にぬりかえら
れたか、と思われたとき――
 「お兄ちゃん!」
 妹の肉声を耳にして、ハッと俺は我にかえった。
 呆然として目を開く。
 同じようにあけっぱなしの驚き顔で、見なれたなつかしい顔が俺を見かえしてい
た。
 一重の、愛嬌のある小さな瞳の奥に、俺の姿が鏡像を結んでいた。薄い唇はぽか
んと開かれている。長い黒髪をポニーテールにしていた。昔――まだ世界が平穏で
あったころ、そうしていた髪型だ。
 そうしていると麗子の、奇跡のようになめらかでやさしい頬のラインがあらわに
なって、妙にまぶしかった。
 「どうしたのお? お兄ちゃん」
 すっとんきょうな声で麗子はそう聞いた。
 「待たせたな麗子。怖かったか?」
 そうきいて、ふと俺は奇妙なことに気づいた。
 六畳のスペースに、木の床板。壁際にはベッドにふかふかの布団。
 妹は窓ぎわにおいた事務机に向かってすわっている。机の上には本立てに高さの
ふぞろいな教科書がいくつか並び、CDラジカセと無造作につみあげられたコミッ
ク本。
 淡い青で統一されたその空間はたしかに、<異変>前の、妹の部屋だった。
 俺は呆然と周囲を見まわす。見なれた部屋――というわけじゃない。いつごろか
らか、妹の部屋は俺には入りにくい聖域になっていた。ここはいつも、ちらりと垣
間見る見しらぬ異空間か、あるいはせいぜい招じられておとずれた、どうにもおち
つかない早々に退散したい一種気恥ずかしい場所に、ほかならなかった。
 「ここは?」
 阿呆みたいに呆然と俺はつぶやき、麗子は奇異の目で俺を見かえす。
 「ここはって、あたしの部屋だよ。どうかしたの?」
 言って、きょとんと見かえした。
 まるで、世界を一夜にして変貌させたあの<異変>と、そしてその後の新世界な
ど幻だったのだとでもいうように。
 俺は言葉もなく妹の顔と見なれぬ部屋とをバカみたいにあちこち見やるばかりだ
った。
 「おまえ、いったい、あの……大丈夫かよ」
 やっとのことで言葉にした。
 それに対して麗子は、ん、と目をこすりながら大きくのびをし、
 「居眠りしてたみたい。なんか、怖い夢見てたような気がする」
 それほど大きくもない胸を突き出しながらいきおいのまま立ちあがり、全身で力
いっぱいのびをすると、すとん、と踵を落とした。
 そしてにっこりと笑う。
 「お兄ちゃんがいてくれて、なんかよかった」
 その笑顔に、なんだか俺はどぎまぎした。
 すくなくともあの頃の俺は、妹とはあまり近しい存在ではなかったような気がす
る。顔をあわせれば憎まれ口のふたつみっつも飛ばしあい、同じ食卓を囲んでもあ
まりお互いに直接会話を交わすこともなく、ただなんとなくお互いに同じ家に住ん
でいるだけの、多少は気になるがどうということもない存在だった。
 だから、こんな風にやけに素直に笑顔を見せられると、ついうろたえてしまった
りしていたのだ。
 そして麗子は、そんな俺を見て楽しんでもいたはずだ。
 今も。
 細面の童顔にからかうようなニヤニヤ笑いを浮かべて、俺の頬を指さきでちょん
とつつく。
 「なーに照れてるんだよ」
 「照れてなんかねーよ」悪ガキそのままの口調で思わず叫び、それどころじゃな
いことを思い出した。「んなこたどうでもいい。おい、こりゃいったい、どういう
こった? おまえが再現してるのか? <混沌>の力を借りて」
 すると妹はふたたびきょとんと俺を見かえす。
 「混沌? なにそれ?」
 (逃避している)
 俺の胸の奥底で、虎法師の声がかすかにそう言った。
 「逃避だあ? 現実逃避か?」
 声に出して聞きかえし、妹の眉間に怪しむようなしわが寄るのを見てあわてて口
をつぐんだ。


    13

 (つまり、妹は<異変>まえの世界をむりやり再現して、そこに浸ってるってこ
とか?)
 心の中での呼びかけに、答えは即座に返った。
 (そのとおりだ。思ったよりは、ものを知っているらしいな)
 声だけだが、揶揄の調子がちゃんと感じられた。




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